すぐに追い抜くよ (1/4)
誰もいない、自分しかいない第2体育館。
転がっていたボールを拾い、なんとなく手で遊ばせていると───ブルブル、と携帯が震えた。
「もしもし」
『名前、どうやら俺の名前を使ったらしいな』
電話口で開口一番にそう言われ、私は苦笑した。
「情報が早いね」
『そりゃあそっちの施設から電話が来たからな。“どうしてもと言われて許可しましたが、本当に妹さんですか?”って』
電話の相手、それは私の実の兄。
彼はこの世界では結構な顔の広さがあるので、この第2体育館を借りる際に名前を出させてもらっていた。
普段はあんまり、こんなことしないんだけどね。
「勝手にごめん、お兄ちゃん」
『いや、お前にしては珍しいと思っただけだ。何かあったのか?』
ダム、ダンッ
───シュパッ!
電話を片手にボールを投げれば、それは見事にゴールポストを潜り抜けた。
その音が聞こえたようで、彼は少し驚いたみたいだった。
『バスケ、やってんのか』
私よりも5つ年上の兄は、高校を卒業するのと同時に家を出て、会社の寮で暮らしている。
二年前の春、つまり私がバスケ部のイザコザで退部した頃に家を離れたので、以来、誰よりも私を気にかけている。
「私さ、今、バスケ部のマネージャーなんだ」
『バスケ部の……』
だからだろう、それを聞いて驚いたような、嬉しそうな、複雑そうな声をしていた。
「今日はインハイ予選で……偶然、帝光の先輩に会って。あの時のこと、思い出して……怖かった」
『……』
きっとあの時。
火神君が来てなければ、私はあの先輩二人に背を向けて逃げていただろう。
「だけど、思ったの。みんなが色んな壁を越えて先に進んでいくのを、見てるだけじゃ嫌だって」
みんな、それぞれの壁があって。
それぞれの闘いがあって。
でも、ちゃんと向き合っていた。
「だから私も、前に進むことにしたよ。自分の気持ちじゃ吹っ切れたつもりだったけど──行動しなきゃ、周りにも示せないしね」
てんてんてん、と転がるボールをまた拾い上げる。
『それで。第2体育館とやらで、何をするんだ?』
もう一度手の中でくるくると遊ばせていると、電話先でふっと笑う声が聞こえた。
『なんつーか……俺の名前を使ったんだから、それなりのことはするんだろ』
「もちろん!まあ、前に進むっていう名目で、憂さ晴らしをちょっと」
『ああ……お前は根に持つタイプだもんな』
「だってやられたまんまってのは、ねえ?」
この負けず嫌いめ、と返事が返ってきて、思わず笑みが零れる。
と、体育館の扉が、キイ…と開かれるのが見えた。
「──それじゃあ、お客さんが来たから」
『名前、』
「…え」
切る寸前、兄の声が急に真面目なものになるものだから。
私もつい、声を抑えて聞く。
『俺は進み続けてる』
「……」
『いくらお前が妹でも、立ち止まって待つほど優しくはないぜ』
そう最後に言い、プツリと切れる通話。
通話終了と表示された携帯を閉じると、私はキュッと足音が鳴る方を見る。
「待ってましたよ、先輩方」
──私が呼んだ先輩たちは、ちゃんと来てくれたらしい。
「ふん、あんだけ苗字に挑発されちゃあね」
「あとで吠え面かくなよ」
荷物をそこらにドサリと置いた彼女たちは、どうやらアップをしてきたようで、私は口端が上がるのを感じた。
やる気があればあるほど、相手が本気になればなるほど。
私のモチベーションが上がる。
「(お兄ちゃん、待っててくれなくて結構)」
ぐっと握った携帯を、鞄にしまい込んで。
「(すぐに追い抜くよ)」
私はコートに足を踏み入れた。
「先輩、始めましょうか」
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