グランドホープ

act.5 優しい人達



おはよー、と一人きりのつもりで起床と同時に言ったら、サイドテーブルに乗せている籠が動く。
そう言えばピカチュウが居るんだっけと、一緒に暮らし始めてひと月以上は経つのにすっかり忘れていた。

私がこの意味不明な世界に来てから2ヶ月近く。
夢だと思い込むには、私はこの世界に長居し過ぎた。
たった2ヶ月されど2ヶ月……いや、“たった”じゃないよ。
2ヶ月の夢って長すぎるじゃんか。
うん、明らかに長居し過ぎてるよこれ、駄目だね。

カーテンの隙間から暖かな光が漏れ、開くと窓の先はいつもの光景だった。
この高層ビルかよと言いたくなるアパートの47階から見えるのは、爽快な青空と建ち並ぶ摩天楼。
とは言っても、このセントラルエリアは居住区だからビル群もそんな大した数は無く、ここからの眺めは割と開放的で素晴らしい。
でもやはり未来都市風で、こんな景色をいつもの光景だなんて言い切ってしまうようになった訳だ、私は。
もう本当に、この世界の住人になっちゃったんだろうか……怖い。


「んー……もーコノハうるさいよー……」
「おわっ、ピカチュウ。あれ、私なんか言った?」
「何かぐるぐる考えてたんでしょー? 途中から全部声に出てたよー……」


なにそれはずかしい。

知らない間に思考を口に出してしまった恥ずかしさに悶えて床を転がり回る。
うおー私何なんだもういい加減帰りたいよ畜生!
ごろごろと床を転がっていたらテーブルの足に自分の足をぶつけてしまった。
痛い。色々と。

今日はバイトも休みなんだけど、この1ヶ月以上、私は休みの日はずっと部屋から出ずに過ごしていた。
必要に迫られない限り能動的に動きたくないと思っているから。
そしてそれは、単なる怠け心だけじゃなかった。

やっぱり、心の中では。
異世界に来ただなんて認めたくないんだ。
リンクやロイからメールや電話が来て遊びに行こうと誘われたりもしたけど、私は、憧れのキャラからのお誘いだー! なんてはしゃぐ気にはなれなかった。

今、自分は何なんだ?
リンクやロイ達がゲームのキャラなら、今の私もそんな存在じゃないか?
そこには個人の意思なんて微塵も存在してない。
作者や、キャラで妄想する人の意思しか存在せず、“キャラクター自身”には思考を持つ権利も意思を持つ権利も自己を主張する権利も与えられない。
単なる人形だ。

それはとても、とても恐ろしい事だと思う。
誰かが作る物語や設定の中でしか存在できず、創造主の言いなりにしかなれないんだから。
“二次元のキャラクター”というのは得てして、そんな存在なんだ。
そしてキャラクター達は、自分達が誰かの言いなりになっているとは気付かないし想像もしない。
だから、今の私は自分で考えて行動し意思を持っているから、自己を持つ権利の無いキャラクターではない……と証明するには、あまりにも足りな過ぎる。
本気で恐ろしくなってピカチュウに相談すると、呆れた溜め息が返って来た。


「あのねコノハ、そんな事を言ったら元の世界だってそうじゃないか。地球で、日本で生きていたキミが誰にも操られてなかったって、証明できる?」
「……あ、操られてる感じはしなかったし」
「“キャラクターは操られてるとは気付かない”んでしょ、だったら操られてる感じがしないなんて、操られてないという証明にはならないよ」
「……」
「コノハ、キミは今も自分が非日常に居ると思ってるんだよね。違うよ。人は非日常を体験する事は出来ても、非日常に滞在する事は出来ない。どんな事でも体験し続ければ、それは日常になってしまうから」


例えば毎日毎日劇的に環境が変わるのだとしても、“毎日違う環境に変わる”のが日常となってるはず。
その場合、ある日急に前日と同じ環境になればそれが非日常となってしまう。
でも前日と同じ環境が続けばそれが日常になるし、また毎日環境が変わるようになればそれが日常になる。
ピカチュウはそう言う。


「よく異世界に行きたいなんて言う人が居るけどさあ、そうやって非日常に憧れても結局はそれが日常になる訳だから。元の世界で上手く過ごせない人が異世界に行った所で、上手く過ごせるはずないよ」
「確かに異世界転移、憧れてたけど実際に体験してみるとオススメ出来るようなもんじゃないね……。生きるだけでこんなに大変なんて元の世界と変わり無いもん。バイト経験あって良かったー……」
「ね。そうやって元の世界で色んな体験をして、他人と上手く付き合えるような人じゃないと」
「そ、そんな人じゃなくても、周りの人や環境が変われば元の世界とは違って上手く過ごせるんじゃ?」
「否定はしないけど。そうやって親が悪い友達が悪い大人が悪い環境が悪いと、他人のせいにして自分は悪くないと思ってる人なんて、たかが知れてるよね」
「……手厳しいですなあ」
「もう一回言うけど、環境や周りの人が変われば自分も変われるっていうのは否定しない。ただ変わる本人に変われるだけの資質が無いとね。少なくとも、現実から逃げたいと思ってる人が異世界に行った所で上手く行かないよ」


それは私もよく分かる。
家族や友達と一緒に居たくない、学校に行きたくない勉強したくない、仕事に行きたくない人付き合いしたくない、そうやって現実から逃げたいと思っている人は異世界に行くのは向いていない。

だって現実から逃げたくて異世界に行っても、結局は異世界での生活が“現実”になるから。
異世界転移した所でいきなり性格が変わったり顔が変わったりする訳がない。
異世界に行っても、そこに居るのは元の世界と同じ“自分”なんだから。
元の世界で学校とか仕事とか人付き合いとか、そういう事がきちんと出来ないと駄目だろうなあきっと。
誤魔化しても、多分どこかでボロが出ると思う。

それに異世界は逃げ場じゃない。いつだって、元の世界と同じか、それ以上の試練や挑戦が溢れている。
こうして出来るだけ憧れのキャラや危険に関わらず生きて行こうと思っている私でさえ、様々な事が起きて常に試されてる。
他人のせいにして自分の悪い点と向き合えない人に変われる資質は無いし、現実から逃げたいだけの人に、異世界転移した後の生活が上手く行く訳ないんだろうな。

……私は、どうだろう。
元の世界に居た頃から何か変わったのか、それとも全く変わっていないのか。
あんまり自分を客観的に見られないからなあ、どうにも分かり辛い。
私に、改善すべき悪い点があったかどうかも分からない……っていうか、私は決して完璧超人じゃないから山程あるだろうけど。


「はあ……。こんな時こそお母さんやお父さんに会いたいんだけどなあ。あとマナとかケンジとかねえ……」
「……それ、コノハの友達?」
「うん。女友達で一番親友のマナと、男友達で一番親友のケンジだよ」
「……ふーん……」


なんか元気なくなった?
そう言えばこのピカチュウって、ぬいぐるみから実物に変わった訳だけど結局どんな存在なんだろう。
最初からぬいぐるみだったのかな、じゃあ家族も友達も居ないのかな?
ぬいぐるみ事情がよく分かんないから想像つかない。
家族も友達も居ないんだったらあんまりこの子の前で、お母さん達やマナ達の話はしない方が良いのかもしれないなあ。
て言うか、私は友達ポジションじゃないんだろうか。


「あのさピカチュウ」
「なに?」
「私さ、キミの友達って事で良いんだよね?」
「……コノハがそれで良いなら良いけど」
「あ、なんだ良かった! 1ヶ月以上も一緒に暮らしてるのに、何を今更って感じだよね、ありがとー!」


ピカチュウはこの世界で唯一、私が元居た世界を共有できる子だからね。
間違っても失うような事はしたくないんだよ。
自分と同じ価値観を持つ人がただの一人さえ居ないはずだったこの世界で、私と同じ価値観を持って存在しているピカチュウ。
この子の存在は間違いなく私の光明だ。
この子が居てくれるからこそ私は、本当の孤独へ陥らずに済んでいるんだと思う。

私の言葉にピカチュウは、少し照れたように微笑んでくれた。
この子も私と友達になる事をプラスに受け取ってくれているみたいで、取り敢えずは一安心。
うーん……やっぱりこのピカチュウがどういう存在なのか、気になる。
あの日、ケンジと一緒にゲーセンに行かなかったら、クレーンゲームでピカチュウを取らなかったら、どうなってたんだろう。
ひょっとしてピカチュウのぬいぐるみに何かが憑依してるだけで、ピカチュウのぬいぐるみが無かったら違う何かになってたりして。

……まずい、ちょっと怖くなってしまった。


「ねえ、コノハ」
「………」
「おーい、聞いてる?」
「え! あ、うんゴメン、ボーッとしてて聞いてなかった。何だっけ」
「……コノハはさ、さっき家族や友達に会いたいって言ったよね」
「うん。それなりの付き合いがあるから、客観的に私を見て悪い所を教えてくれるだろうと思ってね。ピカチュウやリンク達はまだ、知り合ってそんなに経ってないし」
「じゃあ仲良くなろうよ。そろそろコノハも気付いてるんじゃない? 逃げてばかりじゃ駄目だって。帰る方法が見当さえついてないなら、この世界の友達と仲良くなるのが一番だよ。人は独りじゃ、成長できる限界が低くなるからね」
「……」


そうだ。私も気付いてる。
リンクやロイは単なるキャラクターかもしれないけれど、まだそんな確信はついてない。
彼らは今、画面や紙越しに見るキャラクターではなく、私と同じ一人の人間かもしれないんだ。
そんな彼らの親切な誘いを私はこの一ヶ月以上、無下にして来た訳だ。
そう考えると、己の事しか考えてなかった自分が急激に恥ずかしくなる。
私は市民証を手に取り、登録しているリンクとロイの番号に掛けた。


++++++


「やっほーコノハ、こっちこっち!」
「ごめん、自分から誘った癖に遅れちゃった!」
「大丈夫だよ、まだ待ち合わせ時間になってないし」
「そうですね……って言うか二人とも来るの早い」


私は同じく休日のロイとリンクに誘いをかけ、今日は一緒に遊ぶ事になった。
とは言え半ば引きこもり状態だった私にグランドホープの事が分かる訳もなく、これからの案内は二人に任せる。
……いや、うん。考え無しでごめんなさいホント。
少なくとも調べるぐらいの事はすべきだった。
でも二人とも私がグランドホープに来てまだ二ヶ月程度な事、以前と環境が大きく変わった事、そして元々は二人の方から誘ってくれていた事からか、快く案内役を引き受けてくれる。

ピカチュウを乗せ、私はリンク達と地下鉄へ。
今日はサウスエリアへと向かう事になった。
セントラルエリアにも遊ぶ所や買い物できる所は沢山あるけれど、折角だから商業区とも言うべき買い物天国エリアを味わうのも悪くないだろうと。


「へー、地下鉄もあるんだ。こっちは私が知ってるものと大差ないね」
「コノハが居たポリスにも地下鉄あったのか。まあそれくらいはあるよな」
「そ、そんなどこにでも当たり前にあるものじゃないんだけどね」


ああもう駄目だ、考え無しに故郷の世界に関する事は言わないでおこう。
このままじゃ余計な事まで言っていらんツッコミをされそうだよ。
到着した駅からエスカレーターで地上に上がると、他のエリアとは一線を画する賑わいに包まれた。
包まれたと言うか、鷲掴みにされたみたい。

直線で100m走でも出来そうな幅の道路に大量の車が行き交っている……浮いてるから違和感半端ない。
通りの両端にはこれでもかと大量のデパートや雑居ビルが建ち並び、広めの歩道は人で溢れ返っていた。
まあ祭りやラッシュ時の駅のような歩くのも困難を極める密度ではないけど、広めの歩道に助けられてるだけで人が多い事に変わりは無い。
今まで行った事のある場所は割と閑静な感じだったからだろうか、まるで他のエリアの人や車すべてを箱か何かに詰めて連れて来て、この辺りでひっくり返したかのような印象を受ける光景。


「ええ……すっごい、何この大都会……この辺の建物みんなお店なんですか?」
「まあ、そうだな。雑居ビルとかはオフィスが入ってたりするけど大体は同じビルの店関連だし」
「コノハ、どんな店に行きたい? お前の買い物に付き合ってやるぜ!」
「おっしゃ、自信満々にそう言うロイ君を後悔させてやるぜえぇぇ!」


お金ならバイト代があるし、やる事なくて大体は出れるだけお店に出てたから一月だけど割と貯まってる。
あと二ヶ月は家賃も払わなくていいし、光熱費も家賃に含まれてるし、こうなったら思いっ切り散財してくれるわー!

女の買い物なんて男は付き合っていられない。
最初は行きたいお店へ好きに行かせてくれても、あれこれ商品を眺めてあちこちウロウロしているうちに、とても付き合いきれなくなって音を上げる。


「ちょ、ロイ君ちょっと待ってお願い……休憩させて下さいお願いですから」


音を上げたのは私だったよコンチクショウ。
え、何なのロイってこんなに買い物好きなの?
そりゃ私だって初めは買いもせず服だの雑貨だの、果てには家具だの何だのを眺めていたけど、ロイはそれの更に上を行っていた。

ちなみにリンクは早々に音を上げて、階下のフードコートで休憩してる。
こんなに早くギブアップなんてだらしないなー、と笑うロイにつられて笑ったけど、リンクが賢かった。
付き合いがあるからこんな趣味なんて分かり切ってたんですねリンクさん……!
ちなみにピカチュウもこれを察したのか、リンクと一緒に退避済み。

幾つか目星を付けていた服や雑貨を買い、リンクが居る階下のフードコートへ。
ややぐったりしている私とゴキゲンなロイを見付けたリンクは苦笑して、
既に飲み干していたファストフードの飲み物のコップをゴミ箱へ捨て歩いて来る。


「お疲れコノハ、だからさっき、早めに避難して来いっつっただろ?」
「はい、リンクさんの言う通りでした……。あ、ピカチュウのこと有難うございます、良い子にしてました?」
「ああ、ちゃんと大人しくしてるし良い子だな。話し相手にもなって貰ったよ」


リンクの頭に乗っていたピカチュウが跳ねて私の頭に飛び移った。
重さでよろめいたけれど、何とか支えて立ち直る。
そう言えばピカチュウって体重6キロぐらいなかったっけ?
今、乗せている感じではそんなに体重があるようには思えない。


「コノハ、今ボクの体重のこと考えてたでしょ」
「な ぜ 分 か っ た」
「失礼しちゃうわ、ヲトメの体重に触れるなんて!」
「いやキミ尻尾の形からして男の子だよね!? そんな急に乙女ぶられても困る!」
「コノハはそいつと仲良いんだな、羨ましい!」


ピカチュウと言い合っていると割り込んで来るロイ。
ロイの家にはペットが居るらしいけど、ロイにはあまり懐いてくれないみたい。
……それはどんなペットなんだろうか。果たして地球に居るような動物なのか。

確かこの街(世界?)では野生動物が居なくて、ペットは人工なんだよね。
牛とか家畜は管理の下で生きてるけど、それ以外の動物は……うああ怖い。
どんな形の動物……かどうかすら判断できない何かが飛び出して来ないとも限らないので、それきりペットの話題には触れなかった。

もう時間は12時過ぎ、そろそろ昼食にしようとリンクは言うけど、フードコートは大混雑していて座る所なんか残ってない。
たったさっきまでリンクが座っていた席も、既に次のお客さんが座ってる。
席を探しているのか、ロイが辺りをキョロキョロ見回しながら口を開く。


「どこに食べに行くんだリンク、駅か向こうの通りにあるショッピングモールで入れる店でも探すか?」
「いや、そこらだって今の時間帯は埋まるだろ。折角コノハと来てるんだし、ちょい高くても入り易くて美味い店に行こう」
「じゃ、あそこだな」
「あのー、美味しいお店は知りたいですけど高すぎる場所はカンベンで」


調子に乗って、元の世界では手が届かないような高い服を買ったから少し持ち合わせが寂しくなった。
すると二人は、心配しなくても昼飯ぐらい奢ってあげるよって笑ってくれる。
あ、あなた方は神か!

するとその瞬間、確かに今の思考は口に出していない筈なのに、現金すぎだとピカチュウに言われた。
あなたが神か。思考を読む力でも備わっているのか。

取り敢えず先立つ物の心配は無用らしいので安心して彼らに付いて行く。
デパートを後にし、賑やかしい大通りから道を外れて奥に行くと、そこはアーケード街っぽい場所。
こんな未来都市にあるからさすがに昔ながらとは行かないけれど、まだ他の場所より馴染みがある。
日本によくある、ちょっと本通りを外れたアーケード街って感じで良い雰囲気。

……いや、正直な話、デパートの中とかも日本にあるような内装とそこまで変わりなかったけどね。
でもやっぱり少々機械的で、このアーケード街よりはまだ現実離れしてた。
“現実”……いや、この世界も私にとっては現実だけど、上手い言い方が見付からないから元の世界を現実って事にしておこう。
あくまで頭の中だけで。

アーケード街に建ち並ぶ店々の間を縫い、ひっそりした路地を進んで行く。
やがて、建物に挟まれた狭めの路地に建つ小洒落た一軒家へと辿り着いた。
まさに隠れ家と言った様相で、こんな路地の奥まった場所にある家なんて知らなきゃ絶対に辿り着けない。
普通の家でとてもお店には見えないけど、よく見ると玄関に小さな“OPEN”のメッセージボード。
躊躇い無く入るリンク達の後ろから控えめにお邪魔すると、奥から声が。


「いらっしゃい。来るの久し振りじゃない?」
「ああ。今日は新しい友達を連れて来たよ」
「おおっ、そりゃいつもより張り切らないとね。僕の料理、口に合うと良いな」


そこは一軒家の一階の壁を取り払い、レストランにしたかのようなお店。
並ぶテーブルは外食を彷彿とさせるけれど、周囲の雰囲気が民家のリビング風なので友達の家のご飯に呼ばれたような気軽さがある。
対面式のキッチンも少々立派な民家ならば普通にあるようなもので、気軽さに拍車を掛けていた。
でも、そこに居たのは。
その対面式キッチンで料理を作っているのは。


「やあ、君がリンク達の新しいお友達? まさか女の子だったなんて」
「は、初めまして、コノハと言います……」
「そんな緊張しないで。見ての通り一軒家の一階を改造したレストラン……、って言うかカフェかな。だから寛いでくれて構わないよ。あ、僕はオーナーで料理長のルイージだよ。まあほぼ一人でのんびり経営だし、大したものじゃないから」


ルイージだ。
あのマリオの弟。
緑のヒゲ。
緑の貴公子。
永遠の二番手。
任天堂公認弄られキャラ。

……なんて本人を前にして言える訳ないでしょう。
格好はパッと見ギャルソンを彷彿とさせるすっきりしたエプロン姿だし、お馴染みの帽子も被ってないけど、確かにルイージだ。

いや、そんな事より遥かに重大な事がある。
ルイージはマリオの弟。
この世界でマリオは革命軍の一員で、しかも革命軍はピカチュウを目印に私を仲間にしようとしていた。
確かピカチュウは滅んだ国の象徴で、澄んだ森にしか居ない妖精みたいなものだとか言っていた筈。

まずい、ピカチュウは思いっ切り私の頭の上で、ルイージの登場が突然すぎて隠す暇が無かった。
こちらを見るルイージの視界には確実にピカチュウも入っている。

……けれどルイージは動揺した様子すら無く、お好きな席にどうぞー、と気楽に笑っている。
リンク達に付いて対面式キッチンの向かい側、カウンター席に座って怖々とルイージを見ても、笑顔で水を渡して来るだけで何を言う訳でも無かった。


「日替りランチ3つな」
「りょーかい、ちょっとお時間貰うね。……そのコノハちゃんの頭に乗ってる子は何を食べるの?」
「へっ? あ、えと、どうするピカチュウ、人用ランチなんて量が多くて食べきれないでしょ」
「オムライス食べたい」
「……だ、そうですけど良いですか?」
「全然構わないよ、メニューにもあるし。じゃあ体に合わせて小さく作るね」


……どうやらピカチュウについては何とも思ってないみたい。
これが演技だったら話は別だけど、そこまで疑えばキリが無いか。
ルイージが何とも思ってないのならわざわざ話題を出したりせず、知らぬ存ぜぬを通した方が良いよね。
料理を作りながら、ここの食材はいわゆる自然品である事、以前に偶然知り合った人から(自然品にしては)安めに仕入れさせて貰っている事を話すルイージ。

……また嫌な予感。
マリオは自然食物生産工場の工場長だったし、それ経由で仕入れているとしか思えない。
でも兄のマリオを他人行儀に“偶然知り合った人”だなんて普通言うかな?
マリオ以外の人から仕入れているにしても、兄が自然食物生産工場の長だから兄繋がりだろうし、“偶然”なんておかしいような。
ひょっとしたら、マリオから私の事を聞いて、気を使ってくれているのかもしれない……そうプラスに考えるしかないよ、怖い。
私がそうして勝手に怯えているとは知らず、ロイがルイージへ自慢気に話す。


「ルイージ、コノハって他所のポリスから来たらしいぜ。しかも自然食物なんて普通にあったって」
「え、ホント!? じゃあ僕が作る料理なんて食べ慣れて普通に感じるかもね」
「いやあ、自然食物があるのと料理が出来るのは結び付きませんから……」
「いいなー、グランドホープから出た事なんて無いからね。資格を取る試験も難関で面倒だし」


気軽に話すルイージだけど私は、他にもちらほらお客さんが居るから、ロイの言葉を聞かれていないかハラハラしてしまっていた。
幸いちらりと視線を向けると、主婦と思わしきお姉さんの一行はお喋りに興じていて、どうやらこっちの話は聞いてないみたいだった。

今日の日替りランチはキッシュらしい。プレートの上には数種類の味が並ぶ。
ほうれん草とベーコン、じゃがいもとキノコ、ハムとアスパラ、サーモンと玉葱……。
うわああ美味しそう! 急激にお腹空いた! チーズの香りが……!
斜めに切られた二切れのバゲットとフレッシュサラダ、あとスープ付き。
食後にはコーヒーか紅茶、もしくはソフトドリンクと、日替りのデザートが付いてるんだって!


「バゲットはお代わり自由だよ。欲しくなったら切るから言ってね」
「はーい、いっただっきまーす」


必死に隠してたけど、実はさっきから密かにお腹が鳴ってたんだよねー。
隣のリンクかロイなら気付いたかもしれないけど、ロイならデリカシーの欠片も無くからかって来るだろうから、
多分ロイには聞こえてなかったと思う。

食べてみると……美味しい。
うああ、何これ堪らないくらいに美味しいんだけど!
料理評論家でもグルメリポーターでもないから、気の利いたコメントが出来なくてごめんねルイージ。
でもとにかく美味しい……!


「美味しいっ! ボキャブラリー貧困で表現できないけど凄く美味しいです!」
「有難う。作る側としては、その言葉と笑顔で伝わるから問題ないよ。本当に美味しいと思った時の笑顔はとにかく自然だからね」
「どこかの偉人だったか、“世の中で一番真摯な愛は食べ物に対する愛だ”って言った人が居たんですよー。まさにそれですかね!」
「へえ、面白いね。確かにそれは言えるかも」


こんなに美味しいもの、久し振りに食べた気がする!

……そう言えばピーチ姫の屋敷に居た時、私は自然食物で作られたものしか口にしなかったし、その味が当たり前だと思ってた。
ピカチュウと二人で暮らし始めてからはずっと人工食物しか口にしなかったし、その味が当たり前だった。
けれど、自然食物→人工食物→自然食物と、一旦自然食物から離れた後に戻って来て、その美味しさを改めて思い知らされた形だ。

勿論ルイージの調理技術が素晴らしいんだと思う。
そして人工食物が不味いだとか味気ないだとかいう事も決して無い。
それでも、久しく忘れていたこの味が感動的だ。
元の世界では、どんなジャンクフードだって一応は自然食物から作ってた。
まあ一部の安い駄菓子とかは怪しいものもあったけど、この世界のように完全に科学薬品から作るような食べ物はまず口にしない。
でもこっちの世界に来て、とんでもない科学薬品から作られた食べ物に囲まれていたから、こうして自然食物の素晴らしさに気付けたんだな。

……いかんいかん、いま一瞬妙な宗教に目覚めかけたような気がした危ねー。
自然を有り難がるのは良いけど行き過ぎは良くないね、何事も。


「どうだコノハ、美味いだろ。この味を知ったらまた来たくなるよ」
「はい、美味し過ぎます! リンクさん達はどうやって知ったんですか、このお店」
「前にロイとこっちの方へ遊びに来て道に迷っちゃったんだよ。市民証は落とすし腹は減るしで散々でさ、ついにはお互いが悪いのにお互いに責任を擦り付け合って喧嘩になって」
「オレもリンクも腹減ってたから余計に気が立ってたんだろーな。で、そこに通り掛かったのがルイージ」


ルイージは二人の話を聞き、店に連れて来てタダでご飯を食べさせたらしい。
更に市民情報監理局への連絡や、落とした市民証の機能停止、再発行の申請の手伝いをしてくれたとか。


「市民証を落としたって一大事じゃないですか! ……でもそう言えば、生体情報を登録した本人しか使えないんでしたっけ」
「ああ。まあ万一を考えて機能は止めた方が良いし、こんなに人が山ほど居る所で落としたなら、もう戻らないと考えて行動した方が良いってルイージが判断して連絡してくれたんだ。その通り市民証は戻らなかったから、素早く連絡して貰えて助かったよ」
「オレとリンクだけだったら言い合うだけでもっと遅れてただろうな。失くす事なんて今まで無かったからかなり焦ってさあ。あの時オレはまだ12歳でリンクも15歳だったからか、テンパっちまって大変だったよ」
「コノハちゃんも気を付けなよ、落下防止のストラップとか売ってるから持っといた方が良いかも」


だよねー、お金は全部市民証の引き落としで支払うから、失くしたら家にすら帰れない事態になるかも。
一応、そんな人の為にどのエリアにも、市民情報監理局の支部や派出所みたいなものがあって、万一の時はそこを頼れば良いみたい。

にしてもルイージ良い人すぎてこっちまで嬉しい!
反政府活動をしているマリオ繋がりで、ルイージとまで疎遠になる事態が起きなきゃいいけど……。
こればっかりは、脇役の私は主役格たるマリオ達の行動に委ねるしかない。
こういう世界はいつだって主役格を中心に回っていて、私のような脇役は振り回されるしかないからね。

……卑屈になるのはやめよう、折角こんな世界に居るんだから嫌な事なんか考えずに楽しく生きたい。
まずは目の前の楽しさ、この美味しいランチを堪能し尽くしましょうかね!

料理を平らげ、洋梨シャーベットが添えられたガナッシュケーキとコーヒーを頂く。
幸せだなー、元の世界を忘れないように、たまに来たいなこのお店。
普段は自然食物を食べる機会なんて無いから。


「ごちそうさまー、すっごく美味しかったです!」
「お粗末様でした。コノハちゃんもセントラルエリアに住んでるの?」
「はい。離れたサウスエリアでもこんな美味しいお店を見付けたからには是非、また来たいです」
「じゃあ住所を教えておこうか。市民証に入力すればナビゲートしてくれるし」
「あ、お願いしまーす!」


ルイージから店名と住所の書かれたカードを受け取り、店を後にする。
……また奢ってもらっちゃった、1500だったけど前にも奢って貰ったし、
いつかお返ししなきゃいけないね。


++++++


路地を通り、再びアーケード街へと戻って来た。
折角だからこの辺りでも買い物しようという事になり、今度は全員別行動。
こういう所には掘り出し物があったりするんだよね!


「じゃあ、これだけ人が多いとは言え気を付けてな。暫くしたら市民証に連絡入れるよ」
「万一迷っても、この一番でかい通りを端っこまで行けば地下鉄の駅がある大通りに着くから」
「はーい、じゃあまた後で!」


リンク&ロイと分かれ、一人でアーケード街をうろつき目ぼしい店を探す。
やっぱり女として男と一緒じゃあちょーっと買い難い物とかあるしね、ここで存分に買わせて貰おっと。
かなり大きなアーケード街、本通りだけじゃなく、脇道に逸れる曲がり角を曲がったりして散策を楽しむ。

慣れてない場所だけど、アーケード街はアーケードのある場所から離れなかったら迷い難いし、こういう場所は有り難いね。
しばらく辺りをウロウロしていたら、細めの通りの奥、数人の人だかりを見付けた。
何か行列の出来るお店でもあるのかなと近付いてみたら、頭に乗せたピカチュウが私の髪を引っ張る。


「いたたた、痛い痛い」
「コノハ、近付いちゃ駄目だよ。離れて」


えっ、と思いつつ引き止められる言葉が終わる前に数歩踏み出してしまう。
そこでようやく人だかりの声が聞こえ、サッと体が冷えるような感覚に襲われた。
まあ、何と言いますか。
こんな未来都市にも居るんだねと寧ろ感心したくなる程のベタなカツアゲだ。

しかしこの世界、紙幣や硬貨が無くてデータ上の数字の取り引きのみなのに、カツアゲして意味あんの?
脅した後に市民証を操作させて通信したり振り込ませたりするの?
……何かすっごく迫力に欠けるカツアゲですな。
とは言えカツアゲはカツアゲ、割と屈強なお兄ちゃん達だし敵いっこないから早々に逃げさせて貰おう。
ちらりと人だかりの向こうに気の弱そうな少年が見えたけど、ごめん、私じゃ助けられそうもない。
“気の弱そうな少年”でリュカを思い出したものの、改めて確認してみてもリュカではなかった。

さあ逃げようと踵を返すと、正面に見慣れた顔があって思い切り吹き出した。
その顔は私を睨み付けていたけれど、すぐに市民証を取り出してどこかに連絡。
少年が絡まれています、と言っている辺り、警察……シェリフにでも通報したんだと思う。
さっさと立ち去れば良いのに私は、足が動かなくなって律儀にシェリフの到着を待ってしまった。
ピカチュウに散々、何やってんの早く行こうよと言われたけれど、無理だ。

近くに派出所でもあるのか、ものの5分と経たないうちにシェリフが現れる。
グランドホープに来た初日の事を思い出して足が竦んだけれど、彼らは不良を補導しに来たんだから私には目もくれない。
やがて背後から喧騒が聞こえ、その辺りでようやく私の足が回復してくれる。
不良達は補導され脅されていた子も保護されたようで、通り過ぎざま通報した人物にお礼を言ってシェリフに連れられて行った。
私も立ち去ろうと進み出した所で、正面の見知った顔に声を掛けられる。

……関わりたく、ないんですけど。この人に。
出演ゲームシリーズの主人公らしい正義感に溢れる言葉で、その見知った顔……マルスは私を責め始めた。


「キミ、今、あそこで少年が絡まれて脅されていたのを見てたよね」
「……見てましたね」
「どうして何もせず立ち去ろうとしたんだ、余りにも薄情すぎるんじゃないか」
「私に、あの屈強なお兄さん達と喧嘩しろと?」
「女の子にそんな事は言わないよ。でもシェリフに通報するとか、出来る事ならあった筈だろ。それとも通報する為にこの場を立ち去ろうとしてたの?」
「……いえ、さっさと逃げようと思って」


そう言った瞬間、私の耳に届く溜め息。
目の前のマルスじゃない、私の頭上のピカチュウが盛大に溜め息を吐いた。
うん、多分、私の事を馬鹿だと思ったんだよね。
“はい、通報する為に立ち去ろうとしていました”と嘘でも言えば良かったのに、馬鹿正直に言っちゃったせいで余計な波風がビシバシと。

あたしって、ほんと馬鹿。
世渡り下手すぎる。

マルスは馬鹿正直な私の言葉を聞いて、一瞬だけ呆気に取られた表情を見せた。
けれどすぐ、睨み付けるような表情に戻ってしまう。


「……正直なのは良いけど。キミみたいな子ほど、いざ自分が危機に陥った時に、助けてくれない人達を恨むんだろうね」


カチンと来てしまった。
マルスの言う事は正論だし私が悪いんだろうけど、初対面にそこまで言うか。
第一、何の力も無い一般人が自ら危険に飛び込むなんて滅多に出来る事じゃない。
でも私が反論する前にピカチュウが口を開いた。
今までの彼からはあまり想像できない刺々しい口調。


「お言葉だけどお兄さん、誰もがあなたみたいに勇気がある訳じゃないんだよ。寧ろボクは大事な人には危険を回避して欲しいと思うね」
「僕は大事な人には真っ当に生きて欲しい派だよ。もしさっきの子が暴行されて殺されでもしたら、後悔するんじゃ? あの時通報すれば良かったとか、自分が見捨てたせいだとか」


マルスは本当に優しくて正義感が強いんだろう。
もしそんな事になったら私はきっと、自分は悪くないと言い聞かせて必死に自己弁護するに違いない。
誰だって簡単に勇気は出ないとか、見捨てたのは仕方無い事だったんだとか。

目の前にお手本のような存在が居るせいか、自分が必要以上に醜く思える。
立ち向かえないにしても通報ぐらいした方が良かっただろうし、自分が被害者だったら助けて貰えない事を恨んでいたと思う。
……なにこれ、じゃあ私は自分を棚に上げてる?
そりゃマルスみたいに通報出来たらって思うよ、出来るなら助けたかったよ。
でも出来ない……いや、本当はしたくない?

私は、

私は……。


「……押し付けないでよ」
「えっ?」
「自分が出来るからって人に押し付けないでよ、黙って通報してれば良かったのにわざわざ居合わせた私を捕まえて説教なんて、自分を持ち上げたいだけなんじゃないの、この偽善者!」


何だか自分が惨めになってしまう気がした私は、つい八つ当たりのようにマルスを怒鳴り付けてしまった……最悪だ。
八つ当たりなんてする方が惨めなのに、出した言葉を引っ込める訳にもいかなくて次々と暴言が出る。
マルスは怒鳴り始めた私に面食らったようだけど、さすがに偽善者と言われては黙っていられなくなったか語気を強めて反論する。


「偽善者? 僕が何もせずキミを責めたなら偽善者と言われても仕方無いけど、僕はちゃんと行動した! まさか人助けそのものを偽善だと言ってる訳じゃないよね!?」
「わざわざ私に説教する事無いでしょって言ってんの、冷たい人が居るもんだって思うだけにして無視して立ち去れば良いのに、何で説教するわけ!?」
「叱られて機嫌を損ねたか、図星を刺されたから逆ギレしてるようにしか見えないよ!」


……その通り。完全に逆ギレだ。
助けて貰えないと相手を恨むと思うのに、自分が助ける立場だと動かない。
それを指摘され、恥ずかしさと遣る瀬なさで逆ギレしてしまったに過ぎない。

何でこう、任天堂キャラと上手くいかないんだろう。
ピカチュウやロイやリンク、ルイージとは良い感じだけど、それでもたった四人だしまだ少数だ。


「これから先、キミが今みたいな行動を取って助けなかった相手にもしもの事があったら、一生後悔するかもしれない。そんな目に遭わないようにって……」
「大きなお世話! 何で知らない人にそんな心配されなきゃいけないの! 言っておくけど私、あなたみたいな善人じゃないから。そんな目に遭ったら自己弁護してさっさと忘れようとするに決まってる!」
「コノハ、もう行こう」


本当に惨めに自分のマイナス面を暴露してしまい、見ていられなくなったらしいピカチュウが私を促した。
まだ何か言いたげなマルスが行動に移す前に、その横をすり抜けて走り去る。

マルスから完全に離れてしまい、とぼとぼ歩きながら早速後悔していた。
……ああ、もう、何か、今更恥ずかしくなった。
見知ったキャラクターとは言え初対面の人とあんなに口喧嘩するなんて。
それだけならまだしも、暴言を吐いた上に自分のマイナス面暴露って何の罰ゲームなのさ、これ……。
しかしこんな目に遭っても改善する気の無い後悔を続けていると、ピカチュウが話し掛けて来る。


「……ねえコノハ」
「……なに?」
「キミはさ、普通の人間で悪党と戦う力も世界を救う力も無い訳だけど。危ない目に遭ってるのが親友でも助けられない? 例えばキミが話してた、マナとかケンジとか」
「どうだろう。実際にその場面になってみないと何とも言えないよ。逃げるかもしれない」
「助けたい、とすら思えないの?」
「それは無い。助けたい気持ちだけはある」


さっきみたいに見知らぬ人ならともかく、よく知る家族やマナやケンジだったらきっと、
行動するかは別問題として助けたいと間違いなく思う。
それは断言できる。


「さっきの人……任天堂キャラのマルスだけどコノハなら知ってるか。彼の言い方はちょっとキツかったけど、実は分からなくもないと思う」
「それは……私も本当はそう思ったよ。けどいきなり指摘されて、つい逆ギレしちゃって」
「違う、助ける助けないじゃなくて、助けなかった時にキミが後悔するって話。キミは助けられなかった人が居てもそれで心を痛めるような善人じゃないって自分で言ったけど、もし家族や親友を助けられなかったらきっと、後悔して自分を責めちゃうと思うんだ」


……そう言えば。
“危険な目に遭っている人”を、知らない人にしか当てはめていなかった。
もしさっきの少年が自分の家族やマナやケンジで、私が勇気を出せなかったばかりに命を落としてしまったら。
自分を責めて、いつまでもくよくよ後悔してそうだ。


「身近な人と知らない人を同列に考えられないのは仕方無いよ。マルスがちょっと優しすぎるだけ。そして身近な人が危険に陥る事だって、有り得ない事じゃないんだから。マルスの言い方はキツめだったけど、キミを思って言ったのは間違いないと思う」
「……でもマルスは私の事なんて知らないよね。そんな知らない人の為に説教なんて普通するかな」
「だからマルスはちょっと優しすぎるんだって。見知らぬキミを思って説教しちゃうくらいね」


ピカチュウの言葉に、私は心が軽くなるのを覚える。
さっきまで、憧れのキャラに説教されたショックからか気が重かった。
同時に、マルスに何て事を言ってしまったんだろうと今更ながらに謝りたくなってしまい……。
心が軽くなったんだかさっきより重くなったんだか分かんなくなっちゃった。
取り敢えず、庇ってくれたピカチュウにまだお礼を言ってない事に思い至る。


「ピカチュウ、さっきは庇ってくれて有難うね」
「コノハに危険な目に遭って欲しく無いのは確かだからね。ただ後悔して欲しくもないんだけど。まあマルスの親切だとしても言い方がちょいとキツかったから、コノハが卑屈にならないよう少々過剰に庇ってみましたー。効果なかったかもね!」
「ほんとピカチュウ君は一体私の何を知ってんの! 卑屈になりかけてたよ!」


まだたった1ヶ月ぐらいしか一緒に過ごしてないのに、この電気ネズミ君は私の事をよくご存知だ。
なんか昔から知り合いだったような気がする……ってそんな訳ないけど。
そこでふと期待してしまったのが、大昔にあった国の王室の象徴だったらしいピカチュウと、どこかで知り合ってたんじゃないかって事。
ピーチ姫曰く私は女王様の面影があるらしいから、ひょっとするとひょっとして……。


…………。


それは無い。
有り得ない。

いくら夢小説みたいに異世界転移して任天堂キャラと知り合ったからって、さすがにその妄想は調子に乗り過ぎてるわー。
もし私がその女王様と繋がりがあるなら、特典で何かしら特殊能力を貰ってるだろうしね。
何か女王様との繋がりを示唆するような能力を。
あと別に自分が女王様じゃないのは良く分かってる。
もし私が記憶喪失でも患ってたなら怪しいけど、しっかりバッチリ幼い頃からの記憶がある訳だし。
平凡な家庭に生まれて平凡に生きて来ましたよん。


「……あれ、コノハ、市民証鳴ってない?」
「あ、ホントだ」


ディスプレイを見るとリンクからみたい。
出てみればそろそろ大通りに戻らないかというお誘いで、ロクに買い物していないけど色々あって疲れたから了承しておこう。
私は市民証をポケットに仕舞い、一瞬だけマルスを思い出して躊躇したものの、それを振り切るように待ち合わせ場所へ駆け出した。





−続く−



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