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7章 闘技場



ガタガタと体が揺れている事に気付いた。
明らかに自分の動作によるものではないと思い、ルミザは重い瞼を開けて周りの様子を窺う。
自分は横向きに寝転がっていて、内装はよく見ると馬車のようで。

いや、間違い無く馬車だ。
そうなると、一体何があったのかが思い出され、慌てて飛び起きたルミザの向かい側には2人の男が座っていた。
身なりは悪くはないが、厭らしい笑みを浮かべてこちらを見る様子は、知らず寒気を覚える。


「起きたかい、目的地に着くまでゆっくりしてな」
「……」


思い出せば、これから自分がどうなるかは分かる。
大人しく連行される訳にはいかないのに、手元にあるのはリブローの杖。
抵抗しても無駄なのは目に見えている。ルミザは大人しくして、不安に駆られながら馬車に揺られた。

到着したのは馬車に乗せられてから3日目で、扉が開けられ、馬車から降ろされたルミザ。
目に飛び込んだのは、巨大な建造物。
コロセウムとかコロッセオとか呼ばれる、円形の闘技場……ついに連れて来られてしまったのだ。
ルミザは男達に囲まれたまま、中へ連れて行かれた。


++++++


苔むしたような暗い石造りの廊下を進んで行くとある部屋に通された。
廊下と変わらぬ冷たい石造りだが、暖かそうな絨毯や綺麗な調度品がある所を見るとそれなりの位の者が居るらしい。
奥の机には冴えない顔の中年男性が居て、そこまで連れて来られる。


「ほら、見ろよ。なかなかの上玉だぜ。これなら客も満足だろうよ」


背中を押され、よろけて一歩前へ出るルミザ。
中年男性は椅子から立ち上がると、下品な笑みを浮かべてルミザの身体を舐め回すように見た。
そんな視線に身震いしてしまうルミザにはお構い無しに、男達は会話を続ける。


「なる程、いい品だな。この娘なら5万Gを払う」
「5万Gか! 文句ねぇ、交渉成立だ」


その会話を、どこか他人事のように聞くルミザ。
売られたと言う事実がショックで、頭が現実逃避に走りかけていた。
ルミザが我に返ったのは、中年男性が呼んだ衛兵に腕を掴まれた時。
どこかへ連行されようとしている事が分かったが、強い力で引っ張られ、口先の抵抗しか出来ない。


「放して! 私は自分で歩けます!」


力任せに振り解こうと頑張っているのに、やはりこれでは敵わない。
部屋を出てから更に廊下を奥へ進み、辿り着いた部屋は、広い待合室のような所だった。
相変わらず冷たい石造り、所々に置いてあるテーブルや椅子はぼろいもので……何だか、牢獄のような印象を強く感じる。
数人の女性が居たが、誰も暗い表情で手には剣などの武器を携えていた。
窓は、高い所にある明かり取り用の小さな物だけ。
呆然とそこから差し込む光を見ていると、左手に冷たい感触がした。
何事かと左手を見れば、片手分だけの手錠のような物を付けられている。


「な、何を……」
「今日からお前は、この闘技場の剣奴……その証だ。後の事は、ここの奴らに伝えてある」


それだけを言うと、衛兵達は去って行った。
途方に暮れて立ち尽くしていると、先ほどまで見向きもしなかった女性達が皆一様にこちらを見ているのに気付く。
新入りの様子を窺っているのだろう。
剣奴と言う事は、彼女達と殺し合いをしなければならないのだろうか……。
そうして薄い恐怖に黙り込んでいたルミザに、誰かが声を掛けた。


「あんた、新入りよね? どしたの、売られた?」
「えっ……」


近寄りながら声を掛けて来たのは、ルミザと同じぐらいの年頃であろう少女だった。
紫の髪を肩の下辺りまで伸ばし、動き易そうな赤い服、茶色の肩当ては傭兵のような印象がある。
緑色の大きな瞳、屈託のない笑顔は活発そうだ。
興味津々といった様子の彼女に少々押されながら、ルミザ躊躇いがちに応えた。


「そう……です。売られてしまったみたい」
「あーあ、ホントあいつら懲りないんだから! 何人連れて来てんの!?」


急に声を張り上げた少女に驚きつつ、ルミザは少女の次の言葉を待つ。
彼女は暫く憤慨した様子で、いつか見てろよー……などと言っていたが、呆然としているルミザに気付いて、コロリと態度を変え再び問うて来た。


「あんた、名前は? あたしはワユって言うんだけど。同じくらいでしょ? 仲良くしようよー」
「あ……はい、ルミザ……です」
「ルミザねっ! 敬語もナシナシ、堅苦しいの苦手なんだよねー」


印象通りに活発であるらしい少女……ワユは、楽しそうに笑う。
それを見ていると、なんだか警戒心が解けていくようだった。
屈託なく笑うワユの左手には、やはり片方だけの手錠が付けられていた。
おそらく彼女も、剣奴として売られたのだ。
しかしワユから、負の感情は少しも感じ取れない。
この明るさは、見習いたいところだ。


「いや実はさぁ、新入りと同室になるって聞いて、どんな奴だろーって思ってたんだよね。すっごい変な奴が来たらどうしようって思ってたんだけど、ルミザみたいな子でよかった!」
「同室、ですか?」
「敬語はナシって言ったじゃん! そ、同室! 案内するから付いて来て!」


元気良く手を引くワユに絶望に陥っていたルミザの心は救われた。
これならやって行けるかもと思いつつ、待合室から出ようとした矢先、室内に居た30代くらいの女性が声を掛けて来る。


「今のうちに、少しでも楽しい思いをしておきな。これから地獄だからね」
「え……」
「あんた、まだ若いのに……可哀想にねぇ」


その女性の言葉を皮切りに次々と、可哀想に、とか諦めな、とか待合室の女性達が言って来る。
また不安になって、ワユに掴まれていない方の手をぎゅっと握った。
そう、楽観できるような状況ではない。
これから戦わされるだろうし、人身売買をするような無法地帯ならば殺し合いも有り得る……。


「行こっ、ルミザ」
「あ……ワユ」


先ほどとは打って変わって表情を硬くしたワユ。
少し強引にルミザの腕を引っ張ると待合室を出、更に奥へと向かう。
段々静かに、暗くなって行く石造りの廊下、昼間だと言うのに、もはや壁にある松明無しでは周りが見えなかった。
やがて辿り着いたのは、廊下の最奥にある扉。
ワユは無言のまま扉を開けるとルミザを入れてすぐに閉めた。

2人で過ごすには少々狭い部屋だが仕方ない。
明かり取り用の小窓が有るだけ有り難いと思う。
牢獄のような印象から、窓なんて無いと思っていたから。
ワユはルミザを一人用のソファーに座らせ、自分は側にあるベッドの縁に腰掛けてから、硬い表情のまま口を開いた。


「ルミザ、あんた、ちゃんと戦える? さっきの人達の言い方は気に入らないけど間違ってもないからさ」
「……」


そんな事を言われても、ルミザは戦う術など持ってはいない。
見よう見まねでロイやエリウッドの剣技を真似した事はあるが、所詮はおままごと程度のもの。
こんな殺し合いをさせられるぐらいの戦闘能力など、ルミザには皆無。

ルミザが不安な表情でゆっくり首を振ると、ワユの表情が歪み、苦しそうな表情になる。
よく見れば彼女は腰に剣を携えていて、剣士だと言う事が窺える。
それに引き替え、自分が持つのは治癒の魔杖のみ。
叩いたりなら出来るだろうが、大したダメージにはなるまい。


「私……ここで死ぬしかないのかしらね」
「運が悪くない限り、殺されないと思うよ」
「えっ?」


予想外の言葉にルミザは俯けていた顔を上げる。
てっきり、待合室に居た剣奴の女性達と殺し合いをさせられると思っていたのだが……。
ワユが告げた真実は、更にえげつない物だった。

ここに送られた女の剣奴隷は、男どもから嬲られる為に居るのだと。
見目のいい女が痛めつけられ苦しむ様を、対戦相手の男や、何より観客が見たがっているらしい。
大勢の観客からの視線が集まる中、拷問に近いような痛みと苦しみを与えられるのだと……。
一応は武器を与えられて戦うという趣向だが、連れて来られた女は殆どが戦いの経験など無い者。
相手は戦いに長けた男達ばかりで、勝負になどなる筈がない。
痛めつけ、苦しめるのが目的だから、殺される事は少ないそうだ。


「暴力が行き過ぎて殺されたり……なんてあるけど、あんたは顔がいいから、止めて貰えると思うよ」
「……酷い」


こんな事が、まかり通っていいのだろうか。
闘技場があると言う事は、ここはドルミーレ王国の筈だが、ここまで大掛かりな犯罪を犯して、何故取り締まられないのか。
何とか逃げ出して、誰かに伝えられないかと提案するルミザだが、ワユは静かに首を振った。


「左手に付けられた手錠あるでしょ、これ懲役中の罪人の証と同じ物なんだよね」
「この片方だけの手錠が……罪人の?」
「そ。あたし達はいま世間から見たら、罪を犯して贖罪の為に働かされてる罪人って訳なの」


罪人の言う事など、信じて貰えなかったそうだ。
信じて貰えな“かった”と過去形なのは、きっとワユは1度逃げ出し、真実を伝えようとしたのだろう。
しかし、そんな罪人の戒めを持っているとは……。
こんな事をしている黒幕はきっと、それなりの地位がある者に違いない。
罪人の戒めをされているとあっては下手をすれば脱走と思われかねない。
そう易々と動く訳にもいかないだろう。
まぁ、あたしは修行になるからいいけどねー、とワユは笑った。


「そうそうルミザ、絶対に気を付けなきゃいけない奴が居るんだけど……」


ワユが再び何かを言いかけたが、瞬間、遠くから歓声が聞こえて来た。
何事かとルミザが辺りを見回していると、始まった、と呟くワユ。
何が始まったかなど、訊かずとも分かった。


「試合……」
「ん。今日は女の違法な試合が組まれてたからね」


改めて言われ、寒気がして身震いするルミザ。
この賑わしい大歓声の下暴力を振るわれて苦しんでいる女性が居るのだ。
どうしてこんな事が行われているのか、疑問ばかりが頭の中を駆け巡る。


「ルミザ、大丈夫? あんた顔色悪いよ」
「……ええ、大丈夫」


嘘だった、彼女に心配など掛けたくなかった。
それでも止まらぬ震えに俯いていると、そっと手を延ばしたワユがルミザの手を握ってくれる。
独りではないのだと実感できて、心がホッと落ち着くのを感じた。


「大丈夫、あたし強いからさ。あんたに試合が来ないように相手をぶっ潰しておくからね」
「……」


違う、確かに戦うのは怖くて仕方がない。
だがルミザが震えているのは、こんな非情な事が行われている事に対してなのだ。
自分に何か出来る事はないかと、そうワユに訊ねると、彼女は驚いた顔をした後に微笑んでくれる。


「ルミザ、あたし、前に逃げ出した事があってさ。だけど罪人の話を信じてくれる人なんて、殆ど居なかった」
「……“殆ど”?」
「そう。つまり、話を信じてくれる人は居るのよ」


それを聞いてルミザの心に一筋の光が差し込む。
話を信じてくれる人が居るならば、希望は全く無い訳ではないのだ。
ただ問題は、信じてくれた一部の者が全て一般市民であるという事。
こんな罪人の手錠を持ち出せるのは地位のある者に違いないのだ。
対抗するには、こちらも地位ある者が必要になる。
こんな犯罪がまかり通っているなら、司法の高位に知り合いが居る可能性も否定できないからだ。
そんな地位ある者が、むざむざ無視できないぐらい地位ある者……こちらにも必要不可欠。


「(私がラエティアの王女だと明かせたら……)」


“王女じゃなくてもいい”などと決めた矢先に、地位が必要になるとは皮肉なものだ。
しかしルネス軍に追われている以上、公に地位を明かす事など出来る訳がない。
どうしようか考えを巡らせていると、突如部屋の扉が開いて衛兵が入り込んで来た。


「ちょっと何よあんたら、勝手に入って来ないで!」
「剣奴が自害した。お前、代わりに試合に出ろ」
「え……!」


衛兵はルミザの方を見ている。つまりルミザに試合に出ろと言っているのだ。
自害したとは……やはり、痛めつけられるより自ら命を断った方がましだと判断したのだろう。
しかし、まさかこんなに早く試合に出されるとは思っていなかった。
試合……いや違う、一方的な暴力を振るわれに行く。
体が震えて動けずにいると、ワユがルミザを庇うように立ち塞がり、剣を抜いて衛兵に向けた。
衛兵が本気で怯んだ所を見るとワユは本当に強いのかもしれない。


「待ちなさいよ! ルミザはまだ来たばっかりなのに、何で……!」
「この女は、まだ金になるかどうか分からん。相手がエイリークなのだ、金になると分かっている剣奴より、金になるかどうか分からん剣奴を出すのは当たり前だ」
「エイリーク……! あんた達ルミザとエイリークを戦わせようっての!?」


聞いた事の無い名前に、エイリークって誰……? とワユに訊ねたルミザ。
ワユは、苦々しい顔で衛兵を睨みつけたまま、静かに口を開く。

「2ヶ月くらい前に売られて来たらしい剣奴でさ。他の男どもは女を殺さないように痛めつけて楽しんでるのに、そいつは容赦なく女を殺すから恐れられてんのよ。あたしはまだ戦った事ないけど」


エイリーク……どうやら、恐ろしい男のようだ。
そんな者と戦ったって勝てる訳など無い。
動こうとしないルミザに痺れを切らしたのか、衛兵の1人が無理矢理手を掴み引っ張った。


「い、いや……! お願い、放して!」
「いいから来い、これ以上観客を待たせるな!」


怒鳴りつける衛兵に、怒ったワユが斬りかかる。
1人はすぐに沈めたが、如何せん部屋が狭く、本来の力が出せていないようだ。
すぐに残った衛兵が槍を突き出して、ワユは肩を斬り裂かれる。


「ワユっ……!」
「っ……あんた達、絶対にルミザは連れて行かせないからね!」


肩から血を流しつつも剣を構えるワユに、ルミザは痛々しい気持ちになる。
まだ会ったばかりの自分の為にここまでしてくれる彼女を、これ以上傷付けていい訳がない……!


「ワユ! もういい、私、行くから!」
「なに言ってんの、殺されるよルミザ!」
「駄目……もう私だけ何もしないのは嫌なの……」


ただ庇護されて、自分だけ安全な場所から事の成り行きを見ている。
そんな自分から、変わらなければならない。
これで死んでしまうかもしれないが、希望が無い訳でもない。
このままワユが傷つけられ続けたら殺されてしまうかもしれないのだ。
会ったばかりの彼女には親切にして貰えただけでも充分に嬉しい。
自分の為に死なせてしまう訳にはいかない。

ルミザはワユに微笑み、手にしていたリブローの杖を手に祈る。
瞬間、青い光が溢れて、ワユの肩にある傷を完全に癒やしてしまった。
やはり、自分には魔力があるのだとルミザは確信する。
弓使い達の村から連れ去られる際に溢れた青い光は、自分の力によるもので間違い無いだろう。


「ルミザ……あんた……」
「ワユ、私、なんとか生き残れるよう頑張るから。そしたらまた仲良くしてくれる?」
「当たり前じゃない!」
「良かった……じゃあね。初対面なのに親切にしてくれて有難う、本当に心強かったわ」


まるで最後のような言い回しに、ワユは込み上げてくる涙をぐっと堪える。
ルミザの決意に水を差すまいと、彼女の背中を黙って見送っていた。

暗い廊下を進んで行くと段々明るくなり、歓声が大きくなっていく。
やがて眩い光が入り込んで来る出口まで行くと、周りを沢山の客席に囲まれた広い試合会場に出た。
思っていたよりずっと客が多く、それだけで押し潰されそうな思いだ。
やはり怖くなって立ち竦んでいると、衛兵が声を掛けて来る。


「突然の事で遺書を書く間も無かったな。遺言を伝えたい者が居るなら聞くが」


こんな無法地帯にも情けはあるのかと、ルミザは静かに苦笑した。
伝えたい者が居ない訳ではないが、彼らがどこに居るか分からないし、それに自分は死ぬ為に戦う訳ではないのだ。
必要ありません、と断ったルミザ、武器の用意も断ってリブローの杖をぎゅっと握った。
もう後戻りなど出来ない。
ゆっくりと歩いて行き、一段高くなっている試合場の上に上った。
対戦相手のエイリークとは一体どんな男かと、更に少しだけ近寄る。

……瞬間、薄い青緑の髪が目に入り、ルミザの心臓がドクンと跳ね上がった。
自分の数少ない、親しいと言える者達の中に1人だけ、あの色をした髪の者を知っている。

かなり広めの試合場、自分とエイリークの距離はまだ遠い。
もっと近くに寄らなければ顔など見られない。
しかしルミザはなかなか足を進められずにいた。
高い観客席からブーイングが聞こえるが、そんな物は流れて消えて行く。
ただルミザの瞳には、女を容赦なく殺すと恐れられる剣奴エイリークしか映っていない。

まさか。

勇気を出して更に近付くと、向こうもようやく顔を上げてこちらを見た。
瞬間……思いっ切り目が合って、2人は同時に驚き目を見開く。
あれから10年は経っている為、どちらも成長してしまっている。
しかし本質は何も変わっていないとばかりに、2人はお互いを認識した。



オレは、世界で一番強い王様になりたいんだ。

うん、きっとなれるよ! わたし、信じてるね。

……じゃあさ、オレが世界で一番強い王様になったら……、そしたら……。

え? なに?

……えっと、今度言うよ。じゃあオレ、槍の稽古して来るから!

あ、待ってよ……。



「……エフラム王子?」
「ルミザ王女……」





−続く−



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