えむます | ナノ


▼ 懐くわけがない

この日、佐楽は休みの日であり、特に出かける用事も無かった。昼過ぎに起きた佐楽は、義姉に代わり姪のほのかを迎えに行くことになった。義姉が事前に保育園へ連絡を入れ、とらの湯の暖簾をかけに行くのと一緒に外に出る。よく晴れた午後は気持ちが良い。ゆっくりと身体を伸ばした佐楽は、散歩がてら少々早めに出発した。
佐楽が保育園に着くと、お迎え一番のりだった。ガラス窓に太陽のイラストが描かれた「おひさま組」に顔を出すと、ほのかがぱあっと顔を明るくさせた。佐楽が迎えに来ることはほのかは知らなかったため、サプライズに喜んでいる顔を見るのは佐楽も嬉しかった。
通園バッグは佐楽が肩にかけて、しっかり手を繋いで一緒に帰る。交差点を渡り、とらの湯へ続く一本道へ差し掛かった時にほのかが「あ!」と声を上げた。

「れんれん!」

ほのかの小さな人差し指が先を歩く青年を示す。銀髪を一つ結びにした青年は、佐楽もよく知る人だ。青年――牙崎漣は、むすっとした顔で振り向いた。

「んだよ」
「あれ。牙崎くん、ここら辺に住んでたの?」

佐楽が尋ねるも、漣は答えることなく再び前を向いて歩き始めた。新体操の練習や、男道ラーメンでの交流で少しは話せるようになったと思ったのだが、まだまだらしい。
ほのかが保育園で覚えた歌を口ずさみ、両手を振って歩く。未だ漣は佐楽達の前を歩いている。そして漣はとらの湯の前で立ち止まった。

「れんれんもおふろはいるのー?」
「まだ入らねえよ。チッ、らーめん屋とチビが遅ぇんだよ」
「円城寺さん達と待ち合わせなんだ。今はお客さんが少ない時間だから、中で待てばいいよ」

佐楽の手をぱっと離し、ほのかが真っ先に暖簾をくぐってとらの湯の敷地に入る。「いっちばーん!」と指を掲げるほのかに「オレ様が先だった」と漣が反論したのを見て佐楽は小さく笑った。
靴箱の鍵も二、三個無くなっているだけでロビーには客の姿は無かった。漣は受付横に置いてある冷蔵庫からフルーツ牛乳を取り出し、佐楽に小銭を渡した。テレビの前に置いてあるソファにどかっと座り、フルーツ牛乳を飲み始める。漣の視線が壁に貼っているポスターに移った。じっとポスターを見つめる漣に気付き、佐楽が声をかけた。

「石川さんに貰ったの。このポスター、凄く格好良くて好きだから貼らせてもらってる」

THE虎牙道の三人が出演したドラマのポスターだ。主題歌も担当したため、CDリリースと同時に作成された物だった。

「円城寺さんもタケルくんも素敵だったけど、牙崎くんの役が実は一番好き」

佐楽が自身の口元に指を当てて笑う。目を丸くした漣は、思いっきり笑い出した。

「二人には内緒ね」
「くはは!当たり前だろ、オレ様が最強だからな!」
「今度のライブも楽しみにしてるね」
「あ?オマエ来るのかよ」
「行っちゃだめ?チケット頑張って取ったんだから」

楽しみだなあ、と話す佐楽を見て漣がすくっと立ち上がる。自分より十センチ以上高い漣に見下ろされ、佐楽は暫し言葉を失った。

「絶対余所見すんな。オレ様だけ見ていやがれ」

荒々しい言葉の中に確かな決意を感じ取る。どう返しても薄っぺらくなりそうで、佐楽はただ頷いた。
音を立ててとらの湯の扉が開かれる。佐楽が入り口へ目を向けると、道流とタケルが顔を出した。

「こんにちはッス!」
「佐楽さん、お疲れ」
「円城寺さん、タケルくん。いらっしゃい」

佐楽が二人に歩み寄ろうとした時、Tシャツの裾が引っ張られた。佐楽が漣を見ると、漣は小さく「ふん」と言って佐楽のTシャツを掴んでいた指を離した。

「漣、待たせて悪かったな。佐楽さんも漣の相手をしてくれてありがとうございます」
「俺が相手してやったんだよ!暇そうにしてたからな!」
「姪の迎えに行ったときにちょうど会ったんですよ」
「お前、ちゃんと金払ったのか。佐楽さんに奢らせたんじゃないだろうな」
「払ったにきまってんだろ、バァーカ!」

漣は飲み干した牛乳瓶を乱暴に籠の中に戻し、タケルと額を突き合わせた。言い合いを続ける漣とタケルの背中を道流が押していく。

「ほらほら。漣にタケルも、早く入るぞ」
「ごゆっくりどうぞ〜」

三人が男湯へ入ったのを見届けて、佐楽はほっと一息つく。先ほどの漣は普段の様子と全く違くて動揺してしまった。とくとくと鼓動が速くなったのが分かる。
ふと、佐楽は壁にあるポスターへ視線を向けた。「一番好き」だなんて言わない方が良かっただろうか。でも漣の演じた役が一番好きなのは揺るがない事実である。

「……ドキドキしたあ」

三人が上がってくるまでには戻らなくては。佐楽は両手で勢いよく頬を叩いた。
一方、虎牙道の三人は身体を流した後に湯船に浸かっていた。熱いお湯が気持ちいい。背中を壁に預けてリラックスしている漣を見て、道流が尋ねた。

「――漣、なんだか機嫌が良いな」
「ここの風呂は悪くねえ……」
「佐楽さんに何か良いことでも言ってもらったのか?」
『はァ!?』

道流の問いかけに漣とタケルが同時に反応する。ばしゃん、と大きくお湯が揺れた。タケルがじいっと横目で漣を見ていることに気づき、漣は得意げに答えた。

「セントーもまあまあ見る目があるってことだ」
「やっぱり佐楽さんにたかったりしたんだろ……」
「してねえよ!」

――チビには絶対、教えてやらねぇ!

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