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序章 生贄王女



そして祈れ、愛するがいい。


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大きくなったら、結婚しようね。


小さな頃……恋も愛も純粋なものしか知らない、未熟で素敵な頃。
いつか誰かと交わした、小さな小さな、とても可愛らしい「子供のお約束」
しかしそんな純粋さも、本当に大きくなった……大人になった時は、狂気さえ運んで来る。

あれは、あの時「結婚」を約束した彼は、
誰だったかさえ、もう、覚えてはいない。


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Quem di diligunt adulescens moritur.


「神に愛される者は若くして死ぬ。若くして死んだと言う事は、神に愛されたと言う事。……本当にによく出来た言葉だな、反吐が出る」


クゥエム

ディー

ディーリグント

アドゥレースケンス

モリトゥル


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美しい。こんなにも、美しかったのか。

空、海、大地、森、山、草花、そんな自然物は勿論、街、家々、その辺りに置いてある人工物さえもが余りにも美しすぎて、自然と笑みが零れる。
この世界はこんなにも美しい、全てがきらきらと輝いて愛おしく、全てが尊い。
……“最期”ともなると、こんなにも、全てが美しく見えるものなのか。

ここは、大陸の南西に位置するラエティア王国。
穏やかな気候と風土で過ごしやすく、長年に渡って平和が続いていた。
…続いていると、国民や他国の者はそう信じ切っていた。

毎年このラエティア王国では、ある決まった時期に必ず行方不明者が出る。
それは18年前から続いており、行方不明者が帰って来たためしは無い。
そして、行方不明になるのは決まって王侯貴族の少女。
一体何故、毎年王侯貴族に行方不明者が出るのか。
国民にも噂は広まり、あれこれと推測が飛び交った。

一体何故。
それは、ある一部の者達だけが知っている。


++++++


「あと数刻で夜明けだな」


部屋の窓際、次第に明るさを増す外を憎々しげな表情で見詰めていた青髪の男が、ぽつりと呟いた。
その呟きは傍らで椅子に座っている美しく着飾った少女に向けられたようだ。
少女は、まだ子供っぽさの残る顔を笑顔にして彼に向けると、ただ一言「そうね」とだけ応え、それきり無言が訪れる。
重くなってしまった空気を打破しようと少女が男に話し掛けようとした矢先、慌ただしい足音が響いて来た。
足音の主は遠慮無しに部屋の扉を開けると、悲痛な様子さえ感じる焦った声で叫ぶ。


「なぁルミザ様、ルミザ様は!?」
「うるせぇぞ、ロイ。まだ夜明け前だ、静かにしろ」


飛び込んで来たのは、燃えるような赤い髪をした少年。
その顔には悲しみとも怒りともつかぬ表情が浮かんでいて、ただ辛さだけははっきり伝わった。
ロイと呼ばれた少年は、少女……ルミザの傍で外を眺めていた青髪の男に注意された事で、機嫌を悪くして口を開く。


「ヘクトル、何でお前は冷静なんだよ!? このままじゃルミザ様が…」
「ロイ、いい加減にするんだ」


ロイの言葉の途中で、また新たな声が聴こえる。
すぐ、ロイを幾らか大人っぽくしたような青年が、椅子に座っているルミザに一礼をして部屋に入って来た。
ロイは少々バツが悪そうに拗ねる。


「兄貴……。だってオレ、嫌なんだよ……」
「誰だって嫌に決まってるだろう。……姫、ご挨拶も無しに、失礼致しました」
「構わないから顔を上げて、エリウッド」


再び、今度は謝罪の礼をしたエリウッドに許しを与えると、ルミザは2人に微笑みを向ける。
愛らしさと美しさと、……儚さを兼ね備えた、“最期”を目前に控える者の微笑みだった。

ルミザは、このラエティア王国の第4王女。
今年、“行方不明になる事になった”少女だ。
ラエティア王国で18年前からある行方不明事件。
それは、こうして王侯貴族の娘を生贄に捧げている為に起きている。
それを知っているのは当の王侯貴族達と、一部の騎士、一部の司祭だけ。

生贄を捧げる相手は、“邪神”。
“邪神”は、この世を照らし導く神“聖神”に対を為す邪悪の化身として、古くからこの大陸に伝えられている。
単なる想像上の存在だと思っていたある日、それは突然現れた。
ラエティア王に仕えている司祭に“邪神”は、

「高貴な血を持つ娘を生け贄に捧げよ。さもなくば、王国に災いを齎す」

と言葉を伝えた。
司祭はそれを王に伝えるのだが、王は全く相手にしようとしない。
…すると突然、王国内で疫病が流行り出したり、作物が実らなくなったりと言う事が起こり始めた。
王は国を挙げて対策を講じたが一向に状況は良くならず、国内の至る所に屍の山が築かれる。
もう国はお終いかと絶望に陥った国王だったが、そこへ再び司祭がやって来た。
再び司祭の心に“邪神”が語り掛けて来たらしい。

「高貴な血を持つ娘を生け贄に捧げよ。さもなくば、王国の災いは続く」

これが邪神の力かと観念した国王は、まだ幼かった自分の娘を“邪神”に捧げた。
すると国内の疫病や作物の不作が、あっさりと治まったのだ。
国内は喜びに満ちたが、結局、国王の娘が帰って来る事は無かった……。

それから毎年、この時期には“邪神”からの要求があり高貴な血を持つ娘が生贄として捧げられる。
生け贄にされた後に帰って来た者など、この18年間だれ1人として居ない。
恐らく生け贄として捧げられた先には死が待ち受けているのだろう。
そして今回その生け贄の役目に、ラエティア王国第4王女のルミザが選ばれたと言う訳だ。


「エリウッド、ロイ。わざわざ来てくれたのね」
「来ない訳ないだろ!?」
「僕も同じです。間に合って良かった…」


エリウッドは一旦部屋の外へ出ると、すぐに花束を抱えて戻って来た。
以前に一度贈ったらルミザが非常に気に行った花。
エリウッドやロイの故郷にしか咲かないその花をルミザは喜んで受け取る。
優しい淡い色の花弁から、ふわりと甘い香りが漂った。

エリウッドとロイは、このラエティア王国の有力貴族・フェレ家の者だ。
ここ西の海岸沿いにある王都を更に南に下ると、常に温暖な気候で美しい草花が生い茂るフェレ領。
フェレ領主、つまりエリウッドとロイの父が国王に厚く信頼されていた為、2人は昔から王都に訪問する事が多かった。
姫であるルミザとは幼馴染だ。


「ヘクトル、君に変わりは無いか?」
「ああ。しかし二ヵ月ぶりだってのに、こんな形で再会するなんてな」


ルミザの傍に居たヘクトルは国一番の貴族、オスティア家の者。
国王から最も厚い信頼を受け、この王都に居を構えている。
ヘクトルはその侯爵の弟にあたる人物。
国王の右腕として働く家族に付いてよく王城へ来ていた。ルミザともフェレ家の2人とも仲の良い幼馴染みだ。
3人とも##NAME1##が生贄にされると知り、居ても立っても居られなくなってやって来たのだ。

##NAME1##はもう国王達家族とは別れを済ませた。
生贄になる当日は家族に会ってはいけない決まりとなっている。
心が揺らいで、逃げ出されるのを防ぐ為に。
日付が変わってから夜が明けるまで生贄に会う事が許されるのは、精々友人関係の者まで。
だから彼らが来なかったら、ルミザは生贄になるまで1人で過ごさなければならなかった。


「私の為に……有難う。これで寂しい思いをせずに一生を終えられる」
「ルミザ様っ……!」


最期を示唆するルミザの言葉にロイが悲痛な声で反応し、ヘクトルとエリウッドは痛々しい思いで顔を逸らした。
ルミザはそんな3人に笑顔を向ける。


「そんな顔をしないで。今まで私を育てて下さった父上達に、やっと恩返しが出来るのだから」
「姫……」
「私、この王家の子ではないのに、本当の家族のように接して下さった。やっと、その恩返しが出来る」


ルミザは拾い子。
今から15年前、ルミザは王城の裏手にある神殿に捨てられていた。
一般人の立ち入りが禁じられている筈の場所、しかも神殿に居た事から、ひょっとしたら神の使いかもしれないと、国王が彼女を自分の娘として育てる事を決める。
彼女と出会う3年前に最初の生贄として娘を邪神に捧げ、傷心していた国王達にとって、ルミザはその傷を癒やす大事な役目を果たした。
沈んでいた王城は明るくなり、ルミザは本当に神が遣わして下さった娘なのだと大事にされた。

……まさか、そのルミザが次の生け贄に選ばれる事になろうとは。

もうすぐ夜が明ける。
夜が明ければルミザは神殿の更に奥にある湖へ赴き、邪神の生贄となる。
最期の時が、迫る。


「……なぁ、ルミザ殿下」


突然ヘクトルが窓の外を眺めたまま、声を掛けて来た。ルミザの視線が彼へと集まる。
当の彼の視線の先には明るみ始めた夜空。
光を反射して精一杯輝いていた星々も、今日の役目を終えて眠りに就こうとしていた。
そんな美しい空を眺めながら彼は、苦々しい表情で静かに口を開く。


「もう、……逃げろ」


ヘクトルの言葉に誰もが驚いた。
特にルミザは困惑を隠せなくなり、視線を彷徨わせて狼狽える。


「ヘクトル、それは……」
「……何だよエリウッド。お前だってルミザ殿下を死なせたくないだろ!?」


ルミザが何をしたと言うのだろうか。
邪神だなんて突然現れた得体の知れない存在に、何故彼女が命を捧げなければならないのか。

しかしルミザは迷っていたものの、ふっと表情を和らげるとゆっくり首を振った。
自分だけではない、この18年間ずっと罪のない娘達が命を捧げて来た。
ここで自分だけ逃げるなど王女としてあるまじき行動だろう。
邪神の力は本物だと、昔を知る人々から何度も聞いて来た。
今更になって誰かに代われなどと言える訳が無い。

ヘクトルも、ロイも、何も言えなくなってしまう。
ルミザ自身にそう言われたのでは反論の仕様が無い。


「あ、兄貴! 何とか言ってやってくれよ! 兄貴だって、ルミザ様に死んで欲しくないだろ!?」


ロイは、兄のエリウッドに縋り付いてごねる。
エリウッドはルミザへの抗議を試みるが、彼女の穏やかな、それでいて決意を込めた瞳を見て、やはり何も言えなくなってしまった。


「エリウッド……貴方なら分かってくれるわね? 私がこうしなければ、罪の無い人々が、沢山死んでしまうの」
「姫……」


貴女は、そこまで覚悟しているのですね。

エリウッドが突然、椅子に腰掛けているルミザの前に膝を折った。
驚く3人に構わずそっとルミザの手を取ると手の甲へと口付ける。
突然の行動に戸惑うルミザを見上げ、穏やかな表情で微笑んだ。


「貴女のお心に、頭の下がる思いです。貴女と出会えた事が、僕の何よりの幸福でした」
「おい、エリウッド!」


まるでルミザの最期を受け入れるような言葉。
我慢出来なくなり、ヘクトルがエリウッドに掴み掛かる。
だがエリウッドは動じる事無く立ち上がると、ルミザを真っ直ぐに見据えて口を開いた。


「そんな貴女を、みすみす見殺しには出来ません。……姫、お逃げ下さい」
「……!」


迷いが生まれる。
本当は死にたくないと、余計な事を思ってしまう。
拾い子である彼女の正確な年齢は分からないが、拾った当時の成長具合からして18歳という事になっているルミザ。
充分に生きたと言える年齢には程遠く、むしろこれからが人生の花と言うべき年齢。

死にたくなどなかった、まだ生きていたかった。
だがそんな我が儘を言えるような立場に彼女は居なかった。
今まで数々の貴族の娘を犠牲にして成り立ってきた国家の主たる一族の娘として、ルミザは責任を果たさなければならないのだから。


「エリウッド、貴方までそんな事を言うの!? いけないわ、私が……」
「お前も“罪の無い人”だ。死ぬ必要は無い」


口を挟んだヘクトルによってルミザは言葉を詰まらせる。
ロイも苦しそうに顔を歪めてルミザに縋った。


「オレ、ルミザ様が死んじゃったら嫌だ! なぁ逃げようぜ!」
「……」


駄目だ、私が逃げたら、私が逃げたら……。

辺りがどんどん明るくなって行く。
星々も殆どが眠りに就き、やがて来る空の主の邪魔をせぬよう姿を消していた。
ルミザの最期が迫る。


「私……行かなくては」
「ルミザ殿下!」
「姫っ!」


椅子から立ち上がり出入り口へ向かおうとするルミザ。
3人が引き止めようとするが、彼女は止まろうとしない。


「お願い、離して! 私が逃げればこの国は大変な事になってしまう!」


お願いだから、引き止めないで。
死にたくないって本音が出る前に、私を大人しく見送って。


「……な、なぁ。何か、騒がしくないか?」


ロイが突然、辺りを落ち着き無く見回した。
確かに何かざわめきが聴こえて来る。
それも少数ではなく、かなりの大人数が叫んでいるような。
まだ日が顔を出さないこんな朝早くに一体何が始まったのだろうか。

ざわめきの音だけではない、伝わって来るのは不穏な空気。
だんだん悲鳴のような物も混じっているような気がして心がざわついた。
すると慌ただしい足音が聴こえ、すぐに侍女が部屋へ入って来る。


「ひ、姫様……! ヘクトル様達もご一緒でしたか…」
「何が起きたの…?」


侍女は息を切らして酷く怯えている。
ルミザは駆け寄ると、彼女に寄り添って宥めるように背中を撫でた。
不思議な温かさを感じ、侍女は落ち着きを取り戻す。


「あ、有難うございます」
「何があったんだよ、この騒々しさは…」


ヘクトルが侍女に問いただすと、彼女はもう一度表情を引き締め、声を張り上げた。


「て、敵襲でございます! 闇夜に紛れていたのか国籍不明の軍隊が……もう間も無く、この王城に突入して参ります!」


……運命が、動き始めた。





−続く−



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