傷ひとつ
夜の帳が降りはじめた頃、モンスター討伐の任務を終えた●●は
直属の上司であるドレファス聖騎士長の元へと急いでいた。
リオネスより数万マイル離れた地方での討伐任務は、
予定していた日程より大幅に早く済んだし、
●●が率いる討伐部隊の隊員たちはみな無傷で無事に帰還できた。
それでも●●は、一刻も早くドレファスに会いたいという気持ちから長い城内の廊下を小走りで駆けていた。
やっと辿り着いた聖騎士長の執務室の前で、大きく深呼吸をして前髪を軽く整える。
その●●の仕草は少女のように可愛らしく、荒くれ者たちをまとめ上げる部隊長には見えなかった。
意を決して3度扉を叩くと、室内からはっきりとした声で入室許可が掛かる。
その声ににやけそうになる頬を意識的に引き締めて、無礼のないように「失礼致します」と姿勢を正して執務室の扉をくぐる。
「失礼致します、ドレファス聖騎士長。この度の討伐任務のご報告に参りました」
「ああ、ご苦労だった。●●」
書類から顔を上げて労ってくれるドレファス聖騎士長の優しい瞳に、
●●は心が熱くなるのを隠しながらいつも通りの冷静な仮面を被り、任務の報告を行う。
●●は、ずっとこの時間が続けば良いのに。と思いながらも、時は無情にも駆け足で過ぎ去っていく。
「・・・以上で報告を終わらせていただきます。何かご不明な点はございますか?」
「いや、特にない。だが・・・」
言葉を途中で区切り、ドレファスは立ち上がって●●の元へと歩み寄ってくる。
●●はドレファスが自分へ一歩一歩近づいてくるたびに、
体温が上昇していくのが分かった。
そして、ほぼ目の前にやってきたドレファスが
●●の右頬に無骨な手を伸ばして触れた時、
●●の時間は完全に止まり、つま先から融けていくような感覚に襲われた。
「あ、の・・・ドレファス聖騎士長・・・」
少し上擦った●●の声が、ドレファスの耳に届いているのかいないのかは分からないが、名前を呼ばれた当の本人は、眉を顰め●●の柔らかな右頬を撫でていた。
「・・・赤くなっているな」
「えっ」
言われるまで全く気が付かなかったが、そう言われると右頬がぴりりと痛む。
モンスターと戦って掠ったときだろうか、
それとも慌てて帰って来た所為で知らず知らずのうちに枝にでも引っ掛けたのだろうか。
「(こんな事でドレファス聖騎士長にご心配をかけるなんて・・・、不覚だわ。)」
そう思ったが、あまりにも頬の傷に触れてくる指先が優しくて●●は頬を赤らめ、視線を泳がせた。
「痛むか?」
「ッ、いえ!大した怪我ではありませんので」
「そうか・・・」
そう言って離れていってしまった体温に、胸が締め付けられるような思いを感じながらも、●●は
「お見苦しいところをお見せしました」
と言って頭を下げる。
どうか、この気持ちがばれませんようにと願いながら。
「いや、痛むようなら医務室に行くと良い」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「ああ。下がってゆっくり休め」
「失礼致します」
本音を言えば、もう少しだけ此処に居たかったが、
これ以上長居をする理由もないし何より執務の邪魔をすることは憚られた。
ゆっくりと音も無く執務室の扉を閉めて、室内のドレファスに聞こえぬようにゆっくりと呼吸を吐き出す。
そして先程触れられた右頬に手を当てる。
ぴりっとした甘いような切ないような痛みが走る。
それは怪我をした頬なのか、あるいは・・・。
●●はぎゅっと目を瞑り、よし。と心の中で呟いて、来た時とは違いゆっくりと確かな足取りで自室へと歩いていく。
まるで何か大事なものをかみ締めるかのように。