えむます | ナノ


▼ 行動で示せ

翌日は朝から曇りだった。テレビの予報では一日中すっきりしない天気だとあり、佐楽は折り畳み傘をリュックに仕舞い込んで家を出た。
タケルと道流は朝から仕事のため、今朝の練習は漣一人のみだ。同時スタートのバク転ではセンターポジションに立ち、時間差を置いて始まるタンブリングでは漣が最後に跳ぶ。漣の技はタケルと道流よりも難易度が高い。
スタートポジションに立った漣が助走をつけて跳び始める。マットに向き合う漣の眼差しは真剣そのものであり、ダンッと漣の足がマットを打つ音が練習室に大きく響く。

「空中姿勢で膝が曲がってる。爪先まで伸ばそう」
「おう。でも高さはあっただろ」
「牙崎くんならもっといける。第二タンブリングから後はもっと助走つけて良いよ」

佐楽のアドバイスに漣が頷く。「もっと助走」と呟きながら再びタンブリングのスタート位置に立った。
動画を取り直すために佐楽がタブレットを操作する。スクロールした時にたまたまライブラリの中にある動画を選択してしまった。
この間の練習で撮ったタケルの動画が再生される。練習を始めた当初は姿勢も崩れがちだったが、すっかり綺麗なフォームになっている。着地した時にタケルの横顔が佐楽の目に映る。昨日の帰り道での事を思い出し、再生が止まったタブレットの画面に視線を落としていた。

「――おい。ちゃんと聞いてんのか!」

漣の大きな声に驚いて佐楽が肩を上げる。漣は佐楽の真横に立っていた。近くに歩いてくる気配にさえ佐楽は気が付かなかった。

「聞いてなかった。ごめんなさい」
「シケた面するんじゃねえ。ジメジメしてうぜえ」

漣は苛立った声で言う。漣は佐楽のタブレットを一瞥すると、佐楽を上から睨みつけた。

「セントーとチビがどうなろうとオレ様には関係ねえ。でもこの仕事で頂点取るには……オレ様は納得してないが、チビが居ねえと話にならねえ。オレ様の邪魔するなら失せろ」

操作をしていなかったため、タブレットの画面が暗くなる。
お前は何のためにここに居るのか。言葉にしなくても、漣は視線で佐楽に問う。一番大切な事を見落としそうになっていたことに佐楽は気づく。
佐楽はタブレットを脇に抱えると、両手で自分の頬を勢いよく叩いた。佐楽は「ヨシ、」と小さな声で呟く。

「ごめん牙崎くん。もう一度お願い」
「次やらかしたら泣かす」
「うん。もうしないよ」
「口じゃなくて行動で示せよ。バァーカ」

漣はそう言うとマットに戻る。佐楽が録画ボタンを押して合図を送り、漣はタンブリングの直前の振り付けから演技に入った。
より強く。より激しく。より高みを目指して。
インストラクターとしてTHE虎牙道の演技を最高の演技にするために出来る事へ精一杯取り組む。佐楽には立ち止まっている暇は無い。佐楽はリストバンドに触れ、漣の演技を見つめた。

***

同日午前中、タケルと道流は別の仕事の顔合わせに出ていた。
テレビ、舞台、声の仕事――様々な分野で活躍している俳優達が集まって作り上げる朗読劇の仕事だ。公演によってキャストの組み合わせが異なり、タケルと道流は同じ役を演じるが他のキャラクターは全員別のキャストが演じる。朗読劇の練習は新体操の撮影日本番以降だが、台本は同時進行で覚えなければならない。
同じ公演に出るキャストともすぐに打ち解け、顔合わせは無事に終わった。次の仕事までは時間が空くため、タケルと道流は一緒に事務所へ帰ることにした。顔合わせ会場のビルから出ると、空は今にも降り出しそうな天気だった。
太陽が出ていなくても蒸し暑さは変わらない。地下鉄を使うよりもバスの方が便利なので、二人はバス停に向かって歩き始めた。ビルからバス停までの間には小学校や中学校が立ち並んでいる。そのため大きな車道があっても歩道は広く、並木道になっていた。

「漣のやつ、傘持って行ったかなあ」
「アイツはまあ……何とかするだろ。濡れても風邪引かないと思う」
「タケルは折り畳み傘持ってきているか?」
「ちゃんと持ってきている」

タケルはバッグをトントンと叩く。今日はきちんと天気予報を見てから出てきたのだ。
二人は小さな公園の前を通る。遊具の奥に東屋が見えて、タケルはとらの湯に初めて行った雨の日を思い出した。
白く煙る雨の中を佐楽と歩いた。雨が止んだ後の暗い雲の隙間から光の柱が降りてきて「綺麗だ」とわざわざ口にしなくても隣に居る佐楽も同じ気持ちだったと思う。
同じ景色を見ていた。ただそれだけで満たされていた。でもタケルはいつの間にか、佐楽にも自分と同じ想いであって欲しいと願うようになっていた。
タケルが足を止める。きゅっと唇を結んでいたタケルを見て、道流が話しかけた。

「何かあったか」

タケルが顔を上げる。いつも力強い真っ直ぐな青い瞳が不安に揺れていることに道流は気が付いた。
――円城寺さんみたいになれたらいいのに。俺は何も出来ないから。
小さく低く呟くタケルの声を聞いて、道流は何があったのかを察する。目的地のバス停はもうすぐそこだ。もう一つ先のバス停まで向かう時間の余裕はある。歩きながら話さないか、と道流が言う。タケルは頷くと一歩踏み出し始めた。

「この間事務所で次郎達と話していたことに関係しているのか?」
「……俺が子どもで頼りないから、佐楽さんは話してくれなかったんだ」
「子どもと大人。未成年と成人。差があって当たり前だ。でもその差が、タケルが頼りないという事に繋がるとは自分は思わない」

道流はそう断言する。道流の言葉に、タケルは弾かれたように目を丸くした。
聞く優しさもあれば聞かない優しさもある。話す優しさもあれば話さない優しさもある。優しさを向けたいと思う時、その人は相手を大切に思っているはずだ。道流はタケルにそう語った。
相手を思いやる気持ちに子どもも大人も関係ない。タケルの家族の話を聞いて真剣に応えたのも、タケルに佐楽が自身の家の事を話さなかったのも、理由は相手が大河タケルだからだ。
佐楽のタケルへの想いはここでは想像するしかない。それでも一つ言えるのは、佐楽にとってタケルは特別な存在であるということだ。

「心を曝すのは勇気が要るんだ。タケルより大人の自分だってそうだ」
「円城寺さんも同じなのか」
「もちろん。だから何も出来ないなんて言わないでくれ。タケルがタケルのままで居る事に意味があるんだからな」

でも、と言いだそうとしたタケルはその一言をぐっと飲み込んだ。自分の中で全部を理解出来た訳では無いけれど、道流の言葉をタケルなりに考えたいと思った。きっとこれはタケル自身が答えを出さないと意味が無いと思えた。
事務所に向かう路線のバスが二人を追い越す。バス停は目と鼻の先だったので、「走るぞ」と言う道流の言葉を待たずにタケルは駆け出した。今朝よりも身体が軽く感じた。
バスの運転手が走ってくる二人を見ていたため、無事に乗り込むことが出来た。バスが走り始めるとガラス窓にぽつぽつと水滴が付く。タケルと一緒に窓の外を見ていた道流が、午後は涼しくなると良いなと呟いた。ざっと降り出した雨の音が心地良くて、タケルは窓の方に身体を傾けて目を閉じる。
新体操の練習は屋内で良かった。雨が降っていても練習が出来る。次の練習は三日後だ。早く跳びたい、と言ったタケルの呟きは道流だけに聞こえていた。

***

朝練から三日後。THE虎牙道が全員揃う練習日だ。夕方から最終利用時間まで練習室を取っている。
準備運動を終えて、構成を変えたばかりの組み技の練習を早速始める。まずは佐楽と武子が補助に入って技の確認。これは問題なく出来た。続いて補助を外し、時間をかけてタケルが飛び上がる。こちらも佐楽の掛け声と手拍子に合わせることが出来たため、着地まで成功する。手拍子のテンポは実際の演技の曲と同じであるため、数回組み技のみの練習を行ってから通し演技に入った。
三人がマットのスタート位置に立つ。当初はクラウチングスタートのような姿勢で始まっていたが、演技に華やかさを与えるため三人バラバラの立ちポーズから始めることになった。これは武子と佐楽がTHE虎牙道のライブ映像を見て、印象的だった場面から着想し三人で決めたポーズだ。
音楽が始まって三人が動き始める。曲に合わせてマットを駆ける三人の技一つ一つを見て、武子と佐楽は頷く。組み技は演技の後半だ。道流と漣が同時にタンブリングをスタートさせてポジショニングする。二人が徒手運動をする中、タケルが素早く間を抜ける。
道流と漣が腕を組み、タケルが二人の肩を掴んだ。ここからは先は一瞬も止まれない。肌が触れ合う部分からお互いの鼓動を、呼吸を感じ取る。まるで一つの生き物になったような感覚を味わいながら、タケルが身体を浮かばせて組まれた腕の上に脚を乗せる。
しなやかなバネの動き。三人の呼吸が重なって、タケルが飛び上がる。爪先までピンと足を伸ばして上半身を捻る。タケルは自分の身体が美しい半円を描くのが分かる。空中で捻った瞬間、佐楽の顔がはっきりと見えた。
柔らかく着地に成功し、次の技にスムーズに入っていく。クライマックスの第四タンブリングも決まり、激しさを増していた曲は余韻を残しながら収束した。

「申し分ない演技だ」

佐楽の隣に立つ武子が満足そうに頷く。演技を終えた三人は髪の毛から滴る程の汗をかいてマットから降りた。佐楽さん、とタケルが真っ先に佐楽の名前を呼ぶ。

「俺の演技、どうだった?」

息を切らしながら興奮気味で尋ねるタケルに、佐楽は両手で大きく丸を作って見せた。
身体を冷やさないように汗を拭き、水分補給をしながら録画した先ほどの演技を全員で見返す。三人とも演技に手ごたえを感じていたようで、三分の動画を観終わった後は嬉しそうに顔を見合わせていた。
本番まで一ヵ月を切り、ようやくここまで来られた。だがここで満足するTHE虎牙道ではない。彼らが演じるのは主人公のライバルチームだ。乗り越えるべき壁は高い方が盛り上がる。
佐楽達だけでなく、武子の指導にも更に力が籠った。普段からは考えられない程の真剣な表情で指導する武子を見て、佐楽は自分の選手時代を思い出した。時に厳しい指摘を受けながらも、タケル達は必死に練習に食らいついていった。

「――今日はここまで。お疲れ様でした、練習回数も残り少ないですが、怪我せず本番まで走り切りましょう」
『はい!』

身体に疲労が溜まりやすい時期だ。クールダウンは念入りに三十分行って練習は終了した。
武子は業務が残っているためスタッフルームに戻ったが、佐楽の業務は終わっている。三人を見送ってから一人で帰ろうと思っていた佐楽だったが、道流の「入口で待ってますね」という声を断る事は出来なかった。
暗い中長く待たせてはいけないと、佐楽はロッカールームで急いで着替えを済ませる。佐楽が駆け足でスポーツセンターから出ると、三人は街灯の下で待っていた。

「おせーぞ」
「お待たせしてすみません」
「自分達は大丈夫っスよ。帰りましょう」
「腹減った〜」

漣はそう言ってタンッと足を踏み出す。軽やかにくるりと旋回する動きは、今日の演技で武子に指導された部分だ。「こっちの方が綺麗だ」と言って、タケルも並び立って動く。道流と佐楽は後ろから歩きながら二人の様子を見守っていた。
通し演技での高揚が収まらない。疲れているはずなのに楽しい気持ちの方が勝っている。先ほどの練習の中で聞けなかった事や気になっている事を話し続けていれば、あっという間に分かれ道に着いた。帰る方向が同じである道流と漣、タケルと佐楽に別れる。

「今日はお疲れ様でした。二人とも気を付けて」
「円城寺さんもお疲れ。また明日事務所で」
「次の練習もよろしくお願いします」

タケルと佐楽は二人の背中を見送る。腹が減ったと繰り返す漣が道流に飛びついている様子が見えて、佐楽は噴き出した。
帰ろうと口に出さなくても、タケルと佐楽は同じ方向へ歩き出す。タケルと二人きりになるのは、タケルが告白した日以来だ。メッセージのやり取りもあの日以来止まっている。練習中に会話した時、久しぶりに互いの声を聞いた。

「今日組み技が成功した時。跳んでいる時に佐楽さんの顔が見えた」
「私もタケルくんの顔が見えた。すごく良い顔をしていたよ」

きっとあの瞬間、二人の間には同じ想いがあった。言葉を交わさなくても、一秒にも満たないジャンプの瞬間に通じ合うことが出来た。

「撮影本番は今日以上の演技をしてみせる」
「うん。本番まで出来ることを精一杯やろう」

佐楽が言い終わると、タケルが拳を握って佐楽に向けた。真っ直ぐな青い瞳を見て、佐楽はふっと表情を和らげる。佐楽も拳を握り、タケルの拳と突き合わせる。その腕にはタケルがプレゼントしたリストバンドが着けられていた。

prev / next

[ back to top ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -