▼ (新八) これっくらいの、宝箱。
子どもの頃、お昼休みになると胸を躍らせながらお弁当箱の蓋を開けていた。
お腹が空いていたってのもあったが、蓋を開けると赤や黄や緑の色とりどりの美味しそうなおかず、私にとってはまるで宝箱のようだった。
母が帰らぬ人となってからはその宝箱を開くことはもう無かった。名前ちゃんのお弁当いつも美味しそうだね、なんて周りから言われていた料理上手な自慢の母だった。
そして今はもう立派な大人に育った私は、人の手料理に飢えている。もうずっと人の手料理を食べていないのだ。
料理というのは自分の作ったものより、人が自分のために作ってくれたものの方がずっと美味しく感じるもの。
レストランや定食屋ではなく、人の作ったお弁当が食べたいな。
そんなことを考えていた矢先、万事屋という何でも屋を見つけた。
「いやいや、お姉さん?弁当なんてそこらじゅうに売ってるしわざわざうちに依頼しなくても。多分普通に買った方が美味しいよ?」
「お店みたいに完璧な味ではなく、素朴な味の手作り弁当が食べたいんです。週一でいいので!」
「うーん、俺ァ料理はそこそこ出来るけど、弁当なんてあんまり作ったことねえし、神楽は言わずもがな……この件はぱっつぁん頼むわァ」
「えっ僕ですか!?」
「おめーなら出来んだろ」
確かに。ずっと鼻くそほじくってる人よりはこの眼鏡の少年のお弁当のが良さそうだ。
私は眼鏡の少年に空のお弁当箱と報酬を渡し、毎週水曜日にと依頼した。なんで水曜日かって言うと、週の真ん中に楽しみがあれば頑張れそうだから。少年は自信がなさそうに笑って引き受けてくれた。
***
いよいよ水曜日。
お弁当はお昼になれば、私の働いているビルの近くにある小さな公園まで届けてくれるそうだ。私は12時になるのが待ち遠しくて仕方がなかった。今日はコンビニ弁当じゃない、人の手作り弁当だ!
12時になった瞬間、私は小走りで公園まで向かった。ベンチには既にあの眼鏡の少年が座って待っていた。
「お疲れ様です、名前さん。お弁当作ってきました。お口に合うか分からないですけど…」
「ありがとうございます。早速食べてもいいですか?」
「あっ、はい。もちろん」
風呂敷を広げると、依頼した時に渡したピンク色のお弁当箱が出てくる。寺子屋に通っていた頃にずっと使っていたお弁当箱だ。懐かしい気持ちになる。
そっと蓋を開けると、うっすら焼き目のついた黄色い卵焼き、タコさんの形をした赤ウインナー、存在感のあるアスパラの肉巻き、きゅうりの入ったポテトサラダ、ご飯の上には小さな梅干し。
男の子が作るお弁当にしては彩り豊かですごく食欲がそそられる。
「いただきます」
私は一目散に卵焼きを口に入れた。ふわふわで甘めの卵焼きが口の中に広がる。中の方はほど良く半熟でとろっとしている。
料理し慣れてるんだろうか。これは想像以上だ。
「美味しい…」
「良かった。甘さはどうですか?」
「めちゃくちゃ丁度良いです…」
次は赤ウインナーを箸で摘む。タコの形をしたそれはごく普通の赤ウインナーなのだけど、タコの形ってだけでも美味しさが増す気がする。
「美味しい、美味しい」
私は飲み込むごとにそう呟いては次々とおかずや米を口に入れた。
少年はそれを嬉しそうに見ながら、万事屋ではよく料理をするけど、もう当たり前になってしまっていて美味しいなんて言って貰えることも少なくなってきたと愚痴っていた。
私もお母さんにちゃんと美味しいって言えてただろうか。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかった!来週の水曜日もお願いできますか?」
「あっ、はい。正直そんなに美味しそうに食べてくれるとは思っていなかったんで、僕もなんだか嬉しくなっちゃいました。こんな感じのお弁当で良ければ…」
「こんな感じのがいいんです」
私はお弁当箱と次のお弁当の分の報酬を渡す。何かリクエストがあれば作ると言うので、私は肉じゃかが食べたいと言った。
***
また水曜日がやってきた。
リクエストの肉じゃがや卵焼き、ほうれん草の胡麻和え、ごま塩がかかった豆ご飯。あっという間に食べ終わってしまった。
「今日も、美味しかったです。ごちそうさまでした」
「へへ、なんだか最近料理が楽しくって料理本なんて買ったりしちゃいました」
少年は照れくさそうに頬を掻く。
料理って楽しいものなのか。そういえば、お母さんも鼻歌を歌いながら楽しそうに料理していた気がする。
その後ろ姿が私は好きだったなあ。
その夜、卵を買ってきて卵焼きを作ろうとしたが、私にはやっぱり料理の才能がないみたいでなかなか上手くいかなかった。
少し焦げてしまったし、形も上手く整えられない。これは誰がどう見ても卵焼きではなく、スクランブルエッグだろう。
ねえ、お母さん。
私はなんでお母さんみたいに上手に料理が出来ないんだろう。スクランブルエッグのような卵焼きを口に含みながらそんなことを考えた。卵の殻が入っていたのか、時々ジャリッと音がした。
***
もう何度目かの水曜日。
新八くんはおにぎりを持ってきてくれた。
「すみません、今日は朝から依頼が入っていたので時間が無くてこんなのしか…」
「大丈夫です。私、おにぎり好きなので」
「良かった。えっと、こっちは梅でこっちは鮭です」
普段はあまり無かったけど、遠足や運動会の時なんかはよくおにぎりにしてくれてたっけ。
一口かぶりつくと口の中でほろほろと米が崩れる。
優しく優しく握ってくれたんだろうな。程よい塩気でシンプルなのに美味しい。
「…え、名前さん!?どうしました!?塩気が強すぎました!?それとも塩と砂糖間違えてたとか!?」
「え、美味しいですよ」
「けど、涙が…」
頬を伝う涙を新八くんがハンカチで拭ってくれて、私はいつのまにか泣いていたことを自覚する。私を見て慌てふためいている新八くんを見ると余計にボロボロと溢れてくる。悲しいわけではない。懐かしくて切なくて胸がきゅううと締め付けられる。
「すごく、おいしい、のに…」
「なっ、泣くほどですか!?」
「……なんか、ちょっとお母さんのこと思い出しちゃって。ご、ごめんなさい!こんな恥ずかしいところ見せちゃって!けど、人の握ったおにぎりって、こんなにも、」
あたたかくて、おいしいんですね。
また込み上げてきて声が出なかった。新八くんが背中をさすってくれている。おにぎりは温かくなんかない。とっくに冷めてる。冷めてるのになんだか温かい。
「そういえば僕、人の握ったおにぎりなんて暫く食べてない気がします」
私の背中を擦る手は止めずに、雲一つない空を仰ぎみながら新八くんは言った。
「そうなんですか?お姉さんがいるって言ってませんでした?」
「…姉上は料理が得意ではなくて、全ての食材を炭へと変えてしまうんです」
「おにぎりも!?」
「はい、なんなんでしょうね…」
びっくりして涙が引っ込んじゃった。
新八くんのお姉さんのそれは凄い才能だ。私も料理は苦手だけどおにぎりくらいなら多分出来るんじゃないだろうか。
「…じゃあ、来週は私がおにぎり作ってきてもいいですか?」
「え、でも…」
「お弁当のお礼…になるか分からないですけど。私も人に料理を振る舞いたくなっちゃった」
「いいんですか?」
「うん、おにぎりくらいなら出来ると思います」
「じゃあ僕楽しみにしてます!」
その日は家に帰ってすぐに米を炊いておにぎりの練習をした。
だが、なかなか上手くいかない。
まずご飯がねちょねちょで美味しくない。水も分量通り入れてるのになあ。炊飯器か、この炊飯器が悪いのか。
何日か試行錯誤を繰り返し、なんとか人に出せるギリギリのラインのおにぎりが完成した。少し形は歪だけど…
***
「美味しい!美味しいですよ!名前さん!」
「本当!?」
「はい!焦げてないおにぎりなんて久しぶりに食べましたよ!!」
どうやったらおにぎりが焦げるのか本当に謎だ。炊飯器か?炊飯器が悪いのか?
でも、新八くんが美味しそうに頬張ってる姿を見るとなんだか幸せになる。食べることも幸せだけど、こうやって自分の料理を人に食べてもらうのも幸せなことだって気づいた。
『あんたは本当に美味しそうに食べるねえ。作りがいがあるよ』
お母さんがそう言っていたのを思い出した。
心がじわじわとあたたかくなって自然と頬も緩む。今度はもう泣かないよ。
「今日はなんだか嬉しそうですね」
「うん、嬉しい」
私も自分の握ったおにぎりを頬張る。
新八くんのおにぎりほどではないけど、私にしては上手くできたと思ってる。
おにぎり一つ食べ終わった頃 、新八くんは何やら真剣な顔つきで体ごとこちらに向けた。
「名前さん」
「はい?」
「ぼ、僕、毎週美味しそうにお弁当を食べてくれる名前さんを見て思ったんです」
「?」
「僕なんかのお弁当でこんなに喜んでくれる人は…その、あなたしか居ないなって…」
眼鏡の奥にある、真剣な瞳につい釘付けになってしまい声が出ない。
何も言えず固まっていると、新八くんの手が私の手に触れる。
「すっ、水曜日だけとは言わず、もっと美味しそうに食べるあなたを見たい」
「……それって」
「毎日…は難しいかも知れないですが、もっとあなたに会いたい。もっともっとあなたの事知りたいんです!」
ベンチの後ろに生えている大きな木がざわっと風で揺れる。私の胸もざわざわと騒がしい。
なんとなく分かっていたはず。
新八くんの作るお弁当が、なんでこんなに美味しいのか。なんでこんなに暖かいのか。
「わ、私も……もっと新八くんに会いたい…です」
「っ!」
「けど…私も新八くんの美味しそうに食べてる顔が見たい。だから、教えて欲しいです。お料理」
「も、もちろん!」
私も新八くんもタコさんウインナーみたいに真っ赤になっちゃって、可笑しかった。
やっぱりお弁当箱はたくさんの幸せが詰まった宝箱だ。
食べたら無くなってしまうけど、その代わりにお腹も胸もいっぱいになる。
いつか、私も大切な人にこれっくらいの宝箱を。