EXTENSIVE BLUE
EXTENSIVE BLUE

周囲が果てしない濃紺の世界だと気付いた時、カナタは自分が寝ている事を思い出した。
“この世界”に来る前の晩を最後に見なくなっていた筈だが、過去の頻度から考えると久し振りの青い夢だ。

カナタがオダマキ一家の世話になってから1ヶ月あまり。
故郷に帰れる目処も立たず……というか勉強と手伝いにかまけて、帰郷問題については全く何も進んでいない。
カナタの為にもこのままでは駄目だと、オダマキ一家もカナタ自身も分かっているのだが。

目を覚まし一家と共に朝食を取って、奥さんと一緒に家事をして、それから研究所の手伝いや勉強を始める……筈だった。
朝食後の小さな家事が終わった後、奥さんに声を掛けられるカナタ。


「カナタちゃん、ちょっといい?」
「はい。何ですか?」
「おとうさんを呼んで来てほしいの。研究所に居なかったらいいから」
「はーい」


奥さんから用事を頼まれ、オダマキ博士を探しに研究所へ。
まだ朝だし研究所に居るかと思ったら、姿が見えない。
助手に話を聞くと、こんなに早くからフィールドワークへ行ってしまったようだ。

ミシロタウンの入り口まで来て、どうしようかと迷うカナタ。
町の外には草むらなどに野生のポケモンが潜んでいて、通ると飛び出して来る事があるという。
自分のポケモンを持っていないカナタでは危険だし、次の町までどのくらいの距離があるか分からない。
(101番道路には段差があり次の町までは登りになっている)

どうしようか……とウロウロしていると、向こうから知った声が。


「たっ、助けてくれーっ!!」
「オダマキ博士!?」


思わず危険も忘れて走り出すと、博士が何かに追われ逃げ回っている。
あれは以前に資料で見た……犬のようなポケモン、ポチエナだ。
興奮しているのか、けたたましく吠えており噛み付かれるかもしれない。
何も出来ずにオロオロしているカナタに気付いた博士が、藁にも縋る思いで声を張り上げた。


「おーい、カナタちゃん! 助けておくれーっ!!」
「え、え、どうすれば……!」
「そこにあるカバンにモンスターボールが入ってる!」


博士からやや離れた道に放り出されたカバン。
放っておけずに近寄ると、3つのボールが転がり出ていた。

お世話になった人が、危険な状況にある。
しかし今このボールを手にするという事は、一時的とはいえ動物を自主的に一人で扱いその間の責任を負うという事になる。
動物が苦手なカナタにとって、かなりの苦行。
こうしている間にもポチエナの吠える声は高まり、もう一刻の猶予さえ危うい状況だ。

その時、ボールの一つが大きく揺れ始めた。
その揺れにどことなく既視感を覚えたカナタは、瞬時にそのボールを取って博士の方目がけて投げる。

ボールから飛び出して来たのは草タイプのキモリ。
確か持っている技は……。


「えっと、キモリ!“はたく”!」


カナタが指示したのとポチエナが向かって来たのは同時。
キモリの方が素早かったらしく、体当たりを受ける前にポチエナをはたいた。
後ろへ滑るように飛び草むらへ打ち込まれたポチエナ。
少し待っても出て来なかったので、博士に駆け寄る。


「大丈夫ですか博士、怪我は……」
「いや、大丈夫だよ。ありがとう。野生のポケモンを調査しようと草むらに入ったら突然襲われて……。あの興奮っぷりは何かあったのかもしれない。これは調査する必要があるな」


つい今し方危険な目に遭ったというのに、博士らしいのんびりさと研究者気質っぷりに苦笑するカナタ。
何にしても無事なら良かった……が。
足にぴとりと感触があり、恐る恐る見下ろすカナタ。
そこにはキモリがカナタの足に抱き付き、期待に満ちたような目で見上げて来る光景が……。


「わ、わああっ!?」
「落ち着いて! 大丈夫、キミを信頼している目だ! しっかり指示を出せたじゃないか、それを思い出すんだ」


言われ、つい今さっきの小さなバトルを思い出し深呼吸して己を落ち着かせるカナタ。
そして改めてキモリを見ると、心の中に暖かさが広がる。

完全に自分を信頼している目。
小さく鳴き声を上げて来るこの子が可愛くて仕方ない。
今すぐ庇護してあげたい、そんな気分になる。
薄れない恐怖を無理矢理押し込めてキモリを抱き上げてみると、同じ目線にキモリの顔が来て真っ正面から目が合った瞬間、感じていた恐怖心が霧散してしまった。


「……平気だ。オダマキ博士、私、この子平気です!」
「素晴らしい! よく勇気を出して克服したね。さっきの戦いぶりもなかなか息が合っていたし、お礼も兼ねてそのキモリはキミへのプレゼントにしよう!」
「え、いいんですか?」
「元々、キミがポケモンを平気になったら一匹あげるつもりだったんだ。その時が来ただけだから、遠慮せず受け取ってくれたまえ」
「ありがとうございます! よろしくね、キモリ!」


先程までの怯えた様子はどこへやら、抱き締めたキモリに頬ずりまでするカナタをオダマキ博士は微笑ましく見守る。
そう言えばあのキモリは初めからカナタに懐いていたようだった。
最初に会わせた時にいきなり飛び掛かって行ったし、先程の戦いもカナタを信用し切っているのが手に取るように分かった。
トレーナーとポケモンにも合う合わないがあるし、カナタとキモリはよほど波長が合うのだろうと、博士はそう考える。
経験を積んでいけば良いトレーナーになれそうだと。


「カナタちゃん、キミも今日からポケモントレーナーの仲間入りだ。そこで先輩へ報告に行ってみてはどうだろう」
「先輩?」
「ユウキだよ。今は103番道路でポケモンの調査をしているんだ。キミが苦手なポケモンを克服してトレーナーになったと知ったら、きっと大喜びしてくれるさ。キモリと一緒に行動する事にも慣れるといい」
「分かりました。行ってみます。……ところで103番道路って……?」
「ああ、そうか。カナタちゃんはミシロタウンから殆ど出た事が無いのか。よし、これも餞別としてプレゼントしよう!」


オダマキ博士がカバンから取り出したのは、(掌より一回り大きく、やや分厚いが)四角いコンパクトのような機械。
開くと上部分に画面が付いていて、下にはボタン。


「これは“ポケモンマルチナビ”。役立つ情報が沢山入っている便利な機械だよ。ひとまずマップナビを表示してあげるから使うといい。と言っても103番道路までは一本道だけどね」
「こんな物まで貰ってしまって、本当にいいんですか?」
「カナタちゃん。この一ヶ月を一緒に過ごして、もうキミはうちの家族みたいなもんさ。それにポケモン博士として、新たなトレーナーを祝わせて欲しい」


博士の嬉しそうな顔を見たカナタは遠慮をやめ、笑顔でお礼を告げた。
新しい道に踏み出す時の餞別というものは格別に嬉しい。

うっかり忘れそうになった奥さんからの伝言を伝えて博士と別れ、キモリをボールに戻すとカナタは改めて101番道路を進み始める。
そんなに広くも長くもない道路だが、一ヶ月ほど閉じ篭もった場所からの出発は瑞々しい感動を呼び込んだ。
キモリが平気になったんだから、もうどんなポケモンも大丈夫だと高を括って草むらに飛び込む。

が。
草むらが揺れたかと思うと、ポケモンが飛び出して来た。
あれも資料で見たジグザグマというポケモン。
それを見た瞬間 急激に沸き上がる恐怖感。
あんなに可愛らしい見た目なのに、という事は。


「(うそ、私まだ克服してなかった……!?)」


思い切り油断していた所への襲来に対処が遅れ、ボールからキモリを出す事も出来ずに足を竦ませる。
飛び掛かろうとするジグザグマに思わず目を瞑った瞬間、キモリの鳴き声が耳に届いた。

驚いて目を開けるとキモリが勝手にボールから出ており、ジグザグマに“はたく”攻撃を当てた所。
反撃の体当たりを受けても怯まず、更に向かって行く勇姿を見たカナタにも勇気が湧いて来た。


「キモリ、“すいとる”!」


名前の通りジグザグに動いているジグザグマには、物理の技より特殊技の方が当て易そうだ。
体力を吸い取って回復し、ジグザグマも倒す事が出来た。
カナタはキモリを抱き上げると慌てて草むらから出る。


「び、びっくりした……怖かった……」


情けなくもへたり込むと、抱かれたままのキモリが心配そうに見上げて来た。
信頼を感じる視線は相変わらず澄んでいるが、カナタはこの通りの有様、とてもトレーナーとは言えない。
駆け出しどころかスタートラインから動けていない現状は、ただただカナタを不安な気持ちにさせるだけだった。

こんな有様でキモリを守り育てる事が出来るのだろうか、
こんな有様でポケモントレーナーを名乗っても良いのか。


「ごめんねキモリ、こんな飼い主で……。バトルお疲れ様」


落ち込んだままボールに戻そうとしたら、イヤイヤと必死になって首を振るキモリ。
まさかモンスターボールの中が嫌なのだろうか。
こういうポケモンについての対処を知らないので焦るカナタ。
ボールが嫌なの? と訊いても首を振るばかり。
やがてキモリがカナタの腕からぴょんと逃げ出し、そのまま肩の上へ乗ってしまった。
そして、早く行こう、と言いたげに鳴き声を上げる。

カナタを守ろうと言うのだ。
こんなに情けない姿を見せたトレーナーを見限る事なく、常に傍について守り抜くとの意思表示。
肩に乗ったまま自分の顔を覗き込んで来るキモリに、言いようの無い悔しさが湧き上がって来る。


「……ありがとう。行こうかキモリ、ユウキ君の所へ」


悔しさが伝わらないように、立ち上がり歩を進めたカナタ。
次の町コトキタウンは103番道路へ行くためにほぼ素通りの形を取るが、ここもミシロタウンと同じ、そよぐ風が草の青々とした匂いを運び、小さな町ではあるがとても雰囲気が良い。

コトキタウンを駆け抜け北の103番道路を進むと、東側に水路が……。
入り江のようになっているが海だろう。
遠くには向こう岸が見えるが、泳げないカナタが行けようはずもない。
というか、海に近付くだけで恐怖が湧き上がってしまう。


「違う違う、私の用事はユウキ君なんだし、海なんか見なくていいじゃない」
「呼んだ?」
「わっ!?」


固まりながら海を見ていたカナタの背後から声。
同時に背中を叩かれ驚いたが、今のはユウキの声だ。
振り返った先のユウキは嬉しそうに笑んでおり、視線がカナタの肩へ注がれている事に気付けば理由は明白だ。


「カナタさんやったじゃないか、いつの間に克服したんだ!?」
「え、えっと、その」
「しかもそのキモリ父さんのだろ、貰ったって事は父さんも認めたって事だ! で、今なにしてたの、海なんか見てさ。……ああ、このホウエン地方は自然が豊かなんだ。あれなんて凄いよ」


ユウキが指さす先、遙か北の方角にもくもくと噴煙を吹き出す巨大な山が見えた。
えんとつ山といって、ホウエンでは最高峰の活火山らしい。
こんなに遠くからでも分かる迫力の凄さは、ホウエン地方の雄大さを雄弁に物語っている。


「すごいね、近寄ったらきっと大迫力だよ……! ユウキ君は行った事ある?」
「いや、あそこにはまだ行った事ないな。いずれは行くつもりだよ。……ところでカナタさん、トレーナーになった記念にバトルしようぜ!」
「え、バトル?」
「トレーナーってどんなものか、オレが教えてやるよ!」
「ちょっと待って、いきなりバトルって……!」
「待たない! トレーナーは基本的に目が合ったらバトル、いつでも準備はしておくものだよ! いけっ、アチャモ!」


きっとカナタがポケモンを持った事を喜んでくれているのだろう。
ひょっとしたら年上とはいえ後輩が出来た事にも。
いつもより元気良く興奮気味に感じる言動でアチャモを出したユウキに、キモリもやる気満々で肩から飛び降りてしまった為
戦わざるを得なくなってしまった。

相手は炎タイプ。草タイプであるキモリには不利な相手。
けれどカナタの勉強の成果と記憶が正しければ、まだユウキのアチャモは炎技を覚えていない筈だ。


「キモリ、“にらみつける”!」
「アチャモ、“ひっかく”!」


キモリの方が素早い。睨み付けて怯ませ、相手の防御力を下げておく。
アチャモの攻撃を避ける事は出来なかったが、下げた防御力はきちんと働いてくれる筈だ。


「もう一度“ひっかく”だ!」
「キモリ、“はたく”!」


キモリの手とアチャモの足がぶつかり、お互いにダメージが走る。
もう一度同じ行動で同じ結果が出、次の攻撃をキモリが避けた。


「キモリ、“すいとる”!」


避けられた拍子にバランスを崩したアチャモを見逃さず、体力を吸い取らせる。
効果は今ひとつだったが、少し体力を回復できたキモリ。
すぐ体勢を立て直したアチャモに、更にユウキが指示を出す。


「右へ飛んでひっかけ、アチャモ!」
「左へ振り向きざまにはたいて、キモリ!」


回り込み横から攻撃しようとするアチャモに、指示通り言われた方向へ腕を振り抜きながら向き直すキモリ。
もう一度アチャモの足とキモリの腕がぶつかるが、飛ばされたのはアチャモの方だった。
慌てて駆け寄り、アチャモを抱き上げるユウキ。

勝負は決した。キモリとカナタの勝利だ。
走り寄って飛び付いたキモリを抱き止め、頬ずりするカナタ。


「やった、先輩に勝ったよキモリっ!」
「ふうん、カナタさんって強いんだね。“にらみつける”で防御を下げられてたから押し負けちゃったか……」


ポケモンに怯えていた様子からは考えられない成長に目を見張るユウキ。
ああやってキモリと触れ合う様子は、ずっと昔からカナタとキモリがパートナー同士だったのではないかと錯覚させる程だ。
父であるオダマキ博士がカナタにキモリを譲った理由が、今度は想像ではなく自らの体験で理解し納得できた。

二人はコトキタウンに戻り、ポケモンを回復出来る無料の施設・ポケモンセンターでキモリとアチャモを回復させる。
調査も終わったので一緒に帰ろうと言われ、ユウキと二人で101番道路を下って行く。
その途中、ユウキが不思議そうに話し掛けて来た。


「あのさカナタさん、何でキモリをボールに戻さないんだ?」
「う……。そ、それは……キモリが申し出てくれて……」
「キモリが?」
「その、私がまだポケモンが怖くて、野生ポケモンに驚くから、護衛をしてくれようとしてるみたいで……」


あまりに恥ずかしく、顔をほんのり朱に染めながら俯きつつ言うカナタ。
先程勝利したばかりの先輩にこんな事を言いたくない。
返事が無いのでちらりと視線をユウキに向けると、信じられないといった顔でカナタを見ている。


「……冗談、だろ。あんなにキモリと息合ってたじゃないか!」
「キモリは平気なの。ただ、野生ポケモンっていきなり飛び出すじゃない。あれがどうしても怖くて、上手く動けないから……」
「ちょっとちょっと……」
「自分でも情けないとは思ってるのよ! 動物全般が怖いし、未だにカナヅチで海だって怖いし……!」
「海まで駄目とかカナタさん怖いものありすぎ。いや怖く思うのは仕方ないけど、動物ほぼ全部と海だなんて範囲が広すぎて生きるの不便そうじゃないか。しかもこのホウエンは豊かな大地と海が売りなんだぜ!」
「はい……まだ行動範囲は狭いけど、それでも素敵な所です……」


思わず敬語に戻ったカナタ、顔を俯けながら情けなさを消そうとしても消えない。
しかしユウキがやや呆れながらキモリを見ると、何とも気合いの入った様子。
主人がこんな姿を晒しても呆れたり、まして見限ったりなどはしそうに無い。
それを見たユウキは、キモリがカナタを信じている事を感じ取る。
いつまでもこのままではない、いずれ必ず克服してくれるというのを、キモリは何の迷いも無く信じ切っていた。

やはりカナタには何かあるのだと、そしてキモリはそれを心から信じていると、そう確信したユウキは先輩としてカナタを後押しする事に決めた。
これから“相棒”となるキモリの信頼に応えて欲しい一心で。


「カナタさん、キモリをよく見てみなよ。こいつはカナタさんを情けないだとかトレーナー失格だとか、そんな事なんて全然思ってないよ」
「うん、分かってる。だから逆に申し訳ないの。私がこの子を守らなきゃいけないのに、逆に守って貰ってるのが……」
「初心者なのに“トレーナーがポケモンを守る”って考え方が出来るなんて凄いよ。でもさ、ポケモンに守られたって良いじゃないか」
「えっ? で、でも飼い主が守るべきでしょ?」
「このキモリはそんなヤワじゃないさ、なんてったって先輩のオレ達に勝ったんだから! カナタさんとキモリは相棒で友達なんだ、一方的な関係になる必要は無いじゃんか」
「…………」


ユウキの言葉に、雷に撃たれたような衝撃を受けるカナタ。
カナタはポケモンを、故郷の世界で普通に飼われているペットの動物とほぼ同列に考えてしまっていた。
もちろんペットを家族や友人同然に考える人は多く居るし、実際にペットが人間を助けた話も結構聞く。
盲導犬などの介護犬も人間を大いに助けてくれている。

しかしそれは、いわゆる“レアケース”である。
(そもそも介護犬や介助犬などはペットとは扱いが違う)
こうして“バトル”なんてする事が無い元の世界では、ペットが人間を守って戦うなんて なかなか起きない。
やはり飼い主がペットを守り世話をする、という関係が普通である。

しかしポケモンは違う。こうして守られても良い。
たまには飼い主の方が世話されたって良い。
ポケモンと一緒に成長して、返して行けばいいのだから。
特にカナタはトレーナーなり立ての初心者。
キモリはいきなり懐いたが、上手くいかない事が多くても当然なのだ。
そこはトレーナーとポケモンが支え合い補い合う、それが理想的な形。


「……分かりました先輩、頑張ります!」
「よーし、その意気だぜ後輩!」


ふざけて笑い合うと、ユウキと仲の良い友達になれた実感が湧いて来る。
5歳差と年齢はやや離れているが、ユウキもきっと自分を友達だと思ってくれている筈だと、カナタは確信的にそう考えていた……実際そうだろう。

ミシロタウンに帰り着き、オダマキ博士の研究所へ二人で入る。
ユウキに勝った事を博士に報告すると、驚きながらも喜んでくれた。


「初めてのトレーナーバトルでユウキに勝つだなんて、凄いじゃないか! ユウキはかなり前からわたしの研究を手伝っていて、トレーナー歴は結構長いんだよ!」
「ええ。バトルには勝ちましたが、まだまだ初心者なので先輩から色々と教えて貰いました」
「ほう、そうかい。まあトレーナーの強さは、バトルの強さだけじゃ計れない。何かタメになる事があれば遠慮なく訊けばいいよ。ところで、キミにこの“ポケモン図鑑”を渡したいんだが」
「ポケモン図鑑?」


疑問符を浮かべるカナタに博士が差し出したのは、真ん中に画面があり左右にボタンのある横長の赤い機械。
これは出会ったポケモンを自動的に記録してくれるハイテクな道具らしい。
捕まえたら詳しいデータが、出会うだけでも名前や分布等だけなら分かるとか。
ユウキもこの図鑑を持ってあちこちへ遊びに行くそうだ。


「ポケモンと一緒に過ごすに当たって、必ず役に立つよ。是非とも活用してくれたまえ!」
「ありがとうございます! 凄い、こんな機械あるんですね……!」
「じゃあオレからは先輩からの餞別として、モンスターボールあげるよ。野生ポケモンの捕まえ方、勉強してたなら分かるよな?」
「うん。体力を減らしたり状態異常にかけたりすれば、捕まえやすくなるんだっけ」
「そう。それが分かってれば仲間も増やせるし、暫くの間オレが居なくてもカナタさんとポケモンだけでやって行けるな」
「えっ? 暫くの間 居ないってどういう事?」
「ああ、ユウキにはこの近辺を離れて、もっと遠くまで行って貰おうと思ってね。今日この町を出発して旅に出て貰うつもりだったんだ」
「た、旅!?」


……そう言えば、町を離れるとか何とか数日前に言っていた気がする。
しかしカナタは“ちょっと遠出”レベルかと思っており、まさか“旅”と形容される程だとは考えていなかった。
二人が言うには、ホウエンの本土全土を巡るぐらいは考えているという。
13歳が一人旅なんて危ないのでは、と言ってみたが、二人が不思議そうな顔をする辺りこの世界では珍しい事でもないらしい。
10歳になれば一人で旅に出る許可が得られるそうで、むしろユウキは遅めだとか。
もちろんポケモンが一緒だから出来る事ではあるのだが。


「ユウキには随分と研究を手伝って貰った。もちろんこの旅も手伝いではあるけれど、同時にポケモンと一緒に各地を冒険して欲しいんだ。そして様々な人と出会い、様々な体験をして貰いたいと思っている」
「っひゃあー、ワクワクする! どんな人やポケモンと会えるかな!」


5歳も年下の少年が旅立とうとしている。
ふとカナタは今の現状について考えてみた。
親切な人々に守られ助けられ、ぬくぬくと庇護の下に居る。
18歳を迎え大人になったかと思った自分は、未だに子供だった。
そして帰郷の目処が全く立っていない事実は依然として変わらない。

……旅をすれば、少しは大人に近付けるだろうか。
旅をすれば、帰郷のヒントが得られるだろうか。
どちらもそうなる保証は一切無い。
しかしこのまま小さな町に閉じ籠もっているよりは、確率が上がるかもしれない。
そして成長し大人になれば、例え帰郷のヒントが得られなくてもオダマキ一家に今以上の恩返しだけは出来そうだ。

自分はポケモンを手に入れ、旅立つ資格がある。
そして何より、今、自分は旅立たねばならない気がする。
この期を逃せば旅立ちたいだなどと言い出せず、一生を中途半端なまま親切に甘えるだけで終えそうだ。
大人になる為に、それだけは阻止しなければ……!


「博士、ユウキ君!」
「なんだい?」
「私も、キモリと一緒に旅に出ます!」
「…………」


突然の宣言に、静止する博士とユウキ。
なぜ黙られているのか分からないカナタも喋り出せないまま、数秒の時間が過ぎ……博士とユウキの叫び声が響いた。


「えええええええ!?」
「え、あ、やっぱり駄目ですか?」
「いやいやカナタちゃん、駄目とか駄目じゃないとかの前に、どうしてキミまで旅立つ必要があるんだ?」
「私、このままここに居ちゃ駄目な気がするんです。甘えに甘えてしまって一生変われないような、そんな気が……」
「負い目になんか感じなくて良いんだよ、キミはうちの子も同然なんだから」
「違います、私、昔から大人になりたかったんです」
「大人に……?」


折角だからと博士とユウキに、自分の胸の内を話してみたカナタ。
二人ともからかったりする事なく神妙に聞いてくれ、なんだか逆に恥ずかしくなってしまった。
話を聞き終えた博士は一つ大きく頷くと、キモリが乗っていない方のカナタの肩に手を置く。


「そうか……確かにこのままではいけないと思っていた。わたし達としてはいつまでも居てくれて良いんだが、キミのご家族や友人が心配しているだろう事を考えると、ね」
「たとえ故郷へ帰れなくても、成長して帰って来ます。そして博士達に、もっともっと恩返しします」
「そんな事は気にしなくても良いのに……。でもその気持ちと心がけは素直に嬉しいよ」
「じゃあどうするカナタさん、オレと一緒に行く?」


ユウキのお誘いは嬉しいが、5歳年下の先輩に頼りっぱなしも頂けない。
ここは一人で行くべきだとカナタは思う。
それに、カナタは一人じゃない。


「キモリと、二人で。旅に出てみるよ。旅先で出会う事があったら、その時はよろしくね」
「……そっか、分かった。トレーナー二人旅も楽しそうだったけど仕方ないか。じゃ、後輩に追いつかれちゃ格好悪いし、先に行こうかな!」
「ユウキ、母さんには挨拶したのか」
「してる。ていうかオレはある程度分布を調べたら、報告のため定期的に帰るつもりだし、そんな大仰にしなくてもいいと思うんだけど。じゃあ行って来ます父さん、カナタさんも早く追い付いて来いよ〜!」


言って、元気良く研究所を飛び出して行ったユウキ。
それを見送り、自分も行こうかと博士へ挨拶するが引き止められる。
カナタはつい今 旅立とうと決めたばかりで、数日前から準備していたユウキとは立場が違う。
まずは家に戻って奥さんに話をし、準備をしてから出た方が良いと。
それもそうだと、カナタは後で改めて挨拶に来る事を博士に告げ、ひとまずは家へと駆け戻った。

家に戻ると奥さんはカナタがポケモンを連れている事に驚き、博士やユウキに負けず劣らず喜んでくれた。
そしてカナタが旅立つ事を告げると、更に驚く。


「ユウキに続いてカナタちゃんまで行ってしまうのね、寂しくなるわ……。でもカナタちゃんが決めた事なら私、応援するから! さし当たっては旅の準備ね、動き易くて容量大きめのリュックが良いかしら。でも女の子としてはあんまりゴテゴテし過ぎるのも可愛くないわよね」


用意して貰ったリュックは奥さんが昔使っていた物らしいが、デザインも古くなくてなかなか可愛らしい。
見た目はスッキリしているが容量も割と多目だし、ポケットも沢山付いていて便利そうだ。
その中に幾つかの救急セットやポケモン用の傷薬、そして幾らかのお金。


「お金まで貰っちゃって良いんですか?」
「単なるお小遣いよ。トレーナーならポケモンセンターに無料で宿泊できるけど、旅は入り用なんだから少しくらい持っておきなさい。トレーナーとの勝負に勝つと貰えたりするから、上手く遣り繰りしてね」
「分かりました。ありがとうございます!」


カナタがリュックを背負うと、キモリも肩の上からリュックの上に移動したりして嬉しそうだ。
そうやって楽しそうにしているカナタ達に、奥さんはどこか悲しげにも見える笑顔で告げる。


「カナタちゃん、どうか気を付けて。いつでも帰って来て良いんだからね」
「……帰って、来る……」
「ええ。ここはもうカナタちゃんの家でもあるの。どうか無理だけはしないで」


そうやって微笑む奥さんを見ていると泣きたくなってしまった。
母親を思い起こさせるその笑みは、耐えがたい郷愁を呼び起こす。
泣きそうになったのを隠すように笑みを浮かべ、カナタは元気よく声を上げた。


「行って来ます、お母さん!」
「ええ、行ってらっしゃい!」


変に思われないかな、とか、ただ間違えただけだと思われないかな、とか、声に出すまでは色々とあった不安が、奥さんの笑顔と明るい声に消し飛ぶ。
少し胸がきゅうっと痛んだけれどそれを無視して、家を出た。
さあ後はオダマキ博士に挨拶だと進みかけたら、町の入り口に博士が。


「あ、博士! これからフィールドワークに行かれるんですか? 今 準備が終わって挨拶に行こうかと……」
「いいや、キミを見送りに来ただけだよ。今日はもう研究は終えて、早いうちに家へ帰ろうかと思ってね」


フィールドワークか研究所に入り浸りかで、一日のうち家に居る時間はごく僅かな博士。
寝る為だけに家へ帰っているのでは(研究所で夜を明かす事も珍しくない)と思える行動が普段から目立つだけあって、まだ昼に差し掛かったばかりの時間に家へ帰るなど珍しい。

しかしカナタは、すぐその理由に思い至った。
いくら珍しくない上に半ば旅行気分でもあるとはいえ、息子が、そしてもう家の子だと認識しているカナタまでもが旅立ってしまう。
笑顔で送り出す事は出来ても、やはり毎日居た子供が旅立って行くというのは、きっと親にとって嬉しさと共に寂しさや悲しさも浮かんでしまうもの。
まだ子供の居ないカナタは同じ気持ちにはなれないが、気持ちは理解できる。
きっとオダマキ博士は、奥さんの傍に居てあげるつもりなのだろう。
ひょっとしたら博士も寂しさを感じていて、奥さんと一緒に居たいのかもしれない。


「しっかり準備したかい? まあ何かあれば帰って来れば良いけれど、遠く離れるとちょくちょく帰るのも難しいからね」
「はい、大丈夫です。1ヶ月お世話になりました」
「ああ。これからキミの旅は、何が起きるか分からない。楽しい事だけじゃなく、辛い事や苦しい事、悲しい事も待っているかもしれない」
「う……頑張ります」
「しかし、何が起きてもそれはキミだけの物語だ。他の誰のものでもない、ポケットモンスターの世界で起きる、キミが“主人公”の物語」
「ポケットモンスターの世界……」
「そう。ポケモンを知らずに育ったキミが、これから足を踏み入れる世界だ。しかし恐れないで欲しい。ポケモン達と力を合わせればきっと、どんな困難も乗り越えられる! 夢と冒険と出会いに満ちたポケットモンスターの世界へ、勇気を持って飛び込んでみてくれ!」
「……はい! 行って来ます、オダマキ博士!」


カナタは一礼し、後ろ髪を引かれないうちに町を飛び出した。
今朝も通った道なのに、今は何もかもが違って見える。
突き抜けるような高く青い空も、爽やかな微風も、揺れる緑の絨毯も、全てがカナタとキモリの旅立ちを祝福しているようで。
カナタは一つ深呼吸すると、肩のキモリへ声を掛ける。


「改めてよろしくね、キモリ。一緒に色んな所へ行こう!」


笑顔のカナタに、キモリも笑顔で返事代わりの鳴き声を上げた。

かつて大人になりたかった少女は、今、こうして大人になりかけつつ冒険の地に立っている。
まだまだ臆病で、卑小で、目の前に広がる世界に飲み込まれそうな存在だけれど。
それでも故郷に似た香りを運ぶホウエンの大地は、大人を目指す少女の旅立ちを優しく見守る。

長い時を経て、深海の少女は海上へと浮上した。





to be continued......


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