「悪かったよぉ」
情けなくそう呟くのは一応、私の彼氏である。
「悪いと思ってないもん」
「思ってるって!な?こっち向けよ」
「嫌」
彼は部屋の隅で膝を抱えてそっぽを向く私の肩を揺らす。先ほどから謝罪を繰り返しているが、私には全く響かない。どうしていつも彼は私を怒らせるようなことをするのだろう。
「名前〜」
「……」
「名前ちゃ〜ん」
「……」
何度呼んだって返事なんかしてやらない。微動だにしない私に彼はため息をついた。
彼と出会ったのは忘れもしないあの夜。居酒屋街で知らない男に絡まれていて困っていたときに助けてくれたのが今の私の彼氏である。助けてくれたといっても、彼は全身真っ黒でどちらかというと彼の方が怪しい男であった。それから紆余曲折あり付き合うことになったが、彼は乙女心が分からずわたしを怒らせてばかり。私も怒ってばかりなのだ。
「はあ。俺帰っちゃおうかなあ」
帰っちゃおうかなあって、ここはお前の部屋だろう。とツッコミたかったがあえて我慢する。彼は私が反応するのを待っているのだ。
「……それとも他の女の子のところに、」
じろりと睨んでやると、「冗談だって!」と慌てて言った。
私は元の体勢に戻り、こっそりとため息をついた。分かっている、意固地になっていると。だが、自分でもどうしてこんなに意地を張っているのか分からない。何度待たされたって、職種を誤魔化されたって、不安になったって、好きっていう気持ちがあれば平気だと思っていたのに。
じわりと目尻に涙が溜まる。それに気づいた彼は「え!?」と大袈裟に叫んだ。
「も、もしかして俺ら……別れる!?」
私はぐるんと振り返り彼の胸ぐらを掴む。
「バカ!なんでこんなんで別れんのよ!」
「っそ、そうだよな。俺らこれからも続くよな」
眉を下げ念を押すように聞く彼を見たら、きゅっと胸が苦しくなった。私は力が抜けたように手を離す。
「……」
「えっ!?続かないの!?」
「……続くし……」
なんだか負けたような気がしてぽそりと呟いた。彼はあからさまにホッと息をつく。それをみて私はぐすっと鼻水を啜った。
「……私レポートあるから帰る」
「へ!?泣いたまま帰せれるわけなくね!?」
「琢真んちパソコンないんだもん。明日の12時までに提出なの」
「それってどのくらい時間必要なの!?」
「……1、2時間あれば」
「じゃあとりあえず今日は泊まって明日その提出時間に間に合うようにすればいけんじゃん!」
もしかして私といたいのかな。何がなんでも帰さないぞと言う彼の信念が透けて見えた。鼻水を啜る私にティッシュで彼は涙を拭く。
「あーあ。目真っ赤じゃん」
「琢真のせいだ。責任とれ」
「うん」
彼は私にティッシュを渡した。わたしはそれで鼻を噛む。
「責任とるよ」
「……そ、そんな真面目に言わなくていいよ」
冗談で言ったんだし、それにすぐに元に戻るし、と私はぽそぽそと呟く。だが彼は真面目な顔で「とるし」と言う。
「俺のこと以外で泣かれるの嫌だし」
「は?」
「名前ちゃんがいいし」
「??」
さっきから語尾にしが連続して全く頭に入って来なかった。頭にハテナマークを浮かべる私に対し、「明日レポート提出なんでしょ」と言ってベッドの上に放置されていたバスタオルとタオルを持たせ風呂に入るよう促した。
私は彼氏のことを名前と年齢しか知らないが、別れようとも、疑おうともしたことは一度だって無いのだ。

20200308