EXTENSIVE BLUE
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カナタ
フエンタウン
バッジ3個

手持ち
ジュプトル♂
グラエナ♂
マッスグマ♀
キルリア♀
オオスバメ♂
ライボルト♂

旅時間:41日目



えんとつ山での事故から一夜明けて。
相変わらず暗い表情で沈んだままのカナタの手には、ボールが2つ。
オオスバメとグラエナ……彼らはもう大怪我のため旅を続ける事は出来ない。


「おはよう、カナタちゃん」
「カナタさんおはよう」
「……おはようございます」


ダイゴとユウキが声を掛けるとちゃんと答えるが、視線は落ちたままだ。
これからミシロタウンに帰ってオダマキ博士にオオスバメとグラエナを預けなければならない。
ダイゴのエアームドに乗せて貰い高く飛び上がると、地上とは全く違う空気に包まれる。

飛行してなお高く青い空、広がる緑の大地に、それを包む広大な大海原。
普段のカナタであれば大はしゃぎするであろう絶景なのに、相変わらず暗く沈んだままで一言も喋らない。
風の音だけが響き、それは決して静かではないのに、重苦しいまでの静けさが彼らを覆っていた。

ふと、ダイゴが進行方向を見据えたまま口を開く。


「一ついいかな」
「はい……」
「キミは慰めないで欲しいと言ったけれど。僕はオオスバメとグラエナが無事な事に関しては、本当に心から良かったと言ってあげたいんだよ」
「……無事ではないじゃないですか」
「いいや、無事さ。生きている。僕はそれが嬉しいんだ」
「……」
「大怪我を負ったのは気の毒だけどね、幸いにも生きていた。まずはそれを喜ぼう」


それに関してカナタは返事をしなかった。
ダイゴの言う事は尤もだが、到底そんな気分にはなれない。
ただただ自責の念が頭を巡り、申し訳なさと後悔が心を支配する。

カナタがそうしていると、ダイゴが再び口を開いた。


「カナタちゃん。この世界、好きかい?」
「……え」
「このホウエン地方。好きかい?」


一瞬“この世界”という言葉に、自分が異世界の人間であると知られたのかと焦った。
しかしダイゴが言うのは異世界だの何だのは関係ない、ただ単純にこの世の中、ホウエン地方が好きか嫌いかの話だろう。

えんとつ山でアクア団の目的を聞いた時にカナタはハッキリ自覚した。
自分はこの第二の故郷ホウエン地方を愛していると。
人とポケモンが織り成す沢山の縁で形作られた世界を守りたいと。
親切で頼もしい人達と知り合えた。
愛するポケモン達と出会えた。
色々あったけれどここまでの旅は確かに楽しかった。
そんなホウエン地方が、“この世界”がカナタは大好きだ。


「……好きです。大好きです」
「良かった。こんな目に遭って嫌になったんじゃないかと思ったから」
「これは私のせいだから……ホウエン地方は関係ありませんよ」
「カナタさん、そろそろその話は無しな」


ユウキが話に入り込んで来る。
グラエナとオオスバメの怪我の一端は確かにカナタのせいだが、そうして沈んだまま自分を責める彼女を見続けるのは耐え難い。
それに関してダイゴも同意見のようだ。


「グラエナもオオスバメも、キミがそうして自分を責めているのを見るのは辛いだろう。僕だってそうだ」
「オレだってそう思ってるよ」
「……でも、私……」


手にした2つのボールに視線を落とす。
ジュプトルも今はボールの中で大人しくしていた。

自分を心配してくれる人達に心配を掛けないよう、立ち直りたい。
その意識はカナタも持ってはいるが、すぐには切り替えられない。
ダイゴとユウキだって分かっている筈だが、カナタが必要以上に落ち込みそうなので何とか引っ張り上げようとしてくれているのだろう。

それ以上は誰も口を開く事無く、再び風の音だけが一行を包んでいた。


++++++


やがてミシロタウンに辿り着く。
入り口付近に降ろして貰い、ダイゴに頭を下げるカナタ。


「ダイゴさん、ありがとうございました」
「ああ。元気を出して……なんて言ってもすぐには無理だろうけれど、キミを心配してる者が居るって事、忘れないで」


そこでふとダイゴは、カナタの笑顔を見ていない事を思い出す。
以前にキンセツシティで会った時は気分が乗って暫くお喋りしていた。
その最中に何度も笑顔を見せてくれたカナタは、今回は会ってから一度も笑顔など浮かべてはいない。
状況が状況だから仕方が無いとはいえ、惜しいな、と思う。


「カナタちゃん、今はまだいい。だけどいつか笑顔に戻って欲しいよ」
「え……」
「そうやって沈んでいるのは似合わないと思ったから。キミは笑顔で居るのが一番似合ってる」
「……」


その言葉を聞いたカナタは、胸中に靄が広がるのを感じた。
凄く素敵な事を言われたのに何故か、ずしん、と胸に重くのし掛かる。
普段ならこんな言葉を素敵な男性に言われれば、照れたり喜んだりする所なのに。
グラエナとオオスバメの事があるので喜んでいる場合じゃない……、という事を差し引いても、何故か今の言葉はあまり嬉しくなかった。

ダイゴが去った後、呆然とそちらを見ていたカナタはユウキに手を引かれ我に返る。
出発前にユウキが連絡してくれていたようで、家に戻るとオダマキ博士と奥さんが駆け寄って来た。


「カナタちゃん……!」
「……あ、その、えっと……」
「……お帰り」


博士も奥さんも少し困ったように眉を下げているが、口元は笑みを作り出してくれていた。
そうして発された言葉にカナタは言い様のない感情を覚える。
ユウキもお帰り、なんて言われてあっさり ただいま、と返す彼に倣い、カナタも困惑気味ではあるが小さめの声で答える。


「……た、ただいま……」
「二人が旅立ってから一緒に帰って来るのは初めてね。今日は張り切ってご馳走作るから楽しみにしてて!」
「は、はい……」
「それにユウキの誕生日祝いも出来てないから一緒にするわよ!」
「い、いいよそういうの!」


カナタの事があるからか、それとも年齢的に照れ臭いのか、ユウキは誕生日祝いを慌てて拒否する。
カナタに何が起きたか知っている筈だが、気を遣ってくれているのか奥さんは話題に出さない。
そのまま台所に行ってしまった奥さんを見送るのもそこそこに、博士が口を開いた。


「カナタちゃん、話はユウキから聞いたよ。……疲れたろう。暫くゆっくり休むといい」
「……そうします」


頭を下げ、カナタは部屋へ戻って行く。
この世界に来てから旅立つまで過ごしていた部屋。
いつか出て行かなければならないかもしれないと考えていたのであまり物は置いていないし、さして広くもない。
しかし“帰って来た”という感覚はしっかり湧いて来る。

カナタはボールから手持ちを全員出した。
真っ先に目に入るのはやはり、後ろ足を失ったグラエナと翼を傷つけたオオスバメ。
泣きそうに顔を歪めたカナタはふたりを抱きしめる。


「ごめん……ごめんなさい。ごめんなさい……」


弱々しい言葉はたいして空気も伝わずに、側の手持ち達にしか聞こえない。
グラエナは傍らに寄せられたカナタの頬を軽く舐めた。
オオスバメもぐりぐりと頭を押し付けて来て、カナタの感情が決壊する。
泣いたって楽になるのは自分だけなのに溢れて止まらない。


「う……うぅ……何でっ、私……!」


どうしてあの時、ふたりをボールに戻さなかったのか。
どうしてあの時、アクア団追跡を優先してしまったのか。
先に立たない後悔が次から次へと押し寄せる。

頬を伝う涙が冷たいなと思っていたら、ひた、と感触。
キルリアがカナタの頬に手を当て涙を拭ってくれていた。
マッスグマとライボルトも寄って来て慰めるように体を擦り寄せて来た。
背中にとん、と軽い衝撃があり、見やればジュプトルが寄り掛かるように背中を預けて来ている。


「……ねえ、どうして?」


どうして、ポケモン達はこんなに信頼してくれるのだろう。
自信が付いて来たとは言えまだ頼りない所や情けない所はあるし、こうして大きな事故を起こしてしまった。
カナタが起こした訳ではないにしても、そもそもえんとつ山に行かない選択だって出来た筈なのだ。
ユウキだってあんなに引き止めてくれていたのに。


“そうやって大切にする心を忘れなければ、ポケモンは必ず応えてくれる”


「……」


何故か突然、そんな言葉が頭に浮かんだ。
どこかで聞いたような……と記憶を辿り、言葉の主がトウカシティのセンリだと思い出す。
そこまで思い出せば、あれは旅立った当日、ミツルがラルトスを捕まえた時にセンリが彼へ掛けた言葉だと分かった。

こんな事になってしまったけれど、カナタはポケモン達を大事に思っている。
もはや愛していると言っても過言ではない。
失敗しても、情けなくても、こうして彼らが寄り添ってくれるのは。


「……いい、かな。私まだ……みんなを愛していても良いかな……!」


涙をぽろぽろ零しながら言うカナタに、手持ち達が笑顔を浮かべる。
そしてカナタへ更に強く寄り添った。


『いいんだよ。もっともっと愛してよ』


そう聞こえたのはカナタの幻聴に過ぎないだろうけれど、彼らの表情と行動を見れば、相違ない感情を持っている事は分かる。
怖かった。
何よりも、彼らを愛する資格など無いと思い知らされるのが怖かった。

自分は少し英雄気取りで調子に乗っていたのかもしれない。
頼もしいポケモン達に囲まれて、自分まで特別な存在になったと勘違いしていたのかもしれない。

ジュプトルはキモリだった頃からカナタがアクア団と関わるのを止めようとしていた。
ユウキだって心配して、自分が悪者になるのも厭わず危険から引き離そうとして、更に無謀にも進んで危うきに近寄ろうとしていたカナタを止めてくれた。
それなのに大丈夫かもしれないと楽観して関わり、どんどん首を突っ込んで、ここまで進んで来た自分なら大丈夫だと思い上がった。
自信が無いのに自信過剰でもあった訳だ。

やめよう。
もう英雄気取りはやめて、普通の人だと自覚して、分相応の生活に戻ろう。


「……みんな。旅はもう、終わりだよ」


そう言った瞬間、手持ち達が全員驚いたように目を見開く。
カナタは涙に濡れた瞳で穏やかな微笑を浮かべていた。


「博士の手伝いをして暮らそう。ちょっと他所に働きに行くのもいいかな」


今なら旅立つ前よりはずっと博士の手伝いが出来るだろうし、一ヶ月以上も旅をしたのだからミシロから何日も離れる事だって平気だ。
旅をやめて、アクア団をはじめ危険な事に首を突っ込むのもやめて、波風の立たない穏やかで平凡な日々を暮らそう。

何か言いたそうにしていた手持ち達は、傷付き折れてしまったカナタの微笑に、ただただ呆然とした表情を返す事しか出来ない。

いつかカナタは、ポケモンの言葉が分かれば良いのにと思ったが。
この時は手持ち達も心から思った事だろう。

人間の言葉が話せればいいのに、と。


++++++


カナタがミシロへ帰ってから2日。
今はグラエナが歩く練習をしている所。
元の世界で見た事がある犬用の車椅子と変わらないそれは、かつて彼の後ろ足があった部分を占拠している。
親友のマッスグマが隣に並んで一緒に歩いてあげた成果もあってか、この2日ですっかり慣れてしまったようだ。


「どうグラエナ。歩くのもう平気?」


カナタが声を掛けると嬉しそうに一声吠えるグラエナ。
オオスバメは療養に専念していて、近くの柵に大人しく留まっていた。
ほんの少しなら飛んでも問題なさそうだ。

第二の故郷ミシロタウンは何も変わらない、静かで清廉な時間が流れている。
カレンダーを確認してみたら、カナタが旅していたのは約40日ほど。
もうそんなに経っていたのかとも、たったそれだけかとも思えてしまう。

ふと研究所の方へ目を向けるとユウキが出て来た。
視線を巡らせてカナタに気付いたらしくやって来る。


「カナタさん、グラエナとオオスバメの様子は?」
「グラエナは歩くのすっかり慣れたみたい。オオスバメも調子は良いみたいだし、この分なら数日も経てば処方された痛み止めも必要なくなりそう」
「そっか、良かった……」


胸をなで下ろすユウキは、カナタが旅をやめた事を知らない。
オダマキ博士にも奥さんにもその事を言っていなかった。
言った所で彼らなら受け止めてくれるだろうけれど、何となく後ろめたさのような物を持っている。

2日ミシロで過ごしたユウキは、明日にでも旅立とうとしているらしい。


「カナタさんはまだゆっくりしてても良いんだぜ。その間にオレが追い抜いて、今度こそバトルで勝ってみせるからな!」


気負わせないよう明るく話してくれるユウキに、やはり言う事が出来ない。
私はもう旅をやめたの、ずっとミシロに居るつもりだから、と。

……そう心に決めた筈だ。
なのに再び旅立とうとしているユウキを見ると、言いようの無い寂しさに襲われる。
旅をやめるのならユウキには物理的にも精神的にも置いて行かれる。
隣に並んでいた人がずっと遠くへ行ってしまうような寂しさが湧き上がった。


「(5歳……違った、4歳も年下の子と隣り合ってたんだね、私)」


ポケモントレーナーとしてはユウキの方が先輩だが、バトルでは毎回勝利しているので隣り合うなんて気持ちになるのだろう。
まずはキンセツジムに挑戦して、先にフエンタウンのジムにも挑戦してやろう、なんてうきうきで話すユウキがここに居ないように思えた。

……違う。
ここに居ないのは私の方じゃないかと、カナタは思い直す。
元々、異世界からこの世界にやって来た。
ポケモンなんて存在しない世界からやって来た。
自分は確実に異物であり、この世界には本当は居場所の無い……。

そこまで考えた所でジュプトルが隣に並ぶ。
考えでも見透かされているのではないかと思えるその眼差しは、少し悲しそうに歪められていた。


「まあそれは置いといて、本当にゆっくり休みなよ。暫くはポケモン達とのんびり好きな事して過ごすといいよ」
「……ありがとう、そうするね」


結局、旅をやめる事は言えなかった。
ユウキの無邪気な笑顔が辛くて。


++++++


次の日、ユウキは再びミシロタウンから旅立って行った。
見送りながら強い胸の痛みに襲われたが気付かない振りをする。
その日の夜、寝ようとベッドに入っていたカナタは声を聞く。
明晰夢でも見ているのかと思ったが、謎の声は妙に現実味が強い。
この声は……旅の途中で何度か聞いた声だ。

知らない少女の声。
カナズミジムで勝利した日の晩に見た夢や、デボンの研究員を見捨てようとしていた時に聞こえた、あの。
しかしどうやら今までのようにカナタへ話し掛けている訳ではなさそうだ。


『待って……お願いだから……待って……』
「……?」
『わたし、やらなくちゃいけない事が、まだ……!』


必死に懇願する声。
もう無視する事が出来ずに目を開くと、目の前に何かの姿。


「ひっ!?」


いつかのヨマワルかと一瞬思ったが違う。
もっと大きくて、顔部分は2つの眼窩も無く完全に一つ目。
髑髏のような姿のヨマワルと違い体と手足があった。

手持ち達はボールの外で寝ていた為か、カナタの悲鳴に気付いて全員が起きてしまったようだ。
真っ先にジュプトルが謎の侵入者に飛び掛かり、その隙にキルリアが部屋の電気をつける。
明るくなる直前に体が重くなったと思ったら、マッスグマがカナタの体に乗り上げていたらしい。

彼らが庇ってくれている間にカナタは図鑑を侵入者に向けた。
あれはサマヨールというポケモン。


「え、この子ヨマワルの進化形……まさかあの子が進化したのかな」


ムロやキンセツで部屋に侵入して来たヨマワル。
恐らく同じ個体だろう。
……ところで先程の謎の少女の声、
もしかしてサマヨールに語り掛けていたのだろうか。
気になったカナタは言葉が返らない事を承知で声を掛ける。


「ねえあなた、誰かに何か用なの?」
「……」


サマヨールが頷いた。


「私?」
「……」


今度は首を横に振る。
カナタに用も無いのに何度も現れるとは……。
これはもう、あの謎の声の主に用があるとしか思えない。
という事は、恐らく少女であろう声の主は、カナタの側に居るという事になる。


「(ど、どこに居るんだろ。ポケモンって正体が分かったサマヨールより、何だか正体の分からないそっちの方が怖い……)」


怖い、と言ってみはしたが、そこまで恐怖は湧いていない。
ライボルトが今にも電撃を放ちそうに帯電し始めたからか、サマヨールは少し後退る様子を見せた後に壁の向こうへ消えて行った。
ふぅ、と息を吐いたカナタに、手持ち達が寄り添って来る。


「ありがと、みんな。何なんだろうねあの子……」


ひとりひとりを撫でてあげながら、カナタはサマヨールが消えた壁を意味無く見続ける。

少女の声は、待って、と何度も懇願していた。
恐らくサマヨールに話し掛けていたであろう彼女は、一体何を待って欲しかったのだろう。
やらなくちゃいけない事が、と言っていたが、何だろう。

話を総括すると、サマヨールが来る事によって、“やらなくてはいけない事”を諦める必要が出るのだろう。
それが何なのかカナタには想像すら出来ない。
そもそも声の主がどうしてカナタの側に居るのか。
いつも居る訳ではないのかもしれないが、彼女の方こそカナタに用事があるのではないか。


「……あ」


そこで思い出す。
カナズミシティでデボンの研究員を見捨てようとした時、聞こえた声。

“あなたの行動はいずれホウエン地方の、そして世界の為になる事なの”

確かそんな事を言っていた。
アクア団に奪われた物を取り返す事が、ホウエン地方、そして世界の為になる。
それはつまり、アクア団の行動がいずれ世界に良くない影響を及ぼすという事。
これまでの悪行、えんとつ山での謎の行動……それを鑑みれば、アクア団と対峙するカナタの行動が世界の為になるという言葉も分かる。

海を増やす、そんな目的があると聞いた。
どうやって増やすのかは未だに分からないが、自然の均衡を崩すと良くない事が起こるのは明白では?


「(……そうならアクア団を止めたい。だけど私に、そんな力なんて……)」


今まで自惚れていた、調子に乗っていた。
だからこそグラエナとオオスバメに重傷を負わせてしまった。
そんな考えを持ったカナタの心は、なかなか以前のようには戻らない。

それから電気を消して改めて就寝しようとしても、上手く行かない。

自らが選んだ道に自分で責任を持つ。それが大人というもの。
自分の決断に責任を持たなければならない。
自分の行動で起きた事は、そういう決断をしたのだから、仕方ない事。

謎の声の主が言っていた、カナタの行動がいずれホウエンや世界の為になるという話。
それを思い出してしまった為に落ち着けない。
何か良からぬ事を企んでいるアクア団にあそこまで関わってしまったのに、旅をやめて呑気に過ごすのは無責任ではないのか。
そのせいでホウエン地方が、世界が危機に陥ったらどうするのか。


「(……そ、その考え自体が自惚れじゃないの。私が行動したくらいで世界の危機が回避されるとも思えないし)」


逃げの思考に入ろうとしたカナタだが、一度考えてしまったらもう忘却する事は出来ない。


「(ああ、もういいや……! どうせ忘れられないなら開き直って、旅の事やアクア団の事をとことん考えてみよう)」


グラエナとオオスバメが重傷を負い、旅を諦めると決めた。
しかし、もしそれが無かったら自分はどうしていただろうか。
きっと旅もアクア団と関わる事もやめなかった。

アクア団はポケモンの為に行動しているらしいが、その思想はともかく手段には賛同できない。
人の物を奪って、迷惑を掛けて、挙げ句の果てに海を増やすと。

人間を排除してポケモンだけの楽園を作るつもりなのだろうが、この世界はきっと人間だけでは勿論、ポケモンだけでも駄目だ。
人とポケモンが織り成す沢山の縁で作られた世界……。
どちらかが消滅してしまえばきっと崩壊は免れない。
それを証明する手立ては無いが、カナタは確信していた。

考えれば考えるだけ、カナタの思考は“旅の再開”へ傾いて行く。
そしてそれは、これからもアクア団と関わり続けるという事でもあった。
彼らに出会えばきっと放置など出来ない。
ユウキが懸念した通りに首を突っ込み続けるだろう。
そして、“そうしたい”と思う自分の本心にも気付く。


「(私は本当は、旅を続けたいと思ってるんだ。アクア団を放置したくないと思ってるんだ)」


考えて、整理して、ようやく自分の本心に辿り着いた。
ひとつ深呼吸したカナタは手持ちポケモン達に思いを馳せる。

彼らならきっと、もう一度旅をしたいと言えば付いて来てくれるだろう。
グラエナとオオスバメには留守番してもらう事になるが、カナタが決めたのなら送り出してくれるだろうと確信があった。
けれど旅を再開したい、アクア団を放置したくないという本心は、またも調子に乗っているだけかもしれない……。


『わたしは、旅を再開して欲しいな』


気付けば。
ぐるぐる考えていたつもりが、いつの間にか眠っていたらしい。
“よく分からない誰か”と一緒に居る夢。
その“よく分からない誰か”は、例の謎の声の主。
知り合いには居ない、けれどどこか懐かしさを覚える少女の声。


『勝手な事を言ってるのは分かってるの。押し付けてるだけだっていうのも。でも……わたしの事を恨んでくれていいから、カナタに旅を再開して欲しい。アクア団の野望を止めて欲しい』
「あなたは、これから何が起きるか分かるんだね」
『え?』
「アクア団の野望がいずれ良くない事態を引き起こす事が分かってるから、私に旅の再開、延いてはアクア団の野望阻止を望むんでしょ」
『……うん。大体の事は分かる。本当に、本当に申し訳ないと思ってる。だけどわたしはもう、こうして語る事以外 何も出来ないから……』
「代わりに私に動いて欲しいんだね」
『ごめんなさい……だけどわたし、どうしても』
「この世界を愛してるから?」
『……!』


そう、この声の主である少女は、きっと愛しているだけなのだ。
人を、ポケモンを、人とポケモンが息づくこの世界を。
だが(理由は分からないが)彼女はもう何も出来ないから、代わりにアクア団を止めて欲しいと他人に頼んでいる。
それしか出来ない事を歯がゆく思っているのは、他でもない彼女自身だろう。


「幾つか教えて」
『なあに?』
「どうして私に頼むの? 何か理由があるのか、それとも偶々か」


ポケモンなど全く居ない世界からやって来たカナタ。
考えれば考えるだけ、自分より相応しい人が居るだろうと思えた。
少なくともこの世界の誰かの方がポケモンに慣れているし、自分よりずっと早く立派なトレーナーになれる筈。


「あなたは私の生まれを知ってる?」
『ここじゃない別世界から来たって事? それなら知ってる』
「そっか。わざわざ異世界から来た私に目を付けなくても、もっと他にポケモン慣れした人が、この世界に幾らでも居るでしょ」
『……あのね、カナタ。今はまだ詳しく話す事が出来ないんだけど、少しだけなら教えてあげられるから聞いてくれる?』
「うん」
『……わたしは異世界から来たあなたに目を付けたんじゃない。そもそも、ずっとあなたと一緒に居たの』
「え?」
『そしてカナタ、自惚れでも何でもないの。これはあなたにしか出来ない事。あなたが成功すれば、世界は救われる』
「ど、どうして私……?」
『だってあなたは、わたしだから』


それ以上は質問する事が出来なかった。
カーテンの隙間から差し込む朝日に覚醒を促され、カナタは徐に目を開ける。
妙に重いなと考えながら上体を起こすと、ポケモン達がカナタのベッドに身を預けるように、または寄り添うようにして眠っていた。

ああ、何て愛しいんだろう。

カナタの脳が、心が、自然とその想いを浮かべる。
カナタだけではない。
この世界には沢山のポケモントレーナーが居て、それぞれがそれぞれの方法でポケモンを愛している。
酷いトレーナーも居る事には居るが、そんな人の為に真っ当なトレーナーまでポケモンと共に過ごす事を諦めなくてもいい。

カナタの気配に気付いたか、ポケモン達が起きた。
ジュプトル、グラエナ、マッスグマ、キルリア、オオスバメ、ライボルト。
視線を向けて来る愛し子達へ、カナタは静かに口を開く。


「私ね、この世界を守りたい。皆が生きてる、皆と一緒に居られるこの世界を。皆の事、この世界の事、愛してるの。旅もアクア団と関わる事もやめたくない。……ある人に、随分と期待されちゃってるみたいだし」


おどけた言い訳のように付け足してみるが、ポケモン達は真剣な表情を見せた。
これで彼らが人の言葉を話せれば何か言われるのだろうが、そんな事は無いのでカナタは言葉を続ける。


「皆には迷惑や苦労を掛けてしまうと思う。現にグラエナとオオスバメに……大怪我を負わせてしまった。だけど迷惑や苦労を掛ける事を承知で、お願いしたいの」
「……」
「時間は掛かるかもしれないけど、私も皆を守れるように強くなる。だからお願い……旅を再開させてください。旅を再開したら、また付いて来てください」


頭を下げるカナタ。
少しの間 部屋を沈黙が覆っていたが、ふっと頭に感触。
ジュプトルがカナタの頭に優しく手を置いていた。
その表情も動作と同じように柔らかな優しさが滲み出ている。
思い切り乗っかっていたマッスグマがカナタの頬を舐め、ライボルトはベッドの脇から反対の頬を舐めて来る。
キルリアはカナタの左手を握って微笑んだ。
オオスバメは軽く飛び上がってカナタの隣に降りると頭を押し付けて来た。
グラエナがベッドの脇から前足を乗せて来たので、頭を撫でてあげる。

涙が浮かんだ。
散々流した、悲しみや悔しさや申し訳なさとは全く違う、愛しさと喜びに満ちあふれた涙が。


「ありがとう……ありがとうっ……!」


悩む必要は無かった。
彼らは皆、カナタを慕い信頼してくれている。
何度も実感した筈なのに、事故の件がカナタを盲目にさせ、暫くの間 忘れさせてしまっていた。


「グラエナ、オオスバメ。置いて行く事を許して。無茶はしないで療養に専念してね」


言うと、少し寂しそうな表情を浮かべたふたりが鳴き声を上げる。
こんな目に遭っても尚 寂しく思ってくれる程、カナタの旅について行けない事を残念がってくれるなんて。

そこでふと、マッスグマまでも同じような表情で小さく鳴き声を上げた。
どうしたの? と優しく訊ねるとベッドを降りグラエナに寄り添う。
グラエナとマッスグマは種族を超えた親友同士。
きっとグラエナの事が心配で残りたいのだろう。
残念だが仕方ない。
グラエナもどことなくホッとしたような表情を見せた事だし、身勝手に置いて行く身としては、せめてそういう要望は呑んであげたい。

心は決まったし、それぞれの身の振り方も決まった。
立ち上がろう。そして一度は足を踏み入れた道をもう一度 進もう。
手持ち達にはこれからも頼る事になるだろうけれど、旅立つ前にユウキが言ってくれたように、ポケモンに助けられたって良い。
こちらからも返して行けば良いのだから。



翌日、カナタはジュプトル・キルリア・ライボルトだけを連れて旅立つ。
見送ってくれるオダマキ博士と奥さん、そしてグラエナ・マッスグマ・オオスバメ。


「博士、奥さん、この子達を宜しくお願いします」
「ええ。しっかり面倒を見るから任せてちょうだい」
「……本当に大丈夫かいカナタちゃん。辛いならまだ休んでいても良いんだよ」
「ありがとうございます。だけどもう大丈夫です。私、この世界を愛していますから」


そんな事を言われたって、微妙に意味不明だろう。
しかし吹っ切れたようなカナタの笑顔に感じるものがあったのか、博士も奥さんも心配そうな様子を引っ込める。
相変わらず故郷に似た空気を運ぶ風を吸い込んで、カナタは元気よく声を上げ旅立って行く。


「行って来ます!」
「うん。気を付けて行っておいで!」
「時々は休んだりしても良いのよ! 無事で居るのが一番なんだから!」
「はい! またそのうち帰って来ますから! 絶対に! グラエナ、マッスグマ、オオスバメも! 行ってきまーす!」


大きく手を振ると、グラエナ達も明るく声を上げ見送ってくれる。

一度は挫けたけれど……また同じ場所から再出発だ。
隣にはジュプトル。
進化はしたが、肩に乗るキモリが居たあの頃と同じ。
何も変わらないと今なら抵抗無く思える。


「改めてよろしくね、ジュプトル。また一緒に色んな所へ行こう!」


笑顔のカナタに、ジュプトルも笑顔で返事代わりの鳴き声を上げた。

再び踏みしめる101番道路の土。
“最初の一歩”をもう一度。





to be continued.....


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