曖昧






ふと女の口が止まった。チェックメイト、そう言おうとした彼女の目に、男の笑みが映る。負けるというのに余裕なその表情を、女は良く思わない。今日のチェスはいつもと違う、賭けがあるのだ。女が勝てば男が女のために盗みを働き、男が勝てば女の今夜は男のもの。その条件を提示したのは向こうで、そして男は今敗北を宣言される寸前。参ったとばかりに情けない表情を見せるだろうと内心ほくそ笑んでいた女は、気に入らないとばかりに声をあげた。ちょっとは慌てなさいよ。
むきになる女を見て、男はいやいやと笑む。勝てて良かったねーと思って、と、子供扱いそのままの言葉に女はテーブルに拳を叩きつけた。癇癪を起こさんばかりの女を両手で宥め、男は立ち上がった。眉を寄せて自分を見上げる女の横を通り過ぎ、窓から覗く見事な夜景を見て、呟く。本当は最初から盗んであげるつもりだったよ。
その言葉を聞いて、女はますます眉間の皴を深くした。自分に優勢に駒が並んだチェス盤を、見事にひっくり返して投げ飛ばす。床に落ちるガチャガチャとした音を耳に受け止め、男はまた笑った。こんな面倒な女が側にいたとは、と頭の中でだけ溢す。しかし本気でそうは思わない、女を可愛がってやろうと思えるのは、何故か。男は煙草を一本取り出して口に銜える。と、何時の間に隣に立っていた女に奪われた。嫌いだから吸わないでって何時も言ってるじゃない。声を荒げる女には苦笑を返した。

そんじゃま、お仕事と行きますか。窓に背を向けて、男は椅子にかけられたジャケットを手にとる。つい今止めろと言った煙が男から立ち上るのを見て、女は顔をしかめた。
それと同時に、首を傾げる。男が常に纏っていた鮮やかな緑が、今日は赤い。ワルサーを仕舞い込む手付き、いってくらあと手を振る男を見て、女は投げ掛けた。

「ルパン?」

ソプラノを背中に受けて、男はひっそりと笑む。それから振り向いて、女に向かってまた明るく笑んだ。どうして、疑問符をつけるんだい。男の台詞に、言葉に詰まった後、女は何でもないと首を振った。そして今度は、いってらっしゃい、女から手を振る。男がドアに吸い込まれて消えてから、女は先程の自分の言葉を反芻する。確かに、何故疑問符をつけたのだろう。さっきまで自分といた男は、昨日と何ら変わりない筈なのに。
ただ僅かに、違和感を感じただけで。



曖昧





20101030




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