軌跡 目の下にうっすら出来た隈とか、皺とか、うっすら見える白髪とか。 オサムちゃんが今まで生きてきた年月を感じさせるそれらが好きで、そして嫌いだった。 「しらいし」 オサムちゃんはいつものように風呂のあとのお酒を嗜んでいた。 俺もいつものようにそんなオサムちゃんに寄り添って、冷たいお茶を飲みながらぼんやりとテレビを眺めていた。 「お前そろそろ寝る時間ちゃうん?」 「…オサムちゃんは?」 「んーおっさんはもうちょい飲んで寝るわ」 へらへらとオサムちゃんが笑う。 笑ったときにうっすらとできるオサムちゃんの目の皺が俺は好きで、嫌いだった。 遠く感じる。自分にはまだないそれら。年月の差。 それは例えば目の下の隈、皺、白髪、自分には飲めないお酒、煙草。色々だ。 その全てが俺とオサムちゃんの隔たりを感じさせる。埋められない年月の隔たり。俺が生まれて生きてきて、見てきたもの、触れてきたもの、感じてきたものの倍くらいオサムちゃんは色々なものを体験してきているのだ。 それらに嫉妬しているのだろうか。分からない。 けどオサムちゃんの体に刻まれてきた年月を見るたびにじわじわと体に迫るようなものを感じるのだ。 俺が好きになったのは大人なオサムちゃんなのに。 その大人、の部分が好きでもあったし嫌いでもあったのだ。 「…な、オサムちゃんの初体験って何歳やったん?」 聞く言葉は何でもよかった。 ただ昔のことを、俺がまだ知らないオサムちゃんのことを聞いてみたかった。 なんとなく口をついて出たのがそれだったのだ。 最後まで俺が言い終わらないうちに、オサムちゃんは飲んでいたお酒をぶっと噴出してしまった。驚いたらしい。 げほげほと咽ながら俺のほうを見る。 「し、白石はいきなり何聞いとんねん」 「や、なんとなく」 ここで俺は少し後悔していた。 俺たちはまだ何もしていない。清い関係、という奴だ。 いや全く清いかと言えば嘘になるけれど。キスまで。 そもそも教師と生徒では清いなどとは言えないかもしれないけれど、まあそれは置いておく。 とりあえず今まで何度かオサムちゃんの家に泊まったことはあったけれど、一緒にご飯を食べて、ぐだぐだキスをしたりして、別々にお風呂に入って、何もせずに寝ているだけだった。 そして今日もまた泊まりにきているのだけれど。 今日も今日とて何もせずぐだぐだ喋ってキスして寝る流れだった。のに。 これじゃ、俺が痺れを切らして誘っているみたいじゃないか。 「えー…せやねえ…18か、19くらいやったかなあ」 「へえ…結構遅いんやね」 「一応優等生やったからな」 言ってオサムちゃんが懐かしそうに笑う。 何とも無い様子のオサムちゃんにほっとした。 と同時に少し悔しくもなる。 オサムちゃんは俺とは違う、大人、だからこのくらいどうってことなかったんだな、と思う。 俺一人でうろたえて馬鹿みたいだ。 でも仕方ない。俺が好きになったのはオサムちゃんだけで、こういう関係になったのもオサムちゃんだけだから。 他にこんな感情を抱いた人なんていないから。 でも、オサムちゃんは違う。 俺と出会う前に付き合ってきた人がいる。好きになった人がいる。いやらしいことをしてきた人がいる。 そんなものが少しだけ垣間見えてしまった気がして、少し悔しくなったのだ。 「なんやあ白石、自分から聞いといて嫉妬かあ?」 「べつに」顔に出てしまっていたのだろうか、察したオサムちゃんがぐりぐりと俺の頭を撫でる。 ああやっぱり俺は子供なのだなあと思い知らされる。 「しらいし」 オサムちゃんが静かにお酒の缶を置く。からんという軽い音が響く。もうほとんど入っていないみたいだ。 軽く顎を掴まれる。ああキスされる、と思う間もなく唇が触れ合う。 ぬるりとした舌の感触が唇に伝わる。受け入れるように唇を薄く開いたら狭い入り口を押し開くように舌が進入してきた。 湿ったお酒の味がする。 「ん、酒くさ」 「はは」 今度は俺がオサムちゃんの頬に手を添えてキスをした。ほんの少し、触れるだけ。 「な、白石」 「ん?」 「さっきから、誘っとる?」 言われてかあ、と頬が熱くなるのが分かった。 そう思っていたくせに、なんともない振りをしていたのか。 やっぱりオサムちゃんのほうが一枚も二枚も上手だ。恥ずかしい。悔しい。情けない。 顔を覗き込むように近づけてくるオサムちゃんの肩をぐいぐいと押し返す。 「べ、別に…」 「ホンマに?」 オサムちゃんの手が背中に伸びてくる。つつ、と服越しに背骨をなぞられて肌が粟立つ。 俺に触れてくるのはいつものことだけれど、こんな風に性を帯びた触り方をしてくるのは初めてでどきどきする。 オサムちゃんの手は背中からゆっくりと上がってきて首へと触れた。俺の体温よりも低い温度。 それが直に俺の肌に触れて、今度は大きく体が跳ねた。 顔を上げるとまたオサムちゃんの唇が落ちてくる。さっきと同じ湿ったお酒の味。 「俺は白石としたいねんけどなあ」 欲を孕んだ掠れた声で囁かれて体が震える。 俺の中の本能にもじわりと火がついていくのがわかった。 別に今更カマトトぶるつもりなんてない。俺だってしたい。そうじゃなきゃこう何回もオサムちゃんの家に泊まりに来たりなんてしない。 ただ、余裕を見せ付けられたのが少し悔しくて情けなかっただけ。だから素直に受け入れられなかっただけ。 「俺も…」 「ん?」 「したい」 でもそれを口に出すのはやっぱり恥ずかしくて、最後のほうは酷く小さな声になってしまった。 それでもオサムちゃんにはちゃんと聞こえていたらしく、頭を支えられてゆっくりと後ろに倒された。 敷きっぱなしの布団に体を預けて、見上げるとオサムちゃんの顔。 いつもみたいにへらりと笑った顔。でもいつもと違う状況から見ているからか、すごくどきどきした。 「白石、止めて欲しくなったらいつでも言いや」 余裕そうに言うオサムちゃんがやっぱり気に食わなかった。 大人なのだからそれで当たり前なのかもしれないけど、でも気に食わなかった。 「…言わへんし」 「ほんまにー?」 「絶対言わん」 そうきっぱりと言い切ると、オサムちゃんは一瞬真剣な顔をした。 いつも見ることのない表情に少しだけ身が震える。 「そんなん言ったら、後でやめてー言うても知らんからな」 強張った俺の顔を優しく撫でて、薄く微笑んだ。 オサムちゃんの湿った手が、俺のTシャツの中に進入してくるのを感じて、ゆっくりと目を閉じた。 >> |