ちいさな幸福



――何故、こんな事に?!!


黒子テツヤ(本日で16歳)は混乱していた。
ニコニコと有無を言わせぬ圧力で彼に迫っているのは、先程まで黄瀬のヘアメイクと衣装を担当していたスタッフ3人。
黒子は背中に嫌な汗をかきながら、打つ手無いまま、じりじりと後ずさっている。助けを求めようにも頼みの綱である黄瀬は撮影中で、こちらの状況なぞ知る由もない。


「さすが黄瀬君のお友達、地味だけどバランスがいいわ」
と、しっとりした雰囲気の和風美女。


「なにっ、このお肌の艶!! どうしてこんなに、きめ細かいの」
と、妙に女性的なメイク担当のお兄さん。


「うふふ…私達からは逃げられないわよ。ああ、創作意欲が湧くわ〜」
一番、目がすわっている、童顔丸顔のお姉様。


こんなハイテンションの人達に、好き勝手にいじられたら、ろくな結果にならない事は目に見えている。
要するに今、黒子はスタッフ達のいい暇つぶしの種にされているのだ。


「あの…皆さん、お仕事中なんですよね?」
――だからボクなんかに構っていないで、さっさと仕事に戻って下さい


黒子の心からの叫びは、誰にも届く事はなかった。


遂に、彼の両腕を女性二人が左右からガッチリと抱き固めた。黒子が、女性達を手荒に振り払う事を躊躇しているうちに、化粧水を含んだコットンを手にしたお兄さんが、早速仕事に取りかかり始る。


――わああっ…!! 冷たいっ!!!


黒子は不本意ながら、観念するしかなかった。


     ※


時を遡ること1時間前。
目障りな邪魔者(=黄瀬涼太)が去って、ようやく誠凜高校男子バスケットボール部員達は妙なプレッシャーから解放された。
「モデルの仕事で近くまで来たから、ちょっと寄ってみたッス」というのは聞き飽きた。そもそも、他校生がこんなに頻繁にこの場所へ入り込んでいる事自体が異常なのだ。しかし、あまりにも黄瀬の出没が頻繁すぎる為に、その事実に気がつかない程に皆の神経は麻痺していた。


慌ただしく黄瀬が去った後、すぐに黒子の携帯が鳴りだした。呼び出し音は『You are my sunshuin』


――しまった。マナーにし忘れていました


この呼び出し音は、黄瀬が「これって黒子っちみたいッすね」と言いながら勝手に設定したものだ。黒子は「面倒だから」という理由もあるが、自分への戒めの為にそのままにしている。
黄瀬は多分、この曲の歌詞をよく知らないのだろう。これは、曲名通り「キミがボクのお天道様」という単純なラブソングではない。自分を振った相手に対して、未練たっぷりに「置いていかないで」と切々と訴える歌だ。
黒子にとってこの曲は、自分がこうならないように…つまり、黄瀬への気持ちにブレーキをかけるという意味でぴったりだった。


あまりにも長く流れ続ける呼び出し音に、遂にカントクが堪りかねて叫んだ。


「もう、うるさ〜いっ!! いつまでも鬱陶しいから、さっさと電話に出ちゃいなさい!!」
「申し訳ありません…いい加減ボクもどうしようかと迷っていたところです」
「いや…こっちこそゴメン。電話がうるさいのは黒子君のせいじゃないし…」
「いいえ、ボクの躾が足りないせいです。本当に困った駄犬です」


はあ〜っ、と大きな溜息をついてから黒子は携帯電話を開けた。


「もしもし…黄瀬君、こんな時間に電話なんて寄越さないで下さい。部活の邪魔です」
「えっ? 英語のプリント…ですか? こんな所に落ちていないと思いますが…」
「明日、提出しなければヤバイって…そんな大事なもの、どうしてもっと気をつけて管理していないんですか!!」


聞き耳を立てていた気の良い部員達が、電話での会話から相手の状況を察して、キョロキョロと辺りを見回した。すぐに小金井先輩から「お〜い、これじゃないか?」と、紙の束が高々と掲げられた。それを受け取った黒子が黄瀬に確認する。


「何か、英単語のテストみたいなプリントが見つかりましたけど」
「はい…そうですか…ではなんとかしてみます」


「皆さん、すみません。黄瀬君が明日提出の課題をここに落としてったので、撮影現場まで届けるハメになってしまいました。早退してもよろしいでしょうか」
「って言うか、そんなに忙しい奴が、何でさっきまでここにいたんだ?!」
「本当です…こんなところでプリントをひろげなくちゃならないほど余裕が無いくせに」
「ある意味、黄瀬ってスゲーな…ソンケーするぜ」
「なにが?」
「黒子への執着……痛ッてーよ、日向」
「だあほ、木吉は黙っとれ!!」


とにかく、こうして黒子は部活仲間に了解をとって、黄瀬の指定した場所に急いで向かったのであった。


黄瀬の撮影現場に到着した黒子は、すぐに黄瀬の姿を捜した。勿論、さっさと用事を済ませて帰る為だ。しかし黄瀬は、まばゆいライトを浴びて撮影の真っ最中だった。
最新の春物を着こなした黄瀬は、ファッションには疎い黒子の目にも格好良く映った。
黄瀬の集中力を欠けさせるワケにはいかないので、黒子は壁際にいたスタッフにプリントを預けて帰ろうと思った。これは誰が考えても適切な判断だろう。しかし…預けようとした相手の人選を間違えた。


「お仕事中に申し訳ありません」
「はい…?」
「黄瀬君に頼まれてプリントを届けに来たのですが、彼の邪魔をしたくないので預かっていただけますか?」
「いいですよ、休憩になったら渡しておきますね」
「お手数をおかけしますが宜しくお願いします」


そう言って黒子は頭を下げて、くるりと出口へと向かった……はずだった。


「?!!」
「ちょっと待って。せっかくスタジオに来たんだから、も少し見学していったら?」
「せっかくですが遠慮させていただきます」
「黄瀬君が休憩に入るまででいいから。ね…」
「スミマセン、生憎こういう場所には興味がないので」
「え〜、そんな事言わないで。ねえ、マキさん、ナオ君…この子よく見てみて」


童顔丸顔のお姉様は、そう言って黒子の片腕を捉えた。
黒子は困って、先程プリントを受け取ってくれた和風美女に視線で助けを求めた。しかし一番常識がありそうな人物に見えた美女は、黒子の顔をじっくりと観察した後、こう呟いた。


「確かに、いい素材だわ」
「うん。腕がなる」


スタッフ3人の心が一つになった瞬間であった。


     ※


流石にプロの仕事は早かった。そして、技術もハンパなかった。
平均的な男子高校生の黒子テツヤの姿は、あっという間に神秘的な雰囲気のゴスロリ少女へと変えられていた。


短かった髪は、同色のロングのハーフウイッグがつけられ、目元を少しだけ強調したメイクは、アンティックドールの様な仕上がりになっている。
少女にしては少し太い首と平らな胸は、ブラウスのふわふわとしたフリルで上手いこと隠されている。スッキリとした黒いジャンパースカートは、ミッション系の制服のように清楚なデザインで、膝下までのスカート丈。だがゴスロリファッションらしく、裾からペチコートの繊細なレースが幾重にものぞいていた。


「ふうっ…完璧…」
「思っていた以上の仕上がりだね」
「そう? 素材がよかったからイメージ通りよ」


黒子は、もはや疲れ果てて、キャッキャッとはしゃぐ大人達に反撃する気も起こらない。つけまつげのせいで瞼が重いし、顔中がべたべたして気持ち悪い。


――最悪です。これが『メイク』というものなら、こんなものを毎日している女性達は随分と我慢強い事です…はっきり言って尊敬に値します。スカートというのも、足下がスースーして心許ないです。ああもう…満足したのなら、早く解放してもらえないでしょうか


黒子は、げんなりとそう思った。


「マキさん、ナオさん、アイちゃん、お疲れ様です。あの…ここに高校生くらいの男の子が来ませんでしたか? ガッコーの宿題を持ってきてくれるはずなんッスけど」
「高校生の男の子……えーっと…」


大人達三人は顔を見合わせて、困ったように黒子を指さした。


「ゴメン…黄瀬君。つい、創作意欲が暴走して…」


黒子は反射的に、黄瀬に背を向けて逃げ出した。


「あれが黒子っち?!!」


黄瀬は走り去る黒子の後ろ姿を、呆然と見送った。


「お友達で遊んでしまって、本当にごめんなさい」
「いやいや、マキさん。むしろ『good job』です、ありがとう」
「えっ、黄瀬君…今、なんて言ったの?」


しかし、もうその場には黄瀬の姿はなかった。
日頃バスケ部で鍛えた足を存分に使って黒子を追いかけた。黒子にとっては初めての場所でも、黄瀬にとっては自分のテリトリーだ。逃走は、すぐに失敗に終わった。


「黒子っち…」
「黄瀬君…もう逃げませんから、いい加減その手を離して下さい。それと、あんまりボクを見ないで下さい」
「どうして?」
「こんな変な格好をさせられているんですよ!!」
「別に変じゃないッスよ」
「どこがですか!! ボクは男なんですよ!!」
「うん、知ってるッス… でも、とっても似合ってる…」
「冗談!! 黄瀬君の目は腐っています」


怒りと恥ずかしさから、真っ赤になって喧嘩腰な黒子。隠そうとしてもすぐに、今にもとろけそうな笑顔に戻ってしまう黄瀬。


「腐っててもいいや…黒子っち、かわいい…」


そう言って黄瀬は、黒子を長い腕の中に抱き込んだ。


「黄瀬君、キミは変態ですか」
「違うッスよ。今の黒子っちは、誰が見たって立派に女の子だよ。男なら誰だってかわいい女の子が好きでしょう?」
「そもそもボクは、女の子でもかわいくもありません。いい加減、正気に戻らないとイグナイトをくらわせますよ」
「嫌ッす。こんなにかわいい黒子っち、手放したくないッす」


黒子はイグナイトを出すために手を動かそうとしたが、黄瀬にがっしりと抱きしめられている為に無駄に終わった。そうしている間にも、黄瀬の綺麗な顔が黒子に向かってゆっくりと近づいてくる。あと、数センチ…自然と黄瀬の瞼が閉じられた…
自由に動けない黒子は、本能的な危機を感じた。


「…っ」


ろくに抵抗できない悔しさから、黒子の目に涙がうかんだ。


「どうしてボクがこんな目にあわなくちゃいけないんですか!! せっかくの誕生日だったのに…」
「えっ?誕生日…って、今日、1月31日ッすかー!!」


黄瀬が、はっとしたように固まった。そのまま黒子を抱きしめたまま数秒…


「ごめん…黒子っち…」
「正気に戻られて何よりです。すぐに離して下さい」
「嫌ッス」
「嫌いになりますよ」
「それも嫌ッス」
「分かりました。では黄瀬君との縁もここまでですね」
「絶っ対に嫌〜ッ!! ごめんなさい。今すぐに離すから、それだけはどうか許して!!」


黄瀬は渋々と黒子を解放した。しかし、黄瀬の視線は黒子に捉えられたままだった。なんと言っても、プロ3人による力作だ。何も知らない人間から見たら黒子はきっと、きれいで可愛いゴスロリ少女にしか見えないだろう。


――ああっ、可愛い、可愛い!! 手放したくない


日頃のストイックさはどこへ消えたのか。諦めの悪い黄瀬はつい、黒子にこんな提案をしてみた。


「下でケーキセットを奢るッス。だから、もう少しその格好で付き合って下さい」
「この格好では嫌です」
「マジバのシェイク一ヶ月分、プラスするッス。だからね…どうぞお願いします」
「……」


黒子は呆れたような目で黄瀬を見た。それから腕組みをして、しばらく黙り込んでしまった。


――嘘っ…黒子っち、本気で考えてるッス。ダメもとだったけど可能性アリ? さすが、マジバのシェイクの威力っすね


「…本当に不本意ですが付き合いましょう。その代わり、約束は絶対に守って貰いますからね」
「あはは…勿論ッすよ」


黒子に黄瀬の右手が差し出された。

「じゃあ、行こっか」
「休憩時間は、後どのくらい残っているんですか?」
「内緒ッス…」
「それはあんまりにもルーズすぎませんか」
「ちゃんと分かっているから大丈夫ッス」


黒子は差し出された手をとり、そのまま自分の腕を絡めた。ほとんど無意識だった。


「えっ…?」
「嘘っ…?」


二人が同時に呟いた。
お互いが、耳まで真っ赤になった。


――もう、どうでもいいです


なんだかどっと疲れた黒子は、既に考える事を放棄して『毒を食らわば皿まで』と開き直る事にした。
せっかく周りから女の子に見られているというのなら、女の子を演じ切ってやろう…そう思ったら、だんだん楽しくなってきた。
黒子は、黄瀬に甘えるようにして腕を絡めたまま体重を預けた。
黄瀬は混乱して、赤くなったり蒼くなったりしている。黒子は、それを見て少し満足した。


「くっ、黒子っち…?」
「早く行かないと、時間が無くなりますよ」
「そうだった」
「まだ、何か言いたい事でも?」
「黒子っち、絶対にオレで遊んでる」
「ふふっ…わかりますか? でも、いいじゃないですか、だってボクの方はこんな格好にさせられたんですよ。おあいこです。でも、もう二度とキミの所のスタッフさんには近づきません」


――えー、じゃあ…この姿の黒子っちは、今日で見納めって事ッスか!! それはあんまりッス… じゃあ、せめて携帯に写真を…


「携帯は、しまってくださいね」
「なんでオレの考えていた事がわかったッスか? ひょっとして…黒子っちってエスパー?」
「そんな事あるわけないでしょ。キミの考えていることなんて、丸わかりです」
「お願いッス。一枚、一枚でいいから…」
「却下します」


――もし、本当にボクが女の子だったら…もっと素直に黄瀬君に甘えられたのだろうか…


――You`ll never known , dear , how much I love you…(君はきっと知る事はないだらう、オレがどれ程に深く君を愛しているかなんて)
――きっと黒子っちは知らない、オレがあの曲を選んだ本当の意味を…


     ※


二人のじゃれ合っている姿を、さっきまで黄瀬を撮っていたカメラマンが偶然に見つけた。
ゴスロリ少女を見つめる黄瀬の視線は優しく、柔らかく…どことなく切なげに見えた。それは、彼が今までに見たことがないほどに魅力的な表情だった。
思わずシャッターをきってしまったのは「いい写真を撮りたい」というカメラマンとしての本能からだった。


――いい写真になりそうだけど、これは…きっと…本誌には使えないだろうな。黄瀬君はこの娘を人目に晒したくなさそうだから。


カメラマンはカメラを撫でながら考えた。


――じゃあ…出来上がった写真は、データーごと黄瀬君にプレゼントしよう。それで…現場で黄瀬君から、もう一度今の表情を引き出せたら最高だ


我ながら良いアイディアだと、カメラマンは満足そうに微笑んだ。

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