世間ではそれを『知恵熱』という



まだ『高校受験』に現実味のない中二の7月。
あと数日で夏休みという事で、教室の中は普段よりもザワザワと落ち着きが無い。
早くバスケがしたくて身支度を急いでいた黄瀬涼太は、不本意にもその騒ぎの中心に引きずり込まれてしまった。


「なあ黄瀬、夏休みの予定って何か入ってる?」
「部活とモデルの仕事でぎっしりッス…うううっ…オレ宿題終わるのかなぁ」
「はっはっは…そりゃーカワイソウに」
「棒読みで同情されても少しも嬉しくないッス!!」
「えーっ、黄瀬君…一緒に遊べないのー?」
「うん、ゴメンね…」
「ううん…大丈夫。でも、ちょっと残念」
「あああっ、なんて勿体ない!黄瀬、お前ってモテるけど、どんな美人に対しても結構クールだよな。一体どんな娘が好みなんだ?教えてよ。俺、最初っから勝ち目のない戦はしたくないんだよね」


シ…ン…。誰もが一度は聞いてみたかった質問に、その場にいた全員が黄瀬の答えを聞き逃すまいと耳をそばだてる。


「何ッスか、それ? 女の子はみんな可愛いから大好きっすけど…」


どうやら黄瀬には質問者の意図が伝わらなかったらしい。見当外れの答えを返してきた黄瀬に、


「こいつ、まだまだお子ちゃまだな」
「まあ、あんなハイスペックな姉ちゃん二人の下だと、こういうフェミニストに教育されちゃうんだろうな」
「うんうん…当分はまだ恋敵には程遠いな」
「安心、安心」
「絶対、抜け駆け禁止だからね」


いっそう騒がしくなった教室から、「遅れると赤司っちが怖いんで、お先っす」と、黄瀬は逃げるように飛び出した。


黄瀬涼太は、顔良し・スタイル良し・スポーツ万能という高スペックの持ち主である。おまけに、妙に憎めない性格をしていているので敵も少ない。しかし、『誰からも好かれる人気者』である黄瀬君のテリトリーに入れる人物は未だにいない。なぜなら「みんな大好き」は、「特別に大好き」とは大きく意味が違うからだ。尊敬している人達なら何人かいる。でも、その人達に抱いている感情は「好き」とか「嫌い」とかいう類のものではなく、寧ろ「憧れ」に近いものだ。


黄瀬は周りから与えられる好意が当たり前すぎて、自分から「人を好きになる」という機会を得ることなく今日まで来てしまっていた。
黄瀬はよく、女の子から告白される。その都度「ゴメンね…バスケと仕事で忙しいから今は余裕が無いんだ」と、当たり障りのない理由で断っている。その理由は嘘ではない。しかし全てではない。黄瀬は幼い頃から二人の姉に、「女の子を大事にしなさい」と言われ続けていた。姉達の教育の成果は別にしても、元々誠実な性格である黄瀬は『本当に自分の好きな人』としか付き合う気は無かった。


     ※


夏休みは、通常よりハードな練習が続く。半ばを過ぎた頃には皆がヘトヘトで、一軍メンバーさえ体力も思考力も尽き果てそうだった。
そんなある日の休憩時間、かつて黄瀬の教育係であった黒子テツヤが、いきなり意味深な質問を投げかけてきた。


「黄瀬君は『誰も愛せないけれど、みんなから愛されて裕福な人生』と、『誰からも愛されないけど、人を愛せる喜びを知っている貧乏で不運な人生』…どちらの人生が幸福だと思いますか?」
「いきなり何ッスか? その両極端の選択は?!」
「昨日読んだ本の話です。ヘッセの書いた童話の一つなんですけど、ボクには主人公の選択が、どうしても理解出来なくて…」
「う〜ん…オレも分からないッス。でも、『貧乏で不運』っていうのは嫌ッスね」
「よかった、ボクもそうです」


ピーーッ!! 無情に鳴った、練習開始の合図。会話はそこで途切れた。


「じゃあ、また」


そう言って、黒子は自分の練習メニューをこなす為に黄瀬から離れていった。


「一体、何だったんッスかね…」


残された黄瀬は、黒子の質問に首をひねるばかりだった。
黒子としては、誰からも愛されるという物語の主人公のイメージが、たまたま黄瀬と重なったので聞いてみただけだったのだが、どうやら黄瀬は黒子からの『謎かけ』だと勘違いたようだった。黄瀬はあまり良いとは言えない頭をフル回転させ、練習中も黒子からの『謎かけ』の答えを考え続けた。


「リョウタ、ぼんやりしていると怪我をするぞ!!」


練習に身の入っていない黄瀬を見つけた赤司が、すぐに注意する。しかし、その直後に倒れたのは、一番体力の無い黒子だった。


「テツ君!!」
「黒子っち!!」


桃井と黄瀬が、急いで駆け寄った。黒子が練習中に倒れる事に馴れてしまっている他のメンバーは、「またか」という目をして遠くから見守っている。
黄瀬は、黒子が毎日どれだけ頑張っているか知っている。
恵まれない体格で、一軍の練習についていく…その大変さは自分には到底想像がつかない。なのに黒子は、試合になるとミスデレクションという特殊な技術を駆使したパス回しで、普段からは信じられない程の活躍を見せる。
黄瀬は、初めの頃こそ黒子を軽く見ていたが、一緒に試合に出てから態度が一変した。今では尊敬に値する人物だと思っている。
今までとは違った目で黒子を見るようになった黄瀬は、気付いた。一見無表情に見える黒子が、実は負けず嫌いで気の強い性格だった事。黒子は相反する性質のものをいくつか集め、それらを絶妙なバランスで内在させている不思議な人物だった。あっという間に、黄瀬は黒子の一挙一動から目が離せない程に魅せられていた。


「もっともっと黒子っちに近づきたいッス」


最近では、一番に駆け寄った黄瀬が黒子を介抱をするのが当たり前になりつつあった。


「きーちゃん、私がついているから大丈夫だよ」
「うん、でも床よりはベンチの方がマシだから…」


そう言って黄瀬は、グッタリした黒子の膝裏に片手を差し込み、もう片方で頭を支えて抱き上げた。所謂お姫様だっこだ。


ーーあれっ、軽っ…黒子っちまた痩せた?


心配性の黄瀬が、黒子の様子を確かめるように顔を覗きこむ。
顔は青白いが、表情は苦しそうではない。規則正しく上下する胸。「大丈夫だ」と安心した黄瀬は、ほうっと息を吐いた。


「きいちゃん?」
「桃っち、ゴメン…今、そっちへ行くッス」
「うん。タオル敷いたから、ここにお願いね」
「了解ッス」


黄瀬は膝を床につき、壊れ物を扱うようにそうっとベンチに黒子を降ろした。黒子の首から手を抜く時、黄瀬はコツンと、自分のおでこと黒子のおでこをくっつけた。


「うん、熱は無いッス」
「ああ〜ん、きいちゃん!! それ、私もやりたかった」
「えっ? 桃っち何を?」
「テツ君と、おでこコッツン。いいなあ」
「そうなんスか…うちの母親とか姉ちゃん達は、いまだにしてくるンスけど…」
「きいちゃん、愛されてるね」


そう言って桃井も、黒子の汗で濡れた髪を手櫛ですいた。


「ねえ、きいちゃん。テツ君て、結構整った顔をしてるよね」


黄瀬は反射的に、「それは『アバタモエクボ』っていうやつじゃ…」と言いかけたが口に出来なかった。なぜなら、桃井に言われて初めて黒子の顔をじっくり観察した黄瀬が「うっ、ホントだ」と肯定せざるを得なかったからだ。


――うわっ、スッゲー可愛い!! えっ、黒子っちってこんな顔をしていたの? 
――なに、この睫毛の長さ、白い肌にピンクの唇って…白雪姫みたいじゃないッスか!!
――白雪姫って、確か王子様のキスで生き返る話だったっけ?


次々と湧きあがってくる、感想と感情…
雪崩のように一度にどばっと押し寄せた情報量は、黄瀬の処理能力をはるかに超えていた。


――あれっ? 何か頭の中がぐるぐるする……


バタン!! そのまま黄瀬は商売道具である顔面を下にしたまま派手に倒れた。


「キャーッ!! 大ちゃん、大ちゃん、きいちゃんが倒れた!!」


予想もしてなかった事態に、桃井がパニックって叫んだ。
桃井の悲鳴に、外の部員達も「黄瀬!!」と駆け寄ってきた。しかし、倒れているのは180p近い大男であり、普段殺しても死にそうにない黄瀬である。
ツンツン…と黄瀬を指で突つきながら、紫原は「大丈夫じゃないの?」と無責任に言い放ったが、それは部員全員の意見でもあった。


「桃井さん。リョータは大丈夫だから、しばらくそこに、そのまま寝かしてあげて」


キャプテンである赤司の意見は絶対だ。「決着はついた」と、部員達はぞろぞろと自分の持ち場へと帰って行く。皆の態度に納得のいかない桃井は、黄瀬の額にそうっと自分の掌を当てた。


「熱っ…大変…きいちゃん、熱が出てる」


再びパニックに陥りかけた桃井に、赤司が一言。


「本当に心配しなくても大丈夫だよ。リョータのくせに『知恵熱』なんて生意気に」
「……?」


今ひとつ状況を把握しかねている桃井を残し、赤司はコートに戻っていった。
赤司様は、なんでもお見通しのようだった。


――黒子っち、オレはね…やっぱり誰も愛せないのも、誰からも愛されないのも嫌ッス。理想としてはね、オレの愛した分と同じくらい愛して欲しいッス。一方通行っていうのだけは寂し過ぎるよ。 …ねえ。だから…黒子っち…オレに少しでもいいから愛を下さい…


慣れぬ熱にうなされながら、黄瀬は黒子からの『謎かけ』の答えを出した。


     ※


一晩寝てスッキリ熱の下がった黄瀬は、前日の事をすっかり忘れていた。


「黒子っち、帰りにアイス食べに行かないッスか?」


今までと変わらぬ黄瀬の態度。それが、桃井の恋心に小さなしこりをつくった。

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