邂逅



生死の狭間で未知との遭遇。
最上さんやら誰それ亡くしたあとの迅さんが書きたかっただけです。
色々過去捏造。



目が覚めたのは、いつもと何ら変わらぬ自分の部屋のベッドの上だった。
カーテンを閉め忘れた窓から差し込むのは綺麗な夕焼けの紅い光。瞼を焼く光から逃れるように寝返りを打つ。
いや、夕焼けって。太刀川の意識が徐々に覚醒に向かう。眩しさに目をこすりながら、太刀川はゆっくりと目を開けた。
なんでこんな時間に寝てるんだ俺は。いつ寝入ったんだかさっぱり思い出せない。大学は…まあどうでもいいとして、今日は本部に行った覚えがない。任務は何かあったっけ。
眠りにつくまでのことを思い出そうとするのだけれど、なんだか脳に霞がかかったようにもやもやして上手く思い出せない。まだ寝ぼけているのだろうか。
まあいい、とりあえず携帯でも見ればなんか思い出すだろ、と欠伸をしながら体を起こせば足元の方から自分を呼ぶ穏やかな声が聞こえた。

「あ、起きた?太刀川さん」
「…迅?」

声のした方へ視線を向ければ、ベッドの縁に頬杖をついて太刀川を見つめている迅の姿があった。
太刀川と目が合うと嬉しそうにベッドに乗り上げてくる。すごい欠伸、と笑いながら隣に寄ってくる。眩しい夕日に迅の茶色い髪が紅く染まる。

「おはよ」

迅はいつものようにへにゃりと笑って太刀川の頬にキスを仕掛けてきたので、太刀川の方からも迅の頬に軽くキスを返してやった。
改めて迅の格好を見やればいつもの玉狛の隊服ではなく、太刀川のTシャツに下着というだらしない姿。まあここで二人で過ごす時は大抵こうだから、それは別に気にするところではない。
それより迅がこんな状態ということは多分抱いた後なのだろうけれど、さっぱり覚えていないことのほうが問題だ。そもそもいつここに招いたのかすら記憶にない。
記憶を無くすくらい酒でも飲んだんだろうか、とも思ったけれど特に二日酔いしている感じもしない。まだ脳は寝ているのだろうか?ちり、と目の奥が痺れるようなよく分からない妙な感覚が太刀川を襲う。
なんだかよく分からないことだらけだが、まあいい、こいつに聞けば何か分かるだろう。
なあ、なんか俺まだ寝ぼけてるみたいなんだけど、
口を開こうとした太刀川の唇に、迅はそっと人差し指を押し当ててその先を遮った。

「ね、勃ってる」

迅は太刀川の股間にゆっくりと腰を下ろすと、自分の尻を押し付けてふに、と柔くそこを刺激した。
太刀川さんのえっち、と迅はくすくす笑う。微妙な刺激がもどかしくてたまらない。
そりゃ寝起きなんだから勃つものが勃つこともあるだろう。自分で気づく前に迅に指摘されて気づいたのが若干気恥ずかしくはあるが、まあ今更そんなこと気にするような関係でもない。

「迅」
「なーに」
「舐めて」

くしゃくしゃと頭を撫でて促せば、迅はいいよ、と笑って太刀川の足元の方へ後退する。
下着の上から太刀川自身に愛おしそうにキスをすると、さっさと下着をずらして勃起した性器を露出させた。
迅はそっと両手で包み込んでやわやわと撫でながら、割れ目に沿って舌をぬるりと這わせる。まだ乾いていた先端が迅の唾液によって濡らされて、そして性器の先端からも溢れた先走りが混ざってぬちゅぬちゅと卑猥な音を立てた。
さらさらと流れる髪の間から覗く赤い舌がいやらしい。じっと見つめていれば時々煽るように迅が艶かしく笑う。
その余裕を崩してやりたくて、迅の頭をゆっくり押して喉奥まで性器を咥えさせてやれば、少しだけ苦しそうに呻いたものの今度は口腔全体を使って愛撫されて結局煽られたのは太刀川の方だった。

「やべ、迅、もう出そう」
「ん、う、そしたらこっち慣らしてあるから…、も、挿れて」

迅は太刀川の股間から顔を上げて、期待にとろけた表情で自ら下着を下ろす。
その要求を拒むわけもない。太刀川は迅の手を引いて自らの腰を跨がせると、「自分で挿れてみろよ」と挑発する。
けれど迅はそんなもの挑発とすら思わなかったらしく、素直に頷いて片手で太刀川の性器を支えて自らの後孔に導いた。それからゆっくりと腰を下ろし始める。
淫らに濡れた迅の瞳。見慣れたもののはずなのに、何故かその瞳と目が合った瞬間、太刀川は再びちりちりとした違和感を覚えた。
迅の腰をゆっくり誘導していた太刀川の手が一瞬止まる。

「は…、どうしたの?」

また、瞳が揺れる。発情した甘い声で太刀川を呼ぶ。
その声と顔に謎のノイズがかかったように感じて、ああこれか、と太刀川はやっと納得した。

「迅、…いや、おまえ………」
「なーに、焦らしプレイ?」
「…ま、いいか。続けろよ」
「、ん」

太刀川が促すと、迅は再びそろりそろりと太刀川の性器を飲み込んでいく。
あ、あ、と漏らす声はすっかり劣情に濡れていて、苦しそうな様子など微塵もない。
これなら多少手荒くしても大丈夫そうだ。太刀川は迅の腰を引き寄せると、そのまま一気に奥まで迅の体を貫いた。
迅は驚いたように一瞬びくんと体を跳ねさせたけれど、すぐに恍惚とした笑みを浮かべて太刀川の性器の感触を確かめるようにきゅうと入り口を窄めて太刀川自身を締め付けた。

「あ、は…、奥まで入った…」

太刀川の熱い塊を最奥で感じながら、迅はとろけた瞳で自ら腰を揺らす。
迅の中は太刀川のものを待ちかねていたというようにぐずぐずにとろけきっていて、迅の緩やかな動きに合わせて太刀川の性器に絡みついてきた。あたたかくて柔らかくて太刀川の頭までとろけそうだ。
くらくらと酔ってしまいそうなほど甘い愛撫。緩やかに絞られる感触はたまらなく心地よいのだが、主導権を握られたままなのは太刀川の趣味ではない。
何より太刀川は穏やかな交わりよりも、激しく攻め立てるほうが興奮する性質たちだ。

「動くぞ」

迅の返事を待たず、太刀川は迅の腰を掴んで、がつがつと最奥を抉り始めた。
激しい衝撃に迅の白い喉がびくんとのけ反る。その首筋にかぶりと噛み付いて更に腰を揺らす。
手加減などまるでない、衝動に任せた激しい抽送。
しかし迅は苦痛など一切感じていない様子で、むしろ抗えぬ快楽にただひたすら溺れるように嬌声をあげる。

「ひ、あぁ、あっ、ぅ、あっ」
「気持ちいいのか?」
「あっ、う、んっ、もっと、っ」

迅は激しい律動に呼吸を乱しながらも、それでも瞳を蕩けさせて太刀川の言葉に応える。
応えるのは言葉だけではない。呼応するように迅の中が蠢いて、太刀川の性器をきゅうきゅうと締め付け、射精へ誘おうとする。

「随分余裕そーだな」
「んっ、だって、きもち、い、っ」
「なら遠慮なく好きにさせてもらうぞ」

まあ元々遠慮などしていなかったのだが。
太刀川は一度迅の中から性器を引き抜くと、そのまま荒々しくベッドに押し倒す。
震える迅の膝裏を掴んで大きく足を広げさせると、息を整える余裕も体を休める暇も与えぬまま、もう一度迅の最も深いところまで一気に貫いた。

「〜〜〜っん、ぁ、ぁ、あ…っ!」

迅の体がびくびくと跳ねて、中がぎゅっと収縮する。
どうやら今の衝撃だけでイったらしい。けれど好きにさせてもらうと宣言したのだから、それに文句のひとつも付けなかったのだから、言葉通り好きにさせてもらう。
絶頂の余韻に震える迅の内壁を味わうように擦り上げて、既に暴発しそうなくらい膨らんだ性器をじわじわと引き抜き、そしてまた思い切り奥まで突き上げる。
太刀川が腰を打ち付ける度に、肌のぶつかる音と粘液の混ざり合う音と互いの荒々しい呼吸音が狭い部屋に響いた。

「っ、はー…、ナカ、出すぞ」
「あ、ぁ、だして、いっぱい、だして、…っ!」

まるで根こそぎ搾り取ってしまうかのように再び迅の中がきゅうきゅう蠢く。
促されるように射精するのはなんだか手玉に取られているようで癪だったが、けれど押し寄せてくる快楽の波には抗えない。
せめてもの抵抗とでもいうように、太刀川は更に迅の奥深くまで入って、そのまま最奥の方へ自らの欲望をたっぷりと叩きつけた。





「で、おまえは誰なんだよ」

なんの前置きもせず唐突に切り出したのは太刀川だった。
どろどろになった体を適当に拭って衣服を整えつつ、まだごろりとベッドに転がったままの迅に向かって、一言、投げかけた。
…いや、違う。これは迅のかたちをした「なにか」だ。
その「なにか」に尋ねると、其奴は一瞬きょとんとした顔をしてから全く悪意の無い様子でへらりと笑った。

「へー、気づいてたんだ。鈍そうなのに意外と鋭いんだね」

どうやら誤魔化すつもりは無いらしく、其奴はあっさりと迅ではないことを言外に肯定する。
おかしい、と太刀川は思った。
何の目的があるのかは知らないが、普通こういう時は多少なりとも動揺や困惑の色を見せるはずだ。
けれど其奴には一切そういう類のものが見受けられない。一体何を考えているのかが分からない。怪しいはずなのに全くそれを感じさせない理解できない。
そんな太刀川の警戒を感じ取ったのか、そんな怖い顔しないでよ、と其奴はくすくす笑った。

「でも一回ヤってから言うのが面白いね、変な人」
「据え膳は食う主義だからな」
「っはは、ほんと変な人」

もちろんその相手から殺意やら何やらの気配を感じ取れた時はまた別だが。
太刀川がふん、と鼻を鳴らして答えると、其奴はまた楽しそうに笑った。
笑い方からちょっとした仕草まで。何から何まで迅と同じだ。でもなんとなく分かる。言いようの無い違和感がある。確信がある。其奴は迅ではない。
何か妙なトリガーでも使っているのか幻覚でも見せられているのかは知らないが、それだけは断言できた。

「でも誰だとか聞かれても困るな〜おれ特に名前とか無いし」
「…?おまえ近界民とかじゃないのか?」
「違うよ、そもそも太刀川さんたちの世界の言葉で括れる類のものじゃない」

瞬間、ふわりと其奴が纏う雰囲気が変わった気がした。
殺意とか悪意とか、そういう類のものではない。もっと不思議な感覚。神々しくも感じつつ、それでもいて畏怖の念を抱かせるような。

「おれはね、生と死の狭間にいる人をその先に連れていくだけの存在だよ」

其奴の発した言葉に、太刀川は目を丸くする。
生と死の狭間?連れていく?言っていることはさっぱり分からないはずなのに、其奴の放つ妙な雰囲気のせいなのか何故か太刀川の脳にしっくりと馴染んでいく。

「…その先、って」
「ん?死、に決まってるでしょ?」

当然のように笑顔で言い放つ其奴に、何か底知れぬ恐怖を感じて太刀川の体がぞわりと震えた。
死、とか。なんのことだ、俺は生きているはずじゃないのか。思わず自分の胸に手を当ててみれば伝わるはずの鼓動の感触がしなくて、更に背中が冷たくなる感じがした。
理解不能な状況。混乱しそうなものなのに思考だけはすっきり澄み渡っていて、それもやたら気味が悪くて仕方なかった。

「思い出せない?自分がさっきまで何をしてたのか」

迅の姿をした其奴が、つんと額に指先で触れてくる。
それが引き金だったのだろうか、霧が少しずつ晴れていくようにぼやけていた記憶が徐々に思い出されてきた。
…そうだ、確か自分は遠征中だったはずだ。
遠征先はアフトクラトルほどではないものの相当な戦力を持つ軍事国家。それ故にできるだけ隠密に敵のトリガーを奪って帰ってくるだけ、のはずだった。
撤退するところで敵に気づかれるまではまだ予想の範疇。奪ったトリガーは先陣を行く風間隊に託し、その護衛を出水に任せて太刀川はいつものように殿しんがりを務めた。
遠征艇まではあと数km。もう出水たちはベイルアウトの圏内に入ったはずだ。あとは自分が追手を倒せば終わり、だったのけれど。
全て斬り捨てて追手のトリオン体を全て破壊するところまではよかった。問題は換装が解けた近界民の中に普通のトリガーとは別にブラックトリガー持ちがいたことだった。しかも、二人。
いくら太刀川と言えど未知のブラックトリガー二人相手では為す術もなかった。一度、そして二度まで防ぐのが精一杯で、三度目はもろに攻撃を食らった。
そうだ、そこで換装が解けて、鋭く尖ったよく分からないトリガーで体を貫かれて、ざくりと体に穴が開くような感触がして、真っ赤な血が飛び散って。
…思い出せる記憶はそこまでだ。そこから先は何も覚えていない。

「あー…つまり俺は死んだのか」
「いやいや、おれの話ちゃんと聞いてよ。まだ死んではいないよ」

へらへらと他人事のように笑いながら(実際他人事なのだろうが)、其奴はそれを否定する。

「言ったでしょ、狭間にいるって」

ああ、そういえばさっきそんなことを言っていた。狭間にいる人を連れていく存在、だとかなんとか。
つまり今現実にある自分の体は生と死の間を彷徨っているけれど、まだ生きているということなのか。
太刀川は再び胸に手を当てる。やはり心臓の音は鳴らない。それがどうしても不安を煽る。体は生きているというけれど、今の状態は例えるなら幽霊みたいなものか?
太刀川が呟くと、其奴はふるふると首を振って答える。

「いや?まだ幽霊にはなってないよ。でもあんまり長い間狭間を彷徨ってるとほんとにそうなっちゃうからね、それでおれみたいなのがいるわけ」
「けどおまえがしてきたことってセックスだけじゃねーか。なんかそれが関係あんのか?」

例えば三途の川を渡らせたりとか、天使みたいに空へ連れて行くとか。死へ誘われると聞いて浮かぶ太刀川のイメージとしてはそんな感じなのだが、其奴がしてきたことと言えば太刀川の体を求めてきたことくらいだ。
其奴の行動と言っていることとが全く繋がらなくて、太刀川は首を傾げる。

「うーん、詳しく説明するとめんどくさいから適当に話すとね、」

其奴はするりと体を寄せてきて、太刀川の股間にそっと自らの手を這わせる。
普通ならきっと突き放すところだったのだろうけれど、何故か体は動かなかった。其奴が迅の姿をしているからだろうか?

「ここは命を作るとこだからね、一番生に近いとこなんだよ。で、そこから全部精を吸い出しちゃってきもちよーくあの世に行かせてあげるのがおれの役目なの。だからおれのかたちはここに来る人にとって一番情欲を抱く相手そのままになるんだよ。そのほうがいっぱい気持ちよくなれるからね」

其奴はゆっくりと太刀川の股間を撫でながら、甘くとろけた声で囁く。
その声はとても淫靡で情欲を煽る響きだったけれど、その内容は酷く恐ろしいものだった。
じゃあ、先程までの行為は。
思い出して太刀川の体がふるりと震える。

「…うわ、こえー。じゃあ俺さっきので死んでたかもしれないってことか」
「あはは、そんな一回じゃ死なないよ。何回も何回も精を吐き出させて、快楽で朦朧としてきてそれからもっと搾り取ってやっとって感じだから」

なるほど文字通り天国に送られると言うわけか(別に天国地獄だの輪廻転生だのを信じているわけではないが)。
しかし自分はそうなるつもりは無い。気持ちよくあの世に行けるというのは大変素晴らしい申し出だとは思うが、まだ死ぬわけにはいかないのだ。
今の自分の状態がいわゆる魂だけのようなものだとして、しかしまだ死んでいないというならつまり自分の体はここではないところでまだ生きているのだろう。
それならばさっさとそっちに戻るまでだ。

「わりーけど俺はまだ死ぬ気はないんだよ、戻り方教えろ」

太刀川はベッドから立ち上がる。
其奴に敵意が無いとはいえ、関わると死に向かってしまうのは分かった。
ならばもうこれ以上は関わらない、たとえ其奴が迅のこえかたちをしていても、どれだけ甘い言葉と愛しい温度で誘ってきても。
けれどそんな太刀川の決意など知ったことではないというように、其奴は太刀川の太ももに触れてゆるりと撫であげてくる。

「まあまあ、急いたって仕方ないんだしさ。ちょっとおれの話でも聞いてかない?」
「んなわけにもいかねーだろ、あいつら待ってるんだろうし早く戻んねーと」
「だからそんな簡単には戻れないんだってば、太刀川さん今死にかけてるんだよ?」

死にかけている、の言葉に再び太刀川の背筋が冷える。
相変わらず其奴は他人事のようにへらりと笑みを浮かべているが、それが妙に恐ろしかった。

「…どうやったら戻れるんだよ」
「そうだね〜言うなれば今の太刀川さんの状態は生と死が天秤に乗ってゆらゆら揺れてる状態なんだよ」

言うと、其奴は中学生の時の理科の授業で使ったような天秤を自らの手のひらに出現させた。
少し驚いたがもう今さらだ。こんな妙な状況なのだからそれくらい起こってもおかしくない。
其奴はその小さな天秤を指でつついて片方に傾かせると、言葉を続けた。

「だからその天秤が生の方に傾けば、元の世界に帰れるよ」
「そんなのどうやって分かるんだ」
「生に近づいたらここの世界のドアが開くんだ。ま、ここの世界っていうか太刀川さんの部屋のドアだけどね」

言って其奴が軽く手を振ると天秤は砂のように崩れ去った。
手品のようだなとぼんやり思ったけれどまあそんなことはどうでもよくて、太刀川の意識はワンルームから続く玄関のドアに向けられていた。
ここから出られるとしたら出口はあそこになるわけか。
試しに近づいてドアノブをガチャガチャと回してみたが、鍵もかかっていないはずのに全く開く様子はない。
なるほど悔しいが他に手立てもなし、其奴の言うことを信じるしか無いらしい。
太刀川はため息をひとつ吐いて再びベッドに腰を下ろした。

「じゃあそれまで待てばいいんだな?」
「そういうこと。ま、もし生に近づかなかったらずっと開かないから諦めておれと気持ちよくなってね〜」

とりあえずの説明は終わったよ、と言わんばかりに其奴は再びごろんとベッドに転がった。
眠そうにあくびをして伸びをする様子が、やっぱりどこからどう見ても迅なのに、けれどどうしてもどこか違うのが分かってしまって、それが酷く虚しかった。
焦ってもどうにもならない。とは言え其奴とこれ以上触れ合う気にもならない。何も出来ない。
太刀川は仕方なしにベッドに腰掛けると、はあ、と小さくため息を吐いた。

「…大体分かった。で、おまえの話って何を話すんだよ」
「あ、聞いてくれる気になった?」

其奴は太刀川の言葉にぱっと顔を綻ばせると(いまいち其奴に感情などというものがあるようには思えないが)、転がったまま頬杖を付いて太刀川を見上げた。
正直其奴の話なんて一切興味は無かったのだけれど、開くかどうかも分からないあのドアをひたすら待ち続けるよりは多少気が紛れるだろうと思ったのだ。
けれど其奴の発した言葉に太刀川は一瞬にして心を奪われた。

「実はね、今太刀川さんに見えてるこの体の元の人、その人もおれと会ったことあるんだよ」

耳を疑った。太刀川は目を見開いて其奴を見つめる。
この体、の、元。
迅。
迅が、其奴と?
つまり、迅はここに来たことが、ある?
信じられなかった。
けれど其奴に嘘を吐いているような様子はない。

「…迅が?おまえと?いつ…」

と、言いかけてふと思い当たることがあった。
それは迅が風刃を使うようになって間もない頃。
風刃争奪戦が行われるよりずっと前、最上からそれを託された迅が暫定的に風刃を使っていた頃。
そうだ、あの頃の迅は荒れていた。いつもどこか不安定で誰も寄せ付けないような雰囲気を発していた。そのくせへらへらとした笑みだけはいつも顔に貼り付けて。
理由なんて聞くまでもなかった。聞けるはずもなかった。
家族を亡くした迅の最愛の拠り所であった師匠。その人を失ったこと、その人の形見で戦い続けること。
あと詳しくは知らないけれどたぶん旧ボーダーでのこと。忍田曰くたくさんの人が死んだということだけは聞いている。迅の仲間だった人が。
それを、まだ誰も喪っていない太刀川が慮れるはずもなかった。だから、何を聞くことも何を言うこともできなかった。
それは太刀川だけでなく、殆どの隊員がそうだった。事情を知る者(と言っても風刃に関することだけの者が多数だったが)はみんな腫れ物に触れるように迅に接して、上層部ですらも迅の危うい行動を軽く諌める程度であった。

だから、それは起こるべくして起こることだったのだと思う。

今でも覚えている、冷たい雨の日。血のにおい。
いつもと変わらぬ防衛任務のはずだった。本来ならば。
いつもと違ったのは人型の近界民が現れたこと。しかも、迅が担当する区域に三人も。
打ち捨てられた区域、誰にも被害の及ばない場所。きっと迅にも視えてはいなかったのだろう。それでも既に風刃を使いこなしていた迅が簡単に負けるはずなんてなかった、のに。
不安定な心は刃までを鈍らせる。荒んだ思考は判断を遅らせる。
結果として迅は敗れた。ブラックトリガーにベイルアウト機能は備わっていない。換装の解けた迅を襲ったのは近界民からの斬撃。
幸いなことに、迅の様子を危険視していた上層部は迅の近くに風間と太刀川を配備していた。おかげですぐに駆けつけることは出来たが、その時太刀川が目にしたのは血で真っ赤に染まった迅ととどめを刺そうとしている近界民の姿だった。
あの時、血が沸騰するほどの怒りを感じたのを今でも覚えている。怒りのままにその近界民は斬り捨てて殺した。
あとの始末を風間に任せて、真っ青な顔で真っ赤な血を溢れさせる迅を抱きかかえて本部まで戻ったときのことも今でも忘れられない。
迅速な救助と救護班の処置のおかげで一命は取り留めたものの、迅が目覚めるまでの数日は生きた心地がしなかった。

そうか、その時のことか。
しばらく考え込んでいた太刀川を其奴はじっと見つめていたようで、太刀川がはっと顔を上げると其奴と目が合った。
続き話してもいい?と聞いてきたのでそのままその先を促す。

「その時おれはあんたの姿だったかな。相思相愛ってやつ?いいね〜」

そういえば其奴は「その人が最も情欲を抱く相手」に変化するとか言っていた。
相思相愛、か。太刀川はその言葉になんとなく複雑な感情を覚える。
正直言えばその当時、相思相愛とかそんなロマンティックな言葉で飾れるような関係なんかじゃなかった。
体を重ねていたのは事実だ。けれどそれは空虚な交わり。甘い愛の言葉を囁くことも、愛しさにお互いの体を貪り合うようなこともしなかった。迅はそんなこと望んでいないのを知っていたから。
不安定な迅を、空っぽを埋めるように体を求めてくる迅を、宥めるようにあやすように抱いていた。ただそれだけの関係だった。
当時のことを思い出すと今でも胸が軋むような感じがして、太刀川は床に視線を落とした。

「…でも、迅は今生きてるだろ。別におまえが語ることなんか無いんじゃねーのか」
「ん〜まあ結果としては生きてるんだけどね?割と大変だったんだよ。知りたい?」

誘うような目つきで其奴は太刀川の袖を引く。
誘われるままその秘密を聞いてしまいたくなる、けれど。

「まー興味はある、けどな…」

でも、それは自分が勝手に知っていいものなのか。
荒れていた頃の迅、どこか投げやりに生きていた頃の迅。その当時の迅の心を知りたくないと言えば嘘になる。
けれど迅は一切語らなかった。自分の感情や思いを心の中に閉ざしたまま、誰にも見せようとはしなかった。
それは昔と比べて柔らかく笑えるようになった今でも、だ。
そんな迅の心を勝手に覗く権利が果たして自分にあるのだろうか?当時の迅の気持ちを掬うことも出来ずただ抱くことしかできなかった自分に?
言葉を濁す太刀川に、其奴はあっけらかんとして言った。

「細かいこと気にしなくていいと思うよ。戻れたときはどうせここでのことなんて殆ど覚えてないからね」
「…そうなのか、じゃあ話せよ」

戻れたときには覚えていない、戻れなかったときは死ぬ時だ。
どうせ死ぬかもしれないのだったら、冥土の土産に聞いていくくらい構わないだろう。
胸の内に燻る葛藤を多少無理やり納得させて、其奴に話の続きを促した。

「ここに来る人って大抵は太刀川さんみたいに戻りたがるか、もうさっさと連れてってくれっていうかの二択なんだよね」
「まーそうだろうな」

まだ戦う気があるのなら死ねない理由があるのなら、まだ生きたいと思う。
もう戦えないのなら生きている理由を無くしてしまったのなら、もう死んでしまいたいと思う。
これまでの戦いの中で心が折れた人間もたくさん見てきたのだ、だから分かる。後者を選んでしまう人間がいるのも当たり前だ。それを咎める気もない。

「でもね、この人は珍しくすごい迷ってたんだよ。生きたいのか、死にたいのか」

咎める気はない、それは、本当だ。
けれどその言葉を聞いた瞬間、体が強ばるのが自分でも分かった。
迷っているのが、迅、でも。果たしてそうせずにいられるのだろうか?
「この人の場合狭間にはいたけど割と生に近くて、最初からドアは開いてたんだよね。おれが説明したらさっさと帰れる状態だったんだ」

ドアは開いていた。
生きようと思っていたのならば、すぐにでもこの世界から出ることが出来た。
けれど、迷っていた、ということは。

「…でも、迅はそうしなかったんだな?」
「うん、おれの話を聞いてその場に崩れ落ちちゃったんだ」

体全部の力が抜けちゃったみたいにへなへな、って。
それからすごく絶望したような目でおれを見つめてきたんだよ、と其奴は続けた。

「それで、この人の方からおれを求めてきたんだ」

迅の方から、其奴を求めた?
その言葉の意味することを知って太刀川の肩が震える。
それは、つまり。

「…それ、自分から死ににいったってことと同じじゃねーか」

自分に迅を咎める権利などない。分かっている。辛さや痛みに心が折れてしまった人をどうして太刀川が責められようか。
分かっているけれど。でも、迅が、と考えると。無理だった。
怒りとか恐怖とか、そういうのがごちゃまぜになったような感情で頭の中がぐちゃぐちゃになっていくような感じがして、紡ぐ言葉の声までも震えた。

「うーんどうだろね?死なせてほしいっていうよりはただ現実逃避したいって感じだった気がする」

其奴はへらりと笑って否定したけれど、それでも震えは収まらなかった。心はまるで嵐のようにかき乱されたままだ。
あの日青白い顔で眠っていた迅は、もう目を覚まさなかったのかもしれなかった。もうこの世にいないのかもしれなかった。それを迅は自分で選んでいたのかもしれなかった。
咎めることなんてできない、分かっている、でも納得できるはずがない。太刀川は震える拳を痛いほど握りしめる。
そんな太刀川をあやすように、其奴は太刀川の肩に寄り添って震える太刀川の拳を撫でる。
不思議だった。其奴は迅ではないと分かっているのに、なんだか酷く安心できて、荒れていた心がさざ波のように大人しくなった。
太刀川の震えが収まったのを確かめると、其奴はゆっくりと言葉を続ける。

「それでおれに抱かれながらずっと泣いてたよ」

みんなのところに行きたい。
でも生きなきゃ、生き残った役目を果たさなきゃ。だっておれは生き残ってしまったんだから。
みんな死んじゃったのにおれは助かってしまった。だからおれは頑張らないといけないんだよね。
けどもう疲れた。寂しいよ、会いたいよ。
おれはどうすればいいの、誰か教えてよ。

泣きながら迅が零していたらしい言葉を、其奴は淡々と紡いだ。
感情のこもらない言葉で本当によかったと太刀川は思った。そんな言葉、悲壮な色の声で聞いてしまったらきっと胸が抉られるように痛んだんだろうなと思った。だって今でさえ、その言葉を発した迅の心境を思うと苦しくて吐きそうなのだ。
迅はずっと囚われていたのだろうか。仲間や母の死に、そして最上の遺したブラックトリガーに。
生き残ってしまった罪悪感と生き残ったからこそ果たさなければならない責務に縛られて苦しんでいたのだろうか。誰にも見せない心の内側で、ずっと。
弱音を吐き出す相手にすらなれなかった当時の自分が歯痒い。もしも自分がもっと迅の心に寄り添えるような人間であれば、少しは迅の心をほどくことが出来たのだろうか?
…いや、そう思うのすら酷く傲慢な気がした。迅の何を分かってやれたというんだ、ただの餓鬼だった当時の自分が。
結局そう考えると、憤ることは出来ても止める権利も咎める権利も何もないのだ。自分には。
自分の無力さに酷く打ちのめされるような感じがして、太刀川は重いため息を吐いた。

「でも結局、迅は戻ったんだな?」
「うん、ふらふらだったしまだ泣き止んでなかったけど、それでもちゃんと自分の意志で立ち上がってここから出ていったよ」

喪った師匠、最上の元に。そして仲間や母の元に行きたがった迅。
それでも生きることを選んだ迅。
その選択をするまでにどれだけの葛藤を重ねたのだろうか。生きてまた苦しむことを選んだ迅はどれだけ泣いたのだろうか。
きっと死んでしまうことを選んでしまった方が楽だったのだろう。迅のことを本当に思うのならば、安らかに眠らせてやったほうがよかったのかもしれない。
でも、それでも迅が生きていてくれてよかったと思うのは、太刀川のエゴだろうか。

「あ、太刀川さん」
「なんだ」
「ドア、開いたよ。よかったね」

終わりは酷く呆気なく、あっさりと訪れた。
其奴の指差す方へ視線を向ければ、開くような気配も無かったその扉は薄く開かれ、隙間からは眩い光が差し込んでいた。
まだ頭の中はぐちゃぐちゃだ。
知らなければよかった?自分はどうすればよかった?今の迅は後悔していないだろうか?
感情の整理が全く出来ていない。考えは全くまとまらない。
それでも太刀川は迷いなく立ち上がる。無論、元の世界に帰るために。生きるために。

「…もし、あいつがまたここに来るようなことがあったら尻でも蹴飛ばして叩き帰してやってくれ」
「さあどうかな〜、おれは一応抱いたり抱かれたりして死に連れてくための存在だしね〜」
「じゃあ二度とこんなとこ来させないようにするまでだ」

ふん、と鼻を鳴らして太刀川は其奴に背を向ける。
迅の過去のことはどうあれ、自分は生きる、死ぬ訳にはいかない、ということには何の迷いもない。
だから振り返らずにドアノブに手をかける。

「そうしなよ、大切なものはちゃんと守ってあげてね」

言われなくとも、そのつもりだ。
後ろから聞こえてきた声に心の中だけで頷いて、眩しい世界へと飛び込んだ。





見知らぬ天井。目が覚めたのは、見慣れぬ白いベッドの上だった。
いや、でも見覚えがある。確かここは数年前に迅を運んできた…、そうだ、本部の医務室だ。
なんでこんなところにいるんだ、朧気な記憶を辿っていく。そしてその答えに辿り着いたとき最初に思ったのは、ああ俺生きてるんだな、ということだった。

「…よかった、目が覚めたんだね太刀川さん」
「迅、か?」

軋む体をゆっくりと起こしてみれば、横たわっていたベッドの隣に迅が座っていた。
どれくらいここにいたのかは分からない。
けれど太刀川を見つめるその瞳の下にはうっすらと隈が出来ていて、安堵の笑みにも疲れの色が濃く浮かんでいた。

「俺が起きる未来くらい視えてたんじゃねーのか?」
「いや、目が覚めるか覚めないか半々ってとこだったからね。…心配したよ、ほんとに」

そう言って迅は目を閉じて、緊張の糸が切れたかのようにふう、と長く息を吐いた。
視えないくらい酷い怪我だったのか。あんまり覚えてないけれど。
そうだ、あんまり覚えてないけれど、自分がやられた後はどうなったのだろうか。

「そーいやあの後どうなったんだ?逃げ切れたのか?」
「冬島さんと当真が援護しつつ、風間隊と出水が戻ってきてなんとか撒いたみたい。ま、6対2ならなんとかね」
「そうか、それならよかった」

自分の他に重傷を負った者は誰もいなかったということか。そこに少し安堵する。自分を助けるために誰かが犠牲になってしまっていたら元も子もない。
とりあえずそのことに安心してそう呟いたら、迅の指に頬を摘まれた。割と強めに。
何すんだ、と言おうとした言葉は発されずに空気となって消えた。

「…よくないよ」

太刀川を見つめる迅が、珍しく泣きそうな顔をしていたから。

「おれがどんだけ心配したと思ってるの。おれだけじゃない、他のみんなも、忍田さんだって顔真っ青にして心配してたよ」
「あー…そうだな、悪かった」

そうだ、こんなに疲れたような顔の迅なんて久しぶりに見る。
それくらい自分のことを心配して、ここに付いていてくれたのだろう。
気づかなかった自分を恥じて、そして心の底から申し訳なく思った。労るように迅の頬を撫でながら詫びて、ありがとう、と付け足した。
その、泣きそうな顔がなんだか珍しくて心が痛んだのと、そして不謹慎にもむらむらとしてしまったので、誤魔化すようにそのまま迅の体を抱き寄せる。
少し力をこめると腹のあたりがじくりと痛むような感触がしたから、体を寄せ合うようなかたちで柔く抱き合う。
間違いなく迅の体温だ。と思って、どうしてそんな確かめるようなことを思ったのか一瞬だけ疑問に思ったけれど、すぐに思考の外に消えた。

「出水とか国近ちゃんは泣き疲れて仮眠室で寝ちゃってるよ。あとで謝っておきなよ」
「…そうする」

そうかあいつらにも心配かけたのか。そりゃそうか。
謝る相手がいっぱいいるなあ、と段々思考が現実に引き戻されていく。
その、急速に現実に返っていく思考の中で、どこか引っかかる夢の残渣のようなものがあった。

「なあ…迅、」

何か、どう形容すればいいのかは分からない。
でも自分はそれを迅に伝えなければいけないような気がして、理由は覚えていないけれどでも言わなければいけないようなよく分からない使命感みたいなものがあって、気付けば太刀川の口は勝手に動いていた。

「…死ぬなよ」

言って、軋む体で一瞬だけぎゅっと抱きしめる。
しばらくそのまま強く抱きしめていたかったけれど、体が言うことを聞かなかったから
泣きそうな顔をくしゃりと歪めて笑った。

「…変なの、さっきまで死にかけてたの太刀川さんの方なのに」

確かに言われてみれば変だ。今さっきまで死にそうになっていたのは自分で、今回迅は巻き込まれてすらいないのに。
けれど言わなければいけないような気がしたのだ。でないと迅が次こそは帰ってこないような気がして…、帰ってこないような?どこから?
ぞわ、とよく分からない恐怖のようなものに足を掴まれるような錯覚。

「死なないよ」

けれど、迅の言葉でその這い寄る何かは跡形もなく消え去った。

「おれは、死なないよ。だから太刀川さんも死なないで。…もう大切な人を失うのは嫌だから」

はっきりとそう告げる迅の瞳には生の意志が宿っていて、だから、それを信じることにした。
迅は生きると言っている。なら、もう大丈夫だろう。
夢の残渣のようなものが消えていくような感覚、思考が晴れていく。
迅の胸に手を当てる。鼓動の音。生きている。
迅は太刀川の胸に耳を寄せる。鼓動の音。生きている。
けれどそれだけじゃなんとなく足りないような気がして、お互いの存在を確かめるように、生きていることを確かめるように、どちらともなく触れるだけのキスをした。











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