stand by me



例えどれだけ俺が千歳にとって大事な人間になることが出来たとしても、俺は千歳の生き方を変えることなど出来はしないのだ。
きっと関われない。切り捨てられるひとつ。
胸に濁る焦れた思いを吐き出すように、俺は小さく小さくため息を吐いた。

「なんね、蔵」

耳聡く聞きつけた千歳が俺の背中に声を投げかける。
こいつは目がよく見えていない代わりに、耳は恐ろしくよく聞こえているらしい。
出来る限り小さく息を吐き出したつもりだったのに。
二の腕のあたりを大きな手に掴まれて、湿ったベッドへと体を押し付けられる。
ああ汗の染みこんだベッドに寝転んでいるのが嫌で、気だるくても体を起こしていたのにな。
いつもの緩い微笑みを見上げながら思う。
抗って体を押し返してやろうとも思ったけれど、きっと今までの経験からして逆に千歳の嗜虐心を煽ってしまうだけだろう。潔く諦める。
押し倒してきた腕の中に大人しく収まってやって、けれどせめてもの反抗に顔を背けてやる。
どうせその小さな反抗もすぐに千歳に奪われてしまうのだろうけど。優しく顎を捉える手は抗うことを許さない。
されるがままに顔を真正面に向けてやる。さっきと同じ緩い微笑み。
ゆっくりとこちらに降りてきているのが分かって目を瞑る。唇に触れるのはいつもと同じ柔らかい感触。
軽く食まれて温度はじわりと去っていく。

「もしかして足りんと?」

首を小さく傾げて千歳が言う。
やることなすことは肉食獣のそれなのに、どうしてこういう細かな仕草は小動物を彷彿とさせるのだろうか。
その可愛らしいギャップに心が動かされそうになる。
しかし俺は首を縦には振らない。

「別に」
「嘘」
「嘘やないし。もう眠い、風呂入る」
「じゃあ俺が足りん」

結局最初からそのつもりだったのだろうか。
起き上がろうとする俺に構わず、ぐいと体重をかけ圧しかかってきた。
首筋に顔をうずめられてもう抗えないことを理解する。仕方なしに俺は目を閉じた。

足りない、か。俺は時々千歳が発するこういう言葉が好きだった。
足りない、欲しい、抱きたい。
ああ俺は千歳のものなのだ。所有されている。支配されている。
そしてそれを望まれている。そう思っていたのだ。でも。
そんなのはただの言葉だった。示すのはその場の情欲。
心の奥底からの独占欲がもたらすものではない。きっと、違う。

だってこの男は何に対しても執着を持たないから。
千歳は簡単に大事なものを切り捨ててしまえる。

思い知ったのだ。あの時。その試合の後。退部のことを聞いたとき。
テニスとか、四天宝寺のこととか、そして俺とか。
それらが千歳にとってどれだけのものだったのかは分からない。
もしかしたら最初から大事なものなんかではなかったのかも知れないけれど。
どちらにしても千歳は簡単に切り捨ててしまえたのだ。あんな紙切れ一枚で。
あれから千歳がどうするつもりだったのかは分からない。流れ的に戻ってきたのだけれど、もしかしたらあれきりだったのかもしれない。
あれきりでもいいと千歳は思っていたんだろう。だから、切り捨てた。

千歳は俺のことが好きだと言う。それは別に疑ってなどいない。
千歳は好きな人間以外とは同じ時間を好んで過ごそうとしないのは今までずっと千歳を見てきた俺が一番知っている。
千歳はちゃんと俺のことを大事に思っていて、好きでいてくれていて、必要としてくれている。
それでも、だ。
千歳はきっといつでも俺のことなんて切り捨てられる。

ずっと感じていた。千歳の身に纏う奇妙な身軽さ。今にもどこかへ消えてしまいそうな危うさ。
そしてその正体。
千歳は、何にも執着を持たない。
大事なものさえ切り捨ててしまえる。人や、物に対して強く結びつくことをしない。
それが千歳を軽くするのだ。
どこにでも行かせてしまう。千歳をどこにも縛らない。
俺は千歳を縛れないし、千歳は俺を置いていくのを厭わない。
俺が千歳にとって、自分の生き方を邪魔するようなものであれば、きっと千歳は俺のことなど構わないのだ。例え愛していたって。

俺はそれを否定することが出来ない。

見たくない現実。しかし嫌でも思い知ってしまう事実。
胸がどきどきする。嫌な感じ。
どうしようもなく苦しくなって、頭がぐるぐると回る。
千歳の顔を見ていられない。
ここから逃げたい。苦しい。泣いてしまいそうだ。
思い切り千歳を突き飛ばしてしまいたくなるのを堪えて、肩をゆっくり押し返す。

「千歳、やっぱ俺風呂行くわ」

震えた声になっていないだろうか。涙目になってはいないだろうか。
可哀想な顔にならないように、ぐ、と額に力を込める。
見上げた千歳の顔は不思議そうな表情。力が緩くなった隙に腕の中から抜け出す。
背中を向けてベッドから降りようとするとまた腕を掴まれた。
逃げたいのに逃げられない。そうさせるのは力の差かそれとも精神的なものか。
引き寄せられて後ろから千歳の胸に抱かれる。
強い腕の力に心が溶けそうになる。この腕はこんなに力強くて逃がさないようにと抱きしめてくるというのに。

「蔵」

名前を呼ばれて耳の後ろを舐められる。
抗えない快感に背筋が震えた。

「何が不満?」
「…別に」

千歳はどこまで気づいているのだろうか。
俺の考えていること。浅い気持ち深い葛藤。
どれにしても言えるわけがない。
束縛して欲しい。独占して欲しい。
俺がいないと生きていけないというくらい俺のことを必要として欲しい。
どろどろとした重たい気持ち。
口に出したら縛れるのだろうか。いいやきっと重さに耐えかねてふわりと消えてしまうのがオチだ。

「好いとーよ、蔵」

千歳が掠れた声で囁く。俺の心をぐらぐらと揺らす。
そんなの分かっている。千歳は俺のことを好きでいてくれている。そんなの知ってる。
でも俺はそれでは足りない。俺が欲しいものはもっと重いものなのだ。
好きだと言うなら苦しいくらいに抱きしめて欲しいと思った。
欲しいと言うなら壊すくらいまで求めて欲しいと思った。
俺のせいで、その身にま纏う身軽さが無くなってくれればいいのに。そう思った。

「…俺のほうが、ずっと好きや」

この言葉に込めた真意なんてきっと千歳は気づかないのだろう。
可愛いことを言ってみせる恋人だと、引いてみせたり擦り寄ってきたり気まぐれな恋人だと思うのだろう。
いい。気づかなくたっていいのだ。どうせ俺の言葉も存在千歳を縛れることなどないのだから。
千歳の熱い息が首筋にかかる。抱きしめる腕が先ほどよりも強くなって、俺はされるがままに目を閉じた。

ああこの腕に込められる力がただの情欲なのではなくて、彼の独占欲の象徴であるのならばよかったのに。
もうどこにもふわふわと離れて行くことなど出来ないように体の奥の方からぎゅうと結びついてしまえればいいのに。

ただ、ただ俺はその執着心だけが欲しかった。






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束縛されたい白石くんと根無し草な千歳くん。

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