40万hit記念リクエスト
脆い境界線 



忘れ物を取りに教室へ戻ったのを後悔したのは、ミコトは初めてだった。
教室へ入ろうとした瞬間ただならぬ雰囲気に気付き、慌てて扉の外へ隠れる。
夕暮れに照らされ痛いくらいの茜色に染まった教室には、二人の男女の姿。


「ごめん……。俺、今そんな事考えられなくて。君とは付き合えないよ」


よく聞き慣れた声だ。
クラスメイトで席も隣で、気兼ね無く話す友人。
ややあって教室から誰かが出て来て、ミコトは慌てて隣のクラスに隠れる。
学年でも評判の美少女で、前から“彼”に気があるのではと噂される女子だった。

気まずい、非常に気まずい、諦めて帰ろうか。
そう考えもしたが、ミコトは一つ深呼吸して気を落ち着かせると元気よく自分の教室へ入る。


「リーンクっ! 見ーちゃった、見ーちゃった!」
「わっ! ミコト、いつからそこに居たんだよ!?」
「キミが学年一の美少女を振った所からだよ。あーあー勿体無い、男子なら誰もが憧れるアイドル女子を振っちゃうなんて、リンク君は何考えてんだかねえ」


ニヤニヤ笑いつつからかうように話すミコトに、リンクはムッとした様子。
こんな事も気兼ね無く話せる友人だから、今は誰よりもリンクと親しい。
たった今、彼に振られた女子が居るのにそんな事を考えるなんて、と、ミコトは笑顔の下で自己嫌悪。
こんなに性格が悪いのだから、自分がリンクに告白なんかしたら謝られもせず一蹴される気がする、なんて考えて勝手に落ち込んだ。


「で、ミコト、お前は何しに来たんだよ」
「何しにって、……何しに来たんだっけ? ああそうそう、忘れ物を取りに来たんだけど……無い」


机の中を荒っぽくがさがさと探すが、目当ての物が見つからない。
プリントなのだが、適当に突っ込んだのが仇となったようだ。
あれ無いじゃん困ったねえ……と呟きながら探していると、リンクがミコトの横までやって来る。


「探すの手伝おうか」
「おーうサンキューサンキュー。じゃあこっちのプリント群をお願いね」
「ってかもうちょい片付けろよなミコト、お前も一応は女なんだからさ。そんなんじゃ彼氏出来ないぞ」


ミコトからプリント束を受け取りつつのリンクの言葉に、ミコトは少しだけドキリとしてしまう。
気兼ね無い友人で、自分はリンクにとって周りの男友達と何も変わらない存在だと思っていたのに。
一応、という注釈付きではあるものの、女扱いしてくれるなんて……。

にしたって、今の二人の関係が好転する訳もない。
ついさっき振られた女子に容姿も性格も成績も、全てにおいて劣る自分がリンクに選ばれるなど有り得ないと分かっている。
そもそも二人の関係が深まる事が好転とも限らない。
このまま気兼ね無い友人関係の方が、笑顔で側に居られるかもしれないのだから。

……そうだ、きっとそうだ、万が一関係を変えて駄目になるより、このままの友人関係の方がいいんだ。
私なんかがリンクに選ばれる訳ない。
自分でそう決め付け、ミコトは一つ息を吐く。


「まったくリンクは、あんな美少女がお気に召さないなんて理想が高いねえ。ひょっとして逆玉とか狙ってんじゃないのかー?」
「そんな訳ないだろ……発想が極端すぎるぞ」
「えー、でも顔も性格も良い子を振るなんて贅沢すぎるっつーの。じゃあアレだ、あの子は? 隣のクラスに居るテニス部エースの……あの子は綺麗系だし落ち着いてるし、可愛い系が嫌ならそんな感じで」
「お前なあ……」


心底呆れたようで、でも苦笑しているリンクの表情は何だか胸が高鳴る。
それを知られないよう平静を装い、プリント探しに集中してリンクの事はあまり気にしてない、振りを続けた。
そうしているとリンクがあっと小さく声を上げ、一枚のプリントを差し出す。


「ミコト、これだろ? お前が探してたの」
「あーっ、これこれ! サンキューリンク、助かったよ〜」


リンクが差し出したプリントは四つ折りに畳まれ小さくなっている。
何の気を使う事も無く差し出されたプリントを受け取ろうと掴んだミコトだが、その瞬間まともにリンクの指先を掴んでしまう。
思わず勢い良く手を引っ込めてしまったミコト。
突然の事にリンクが、そしてミコト自身も驚いた顔をして時間が止まる。
しかしすぐミコトが笑顔に戻り、リンクからプリントを受け取ったのだった。

……一方リンク。
たった今、まるで触れる事を厭うように放された手に違和感を覚えていた。
ミコトなら男と体が触れたくらいで嫌がらない。
他の男子とじゃれ合ったりしているのを見ているし、ただ手が触れたくらいであんな反応なんて。

しかもそんな厭うような反応の後すぐ笑顔になり、何事も無かったかのようにしたのも違和感だらけだ。
ミコトならば何かしら言って笑い話にしてしまうだろうに、あの行動と雰囲気の移行はまるで平静を装おうとしているようで。
……平静を装わなければならない事態だと、そう彼女が思っているという事?

嫌われてはいないと、それはリンクも自信がある。
ミコトは裏表が無いと友人が口を揃えて言うし、不満があったり嫌いになったりすれば隠さないだろう。
そんな彼女が隠さねばならない感情など、都合良く考えると一つしかない。
リンクは試すように、しかし一つの確信を持ってミコトにある事を告げる。


「うーん、逆玉狙いって思われるのも嫌だし、俺の好みのタイプぐらい教えとくか」
「え、マジで!? 教えて教えて、興味あるし!」
「お前」


きゃー、どうしよう!
リンクに好みだって言われちゃった、これは結婚前提で付き合うしかないね!

……ミコトならこのくらいの冗談は言う。
実際、他の男子に冗談で好みだと言われ、そんな感じの冗談で返していた。
それなのに今のミコトは黄昏の茜色にあって分かる程に頬を紅潮させ、何も言わずに瞬くだけ。

ああ、これは決定的だ。
気心の知れた友人であるミコトは自分を異性として意識しているのだと、リンクは自慢気でもなく、ただ静かに理解する。
これが他の女子ならば、俺ってモテるなあと調子に乗れるのに、ミコトだとそんな気にならない。

これはミコトが守備範囲外だとかそんな意味ではないだろうと、リンクは自分の感情を分析する。
ミコトの事は友人関係が先行するが決して守備範囲外ではない。
なのにこれが他の女子であれば、友人の男子等に俺ってモテるだろーと自慢が出来るのに、ミコトの事はそんな風に言いふらしたくない。

これは、ひょっとすると。

今、リンクとミコトは非常に脆い境界線で区切られている。
気付いたリンクがたった一歩踏み出せば、いとも簡単に越えられる境界線だ。
邪魔する障害も無い、引き戻される理由も無い、しかし留まる理由はある。
この心地良い友人関係を終わらせたくない、それはミコトだけでなくリンクも思い浮かべていた。
気付いた今、踏み出したい。なのに踏み出せない。
戻るつもりは無いけれど、進むには些か勇気が足りなかった。


「……なんつーか、ミコトとの友人関係が気持ち良いから彼女なんていらない。彼女が出来たらお前と二人で遊べなくなるだろ」
「へ……あ、ああ! いやあ嬉しいね、こんな風に信頼される友達になれるのは! じゃあリンクに彼女が出来るまでお世話になりまーす」


今はまだ、これでいい。
友達というレベルで留まってしまうが、ミコト以外に興味は無いという意思表示だけはしっかり出来た。
男として何とも情けないとは思うが、楽な友人関係が長かったのだからこれくらいの妥協は許して欲しい。


「じゃ、そろそろ帰ろう。もう忘れ物は見付けたんだから学校に用は無いだろ」
「え……一緒に帰んの? さっきの子に会ったら悪いし、今日は別々に……」
「それとこれとは話が別だろ。どっか寄ってこうぜ、ゲーセンでも行こうか!」


何故かはしゃぐリンクに手を引かれ、転がるように学校を後にするミコト。
握られた手に胸を高鳴らせてしまい期待が次々と頭をもたげて仕方ない。
自分との関係が気持ちいいから彼女なんていらない、と想い人に言われ、期待するなと言う方が無理だ。

勇気を出してみようか、この境界線から踏み出してみようかと、ミコトも少しずつ思うようになる。
だが友人想いでやや臆病な二人が境界線を越えるのは、まだまだ後の話になりそうだ。





*END*







| back |



- ナノ -