とうらぶ公開用 | ナノ
201.

「こんな感じでどうですか?表面を重くしてるんですけど、中はかなり梳いたので軽いですよ」

ともえは美容師から手鏡を渡され、くるっと椅子が回転させられた。肩甲骨まで伸びていた栗色の髪の毛はばっさりと顎下のラインまで短くなっている。ここまで髪の毛が短いのは、中学生以来かもしれない。高校で弓道を始めてから、ともえは一つ結びをするためにある程度の長さをずっと保っていた。
「後ろをふんわりさせるのが流行で〜」と美容師は上機嫌で話す。飛び入りで入ったヘアサロンだったが、ネットの口コミ以上の仕上がりにしてもらい、ともえは強張らせていた表情を緩ませた。

「お客様は顔が小さいから、ショートもお似合いですね。可愛いです!」
「えへへ。ありがとうございます」
「お写真をお店のSNSに載せたいんですけど、撮影とタグ付けしてもいいですか?」
「すみません。写真はちょっと」
「顔が載らないようにするのは?」

美容師はスマホを取り出すと、店のSNSページを開いた。確かに顔が見えない角度で撮影している写真も多い。個人アカウントへのタグ付けもしないと約束してくれたので、ともえは撮影とSNSへのアップに応じることにした。
鏡に映る自分の顔をまじまじと見る。髪の毛を短くしただけなのに、全然違う人間のように思えた。
カバーを外してもらい、ブラシで細かい髪の毛を払ってもらう。首元がすーっとして、ともえは思わず手を触れた。今日はこれから、首を焼かないようにしっかり日焼け止めを塗らなければならない。
学割で少し安くなった代金を払い、ともえはサロンを出る。施術してくれた美容師が、エレベーターの前まで見送ってくれた。

「夏休み楽しんでねー!」

大きく手を振る美容師に、ともえはエレベーターの中からぺこりと頭を下げた。ヘアサロンが入っているビルは、ともえが通っている高校から三駅先にある。私鉄各線が乗り入れている大きな駅で人通りも多い。ともえとすれ違いでエレベーターに乗る客の背中を見ながら、ともえは駅へと向かった。
待ち合わせ時間まであと十分。地下道のコインロッカーからボストンバッグを取り出して、待ち合わせ場所の大きな時計まで向かう。反対側から歩いてくる人にぶつかってしまわないよう、ともえはボストンバッグをぎゅっと抱きしめながら歩いた。
銀色の大きな時計はこの駅で一番分かりやすい待ち合わせスポットだ。ともえ以外にも待ち合わせをしている人間が多い。ともえがきょろきょろと視線を動かしていると、「ひい様」と柔らかく声をかけられた。ともえが振り返ると、普通の旅行者の格好をした青年が立っていた。

「時間ぴったりだね」
「本当に……。清磨が居た」

まるで幽霊を見たかのような、そんな表情でともえが呟く。ともえと待ち合わせをしていた刀剣男士――源清麿は笑った。

「当り前だろう。約束したんだから」

清磨はさも当たり前の事だと言わんばかりに答えた。あっけらかんとした返事に、ともえの方が呆気に取られてしまう。口を開けたままのともえを見て、清磨が自身の頭を指差した。

「髪、良いんじゃない」
「結構涼しくなった」
「身軽な方が旅には向いているよ」

清磨の薄紫色の瞳にともえの姿が映る。迷いの色がまだ残っているのが、ともえ自身にも分かった。
一年前から進めていた計画は、ともえが一歩踏み出せば後戻りは出来ない。夏の熱い風が吹いてくる。もう夕方だと言うのに昼間と変わらない厳しい暑さだ。風が首筋の汗を攫い、ともえはきゅっと唇を結ぶ。
ともえは大きく息を吸う。全身の血管が広がって心臓がどくりと跳ねる。自分でも緊張していることが手に取るように分かり、ともえは苦笑した。

「行こう。せっかく特急取ったのに乗り遅れちゃう」

清磨が頷き、ともえの半歩後ろについて歩き始める。改札を通り目的のホームに到着すると、特急電車が来るまであと一分だった。予約した車両の列の最後尾に並ぶと、ホームに車両が滑り込んでくる。
何度か使ったことがある特急電車だったが、知らない電車であるかのようにともえの目に映った。他の乗客の流れに続いて乗車する。
一人と一振。ささやかな反抗の旅路が始まった。

◆◆◆

旅のきっかけは一年と二カ月前まで遡る。
ともえの母親――平静香が職場で倒れた。静香は大学のキャリアセンターで働いている。大学主催のインターンシップイベントの前日準備を行っていた時の事故だった。前日から蒸し暑かったが真夏程ではない。そういった油断もあり、水分補給をあまり行っていなかった。フロアを跨いでイベント用資料を運んでいた時、強い眩暈が静香を襲い彼女は階段から転落した。
静香が勤務先から運ばれたのは薩摩国本拠地内の病院だった。審神者とそれ以外の人間では入院フロアが分かれており、静香は審神者の家族向けのフロアに居た。ナースステーションで平静香の病室を確認し、ともえはばくばくと鳴る胸を押さえて病室に入る。
病室は四人部屋でカーテンによって仕切られており、静香は窓際のベッドに居た。ともえはカーテン越しに人影を確認し、指先でカーテンを摘まんで顔を覗かせた。

『お母さん、具合どう?怪我大丈夫?』
『ともえ。来てくれてありがとう』

ともえの顔を見ると、静香は手元のリモコンを操作してベッドを起こした。額に大きなガーゼが貼られて、腕にもところどころ絆創膏が貼られている。それらを目に入れたともえが唇を結ぶと、静香は「ごく軽傷だから」と笑顔を見せた。精密検査も終わり、脳にも異常は無いと言う。今夜は様子見で入院するだけだと言われ、ともえはようやく胸を撫で下ろした。
ともえはパイプ椅子を引っ張り出して静香と話しやすいように腰かけた。

『お父さんは?』
『長期任務中だからね。一応本丸の担当官さんを通して連絡しているから良いのよ』
『ふうん』

静香の回答にともえは生返事をして、布団の上に突っ伏した。ともえはスカートのポケットからスマホを取り出す。清峰からの通知は来ていなかった。
――お母さんって、お父さんのどこが好きで結婚したんだろう。口には出さないが、ともえは思う。
ともえは静香のことが好きだ。母方の吾妻家の祖父母も、父方の平家の祖父母のことも好きだ。だが、父親である平清峰だけはあまり好きではなかった。
スポーツクラブの発表会にも、学校の行事にも、部活の大会にも。清峰は一度も来たことが無い。清峰の興味関心の中心にあるのは、共に戦う刀剣男士のことだ。歴史を守る大切な仕事だというのはともえも理解しているつもりだが、正直面白くはなかった。
今夜、静香は居ない。清峰も居ないのなら、自宅兼本丸には刀剣男士しか居ない。ともえはふう、と息を吐いた。

『今日私もここに泊まろうかな。なんだか心配だし』
『平気よお。お医者さんも看護師さんもたくさん居るんだから』
『あ!入院に必要な物あるでしょ。一晩だけど着替えとかも要るよね。この後家に帰って持ってくるよ』
『それなら堀川君と肥前君が持ってきてくれたから。気を遣ってくれてありがとう。明日には帰れるから心配しなくて大丈夫よ』
『……そっか』

どこにも居場所が無い。そう感じてしまった。
家族が、母親が入院したと言うのに、それを支えるのは夫でも娘でもなく刀剣男士だった。
審神者にとって刀剣男士は家族も同然の存在だと言う。だがともえは審神者ではない。ここに居る刀剣男士は「平清峰の刀剣男士」であり、ともえとは何の繋がりも持っていない。ともえにとって、刀剣男士は家族ではない。言ってしまえば他人なのだ。

ともえの胸の中で、ぐるぐると重たく濁った物が渦巻いた。結局ともえは病院に泊まることはせず、帰宅した。家に帰るためには薩摩国病院から出て、本拠地敷地内の指定されたゲートから帰る必要がある。何人もの審神者や刀剣男士とすれ違う。父親と同じ濃紺の制服を身に纏う審神者達を見て、ともえは手先が冷えていくのを感じた。
転送用ゲートを抜けて本丸の門をくぐる。ちょうど夕食の準備時間にあたるため、刀剣男士達はともえが帰ってきたことに気付いていないようだ。それでも玄関を開ければ、きっと誰かが出迎えるだろう。ともえは眼前の母屋を見上げる。平家の居住区は母屋と廊下で繋いだ離れにある。母屋で生活を営んでいるのは刀剣男士だ。

「いやだ……」

口を突いて出てきたのは拒絶の言葉だった。ともえは口元を手で押さえる。吐きそうだった。いっそのこと、胃液と一緒にすべて吐き出してしまったら楽だったかもしれない。
ともえは顔から転びそうになりながら走り出した。すぐにここから逃げ出したかった。ここに居ると、心細さと寂しさに押し潰されてしまいそうで怖かった。
リュックをひっくり返す勢いで転送用カードを取り出す。ともえが本丸の転送ゲートにカードをかざそうとした時、ともえを制止する手が後ろから伸びてきた。ともえは咄嗟に振り返る。顔を真っ青にしたともえとは対照的に、源清磨が冷静を保ったままともえに話しかけた。

「酷い顔色だよ」
「離して!関係ないでしょ!」
「どこに行くつもりだい。行くアテなんて無いくせに」

清磨の言葉を受けて、ともえはかっと顔を赤くした。顔が急に熱くなり、涙腺が決壊してしまったかのように涙が溢れ出る。ともえは清磨の手を振り解こうとしたが、それは叶わなかった。ともえが抵抗する度に涙が零れて制服に染みを作る。
ともえの手が引かれ、ともえの顔が清磨の胸の中に埋まる。ともえの涙と鼻水で服が汚れるのも気にせず、清磨はともえの背中に触れる。幼い子どもをあやすかのように優しく背中を摩られるものだから、ともえは更に涙を堪えることが出来なくなってしまった。

「泣いてしまう程、君はここが嫌なんだね」

自分の家が嫌い。私の家なのに私の居場所がどこにも無い。
私の優先順位は一番下なんだって、私に気を遣って誰も明言しない事が一番嫌い。

――私、どうしてこんな家に生まれて来たんだろう。

清磨がともえの胸中をぴたりと言い当てる。ともえが顔を上げると、清磨が目を細めた。ともえは初めて、清磨の顔をしっかり見た。いつも笑っているとは思っていたが、こんな風に眉を下げるというのは初めて知った。
困ってしまって、どうしようもないような。袋小路に閉じ込められてしまったかのような。そして、今のともえと同じく寂しさでいっぱいになってしまっているような。そんな表情だった。
清麿が薄い唇を開く。紡がれた言葉を聞き、ともえは目を見開いた。

◆◆◆

「――喉乾いてない?」

ともえがゆるゆると目を開けると清磨が彼女を覗き込んでいた。ともえが窓に目を向けると、トンネル内を走っているため鏡のように自分の顔が映った。
エアコンがよく効いた車内でともえの身体が冷えないようにと、清磨はともえに自身のフーディを毛布代わりにかけていた。ともえが返事をしようとすると、喉の奥が詰まった感覚がした。それに気づいた清磨はペットボトルのお茶をともえに差し出した。

「口いっぱい開けて寝てたよ」
「喉ガラガラだよ。起こしてくれれば良かったのに」
「よく眠ってたからさ。良い夢だった?」

ともえは答えたくなくてペットボトルが凹む勢いでお茶を飲み込んだ。チャイムの音と同時に車内アナウンスと、前方の掲示板に案内文が流れていく。

『次は××。××です。××方面へ行かれる方のお乗り換えは〜』
「ここで降りるんだったね」
「うん。在来線に乗り換えるよ」
「荷物下ろすよ。忘れ物が無いか、よく見ておいて」

清磨は席から立ち上がって荷物代からともえのボストンバッグと自身のリュックを下ろしてともえに手渡す。
特急電車はトンネルを抜け、車窓の向こうにはのどかな果樹園が広がっていた。八月の日の入りは十九時近いため、十七時台の今はまだまだ明るい。
アナウンス通りに特急電車は目的地に到着する。出発した駅と異なり、ここは在来線の鈍行に乗り継ぐためだけの駅だ。ともえ達以外に数組の客が降り、改札の外には迎えに来た家族の姿が見えた。

「ひい様。乗り換えは向こうのホームだって」
「分かった」
「予定通り十九時前には民宿に着きそうだ。僕、お腹空いちゃったな」
「……私も」

奥のホームへ移動するために、清磨が先に歩き始める。清麿の背中を見ながら、ともえは特急電車の中で見ていた夢を思い出していた。

『そんなに嫌なら、逃げてみるかい』

その時の声はともえも鮮明に覚えている。心の中でぐるぐると渦巻いていた感情が、まるで嵐が晴れたかのように消えたのだ。
実行には一年以上の準備をかけた。清磨の言葉があったから、ともえは今ここに居る。

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