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6章 王女失格



弓使い達が住む長閑な村に、不釣り合いな戦いの音が響いている。
借りた部屋で休んでいたエリウッドは、その騒音に怪訝な顔で窓を見た。
ベッドから起き上がって窓の方へ歩こうとした時、ルミザが慌てて部屋に飛び込んで来て、エリウッドはへたり込む彼女を気遣いながら問う。


「姫、一体何が起きているのですか?」
「それが、賊が入り込んで来て……村の人たちと戦闘に!」


ルミザは、エリウッドにウィリデや賊の事を話す。
それを聞き終わるや否や、エリウッドはレイピアを掴んで駆け出した。
一体どこへ行くのかと問うルミザに、自分も戦ってくると告げる彼。
それを聞いた彼女は必死になって引き止めた。
まだ病み上がりだというのに、戦って来るなんて無茶だ。
しかしエリウッドも、世話になった村人達が戦っているのに放っておけないという。

エリウッドの強い言葉に息を詰まらせるルミザ。
本当に、出来る事が何も無いのは自分だけなのだと……思い知ってしまう。


「待って……行かないでエリウッド、お願い……」
「姫……」


エリウッドの腕に縋り、必死に引き止める。
そんな彼女を見て、いたたまれない気持ちになったのか、戦いに行くのをエリウッドは諦めた。
確かに、ルミザの護衛は必要だろう。
ベッドの縁に座り俯いて落ち込むルミザを、エリウッドは慰めもせずに、ただ寄り添っているだけだった。
ここで慰めてしまえばそれだけ彼女が惨めになると分かっているのだ。
ルミザは今、必死で、自分に出来る事は何か、少しでも手伝える事は無いかと探している。

しかし…。
武器も魔法も扱えず、何か特別な知識があるわけでもないルミザ。
考えれば考えるだけ悩みは深くなっていく。
戦いが始まってそれほど時間は経っていないだろうが、喧騒は止む気配が無く、本当に戦いは終わるのかと不安になった。
何も出来ないまま時間が過ぎるが、ふと、外から聞き覚えのある声が響く。
呻くような、どう考えても苦しんでいるような声だ。


「今の……は……」
「ロイっ……!」


思わず立ち上がりレイピアを手にするエリウッド。
しかしルミザを放ってはおけないと思ったのか、少し硬直した後、再びルミザの横に座る。
その横顔は、弟を心配する苦しみに満ちていて……。


「……行ってあげて」
「え?」
「行ってあげて、ロイに何かあったのかもしれない! 有難う、私の方はもう、大丈夫だから」


突然のルミザの言葉にエリウッドは、それでいいのかと動揺する。
しかし彼女も頑なに譲らず、行ってあげてと繰り返していた。
エリウッドは少しだけ迷った挙句、すぐに戻りますから絶対に出ないで下さいと言い残し戦いへ出て行った。

レイピアを手に飛び出すエリウッドを見送り、深く息をついたルミザはベッドへ仰向けに倒れる。
何も出来ないのならば、せめて他の者の障害になるような事をしたくない。
エリウッドがロイを心配して共に戦いたいと思うのならば、それを引き止めるような事はするべきではないのだ。
いきなり1人になり不安で仕方ないが、そんな我が儘は言っていられない。
何か武器になるものは無いかと探り、昨日プリシラに貰ったリブローの杖を見つけた。
それをしっかりと抱いて……ルミザは祈る。


++++++


一方、村で戦う者達。
接近されると滅法弱くなる弓の弱点を突かれぬよう、接近戦に長けている者達が積極的に前へ出て敵を引きつけている。
特にオスカーは槍、弟のボーレは斧と、元々そちらが本職らしく、その働きには目を見張るものがあった。
ロイもそれに混じり、好戦していたのだが。


「おい、大丈夫か!?」


ウィルに支えられ、腹から脇腹にかけて出来た深い傷を庇いながら、ロイは戦場から少々離れた場所へ座り込んだ。
血は止まる様子が無かったが、押さえて余り動かなかった事でマシになって来たようだ。
しかし相当な痛みは一向に消える気配は無く、ロイは汗を滲ませながら必死に耐えていた。


「ウィル、サンキュー。オレはもう大丈夫だから皆の援護に行っていいよ」
「いや、まだ危ないって。傷薬……くそっ、無い」


突然の襲撃だった為に、傷薬など治療の準備が不完全だった。
とにかく、既に避難している村人たちの元へロイを連れて行こうと、ウィルが屈んで肩で支えようとする。
……と、急に2人を暗い影が覆った。
何事かと振り返った瞬間、「ウィル、危ない!」と声が上がる。

いつの間にか、背後に賊がやって来て斧を振り上げようとしていた。
反射的、間を開けて弓を構えようと思ったウィルだが……ロイを置いていていいのかと思い直し、反応が遅れてしまう。
それが命取りとなってしまい、斧は彼の眼前へと迫る。
ロイが飛び出そうとした瞬間、斧を振り上げていた賊の動きが止まった。
直後斧を手放して倒れ、その背後にはレイピアを構えたエリウッド。


「兄貴っ! 寝てなよ、それにルミザ様は!?」
「もう体は大丈夫だ。姫には許しを戴いた」


血が付いた剣を振るいながら歩み寄り、礼を言うウィルに微笑んで頷くエリウッド。
だがロイの傷を発見して血相を変え、座り込んで肩を貸そうとする。


「ロイ、早く治療しないと。掴まってくれ」
「あ、エリウッドさん、ロイなら俺が運びますから」


エリウッドさんは皆の援護をお願いします、
と言うウィルに、エリウッドも頷いて前線へと駆け出した。

戦況は、村人たちが押しているようである。
弓は接近戦が出来ないとは言え、地の利を活かして上手く攻撃していた。
この分だと、村人たちの勝利も近そうだ。
しかしそれでウィリデが易々と引き下がる訳は無く。
折角見つけた復讐の対象を何とか奪えないかと考えを巡らせる。
ルミザを攫おうにも村人たちの向こうに居る為、なかなか近付けない。
焦るウィリデだが、そんな彼女の視界に、新たに赤い髪の青年が入った。

あれは、緑の巫女である、姉ウィリデの意識を盗み見た際、ルミザに寄り添うように付き従っていた男だ。
瞬時にして、ウィリデの頭にある考えが浮かぶ。
ウィリデは2、3人の賊へ、自分の近くに隠れているよう指示する。
そして戦いに紛れながら駆けると、エリウッドの傍までやって来た。
そのまま、戦っていた賊が近寄るタイミングに合わせ……。


「きゃああっ!!」


顔を俯けて隠しながら、悲鳴を上げた。
案の定、村人が襲われているのかと思ったエリウッドは、彼女を助けに飛び込んで来る。
賊を斬り、エリウッドは俯いて震えるウィリデに優しく声を掛ける。


「大丈夫かい?」
「え、ええ……」


ゆっくり顔を上げるウィリデ。
その顔を見て、エリウッドはルミザから聞いた緑の巫女の双子の妹の事を思い出した。
慌てて離れようとする前に、ウィリデは隠し持っていたナイフを振るい、彼の体を斬りつける。
レイピアで応戦しようとするエリウッドだが、その時、ウィリデの指示によって隠れていた賊が彼に襲い掛かった。


「エリウッドさんっ!!」


気付いたレベッカの叫びは、1人部屋に隠れていたルミザにも届く。


「エリウッド……!?」


明らかに不吉な空気。
堪らなくなったルミザが部屋から飛び出せば、体を深く斬り裂かれ、片腕を賊に掴まれつつグッタリとしたエリウッドが目に入った。
彼らの横ではウィリデが勝ち誇った顔をしている。
戦いは止まっており、静けさが逆に恐ろしい。


「あら、お姫様。なんにも出来ないんだから隠れていればいいのに」
「エ……エリウッドを放して」


見下して来るウィリデのわざとらしい言葉には反応せず、ルミザはエリウッドの解放を要求する。
だが、ウィリデがそれで要求を呑む訳が無い。
代わりに彼女が要求して来たのは勿論。


「ねぇお姫様、何かを手に入れたいなら、それ相応の代償が必要よね」
「……なに、を……」
「なにって、惚けてるの? 察しが悪いの? アンタに決まってるじゃない」


ビクリと体を震わせ、怯えた顔をするルミザ。
しかしエリウッドの傷は深く、早く処置をしなければ命が危ない。
迷いに迷って泣きそうになったルミザの耳に強い調子の声が聞こえた。


「ダメだルミザ様!」


ロイだ。
治療をして貰ったのか……やけに回復が早い気がするが、向こうからやって来たロイが叫んだ。


「やらなきゃいけない事があるんだろ!? 一時の感情に惑わされたりしたら駄目だよ、姫様は生きないとっ…!」


彼の言う通りだ。
ルミザには、邪神を倒して祖国を救わねばならない使命がある。
もう王族が自分1人しか居ない以上、自分がやらなければならない。
その為に、こうやって旅をしている。

しかし。
エリウッドを絶対に失いたくは無い。このまま迷っていては、彼は死んでしまいかねない訳で。
だがウィリデについて行けば、どんな惨い事をされてしまうだろう。


「……姫」
「……!」


迷うルミザの耳にエリウッドの声が届いた。
それはか細い、力無いものだったが、静まり返った辺りには充分聞こえる。


「あなたは……生きなければなりません。辛かろうとも……王女として……」
「……」


王女?
1人では何も出来ない自分が王女の器だろうか。
本来は民や国を守らねばならないと言うのに、それすら出来ず、ただ臣下……友人に守られるばかりの自分が、そんな。
ロイは相変わらず、駄目だ聞くなの一点張り。
彼だって兄に助かって貰いたいハズだ。仲の良い兄弟、本当はきっと。
その証拠とでも言うべきか、ロイの声はどことなく震えていた。

それに、エリウッド。
まだ旅を始めて数日だが、王城を脱出する時からずっと寄り添って、守り励ましてくれていた。
何より幼い頃からの友人である彼を見殺しになど出来る訳が無い。
エリウッドの出血は止まらず、もう猶予など残ってはいない。
ウィリデにどんな惨い事をされるのかと考えれば恐ろしいが、本来、自分は邪神の生け贄になるハズだった。
すっかり忘れていた、この命はもう、一度死んだようなものなのだと。

父母、兄や姉、弟妹達、家臣や国民達……そして、エリウッド、ロイ、ヘクトルには、申し訳ない。
国よりも自身の友人を取るなど、王女にあるまじき事。


「分かりました、あなたについて行きますから……エリウッドを放して」


私は


王女失格だ


++++++


「ルミザ様っ!」


放り出され村人たちの方へ返されたエリウッド。
そして、その身代わりとなりウィリデ達に捕らわれてしまったルミザ。
引き止める為こちらへ来ようとするロイに、彼女は厳しい言葉を向ける。


「ロイ、駄目よ。私よりもエリウッドを早く治療してあげて」
「だって、そいつに付いて行ったら姫様が……!」
「これは命令です!」


言いながらルミザの心に浮かぶのは、申し訳なさと違和感。
こんな風に彼らに“命令”を下したのは初めてで、ずっと友人だった彼らが遠い存在に思えて来る。
そんな彼女の心中など知る由も無く、ウィリデは賊に命じてルミザを連れ去ろうとした。

お願いだからエリウッドを早く助けてあげて。
ルミザの必死な言葉に、ロイは悔しそうに唸りながらエリウッドを見た。
エリウッドは、ウォルトやドロシーが処置してくれているが……。
いつの間にか、グッタリと動かなくなっている。
瞬間、それに気付いたロイの悲鳴に近い声が響いた。


「あ……兄貴っ!!」


その声にエリウッドの方を見たルミザ。
視界に動かなくなった彼が入り息が止まりそうになった。
思わず駆け寄ろうとして賊に取り押さえられる。


「嫌っ……エリウッド、死なないで!」
「大人しくしなさい! ……早く連れて行くわよ」


ウィリデの言葉に、賊たちはルミザを強引に引っ張って連れて行く。
泣きそうになりながら、もう彼にしてあげられる事はこれだけしか無いと強く祈るルミザ。

……瞬間、先ほどから彼女が手にしていた杖が青い光を放った。
驚くルミザやウィリデ達の目の前から消えた光はエリウッドの方へ飛んで行き、彼を包む。


「な、何よ、今の……! ちょっと、その杖を取り上げて!」


ウィリデが賊に命じ、ルミザの杖を奪い取る。
ルミザ自身も何が何だか分からぬまま、エリウッドの容態を確認する間もなく連れて行かれた。

ルミザが連れ去られるのを見送るしかなかったロイや村人達が、先ほどエリウッドを包んだ青い光は何だったのかと疑問に思っていると、ヨファがプリシラとルセアを連れて来た。
彼女たちは回復の杖を使える。ロイも2人に治して貰っていたのだ。
兄貴を頼んだ、とロイの必死な訴えに、2人がしゃがみ込んでエリウッドの傷を診る。
しかしすぐにルセアが驚いて顔を上げた。


「この方は怪我をしていませんよ」
「なっ!? まさか……」


ロイが慌ててエリウッドの体に付着していた血を拭うと、裂かれた服の下、傷など見当たらない。
一体何がどうなっているのか……プリシラが、どなたか回復の杖を使ったのでは、と告げる。
しかし、魔法の心得がある者など誰も居らず、頭を抱える一同。
少ししてハッとしたようにレベッカが声を上げる。


「あの、さっきエリウッドさんを包んだ青い光……あれが関係あるんじゃ」
「青い光? それはきっと回復の杖です」
「確か、ルミザさんが杖を持っていました!」


その言葉に、プリシラも昨日ルミザに渡した杖の事を思い出した。
リブローの杖、間違いは無い。
でも回復の杖は対象者の傍に居ないと効果が無いんじゃないかと疑問符を浮かべるロイに、ルセアが、昨日プリシラ様がルミザ様に差し上げたリブローの杖は、
離れた所に居る者に使う事も可能ですからと教えてくれる。
それ以外に原因が思いつかないと言う事は、きっとルミザが無意識の内に杖を使ったのだろう。
昔から良く知る彼女に魔法の心得があったのかとロイは驚いた。

やがてエリウッドが目を覚まし、ルミザがウィリデに連れ去られた事を知って愕然とする。
探しに行かねばと焦る彼とロイだが、そんな2人の前にオスカーが進み出て事情の説明を求めた。


「ロイ、エリウッド。君たち…そしてルミザは一体どう言った人なんだ? 昨日から姫様だの何だの言っているが……」
「あ……」


うっかり、ルミザの身分を表す単語を使ってしまっていた。
他の村人たちも、真剣な表情で2人の言葉を待つ。
ロイとエリウッドは話すべきかどうか迷っていたが……世話になった村人たちになら全てを話してもいいかと考えた。

そして、話す。
ルミザがラエティア王国の第4王女である事、邪神や生け贄、そして虹の巫女やマテリアの事。
村人たちは驚いて聞いていたが、それならば、彼女を早く助けねばならないのではないかと慌てる。


「勿論だ。ロイ、姫はどっちへ連れて行かれた?」
「それが、分からないんだよ。村を出た事しか」


この国の中、それだけしか情報が無いのでは探しようが無い。
絶望的な状況に頭を抱えるエリウッド達だが、エリウッドは、そんな中でもウィリデを見つけた事を思い出す。
どれだけ絶望的でも、歩みださない事には始まらない。

…そうやってエリウッドが密かに決意していると、門の方から誰かが村へ入って来た。
見れば、少々目つきの悪い青髪の少年。細く1つに束ねた髪は肩の下辺りまで伸びていて、片耳にピアスが2つ付いている。
身なりを見ると、何だか盗賊のような印象だが。
彼を見たネイミーが、慌てて駆け寄った。


「コーマ、コーマでしょ、何処に行ってたの……!」
「ネイミー! いや、ちょっと仕事に」
「まさか、また盗賊なんてやってたんじゃ……。お願いコーマ、もうやめてよ、そんな……事……」
「わ、分かった、分かったから泣くなって!」


聞けば、少年はコーマと言う名で、同じこの村の住人らしい。
盗賊のような身なりはその見た目のままで、盗みなどを行っていたようだ。


「ったくコーマ、いい加減にしろっつっただろ!」
「ま、待てよボーレ、今回は賊から盗んで来たんだって! これなら別に……」
「賊の物を泥棒したの!? やだ、コーマに何かあったら、私っ……」
「ああもう、分かったからネイミー泣くな!」


何だか騒がしくなってしまったが、コーマは賊から奪ったらしい物を袋から取り出し始めた。
武器や薬、保存食やそこそこの値打ちがありそうな宝石など……よく賊からこんなに奪ったものだ。
覗き込んだウォルトが、半ば呆れた様子で口を挟んで来る。


「これ本当に賊から?」
「あぁ、何かさっき、変な賊の一団見つけてよ。若い女の子2人も連れてて何かありそうだって思ったら大当たりだったな」
「……!?」


若い女の子2人、の言葉にエリウッドが反応した。
まさか、それは。


「ちょっと! その賊と一緒に居た女の子2人、どんな人だった!?」
「は……!? あ、あぁ……」


突然湧いて出たエリウッドの気迫に、お前誰? と疑問を挟む余地なく質問に答えるコーマ。
彼が伝えた2人の少女の特徴は、正にルミザとウィリデのものだった。
どこに居たか、どこへ向かおうとしていたか尋ねるが、コーマが盗みを行った時には賊達は出発の準備を整えていたらしく、もうどこかへ向かっているだろうと言う事だった。
やはりどこへ向かったかは分からないか……と落胆するエリウッドとロイ。
だがコーマが続けた言葉は少しの可能性を齎した。


「そう言えば、盗んだ荷物の中にこんなんあったぜ」


彼が取り出した、少し厚手の紙を使った冊子。
それは闘技場のパンフレットだった。

闘技場。
確か強者達が技を競い合う場所だ。大陸各地から猛者が集まり戦いを繰り広げていると聞くが。
ふとエリウッドが、ある事を思い出す。
未だ行方の知れない親友・ヘクトル。
彼は戦いが好きで、よくドルミーレ王国にある闘技場へ行ってみたいと洩らしていた。
パンフレットにもドルミーレ王国と書かれていて、間違い無いだろう。

だが、このパンフレットが役に立つのだろうか。
これがあるからと言って彼らの行き先がドルミーレとは限らないのだ。
何か手掛かりはないかとロイがパンフレットを手に取り開いてみる。
……瞬間、一枚の紙が中から落ちてきた。
至る所にある文字や絵のレイアウトが華やかなパンフレットに比べ、淡々と文字のみが並んでいる味気ないもの。
何だか不釣り合いで、何が書いてあるのかと読んでみると、それは……。


「なんだよ、これっ!」


++++++


一方、ウィリデや賊達に連れ去られたルミザ。
暫く進んだ後、賊が一時的に野営している地へ連れて来られ、天幕の1つに閉じ込められた。
特に拘束などはされていないものの、外には賊が沢山居るだろうし、恐くて逃げ出せそうに無い。
膝を抱えて黙り込み、エリウッドやロイはどうしているかと考えていると、天幕の入り口が開きウィリデが入って来た。
その表情は勝ち誇ったように怪しく笑っていて……正直に恐怖を覚える。


「気分はどうかしら? 自殺したりしないでよね、面白くないし」
「……私を、どうするつもりなんですか?」


自分がどうなるかは、知りたい気持ちと知りたくない気持ちがせめぎ合い、聞くべきか聞かざるべきか迷っていたルミザ。
しかし改めてやって来たウィリデを見て、我慢できずついに訊いてしまう。
ウィリデは笑みを消して睨み付け、膝を抱えるルミザの傍へ歩み寄る。
そして座り込んで目線を合わせると、彼女の胸ぐらを掴んだ。
驚くルミザ、合ったウィリデの瞳は憎悪に満ちている。


「さぁ……どうしてくれようかしらね。とにかく苦しめて苦しめて……簡単には殺したくないわ」
「……」


ウィリデが向けて来る憎悪は深く、どうすれば消えるのか分からない。
自分が当事者である以上消そうとするのは間違っているかもしれないが。
悪意に満ちた視線のままウィリデは言葉を続ける。


「どうせアンタは……っ、家族に愛され臣下に守られてぬくぬくと生きて来たんでしょ!? 分からないわよ、私の気持ちなんて!」


ウィリデだって、自分を育ててくれた義理の両親を愛していた。
彼女が虐待されるようになったキッカケは、実父だと信じていた義父に……犯されそうになった事だ。

その時、ウィリデはまだたったの8歳。
何をされようとしているのかは分からなかったが、興奮した様子で服を脱がそうとして来る義父に本能的な恐怖を感じた。
逃れようとするも力で敵う訳が無く、ウィリデは必死で泣き叫ぶ。
だが丁度その時、出掛けていた義母が予定より早く帰って来た。
そして、その現場を見た義母がとった行動は……ウィリデを助ける事などではなかった。

ウィリデが実の娘であったなら、きっと義母はウィリデを救っただろう。
しかしウィリデは見知らぬ夫婦から引き取った……本当の娘ではない。
実子はおらずまだ年若かった義母は、女としての感情の方が動いてしまったのだ。
まだ8歳だったウィリデを、夫を奪う悪女のように思ってしまう義母。

それから義母による肉体的・精神的な虐待が始まり、やがては、原因を作った義父も、ウィリデに責任を押し付けて虐待を始めた。
殴る蹴るはまだマシな方だ。食事を取らせて貰えないのも耐えられた。
何よりウィリデを傷付けたのは、彼女の存在すら否定する義父母の言葉、そして、隙あらば猥褻な行為をしようとする義父。
助けてくれる者など居る訳もなく、8歳の少女はただ独りで絶え間ない苦しみと戦っていた。

そんな折に、突然、姉の意識を盗み見る事が出来るようになったウィリデ。
初めは制御が出来ず、幸せな家族の様子を無理矢理見せられた。
自分と同じ顔をしているのに自分とは正反対で、優しい父母と幸せな暮らしをしている少女。
ますます自分が惨めになって……心が引き裂かれそうな思いだった。
それが双子の姉だと気付いてからは、尚更。

義父母は死んだ、実父母も賊に殺させた。
後は姉だけだが、虹の巫女になってしまい易々と手を出せなくなったのだ。
しかし、巫女になった姉の意識を盗み見たウィリデは、ラエティア第4王女の存在を知る。
あんな、甘ったれた女の為に人生を壊されたなんて。


「絶対に……絶対に許すもんですか! 簡単には死なせないわよ!」
「っ……!」


感情が高ぶったのだろう、力任せにルミザの頬をはたくウィリデ。
口の中が薄く切れたのか妙な味が広がった。
彼女は呆然とするルミザを暫く睨み付けていたが、やがて立ち上がると天幕から出て行く。
立ち去り際に一度立ち止まり、こちらを見もせずに口を開いた。


「王女ねぇ……。こんな、何も出来ない弱々しい甘ったれた女が、そんな器?」
「……」
「アンタみたいなのが王女だなんて、認めないわよ」


それだけ言い捨てて、ウィリデは去って行く。
自分で思っていた事とは言え、やはり直接的に言われると辛い。
しかしやはり他人から見ても、自分は王女の器には見えないと言う事だ。
また膝を抱え考え込んでしまうルミザだが、暫く後、誰かが天幕へと入って来た。

入って来たのはこれで4度目の遭遇、赤髪の傭兵だった。
ルミザが何かを言う前に入り口を閉め、歩み寄って口を開く。


「何のいきさつがあった。俺が忠告した通りだろ、あのウィリデと言う小娘……」
「彼女は、私たちが会ったウィリデさんの双子の妹でした。別人です」


意外だったのか、ルミザの言葉に少々眉を顰める赤髪の傭兵。
だがすぐに表情を戻し、どこか気遣うような声音で口を開いた。


「お前は、ラエティアの王女だったんだな。ウィリデの奴が話してた」
「……王女などではありません。もう……いえ、元からそんな器ではないのです」


落ち込んだ様子のルミザに赤髪の傭兵は、どうにも可哀想な、その上で腹の立つような思いだ。
しかし、自分にはそんな資格は無いと思っているのか何も言わない。
そこで口を開いたのは、ルミザの方だった。


「そうだわ。あなた、プリシラさんのお兄様ではありませんか?」
「……! プリシラ…!?」


突然出た名に、赤髪の傭兵は驚いて身を乗り出した。
やはりそうなのだと、プリシラと従者のルセアに会った事を話すルミザ。
2人ともとても心配していた、どうして離れてしまったのかと疑問をぶつける。
その質問に赤髪の傭兵は黙り込むが、何を思ったのか、座り込んで過去を語り始めた。
それは、どこか疲れ果てた様子で……溜め息を混ぜながらだ。


「俺は……ドルミーレ王国の貴族の出だ」
「え……貴族……」


確かに、プリシラやルセアは上流階級らしい雰囲気を漂わせていた。
この赤髪の傭兵も、よく見てみればどことなく品性がありそうだ。
いかにも荒くれと言った格好と雰囲気なので、見ただけでは気付き難いが。
そして男が話すのは。

それは彼が14歳の時。
ある日、突然屋敷に国の捜索が入り、父母や一部の家臣が連れて行かれた。
訳が分からぬまま、妹や残った家臣と父母達の帰りを待っていたが。

彼の耳に届いたのは、父母が闘技場の規定違反を犯し有罪となり、拘留されていた獄中で自害したと言う知らせ。
余りの出来事に呆然とした彼、一体何の規定違反をしたかと尋ねれば、殺生を禁じていた闘技場で殺し合いをさせていたと言うものだった。
闘技場は戦士たちが戦い合う施設だが、殺生は固く禁じられていた。
だが、ただ戦いを見るだけでは満足できない者たちも出て来る。
そんな者たちに殺し合いを含めた試合を見せれば大金を払うと気付いた闘技場の所有者の一部が、密かに、殺し合いや一方的なリンチを見せ物として催していたらしい。

そんな者が居ると話には聞いていたが、まさか自分の両親がそんな事をするなど信じられなかった。
それに獄中で両親が自害していたと言うのも不自然。
武器も何も持ち込めない獄中で一体どうやって自害したのか。
彼は独自に調べ始め、ある貴族に疑いの目を向けたのだが……それが間違いだった。
一族は国から追放される事になってしまうが、何とか頼み込み、独自の調査に関与しなかったとして妹や家臣に許しを貰う。
そして1人で罪を被り、昔から付き合いがあって名乗り出てくれた貴族に妹や家臣を託し、ドルミーレを出てカネレにやって来たと言う事だ。


「もしや、私に忠告したりして下さったのは」
「お前が高貴な身分の者でこんな所を彷徨いている……つまりは家に何かがあったと言う事」


家が取り潰しになってしまった自身と重なり、心配になったのだと言う。
本当は、心根の優しい青年なのだろう。
それならば尚更、妹たちとは再会させてあげたい。


「この付近に、弓使いの方々が住む村があるのはご存知ですか? 割と大きな村ですが」
「知っている。プリシラやルセアはそこに?」
「恐らく、まだ。会いに行ってあげて下さい」


自分も、ヘクトルと言う行方知れずの大切な友人が居る。会いたくて仕方が無いのに、会えない。
もう居場所さえ分かっているのだから、是が非でも会いに行って欲しい。


「しかし俺は、もう貴族でも何でもない。こんな賊の用心棒などを生業にしているんだ。今さらプリシラ達に会う資格など有りはしない」


そう言う彼は、どこか投げやりにさえ感じる声音。
だが、兄妹が会うのに何の資格が要るだろう。
それにプリシラとルセアはたった2人、ドルミーレから国境を越え、深い森を縫って来たのだ。
彼女達がそこまでして会いたがっているのだから…。


「会って下さい。どうか、彼女たちの行動や想いを無駄にはしないで……!」
「……」


自分には無関係なのに、この必死な様子。
赤髪の傭兵はそんな彼女を見て、自分がここへ来た目的を思い出した。
徐に立ち上がると天幕の外を確認し、戻って来るなりルミザを立たせる。
一体何事か疑問に思っていると……。


「忘れる所だった、俺はお前を逃がしに来たんだ」
「え……!?」
「お前、このままだったら闘技場に売られるぞ。違法な所にな」


赤髪の傭兵の家が没落するキッカケになった、不正の闘技場。
ルミザはそこに売られてしまうらしい。
勿論あのウィリデの事、そうする前にもルミザを苦しめる術を考えているだろうが。
まだまだ不正を行っている闘技場がある事実、赤髪の傭兵は、やはり許せないそうだ。

お前のだろう、と渡してくれたのはリブローの杖。
つい今し方、天幕の外に置いていた物を取って来ていたらしい。
ルミザはお礼を言って受け取る。
すぐにでも進もうとする赤髪の傭兵にルミザは、ふと声を掛けた。


「……あの、そう言えばあなたのお名前は、確かレイモンドさんでしたか?」


プリシラが、確かそんな名を言っていたと思う。
突然の質問に暫し空気が止まったようになるが、すぐに赤髪の傭兵は、躊躇いがちな様子で答えた。


「レイヴァンだ。昔はレイモンドと名乗っていたが」
「……」


それ以上は質問させず、赤髪の傭兵……レイヴァンはルミザの手を引き天幕を出た。

レイヴァンに手を引かれ、ルミザは賊の野営地を駆け抜けて行く。
ここの賊に雇われていたらしい彼は、賊どもの動きを良く知っている。
上手いこと誰にも見つからずに野営地を抜ける事が出来た。
あとは、あの弓使い達の村へ戻ってお互いの大切な者と再会するだけ。

……それだけだったのに。


「あら、何処に行くの?」


突然の声に振り返れば、賊どもを従えたウィリデが怪しい笑みを湛えたままこちらを見ていた。
やれやれと言った様子で溜め息をつくと、問答無用で賊に命じる。


「レイヴァンの奴は殺していいわ。ルミザは重傷にならない程度に痛めつけてやって」


言い終わるや否や、賊どもが雄叫びと共に襲い掛かって来た。
レイヴァンは悔しそうに歯を食いしばると、剣を構えてルミザに言う。


「早く行け!」
「えっ、でも貴方は……」
「お前が居て何になる!」


厳しい、だが至極正論な言葉に息を飲むルミザ。
ここでも自分は逃げる事しか出来ないのかと、自責の念に駆られるが、そこでレイヴァンに言われた言葉に意を決する。


「お前を心配して待っている者が居るなら、何が何でも生き延びて報いろ! そいつらの行動や想いを無駄にするなと言ったのはお前だぞ!」
「……」
「心配するな、俺は死ぬ気なんて無い」


そうだ、エリウッドやロイやヘクトル、沢山の家臣。彼らに救われ守られた命をむざむざ捨てるような真似など出来ない。
それに自分には、虹の巫女に会い邪神を倒すと言う使命がある。
死ぬわけには……いかない。

ルミザは泣きそうになるのをグッと堪えると、レイヴァンに背を向けて駆け出した。
最後に一度だけ、既に賊と戦い始めていた彼を振り返り、「どうか、ご無事で!」と、叫んで。
背後から焦ったようなウィリデの声が聞こえたが、今度こそ振り返る事なくルミザは駆けて行った。

深い森の中、1人の少女が無我夢中で駆けて行く。
助けられ、守られた命を落とすまいと必死になりながら、息が上がり苦しくなっても足がもつれて転びそうになっても、走る。

本当に、すっかり忘れていた。
レイヴァンが言ってくれた言葉で、色んな人が自分を守り助けてくれた事、そして、何故、自分が生き延びているのかを思い出す事が出来た。
生贄にならなかった自分のせいで、ラエティア王国の民たちは邪神の脅威に晒されているかもしれない。
自分には彼らを助けねばならない使命がある。
賊に捕まって、逃げ出そうともしなかったなんて……邪神を倒すと言う責任から逃げていただけ。
こうやって生きる為に逃げる事と、邪神を倒す事を諦めそれから逃げる事は、まるで違うのだ。
王女としては失格でも、まだ自分と言う存在が失格になってしまった訳ではないのだから……。


「王女失格……それでも構わない、私は王女じゃなくてもいい!」


王女としての自分に拘ってその地位にしがみつく必要など無い……きっと。
まず賊から逃げなければ。
そして村へ戻り、エリウッドやロイと合流して、次のドルミーレへ……。

そう考えていると、前方から馬車が走って来た。
木々に挟まれた狭い道を無理に走っているようで、撥ねられないよう早々に避けたルミザだが。
何故かその馬車はスピードを落とし、やがて彼女の横に止まってしまう。
ルミザは何だか嫌な予感がして駆け出すものの、もう遅かった。
馬車の中から数人の男たちが出て来てルミザを取り囲み、1人の男が彼女の腕を掴んで引き寄せる。


「いやっ、何をするの! 放して下さい!」
「掘り出し物だな、こんな森ん中でこんなイイ女に会えるとは」
「あのウィリデとか言う小娘とは連絡が取れねぇし、早いとこ女の剣奴を連れて行かないと」
「こんなイイ女を痛めつけられたら客も満足だろ」


剣奴、と言う言葉に顔を青ざめさせるルミザ。
確かドルミーレの法令で禁止されている、闘技場に無理矢理売られた戦士の事だったハズだ。
これも法令で禁止されているが、殺し合いなどをさせられると言う……。

“ウィリデとか言う小娘とは連絡が取れねぇし”
“早いとこ女の剣奴を連れて行かないと”

この言葉と、先ほど、野営地の天幕でレイヴァンが教えてくれた事、

“お前、このままだったら闘技場に売られるぞ。違法な所にな”

それを、合わせると……。

あぁ、レイヴァンに盾になって貰ってまで、逃げ出して来たと言うのに。
自分の行動が、彼の行動が全くの無駄になってしまうなんて……。


「放して! いやぁっ!!」
「ったく、うるせぇな。オイ、黙らせろ」


その言葉が終わるや否や、ルミザの鳩尾に一撃が叩き込まれ彼女は気を失う。
意識が消える瞬間まで、彼女の心は悔しさと恐怖と後悔でいっぱいだった。





−続く−



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