頭痛い。目が回る。お酒は残っていないはずなのに。そしてすぐ隣に小湊さん。
……さっきから、3回も確認したけど、やっぱり夢ではないらしい。
「〜〜〜〜っ」
額を手で押さえたまま、私は無言で呻き声を上げた。
どうしよう。
いや、どうしようもない。
いやでも……どうにか、どうにか、何もなかったことに……なるわけ、ないけど。服とゴミ箱が大丈夫だとしても、そういう問題じゃない。
悶々としながらこちらに背を向けて眠る小湊さんに視線を落として、そもそもなんで私の家に小湊さんが来たのかを思い出そうと試みてみる。
『お茶出しますよ。ね?上がってって』
ふと頭に浮かんだセリフに薄っすらと嫌な予感がした。軽く深呼吸をして、思い出すのはやはりやめることにする。
……とりあえずベッドからは下りようかな。
目が覚めて初めてのまともな自分の意見に頷いて、私は音を立てないようにそっと身体の向きを変えた。そのままベッドから足をおろそうとした時の違和感に、動きを止める。
「…………」
嘘でしょ。
何かに引っ張られるような感触がして恐る恐る後ろを向くと、スカートの裾が小湊さんの身体の下にしっかりと入り込んでいた。血の気が引く。フレアスカートなんて選ぶんじゃなかった。
試しに、と引っ張ってみたものの、スカートはびくともしない。思い切りやっても結果は同じだった。こんなに重たいものなのかと驚くほど、裾は抜けないし、小湊さんの身体も動きはしなかった。
今日何度目かのどうしよう、が頭を回る。
トイレに行きたくなってきた。
でも、小湊さんを起こしたくない。心の準備なんかできていないし、トイレ行くから起きてください、なんて恥ずかしくて小湊さんに言えない。絶対言えない。
ダメ元でもう一度引っ張ってみようか。ため息をつきながらスカートに手をかけて、ふと思いついた。そうか、脱げばいいんだ。
そしてすぐに別の服を着ればいい。良かった、ここが自分の部屋で。
そうと決まれば善は急げ、とばかりに、私はスカートのベルトに手をかけた。少し緩めて横のファスナーを外せば、脱ぐのに困りはしないだろう。
ベルトは音がしそうだったので、慎重に慎重に動かした。横のホックも。
最後のファスナーが、思いの外耳障りな音を立てた。
「…………は?」
「ぁ……」
身体を仰向けにした瞬間に目を覚ました小湊さんと、スカートのファスナーを下ろしたところで、ばっちりと目が合った。
小湊さんは寝起きなのに頭がはっきりと回っているらしい。そして私の手元を見て、身体を半分起こすと、心持ち後ろへと下がりながら言った。
「……何、してんの」
小湊さんの声は掠れていない。対する私は喉ガラガラだし出る声もそれは酷いものだった。
「わ……私、あの、トイレに……」
発言の内容まで最悪だ。
「ああ……ごめん。どうぞ」
私の状況を見て全てを察したのだろう小湊さんが、大きなため息とともに腰をずらしてスカートの裾を開放してくれる。
恥ずかしくて居た堪れなくて、私はトイレへと駆け込んだ。駆け込んでから、こんなに急いで来たらトイレをものすごく我慢していたようじゃないかと益々恥ずかしくなった。穴にでも入りたい気分だ。
「……はぁ」
最悪。
なんだろう、この朝。
ささっとトイレを済ませたものの、なかなかここから出て行く気になれないくらい気分が重たいのは、なぜなのだろう。
『……何、してんの』
強張った顔を、してた。小湊さん。
それはそうだ。朝起きたら同室の女子がいきなりスカート脱ごうとしてるなんて、驚き以外の何物でもないじゃないか。
彼女でもない、好きでもない。
ただの友達の女子に。
「友達……ただの」
呟いて、立ち上がる。重たい気分はまだ治らない。
トイレから出ると、小湊さんは左手に時計をつけているところだった。
「あ。俺、帰るから」
「は……あ、はい。あの……」
「……何?」
「き……昨日のこと、なんですけど」
「…………」
「…………」
無言。
すっごい無言。
逆に怖い。いつもみたいなマシンガン並みの罵詈雑言を浴びせられた方がまだマシだ。
私、本当に何したの……?
「す、すみません」
「……は?」
「わた、私、何かしたんですよね? 家に連れてきたとか、めんどくさい絡み方したとか、酔っておかしなこと喋り続けたり、とか……」
語尾がだんだん小さくなっていく。言えばいうほど情けない。もう大人と呼んでいい年齢だというのに、私は一体お酒を飲んだくらいで何をしているのだろうか。
いや、何をしてしまったのだろうか。
「……あー……つまり、」
「は、はい」
「覚えてないわけ?」
「……面目ないです……」
「……うわ」
ハハハ、と空笑いする小湊さんのこめかみに、うっすら浮かぶ青筋が怒りのマークに見えた気がした。絶対怒ってる。しかもすごく。
「本当にごめんなさい……」
「……いや、もう終わったことだしいいけど」
「……いいって顔、してないじゃないですか……」
「俺は元からこういう顔」
それじゃ、と立ち上がって玄関に向かう小湊さんを、私は慌てて追いかけた。
「あ、あの、昨日何があったか教えてもらっても」
「嫌だ」
「な……なんで、ですか」
「面倒」
玄関で座り込んで小湊さんが靴を履く。同じようにして靴を脱いでいた光景を、なんとなく思い出した。
「あの、お願いします」
「何もないよ」
「じゃあ、なんで私、小湊さんの隣で、ね、寝てたんですか?」
「さあね」
「さ、さあね、って……」
「俺も忘れた」
「…………」
靴を履いている間ずっと、小湊さんは後ろにいる私を振り返らなかった。胸の内に黒々とした不安が広がって、息苦しくなってくる。
絶対、何かしちゃったんだ。私が。
だって小湊さんは、会話のときに背中向けたまま話すような人じゃなかった。
「それじゃあ、」
「…………」
「…………はぁ」
「…………」
「手、離してくんない? 帰れないから」
「……っ……」
わたしは小湊さんの服の裾をつかんだまま、ただ首を横に振る。
どうしよう。思ってたよりも深刻だ。
小湊さん、何を怒ってるの?
教えて貰わないと謝ることもできない。私、どうすればいい?
嫌われたくない。がっかりされたくない。私は、
「こ、小湊さん、」
「何?」
「昨日、ありがとう、ございました」
「…………」
「ちゃんとお礼、言ってなかった、気が、して……っ」
「……泣くこと?」
「……っ、ちが、います。泣いて、ない」
私は、この人にダメな人だって思われたくない。
だから泣かない。よく分からず謝ったりもしたくない。今ここでどうするかを、いくつかの選択肢から偶然頼りに選ぶこともしたくない。
さっと涙を拭いて顔を上げると、こちらに身体を向けて振り返った小湊さんと視線が合った。
「どういたしまして」
「……はい」
「別に怒ってるわけじゃないけど」
「そ……そう、ですか」
「ムカついてはいるから」
「…………それは……どう違、」
「この話はおしまい」
「わ……分かりました」
「俺の頑丈な理性の壁に感謝してよね、名前」
「はあ……頑丈な壁…………え?」
「それじゃ」
「あ、はい……え?」
キイ、と扉が開いて、閉じる。そのわずかな間に小湊さんはいなくなっていた。私は1人玄関の前に立ち尽くして、ぼんやりと考える。
……理性の壁って、何?
分からない。つまり小湊さんは理性の塊だと、そういうこと? 何もなかったって言いたかったのだろうか。
頭を使っていたら、二日酔いだったことを思い出した。とにかく水でも飲んで落ち着こうと、グラスを手に取って水を注ぐ。ごくごくと喉を鳴らして飲み干したら少しスッキリした。
同時に、やたらシンクに並ぶお酒の缶が目についた。
……あれ? もしやこれ、昨日飲んだ?
私だろうか。小湊さんだろうか。前者の可能性がかなり高くて、頭痛がぶり返しそうだ。
「はぁ……」
しばらくは禁酒しなくては、と部屋に戻り目に入った姿見を見て、今度は息が止まるかと思った。実際、数秒くらい息をしていなかったように思う。
……このスカート、昨日履いてたものじゃない。
「は!?」
1人しかいない部屋でつい叫び声をあげてしまった。慌ててクローゼットに視線を向けると、開きかけの扉の下に昨日履いていたスカートが落ちているのを発見した。発見したくなかった。
変わっているということは着替えたということで、何か理由があって小湊さんがやったのでなければ、私が着替えたということになる。小湊さん部屋にいたのに? スカート着替えたの? どれだけ泥酔?
……待って。待ってごめん本当に待って頭ついていかない、昨日の私本当に何したの!?
「あ〜〜〜……死にたい…………!」
私はその場に足元から崩れ落ちた。
とてもではないが、次に小湊さんと合わせる顔なんてない。

ソラ