序章

それは幾昔のことか、誰も知らぬ。故に真はなき。

ただヒムロという名の若衆、四方に神の御座おわすこの杜に、国を興す。




声が、辺りに響く。
それはヒムロと名付けられた小国の、あずまの外れに建てられた古いいおりからで、人々はその中央に座するおうなの語りに耳を傾けている。


「その四方のもりより神々、我らを守り、その末裔まつえい、果てを我らに招かん」

凜、と空気を震わせた声を最後に、しばらく沈黙が漂う。古くから繰り返しつむがれる語りの重みは、静寂をもって人々の肩にのしかかる。

だが嫗はそこに確かなざわめきを感じていた。せわしなくさ迷う人々の目は、嫗を映していない。
神経を研ぎ澄まし、かの声が民を呼ぶことを待ち焦がれる彼らの耳に、嫗の語りはただ消えていく風に過ぎない。


その時、ふと、一人の少女が嫗を呼んだ。



「……あの、嫗様」

「なんだえ?」

「つまり、それはどういうことでしょうか……?」


たどたどしく連ねられた言葉に、嫗は微かに笑みを浮かべる。年のほどまで刻まれた目尻の皺は深く、瞳の色は優しい。彼女はその問いが少女なりの気遣いなのだと分かっていた。何故なら、語りの意味をヒムロの民は幼子に至るまで知る。


求められているのは、この重々しい沈黙を破ること。


国を覆う、不穏な空気。
不安は人々を蝕み、大人の表情は晴れることがない。
それが今日は一層顕著けんちょに表れている。


嫗は一度、深く息を吸った。そしてゆっくりと吐き出す。庵と対にそびえる巨大な鳥居を見つめ、それから少女に向き直ると、彼女は再び微笑を浮かべた。普段滅多に話すことのない少女の、真摯しんしな瞳に応えたかった。


「いつのことか分からぬほど昔に、ヒムロという名の若者がの、この地におわします神々とこの国を興す際、いにしえの契りを交わしたのじゃ。

その神々というのが、今儂らの奉る四方の神。

あずまの杜より、般若はんにゃの面を携えた、春を司る佐保神サホノカミ

みなの杜より、おきなの面を携えた、夏を司る筒が神ツツガカミ

西の杜より、鬼神の面を携えた、秋を司る竜田神タツタガミ

そして北の杜より、ぞうの面を携えた、冬を司る白の神シラノカミ

かの神々はヒムロの繁栄を契り、その証として国の四方に青龍、朱雀、白虎、玄武の鳥居を建てられた。ほら、ここからでも見えるだろう? あれは青龍の門じゃな。
その一方で、神はヒムロの民に杜への礼儀を契らせた。

後、彼らはヒムロの長に告げるのだよ。
我らヒムロを守護し、そして――…………」

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