第14話 姉と弟の物語 



時は流れ行く。
様々な事があった。嫌になって諦めかけた事も何度かあったが…それでも諦めず、ここまで来た。
風がそよぎ、草木を優しく撫でて行く。
寄り添う夫婦、彼らの優しい眼差しの先には、仲良くじゃれ合って遊ぶ一組の姉弟が居た。


「……まるで、小さい頃のあたし達みたいね」
「あぁ、そっくりだ」


30年近く前は、自分達もあんな風だった。
将来の心配もせず、ずっと一緒に居られると信じて疑わなかった幼き日々。
残酷な時は流れ、そんな幼い願いすら攫って行く。

マキアートとアイクの間に出来た二人の子供。
姉のジュリアは今年で8歳……マキアートは長女が8歳の時に命を落とす事を考えると、マキアートの寿命は長くて一年ほど。

過ぎてみれば、早いもの。
16年前、異世界で過ごした特別な日々は、まるで夢を見ていたようだ。


「ねぇアイク。ここまで来れたんだよ、あたし達」
「……」
「あたしね、幸せ。二人も子供に恵まれて、家族みんな元気で……そして、アイクが隣に居る。これ以上の幸せなんて無い」


目を閉じ、まるで走馬灯を見るように幸せな思い出に浸るマキアート。
若い頃には無かった落ち着きが美しさを纏って、アイクは見とれた。

今のマキアートはもう、自分が死を受け入れた理由が分かり切っていた。
アイクと二人でつくり上げた愛の結晶……彼らを守る為に、そしてアイクを守る為に受け入れた。
闇の精霊が消え去る時に起こる大暴走。
それを止めなければ、愛する者達は跡形なく亡ぶだろう。


「それにね、あたしが死んで、それで終わる訳じゃないもの」


未来への種、可能性……子供を遺す事が出来る。
しかもその子供達は、愛する者との間に授かった存在。自分は恵まれているとマキアートは思った。

そしてアイクの方も、決してマキアートを喪って大丈夫な訳ではないが、彼女と似た理由で運命を受け入れようとしていた。
昔は分からなかったが、子供ができ、父と慕われる現状の何と幸せな事か。
愛する姉との間に授かった結晶たち。きらきらと輝いて愛おしい。

マキアートはアイクの服を軽く掴んで寄り添った。
アイクはそんな姉を包み込むように、肩を抱き寄せる。


「ずっとこうしていたい……」
「あぁ、俺もだ」



風がそよぎ行く。

波が打ち寄せる。

星が高く煌めく。

日が昇る、沈む。

月が昇る、沈む。



時が過ぎて行く。


++++++


ある日の夜、マキアートはアイクや子供達に内緒でエクゥリュドを呼び出す。
その姿はアイクに良く似ていて…子供達も勿論かけがえ無い大切な存在だが、実際は少しだけアイクが勝るようだ。


「エクゥリュド、久し振り」
「マキアート。久し振り、相変わらず凄まじい魔力だな。それだけじゃなく、流れもスムーズで統一性があって……凄く綺麗だ」
「ふふ、ありがとう。呼び出したのは他でもない……相談があるからなの」


自分はあと一年足らずでこの男に魂を喰らわれてしまうのだろう。
そうなる前に、どうしても願っておかねばならない事が一つだけあった。
エクゥリュドも、何があるのか思い出したようだ。
16年前、彼はマキアートの精霊として、異世界で一部始終を見ていたから。
今後取り憑く予定のジュリアの命を救って欲しい、彼女の願いはそれだ。


「分かってる。闇を真っ当に愛してくれたマキアートの願いなら、聞くよ」
「……ごめんなさい、エクゥリュドだって、これから何が起きるか分かるのに」
「いいんだよ。16年前にも言った気がするけど……他者を犠牲に永い時を生きてきた自分に終止符を打ちたいと思ってたんだ」


約束してくれたエクゥリュドに礼を言い、マキアートは一つ深呼吸した。
やっておかねばならない事はこれで終わり、あとは命潰えるその日まで……幸せに生きるだけ。
エクゥリュドに別れを告げ、マキアートは愛する家族の元へと戻った。


++++++


もし運命が巡り巡って、いつか再び、愛するあなた達と出会う事ができたなら。

また、母と呼んでくれますか。
たくさん我が儘を言って甘えてくれますか。

また、姉と呼んでくれますか。
たくさん愛して側で守っていてくれますか。

次に出会えた時も、あなた達の母でいたい。
おかしいけれど、次に出会えた時も、あなたの姉でありたい。


わたしは行きます。
いつか再び、出会える事を祈りながら眠ります。

どうか、お元気で。


愛するあなた達へ。

わたしは、幸せでした。


++++++


ある日の朝、小さなベッドで一緒に眠っていたアルフォードとジュリアは目を覚まし、隣の大きなベッドで上体を起こした父が、眠っている母を抱きしめているのを目にした。


「お父さん、おはよう」
「……あぁ、お早う」
「あねき、おれ、母さんより早く起きれた!」
「すごいねアルフォード、お母さんより早く起きたのって初めてじゃない?」


はしゃぐ子供達をよそに父は抱きしめていた母をベッドに寝かせると、自分は着替えて外出の用意をしてしまった。
アルフォードとジュリアに、いま世話になっている村の村長の所へ行って来るから、食事を取って身支度しておくように言い、すぐ出掛けてしまう。
二人は父の言う通りに朝食を済ませ身支度を整えるが、未だ目覚めない母が気になって仕方ない。
ベッドの脇に行って、寝息さえ立てずに眠っている母の顔をのぞき込む。


「あねき、母さん起きないけど起こすか?」
「それはやめとこ。お母さん笑ってるし、きっといい夢みてるんだよ」
「なんの夢だろ?」
「うーん、たぶん、お父さんとあたしとアルフォードが出て来る夢じゃないかな」


無邪気な子供達の会話。
母が聞いていたら……聞く事が出来たなら、きっと微笑ましく笑った事だろう。

やがて父が帰って来る。
早速いつも通りに剣の稽古をつけて貰いたかったアルフォードだが、父は眠ったままの母の側に寄り、子供達へ静かに告げた。


「母さんが、今から遠い所へ行くんだ。今のうちに見送っておこう」
「えっ……どこに行くの? まだ寝てるけど」
「いい夢を見てるんだ、起こさないでやろう。ずっと遠い所へ行くから疲れるしな。母さんは帰れなくなるから、今……」
「なんでだよ……いやだ、おれたちも母さんといっしょに行こう!」


突然父から宣告された別れ…ジュリアとアルフォードは納得できず、行かせまいと母に縋り付いた。
父はそんな二人を引き剥がし、強く抱きしめる。


「ジュリア、アルフォード……よく聞け。母さんが遠い所へ行くのは、俺達を守る為なんだ。でも、また必ず会える日が来る。それまで我慢できるか?」
「ガマンしてたら、またお母さんに会える……?」
「あぁ、必ず会える。父さんを信じろ」


父の力強い言葉は頼もしくて、何だか安心する。
父がそう言うならまた必ず会えるだろうと思い、子供達は悲しいのを堪えて母に別れを告げた。


「お母さん、あたし、いい子にしてるから。だからまた会おうね…」
「あんまり会えなかったら、おれの方からむかえに行くからな」


あまりに突然な母の旅立ちに戸惑って、うまく言葉が出ない二人の子供。
そんな彼らに充分別れをさせてから、父は母を優しく抱えあげた。


「じゃあ、母さんを見送って来るから、お前達は友達と遊んで来るといい」
「わかった……」
「行こう、アルフォード」


名残惜しそうに振り返りながら、家から出て行く二人の子供たち。
彼らを最後まで付き合わせなかったのは、父が、自分の泣く姿を彼らに見せたくないからだった。
これからは更に強く逞しい父でなければならない。
そんな自分が容易に涙を見せる訳にいかなかった。

もう一度、腕の中の愛しい存在を抱きしめる父。
葬儀を執り行ってくれる村人の前でも泣く訳にいかない……今しかない。


「……姉貴っ……!」


常に強く在る男の瞳から零れ落ちた雫は、目覚めない姉の頬の上で弾け、そして消えて行った。


++++++


あの日から、更に6年の歳月が流れて行った。
アイクはたった今、過去へ旅立ったジュリアとアルフォードを見送った所だ。

行きたくなかったと言えば嘘になってしまう。
最愛のマキアートをもう一度でいいから目に焼き付けたいと思っていた。
だが、行ってしまえばきっと離せなくなる。
子供の幸せを切に願っていたマキアートの為にも、そして子供達の為にも、そんな事は出来なかった。


「大丈夫だ、姉貴。俺の想いはずっと変わらない……」


会えなくとも、マキアートとの幸せな日々はいつだって思い出せる。
それに40歳になった今、いつかマキアートの元へ行けるのではと、そんな事に実感が湧いて来た。
ただ、若い頃に鍛え抜き今でも鍛錬している体はあまり衰えを知らず、まだまだ先の話だろうが。

いつかまた、この世でマキアートと会えるなら、やはり彼女の弟でありたい。
そう思うのはおかしいかもしれない。次に生まれ変わったら姉弟ではなく……と思うのが一般的な感覚だと思われる。
だがアイクは、マキアートと姉弟でありたかった。
他人や他の関係では出来ない絆が確かにあったし、姉弟だからこそ、自分達は愛し合えた気がする。


「姉貴が生きてたら、またシスコンだって笑われるんだろうな……」


楽しそうに笑うマキアートの声が今にも聞こえて来そうで……アイクはそっと目を閉じた。


++++++


なあ姉貴、俺はいつまで姉貴を姉貴と呼ぶんだ


へっ?


もう恋人なんだ。仲間の元も旅立ったし、そろそろ名前でマキアートと……


あーっ! やめてやめて!


……何でだよ


あたし達は恋人になろうが姉弟じゃないの。今まで通り姉貴って呼んで


でも他の奴らは姉貴を名前で呼ぶだろう。世界で俺一人だけだ、マキアートを姉貴と呼んでいるのは


……だからよ


は?


あたしを“姉貴”って呼んでいいのはアイクだけ。あんただけの特別な呼び名なんだから、いいの


……


それに、あたし……アイクに“姉貴”って呼ばれるの、すごく好きよ


そうか……分かった。確かに俺は姉貴の弟だしな


嬉しそうにしちゃって


“姉貴”が俺の特別だと分かったから嬉しいんだ


ふーん。じゃあまた生まれ変わって会えても、あたし達は姉弟でいい?


あぁ。俺もまた、姉貴の弟でありたい


……このシスコン


姉貴だってブラコンだろ


そうだけどさ、パッと見はアイクの方が凄いよ


俺の姉貴への愛はまだ、こんなものじゃないぞ。というか、姉貴がブラコンを認めてくれて嬉しい


このっ……


“シスコン”?


……アイクがそれで、あたしを愛してくれるなら、構わない……かな、うん


あぁ、こんなこと気にする必要は無い。姉貴が姉貴である限り変わらないからな


じゃあ、ずっと、か


あぁ、変わらない




ずっと、一緒だ




ずっとずっと、いつまでも、何度生まれ変わっても…何度でも出会って、何度でも想い合う。

これは、そんな姉と弟の、一つの物語。




−END−





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