赤い海 | ナノ
もう太陽の光が西に傾き始めた頃、三代目風影とサソリは風影邸の執務室にいた。サソリは先日行われた傀儡部隊による任務の報告に来ていたところだった。三代目は特注品の椅子に深く腰掛け、サソリの報告をどこか遠くで聞いていた。
「…オイ、聞いているのか?」
読み上げていた書類から目を離し、その視線を三代目に向けサソリが言った。サソリの目の前にいる三代目の意識はどこか別にあるようだった。背後にある大きな窓から射し込む強い西日に目を細めている。
「…っおい!」
「あ、ああ…すまんな、サソリ。続けてくれ」
「…アンタ、聞いてないだろ」
サソリは手に持っていた書類を机の上に置き、溜息をついた。これ以上いくら真面目に任務報告をしても無駄だと察した。三代目はもうお仕事モードではないのだ。
それならと諦めて執務室から出て行こうと体を捻った時、三代目が呟いた。
「なぁサソリ。ちょっと外へ出ないか」
言葉を発しながら窓の外を眺めていた目をサソリに向けた。逆光で表情はよく見えなかったが。
三代目に連れられて外へ出ると、砂漠の乾いた風が二人の間をすり抜けて行った。此処ら一帯で一番高い場所からの眺めは流石に素晴らしいものだった。砂を固めて作られた建物が夕陽に赤々と照らされて、あたり一面真っ赤になっていた。
「いい赤色だな」
独り言のように三代目が呟く。サソリが三代目の方を見遣ると、彼もまた夕陽の影響を受け、その濡羽色の髪までもが赤みを帯びていた。
「サソリは、海を見たことがあるか?」
脈絡の無い質問をされた。サソリは目線を地平線へと移しながら「ない」と返す。
「そうかぁー…」
三代目が太陽を見つめたまま呟く。しかしその瞳は別のものを見ているようだった。
「我が砂隠れの里の夕陽も素晴らしいが、夕陽に染まる海というものもまた同じくらい素晴らしかった」
三代目は赤く染まる街並みを見て、過去を思い出していた。
「私がまだ砂の上忍だった頃だ。任務で遠征したことがあってな。そこで私は初めて見たんだ、海を」
サソリは夕方の少し肌寒い風を受けながら耳を傾けていた。
「昼間の青い海もそれはもう堂々たるものでな、圧巻だったのだが、私は夕陽に染まるあの赤い海の美しさに心を奪われてしまったんだよ」
三代目の瞳にはかつて見た赤い海が映っていた。言葉にできない程に詠嘆したあの時の感情が蘇ってきていた。
「お前にも見せてやりたいなぁ…。風影となった今、なかなか里外には出られないが…
お前と一緒に、あの海を見るのが私の夢なんだよ」
三代目が破顔でサソリの方を向く。そして肩に手を回され、引き寄せられる。
「お前のこの赤い髪を見るといつも思い出すんだ…あの赤い海を…」
三代目の指がサソリの髪を優しく梳く。この感触は嫌いじゃなかった。サソリは抵抗することなく、三代目の好きなようにやらせた。
「…」
サソリは気付いていた。三代目が心奪われたという赤をサソリの髪に例えたことの意味を。
(…下手なプロポーズかよ……)
自分が大人で、女だったら、そういうことなのだろう。しかし自分はガキで、男だ。
我ながらくだらないことを考えたものだと、フッ…と笑ってしまった。髪を撫でていた三代目がサソリの肩が一瞬揺れたことに気付く。
「どうした?サソリ」
サソリの顔を覗き込む三代目の表情は優しかった。
気が付けば太陽ももう殆ど沈んでしまっていて、燃えるような夕陽は影を潜め、代わりに夕闇が急速に濃さを増していた。
「…そうだな、アンタがそこまで言う赤い海、オレも見てみたいもんだ…」
サソリがぽつりと呟くと、三代目の顔が見る見るうちにぱぁっと明るくなっていった。
「!…そうだろう!?見てみたいだろう?よし、いつか絶対に一緒に見に行こうな!」
三代目はこぼれそうな笑顔をサソリに向けた。年甲斐もなくはしゃぐ三代目が愛おしかった。いつか一緒にその美しい海を見たいと、サソリも素直にそう思えたのだった。
「…これがアンタの見せたかった赤か……」
黒地に赤雲の模様の施された外套を纏ったサソリが誰に言うわけでもなく呟いた。目の前には燃えるような赤色で染まった海。光が反射している赤い海面がキラキラと輝き美しいが、空は闇を抱えたような禍々しい色をしていた。
(あんなにはしゃいで言ってた割には、なんとも不気味な色をしているもんだな…)
まるで血の色のようだと思った。ふと、サソリは巻物を取り出し、そこから三代目風影の傀儡を呼び出した。今となってはサソリのチャクラ糸がなければ動かない三代目の顔を、赤い海の方へと向けた。
「やっと…一緒に見られたな…なァ、三代目…」
海を眺めたまま、傀儡を操り自身に擦り寄らせる。そして肩に腕を回させた。その動きはごく自然で、本当に三代目風影が生きて動いているようだった。サソリは三代目に寄り添い体重を預けた。
「アンタが言葉を発することができたなら…あの時と同じように、オレの髪の色をアンタの言う美しかった海の色に例えてくれるか…?」
サソリは三代目の指先を操り、優しく自身の髪を梳かせた。その繊細な指の動きは、かつての感触を思い出させる。
しかし、全て自作自演なのだと、わかっていても気付かないフリをしていることに呆れる。幼い頃は両親の傀儡相手に同じことをしていた。気付かないフリをしていることができなくなってしまった時、幼いサソリの心は壊れてしまったのだ。
「……くだらねぇ」
サソリは三代目の傀儡を巻物へとしまった。辺りは既に暗くなってきていて、冷たい潮風がサソリの髪と外套を揺らす。その冷たさすら感じない体へと己を改造したサソリと、そんなサソリに物言わぬ人形にされた三代目風影の、もう決して交わることのない秘めた思いは、深い夕闇の中へと溶けていったのだった。
初三サソ小説でした…
旦那の赤い髪はロマン…