ど、れ、に、し、よ、う、か、な。

指先を踊らせておまじないのように呟く。小さい頃から癖になっているこれに深い意味なんてない。どれも一緒、どれも似てる、どれも選べない、そんな時に私はよくこれを口にするのだ。
「名前、おまたせ。何してるの?」
「や、何かけよっかなって」
私の指先が止まった先はソースだった。そうかそうかと素直にそれをとって、トンカツの横に盛られたキャベツにかけ始める。
たかがキャベツと侮ってはいけない。この学食はキャベツに限らず色々と特別で、お値段の割に美味しいメニューが常時何十と並んでいる。和の定食に始まり、中華セット、洋食の一品物、麺やパンまでなんでもござれだ。
ただし、その分お昼の混雑は凄まじい。席一つ取るのも戦争で、既に私の左右の席は他の人で埋まっていた。
「ソースって合うの?」
「まあ、それなりに」
「好きなのかければいいのに」
「どれも同じくらいだから」
「私ならマヨネーズ一択だけどな〜」
そういう彼女の今日のお昼は天ぷら蕎麦だった。キャベツないじゃんとは思うけど、それを口にまで出したりしない。私は「それで?」と早速話題を切り替えることにした。
「ん?」
「私、授業一つ途中で抜けて来たんですけど」
「お昼のために?」
「いや、それもそうだけど……相談って何?」
「あー……うん。それなんだけど……」
向かいの彼女は持っていた箸をトレイに戻して、歯切れの悪い返事を返してきた。言いたくないーーというわけではなさそうだ。というのは、なんだか恥ずかしそうに嬉しそうにどう切り出そうか悩んでいるように見えたから。
……ふむ。
私はキャベツにソースを絡ませて口いっぱいに頬張った。瑞々しくて千切りも細かくて食感は最高である。それをゆっくり咀嚼した後に、トンカツ一切れにパクリと食いつくくらいまで待って、ようやくモジモジしていた彼女は口を開いた。
「……実は、見つけちゃったの。素敵なヒト」
「ああそう。おめでとう」
「いやいやいや待って! ちゃんと聞いて名前!」
テーブルの上で箸を持つ手を掴まれて、なんとその下では右足首を足で押さえられた。なんて完璧なホールドだろう。逃げられない。
……いや、何これ。この子どれだけ本気で話を聞かせに来たんだろう。
「ちょっと、」
「確かに前回は失敗しちゃったけどね、今度は絶対大丈夫だから!」
「……それ前も言って、」
「今度はチャラくないから! 真面目にスポーツやってる人!」
「はい?」
スポーツやってる人。スポーツ。その単語につい口元を引きつらせてしまう。スポーツ、そうねスポーツマンとかね。真面目に見えるよね。外からはね。
私の元彼も、周りからは真面目そうに見える好青年だった。でも実は面倒くさがりのワガママ男だった。スポーツしてるから真面目って、どういう理屈でそうなるのか証明してもらいたいものだ。
とはいえーー湯気のたつ天ぷらそばには目もくれず夢見る乙女みたいな表情になっている彼女に、私はどうしたものかと途方に暮れる。
彼女の「素敵なヒト見つけちゃった♪」はこれが初めてではない。入学して数日とたたないうちに一人、夏休み前に一人、夏休み中は同時に二人、そして今のコレである。なんて惚れっぽい性格かと驚愕したけれど、まあ本人は悪人ではない。いい子といえばいい子。クセあるけど。忘れ物多いけど。
……そして、男を見る目が壊滅的だけども。
「野球部なんだぁ。その人、毎日練習頑張ってて、それ帰るときによく見てて、いいなぁって」
どこか遠くを見ながら嬉しそうに話す姿に、私の背筋からは嫌な予感しか登ってこない。いいなぁって、って過去何回同じセリフを聞いたことか。どう見ても今までと同じパターンだ。一方的に好きになって突撃で告白して、フラれればまだいいけど、お友達からとかなんとか言われた先のセフ……いやいやいや。
阻止、断固阻止。
「ーーでも、野球部でしょ?」
口の中、咀嚼しきらない塊を飲み込んで、口早に私はそう言った。それは思わず出た言葉だった。あまりよくない表現なのは自覚してる。でも今回はこれが正解だったかもしれない。彼女のぼやっとどこかを見る目が、何となくだけど、きちんとこっちを向いた気がした。
よく分からないけどチャンスだ。思い止まらせるチャンス。何か何か、彼女に冷静さを戻す話を何か……
「名前は反対する?」
「反対、ってわけじゃないけど……きちんと見た方がいいとは、思う」
「そう、かな」
「毎日練習ってことは遊ぶ時間ないってことだし」
「いいのいいの。応援するから」
「や、でも、出てるだけで、真面目かどうかなんて分からないし」
「う……それは、そうかもしれないけど、でも」
「それにさ、」
必死だった。
彼女を止めなくては。役に立たなくては。そのためならーーどんな嘘だって正当化されるって思うほどに。
「ここの野球部、あんまりいい噂聞かないし、」
それとほぼ同時だった。
ガタン! とテーブルからも伝わるほどの勢いで、私の隣に座っていた人が突然立ち上がった。
何、急に。
驚いて、つい振り向いてしまう。彼の方も私を見ていたようで、私たちはバッチリと目を合わせてしまった。
「…………」
最初に視界に入ったのは、季節外れの桜色の髪。綺麗、なんて見惚れる余裕はない。柔らかなその色を覆してしまうほどの、冷たい見下すような瞳が、真っ直ぐ突き刺すようにこっちを向いていたから。
知らない人、だ。知らない人だよ?
……何? なんで私、こんな視線いきなり向けられなくちゃいけないの? 嫌だ。こういうの。凄く嫌。何なのこの人ーーこの人、怖い。
「…………っ、」
思った時には、ぱっと顔を逸らしてしまっていた。何も言わないでただ見てくるだけなのに、言葉よりも鋭利に私を傷つけてきそうで、私は久しぶりに誰かを『怖い』と感じていた。
そんなことを心の中で思っていたからではないだろうけれど。隣の人はさっさと食器を持って立ち去っていってしまった。空いたテーブルにはすぐにお昼の場所を探していた人がやって来て、遠慮なく荷物を置いていく。
しばらくして、ようやく強張っていた肩から力が抜けた。それは向かいに座る彼女も同じだったようだ。
「び、っくりしたね……名前、大丈夫?」
「平気……びっくりはしたけど」
本当は心臓がバクバクしていた。何だろう、あの目は。まるで私に敵意でも持ってるような。
私、何かしてしまったのだろうか。隣の席にソースでも飛ばしてた? それでお気に入りの何かを汚した? 可能性として考えられなくはない。余程大切なものだったなら、あの態度にもまあ納得……できるような、できないような……
「……っていうのは?」
「…………」
「ねえ、名前、いい?」
「え? あ、うん。いいよ」
「やったー。それじゃあ、午後は野球部の練習見学で決まり」
「……え?」
「真面目な人かどうか、一緒に確認しようね」
「……え?」

というわけで、私は野球部のグラウンドへやってきている。

私の友人の見つけた素敵なヒトは、割と普通に真面目に練習をこなす、人当たりの良さそうな人だった。
「あれ、来てたの?」
「うん。今日は友達と」
「こんにちは」
「こんにちは」
私は彼女の紹介で初めて会うその人に頭を下げた。練習を見てるとか言うから、てっきり見てるだけの片想いなのかと思っていた。けれど彼女と彼は見る限りとても仲の良さそうな友人同士という感じだ。いや、友人同士というか……
「来るとき連絡くれたら顔出すのに」
「邪魔したら悪いと思って……でも分かりやすいところから応援するから!」
「あはは、ホントに? 練習なんか見ててもつまらなくない?」
「そんなことないよ。頑張ってるところはカッコいいし」
「カッコ……あー、それは、どうも」
照れ臭そうにユニフォームの袖で顔を隠すようにしている彼の反応を見る限り、彼の方も彼女に満更でもない様子。私の心配は随分と的外れだったみたいで拍子抜けしてしまった。けれど、彼女にとってはこの上なく良い事だ。
「俺ら、この後片付けして帰るけど」
「私たちもそろそろ行くね」
「あー……また、連絡するよ」
「うん、私も」
どうにも、ただでさえ残暑にやられているというのに、この2人のそばにいるとさらに温度が上がってしまう気がする。2人から気持ち距離をとって、一歩二歩歩いて顔を上げた。
そこに、あの人を見つけてしまった。
お昼の桜色の冷たい視線。今は練習を終えた仲間と並んで、片付けに腰を上げようかというところだろうか。誰かの言った冗談だか何かに、相好を崩して笑っているのが見える。
……野球部、の人。
そうか。だからあの時。
頭の中で行き詰まっていたパズルのピースが音を立ててハマっていくようだった。昼間の自分が口にした言葉を思い出す。私、なんてこと。知らなかったとはいえ、あんなーー根も葉もない野球部を中傷するような言葉を。
思い出して恥ずかしさに顔から火が出そうだった。
どうしよう。
私、どうしたらいいだろう。

ソラ

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