依存症



その体は俺の全てを溶かすようだと白石は思う。

白石は人に必要以上に近づくタイプの人間ではない。
むしろ、白石は人を遠ざけるほうだと自分で思っていた。
遠ざける、というよりも薄い膜をつくってそこのなかには人を入れさせないという感じ。
近くで話していたいと思うのも心を許した何人かだけ。
別に人間が嫌いだとかそういうわけではなくて、なんとなく落ち着かないのだ。人と必要以上に触れ合うということが。

けれど千歳に対してはそれが違った。
千歳は自分のまわりにある薄い膜みたいなものを容易く浸透してきてしまうのだ。
いやむしろ、自分から千歳を膜の中へ引きずり込んでいるようだと思う。
例えば磁石のN極に引かれるS極のように、引き寄せられるように体が千歳を求める。
その背中にすがり付いて顔を埋めるとどうしようもなく心が満たされるような気がする。いや、気ではなく実際に満たされているのだと思う。
体の内部の心臓あたり、言うなればそこが心というものなのだろうか。
その体のまんなかあたりがじわりじわりと一杯になるような感覚がするのだ。
そして、それは何故か白石を眠りの淵へと追い込んでいく。
人は満腹になると眠くなるけれど、それと同じような類なのだろうか。
その体に触れて満たされると、脳の中がどろりと溶けるように意識にもやがかかっていくのだ。



「ちとせ…」

触れる背中は温かい。大きな背中。
手を目いっぱい伸ばしその背中に抱きついて、白石は千歳の背中に全身を預けていた。
耳を背中に当てると心臓の音まで聞こえる気がした。千歳の音。

「くら」

呼ぶ声に顔を上げると振り返る千歳の顔が見えた。

「こっちゃおいで」

背中から柔くはがされたかと思うと導かれたのは腕の中だった。
自分のものよりも少し高い体温が白石の体を覆う。
仄かなシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐる。
大きな手が頭をゆっくりと撫でる。
その全てが自分の中を緩やかに満たしていくのが分かる。

「疲れとっとね?」
「…分からん」

疲れているのだろうか。たぶんそうなのだろう。
白石にはどうしてもこうして千歳に触れたいと思うときがあった。
疲れた人間が甘いものを求めるよう。その甘いものが白石にとっては千歳だった。
千歳にこうして触れているのは不思議な気分だった。
小さな小さな子供に戻ってしまったかのような気分になる。
親に抱かれる幼い子供。揺りかごの中の赤ちゃん。羊水の中の胎児。
わけの分からない安心感。癒し。
そうして自分の中がじわじわと満たされていくのを感じるのだ。

「ん…」

そうして襲ってくるのは猛烈な睡魔。
アイスクリームがぬるい温度にとろりと溶かされるように、脳みそが溶けていく。
目を開けているのも億劫になって目を閉じる。
きっとこの男は麻薬なのだ。
気味の悪いほどの穏やかな快楽をじわりと与えて。
緩やかに脳みそを破壊して溶かしていく。
きっとこのままいたら俺はだめになってしまうのだろうけど、もう抜け出すことは無理なのだ。
一度覚えてしまったこの感覚を手放すことなんて出来そうにない。このとろけるような緩やかな快感を。
どうしようもない依存症。
きっともう手遅れ。

「おやすみ、くら」

千歳の手が更に眠りの奥深くへと追いやる。
きっとこの手も、抜け出すことを許してはくれないのだろうから。

千歳の声をどこか意識の遠くで聞きながら、白石は緩く頷いた。

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