「シリウスは絵を描くのが上手ね」

シリウスと呼ばれた黒髪の少年はこっちを振り返り、そしてやさしく微笑んだ。
私は絵を描く彼の後姿をぼんやりと眺めていた。
彼の指先、筆がキャンバスの上をなぞる音、彼の筆に沿ってやさしくキャンパスを彩るアクアマリンの海の色。

「ジュリア」

シリウスが私の名を呼ぶ。

「大好きだよ」




気が付くと私は見慣れた天井をぼんやりと眺めていた。
夢か。
私はさえきらない頭でそんなことを考えた。
この夢を見るのは今日で何度目だろうか。
私は何年も続くこの満たされたあたたかい夢と一気に現実に突き落とされるこの波から逃れられずにいた。
私は布団の中で自分の体をきゅっと抱いた。
たった一つの欲求が荒波のように私を襲って心の中を乱す。
会いたい、会いたい。
自分の腕をさらに強く抱くと自分の存在がひどく小さなものに思えてくる。
どうせならこのままもっと小さくなって消えてしまえばいいのに、とそんなことを考えた。

「ジュリア様、お目覚めですか?」

聞きなれた声がしてジュリアは顔を上げた。
彼女は持っていたティーセットをテーブルに置くと締め切っていたカーテンと窓を一つ残らず開け放った。
それとともに柔らかい緑の香りが部屋にすーと、立ち込める。
もう、暗い所にいたら陰気になりますよ、彼女はそうやって眉をしかめてみせた。

リリーは小さいころからずっとそばにいる私の侍女だ。
彼女は良き相談相手であり、姉であり、かけがえのない友達だった。
リリーはいれたてのハーブティーをジュリアの手に持たせると、朝食の準備をするために部屋を出た。
ジュリアはよく覚まさないうちにゆっくりと紅茶を味わった。
すーとジュリアののどを潤していく。
それとともに先ほどの重い息苦しい気分もどこかへ飛んでく気がした。
リリーは夢のことも彼のことも全部わかっていて、何も聞かずこの紅茶をくれたのだ。
そんな彼女の気遣いがジュリアの胸にじんとしみる。
ありがとう、リリー。
私は見えない彼女に小さくお礼を言った。



「おはよう、ジュリア」

背後から声をかけられ振り向くと、そこには長身の端正な顔立ちをした青年が私に手を振っていた。
彼はこの国の皇太子で、私のたった一人の兄、ウィリアム。
栗色の髪に同じエメラルドグリーンの瞳をした彼はさっぱりとした青年で、侍女たちの間だけでなく、ほかの国々の王女たちにも人気がある。
私の自慢の兄だ。

「よく眠れたか?」

そうやって頭を撫でてくれる兄はいつも優しい。
父と母を早くに亡くしたジュリアを育ててくれた人はウィリアムだといっても過言ではない。

「今日は春の風が吹いてたわ。
それに今朝リリーがハーブティーを入れてくれたのよ」

そうだね、柔らかい緑だね、ウィリアムはそう言ってやさしく笑った。
ジュリアは白い歯をちらりと見せて笑うその兄の笑顔が一番好きだった。
ネフェルタリの間へはいるとウィリアムは私より一段高い座に、そして私は兄の後ろに控えた。
お兄様、私は開きかけた口をくぐんだ。
束の間コツコツという高い音とぷんときつい香水の匂いが漂ってきたからだ。
部屋へはいってきたのはおばさまとその娘。
ごきげんよう王妃様、ウィリアムは笑顔で声をかけるが、おばさまはつんとしてウィリアムを見ようともしない。
ジュリアもドレスその裾をもってお辞儀をするが、おばさまはジュリアに向かって一直線に歩いてくると、もう少しあちらに行ってくれないかしら、とだけいった。
私はおばさまのむせ返るようなきつい香水の匂いをなるべく吸い込まないように、ゆっくり息を吐いた。
しかしおばさまはそれを知ってか、さして暑くもない朝にいつも自身を扇子で煽ぎ、そのむせ返るようなにおいをまき散らすのだった。

少し経ってから、地響きのような音ともに、大げさな咳ばらいが聞こえた。
動くたびに大理石でできた床がゆれ、その巨体のせいでいつもドスンドスンと大きな音がする彼の正体は言わずと知れている。
私は咳払いなんてしなくてもわかるのに、と心の中でそう思った。
その”巨体”が前を通ると私たちは一斉に立ち上がり、小さく礼をする。

「おじさま、朝の挨拶申し上げます」

私がそういうと、おじさまは心底嬉しそうに何度もうなずいた。



ジュリアたち王族には一日の始まりに決まった政務がある。
それは毎朝ネフェルタリの間に集まって、祖先たちへ祈りをささげることだった。
ただ、ジュリアはこの朝の集いが一日の中で一番嫌いだった。
その元凶はこのおじ一家である。

おじさまは私のお父様の弟で、この国の王だ。
実の兄弟のはずだが、肖像画で見る父とおじさまははっきり言って全く似ていない。
お父様はお兄様によく似ているとジュリアは思う。
だが、おじさまはというとベルトからおなかがはみ出すというだらしない格好に加えて、首とあごの微妙な境界線に薄いひげを生やしていた。
そしてヒキガエルのようにじとっとした視線は決してジュリアから離さない。
容姿のことはあれこれ言えないが、ジュリアはそのぬぐいきれない視線がいやでいやでしょうがなかった。

残念ながらおじさまの娘、一つ上のいとこアメリアはその残念な容姿を引き継いでいた。
また性格もじめっとしたところは彼女の父にそっくりだった。
アメリアはなぜかジュリアに対抗意識を持っているようで、ジュリアと仲良くしようとはしなかった。
しかし一方で彼女はウィリアムに好意を抱いており、朝の祈りの際はかならず兄の背中をじっと見続ける。

おばさまはというとウィリアムとジュリアを心底毛嫌いしていた。
彼女はいつもアメリアとジュリアを比べてはジュリアに品がないだとか、だらしがないだとか文句を言う。
祖先に手を合わす神聖な場所といえども、ジュリアはこの時間が憂鬱で仕方なかった。
きつい花の香りに酔いながら、ジュリアはまだかまだかとただ祈りが終わるのを待っていた。




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