裏庭の劣情
「あの…私、折原くんが好きです」
植え込みの向こうから聞こえてきた言葉に、静雄は歩き出した足を止め咄嗟にしゃがみこんだ。
物陰に潜みながら、声が聞こえてきた方向へ目をやれば、そこに立っていた男は静雄には見せたことのない、人を魅了する笑顔を湛えている。
困ったような声音で告げられた彼の言葉に、ツキン―――どこかに鋭いなにかが突き刺さる音がした。
冬の厳しい寒さが緩んだある日、静雄は相変わらず喧嘩を売られていた。
総勢十名を超す相手に対して全く引くことなく立ち向かう姿は、凛としており。決められた舞踏のように拳を振るい蹴り上げ、投げ飛ばすことを繰り返せば、あっという間に相手が倒れていく。
数分後、この裏庭で立ち上がっているのは静雄だけであった。
「これに懲りたら二度とかかってくるんじゃねえぞ」
意識があるか定かではない輩達へ声を掛け、静雄は教室へ戻ろうと踵を返した。うっすらと額に浮かぶ汗を拭い、上着を肩へと引っ掛ける。
授業はとうに終わっているが恐らく待っているであろう新羅から、全教科分のノートを借りなければいけない。 今日も朝から喧嘩ばかりで授業を碌に受けられなかったが期末テストが近いのだ。
毎日のように、不本意ながら授業をサボっている静雄は、テストである程度の点数を稼がなければ留年してしまう。 新羅は几帳面な性格だから、ノートを借りるのにうってつけだった。ついでに分からない箇所を質問すれば、解説もしてくれる。 そうやって、何とかテストに間に合わせるのが常だった。
これからテスト範囲を詰め込むことに憂鬱になり、静雄ははあ、と大きな溜め息を吐き出した。
そのまま俯いていた顔を上げた時だった。折原臨也が告白されている場面に出くわしてしまったのは―――
聞こえてきた声に咄嗟に隠れてしまった静雄は自身の行動に首を傾げた。 なぜ、さっさと通り過ぎずに覗きのような真似をしてしまったのか。あのノミ蟲野郎への告白など、珍しいことでもないのに。
眉目秀麗という言葉がぴったりの臨也の容姿に魅かれる者は後をたたず、静雄が喧嘩を売られるぐらいの頻度で告白を受け、その度に彼女が変わっていく。ただ、ここ最近は彼女がいないという噂だが。
静雄にはあんな奴がもてる理由がさっぱり分からない。所詮、見た目と外面が良ければ人は惹きつけられてしまうのだろうか。 静雄にとっては疫病神以外の何者でもないのに。
告白をしている女子は、必死な様子で臨也の答えを待っている。だが、上っ面だけ笑顔の臨也は目の前の女子へ全く興味を持っていないようだった。 離れた場所にいても、その表情や仕草で静雄には臨也の考えていることが分かってしまう。
世界で一番憎しみ合っているのに、他から異端な二人は誰よりも分かり合えてしまう。計算ではなく、本能に基づく行動ならば―――
自身の考えに夢中になっていた静雄はいつの間にか身を乗り出し、覗き込んでいた。慌ててまた物陰へと隠れたが、一瞬だけ臨也と目が合ったような気がする。 気づいたのだろうか。鼓動が早くなるのを抑えようと静雄は胸辺りのシャツを握り締める。
けれど、気づかれた可能性があっても、静雄はそこから動くことができなかった。来る者拒まずのはずの臨也が最近は告白を断っている、という噂をどうしても確かめたかったのだ。
なぜ確かめたいかは静雄にも分からない。ただ、自分が知らない臨也がいる、という事実が堪らなく不快だった。
数秒間の沈黙の後、臨也が口を開いた。困ったような、それでも人目を惹く微笑みで紡がれた言葉は、今までよりもクリアに静雄に届いてくる。
「ごめんね、君とは付き合えないな。俺、好きな子がいるんだ」
熱の籠もった言葉は臨也の本心だと伝わってきた。 少女は臨也に対して何か言っていたようだが、やがて泣きながら去っていく。静雄にはそのやりとりが、ぼんやりとしか見えていなかった。
臨也に好きな人がいる、その事実は密かに静雄に衝撃を与えていた。無意識にシャツを掴む手に力が入る。
臨也は、“嫌いだ”、“殺したい”と言いながら、本当は誰よりも自分へ執着していることを静雄は知っていた。 それなのに、臨也に好きな奴がいるなんて、俺以外を見るなんて―― よく分からない痛みが胸に突き刺さる。臨也の言葉がぐるぐると渦巻き、自身を支配していく。 どうして、俺は―――
「…いい加減出てきたら?シズちゃん、そこにいるんでしょ?」
混乱する静雄を現実へと引き戻したのは、臨也の静かな言葉だった。 笑いを含んだ声音に静雄は、はっと意識を覚醒させ、小さく溜め息を吐いた。
今更隠れることもできず、静雄は諦めたように、臨也の正面に立った。けれど、絡みつくような視線を相手から送られても、言葉を発することができない。
「覗き見なんてずいぶん悪趣味だね」
揶揄してくる臨也は、告白を受けていた時の嘘くさい笑顔は消し去り、心底嬉しそうに笑った。 実際、静雄をいたぶる口実ができて楽しくて仕方ないのだろう。
常ならば怒りを生むその様子を見ても、静雄は臨也にキレることがなかった。先程聞いた言葉がまだ頭を占めていたせいで。
黙ったまま反論しない静雄に対し、臨也が訝しげな表情を作る。
「シズちゃん、どうし――「なあ、手前のさっきの言葉は…本当か?」…は?」
臨也の言葉を遮るように急に言い募った静雄に、臨也が驚いたように目を丸くする。
「っだから、さっき言ってただろ…好きな奴がいるって…本当なのかよ?」
俯き、静雄はぼそぼそと言葉を続ける。平静な状態では、絶対に言わないであろうことを。 動揺が伝わってくるその様子に臨也は唇を吊り上げた。だが、視線を逸らしたままの静雄はそれに気づかない。
「そうだって言ったら、何?シズちゃんには、関係ない話でしょ?」
薄っぺらな感情を殺した声に静雄は、顔を上げる。酷く傷ついた、置いてきぼりにされた子供のような表情で。臨也の突き放した様子に、静雄はなぜだか泣きたくなった。
「…ちっ」
誤魔化すように小さく舌打ちし、静雄は踵を返す。 しかし、一瞬早く、臨也が静雄の正面に回り込み腕を強く引いた。油断していた静雄はあっけなく臨也の腕の中に抱き込まれる。
「なんで、そんなに傷ついたような顔するの?俺に好きな人がいるから?」
至近距離で囁かれ静雄は身を震わせた。臨也は、どこか必死な様子で静雄を見つめている。
常にない真摯な紅い瞳に魅せられたように、静雄は目を逸らすことも嘘を吐くこともできなかった。ただ黙って、小さく頷く。
それに対して臨也が心底嬉しそうに、花のような笑顔を浮かべた。
「ねえ………その好きな人さあ―――シズちゃんだって言ったらどうする?」
そう言って首を傾げた臨也は静雄の頬をそろりと撫でる。静雄はたった今告げられた言葉の衝撃で身じろぎ一つできなかった。 そんな静雄の様子に、臨也は益々笑みを深める。
「好き、大好きだよ、シズちゃん」
言葉と共に、臨也は噛みつくように、静雄へと口づけをした。 甘い囁きに気を取られていた静雄は、ただただ臨也の激しい接吻に翻弄されてしまう。怯えたように静雄が身体を退こうとすれば、臨也は後頭部へと手を回し、より深く舌を差し込んで口腔内を蹂躙していく。
漸く解放された時には、静雄は身体に全く力が入らず、臨也へ倒れ込むように抱きつくばかりだった。上気した頬と潤んだ瞳のまま、荒く呼吸を繰り返す。
劣情を催すその様子を嬉しそうに眺めた臨也は、唇をゆっくりと歪めた。
"もう逃がさないよ"
声なき言葉は静雄の耳を掠めて、消えていった。
*セブンティーン企画様に提出させて頂きました。素敵シズイザ サイト様ばかりの企画にイザシズで空気読めず参加してしまいました………すみません 主催者様、大変おいしい企画ありがとうございました!
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