▼ (銀時)ねこっ毛
そこは、あたたかくて優しい場所だった。
「あ、起きた?」
目が覚めると名前も知らない女が、俺に微笑みかける。頬の下あたりを掻くように撫でられて、俺は思わず目を細めた。
* * *
ひょんな事から猫の姿になってしまった俺は、ホウイチやヅラやゴリラとはぐれ、ひらひらと飛ぶ蝶を追いかけているうちにこの民家の庭に辿り着いた。これが猫の本能というやつなのだろうか。
縁側に座って本を読んでいた女は、俺の顔を見るや否や、ツナ缶を持ってきて皿に出した。猫の餌は食う気しねえがツナならご馳走だと思い、遠慮なくがっつき皿についた汁まで綺麗に舐め取った。
「お腹空いてたんだね、綺麗に食べてえらいねぇ」
白くて華奢な指が俺の後頭部を優しい手つきで撫でる。
それが妙に心地良くて、満腹になったのもあってか眠気に襲われいつのまにか女の膝の上で寝てしまっていた。柔けえ太ももは最高のベッドだった。
「……っくしゅん」
くしゃみの反動で体が揺さぶられ目が覚めた。
起こしてごめんね、と申し訳なさそうに顎下や耳の後ろを撫でてきて、俺はまたうっとりしてしまう。あー、そこそこ、そこ撫でて、気持ちいい。初めて会った女にこんな骨抜きにされるなんて思いもしなかった。
「気持ちいいの?かわいい」
ふにゃりと笑う女から一瞬だけ目が離せずにいたが、こんな事してる場合じゃねえ。そろそろ戻らなくてはと膝から身軽に飛び降りると、少し寂しそうに眉を下げた。
「ツナ缶買っておくから、またおいでね」
女はそう言ったけれど、さすがにこの姿のまま何日も過ごしてられっか。もうここに来ることはねえよ、じゃあな。
* * *
「おかえり」
深刻な食糧不足だった。
アイツらは雀を焼いて食ってるが、俺は食う気になれず飢えをしのぎにまたここへ来てしまう。おかえり、と女は嬉しそうに笑うが俺はここの飼い猫になった覚えは無えぞ。
「そういえばあなた名前は?……って通じるわけないか」
ブラシで全身の毛を梳かされ、あまりの気持ちよさに意識せずとも喉がゴロゴロと鳴ってしまう。
「綺麗な毛色。銀色だから……ギンだね」
偶然にも俺はホウイチや他の猫にそう呼ばれている。
女は「ギン」と嬉しそうに名を呼び俺を抱き上げた。ゆりかごの様なあたたかい腕の中、眠気に襲われるがまたくしゃみで微睡みから覚めてしまう。
どうやら俺といるとくしゃみが出るらしい。アレルギーの癖に猫触ってんじゃねーよ、本当にもう来ねえからな!さよならの意を込めしっぽを振り、ホウイチ達の所へと戻った。
* * *
人間に戻ってからも、時々思い出す。
あの優しくてあたたかい場所が、猫の俺は好きだった。
「ギン……?」
そうそうこの柔らかい声も……あれ?俺もう人間に戻ってるよな?また猫になってる?思わず立ち止まり自分の姿を確認するも、ちゃんと人間の手をしているし服だって着てる。
声の方へ振り返るとあの家の女。
なんで俺の事が分かんだよ。
「お兄さんどこかで会ったことありますか?」
「……あー、ナンパ?」
「わ、ごめんなさい!うちによく遊びに来ていた猫に毛色や目付きが似てたので……変なこと言ってすみませんでした」
走り去ろうとする彼女の腕を思わず掴んで引き止めてしまう。柄にもなく逃がしたくなくて、もしかしたらまだ猫の時の癖が抜けていないのかもしれない。
「……ツナ缶」
「へ……?」
「ツナ缶、また食わせてくんね?」
驚いたように目を丸くさせながら、手を伸ばして俺のうねった髪を撫でると、「やっぱりギンだったのね」と花が咲いたように笑った。