31日 ああもうすぐ今日が終わってしまう。 千歳の腕に抱かれてまどろみながらぼんやりと思う。 首だけゆるく動かして窓から外を見やると、空は夕暮れに沈もうとしていた。 今何時なのだろうか。 携帯を探すけれど見当たらない。そうだまだ鞄の中だったっけ。 ちゃんと時間を確認することは出来ないけれど、こんな風にだらだらと寝ていていい時間ではないことは分かる。起きなければ。 気だるい体をゆっくりと起こそうとすると、千歳の湿った腕にそれを阻まれた。 「もうちょっと」 そうしてまた千歳の胸へと体を戻される。 ぬるい体温が、厚い胸板が心地よくてほだされそうになってしまう。ああだめだこれでは。 この男はちゃんと分かっているのだろうか。 あと数時間で、千歳の誕生日の日が終わってしまいそうだということを。 今日、大晦日が千歳の誕生日だと思い出したのはつい昨日のことだった。 年末は忙しい時期だ。年賀状大掃除その他もろもろやることがたくさんある。けれど。 恋人の誕生日を忘れるなんて、あるまじきことだと思う。 でも仕方がないとも思う。俺はそもそもそ ういうイベントごとにあまり興味の湧かない人間なのだ。 クリスマスだとか、お祭りだとか、誕生日だとか、そういういわゆる恋人どうしのイベントというものに心をときめかせるようなことが全くなかった。 もうすぐクリスマスだの恋人の誕生日だのと浮かれる友人をどこか他人事のように眺めている、そんな人間。 そして千歳も俺と同じで、大概このようなイベントごとに興味を示す人間ではなかった。 それが自分の誕生日という大事な日であったとしても、だ。 だから千歳も特に何も言ってはくれなかった。 何かねだったりお願いしてくれたり、せめて自分の誕生日が目前に迫っていることを仄めかしてくれたりしてくれればよかったのに。 そう考えてみても、そんなのただの言い訳になってしまうけれど。 そして結局、今日は何の準備も無しに千歳の家を訪れた。 料理は自分よりも千歳のほうが上手だ。ケーキはあいつの好みが分からない。プレゼントも同じく。 それなら料理の材料もケーキもプレゼントも、千歳と一緒に買いに行けばいい。何のサプライズもないけれど仕方がない。お互いイベントに意欲的ではないのだから。 そう思って早めに千歳の家へは行ったのだが。 部屋でぐだぐだと喋っているうちにそういう雰囲気になってしまって押し倒されて結局いつものようにやってしまって。 そうして今に至る。 料理もケーキもプレゼントも何も準備できていないまま。 これじゃあ何のために千歳の家に来たのか分からない。全く普段と変わらないじゃないか。 「な、千歳…」 またこのまま寝に入ろうとする千歳の頬を軽く叩く。 うとうととした心地よい浅い眠りから覚醒に追い立てられて、少し不満そうに千歳が目を開いた。 「なんね?」 「なあ、お前分かっとんの?」 言うと千歳は首を傾げてみせる。 予想通りの反応にはあとため息を吐く。 「お前、今日あと数時間で誕生日終わるんやけど」 「ああ…そうやね…」 どうでもいいという風に千歳がまた瞼を閉じようとする。 俺がこんなに必死に考えているのに。 少しだけ苛立ちを覚えて、千歳の腕を振り払うように起き上がると、千歳が驚いたように目を開いた。 俺がこんな風に怒るのは間違っていることは分かる。それは分かっているし、今日は千歳の誕生日だから怒るべきなのではないのも分かる。でも。 ここまで適当な態度をとられてしまうとさすがに焦れてしまう。 「今日、お前誕生日やのにまだなんもしとらんやん。いつもみたいにだらだらセックスして、そんだけ。ケーキすら買っとらんし」 「別にそんなんよかとよ」 「よくない」 「俺は別に気にせんよ?」 「っ、なんでそんな適当なん!」 「…くら」 思わず声を荒らげてしまった。 はっと顔をあげると、千歳が眉を下げて苦笑しているのが見えた。 その仕草に少しだけ頭が冷える。ああ困らせてしまった。 千歳の顔を見ていられなくて俯く。 ああ千歳に怒鳴ってどうするんだ。ただの八つ当たりじゃないか。 千歳にばかり要求しているけれど、俺だって何もしていないのに。 「俺…プレゼントすら用意してないし」 酷く情けないような申し訳ないような気分になって、声が一気に弱々しくなる。 そうだ、俺はプレゼントすら持ってきていないのだ。 千歳に直接選ばせればいいと思って、考えることすらしなかった。 「別に気にせんでよか」 千歳の大きな手が俺の頭を撫でる。 その手が優しくてますます顔が上げられなくなる。千歳はこんなに穏やかなのにどうして俺一人だけこんなに憤っていたんだろう。 それでも口からは否定する言葉しか出てこない。 「俺は…よくないわ」 いくらそういうイベントに興味などないと言っても、今日は千歳の誕生日なのだ。 せめて何か、何かしてやらなければと思うのに。 冷えた手をぎゅうと握り締める。 もう多分ケーキ屋も閉まり始める時間だろうな。プレゼントだってもう見て回る時間もない。料理だって今から作ったら何時になるか。 結局何もしてあげられない。 「俺の誕生日にこうやって蔵がいてくれることが嬉しかよ」 耳元に千歳の熱い唇と、言葉が落ちてくる。 ぞくぞくと背中に走る快感が、俺から反論する力を奪おうとする。 でも俺の執念もしぶとくて。力の篭らない弱々しい反論を返してみせる。 「そやなくて、こう、もっと…」 なにか思い出に残るような。 せめて一緒にいられてよかったと思わせるようなことをしてやりたいと思うのに。 でも、千歳は何も欲しがらない。 そして自分は何も出来ない。思いつかない。 情けなさで心が重たくなる。俯く顔が上げられない。 「くら」 千歳が俺の名前を呼ぶ。 俯いたまま千歳の顔を見られずにいると、頬を包まれて上を向かされる。 目に入ったのは千歳の顔。優しく笑う顔。 「本当に、俺は何もいらんよ」 子供に言い聞かせるようにゆっくりと千歳が言葉を発する。 「俺は、蔵とこうして一緒にいられることが、一番幸せ」 そんなことを酷く緩んだ幸せそうな顔で囁いてみせるから。 どうしようもなく泣きたいような感覚に陥った。 今日は千歳の誕生日なのに。 本当は自分が千歳を喜ばせなければいけない日なのに。 どうして自分のほうがこんなに嬉しくなってしまっているんだろう。 「お前、本当、あほ…」 もっと色々と欲しがってくれればいいのに。だって誕生日というのはそういうものだから。 豪華な料理とか、ケーキとかサプライズのプレゼントとか。 でもそんなものよりも千歳は俺が欲しいと言う。 ただ単にめんどくさいだけなのか、それとも俺に気をつかっているのか、そうも思ったけれど、千歳の表情がそれを緩やかに否定していた。 社交辞令などではなく、心の底からそんな言葉を述べているのだ。千歳は。 「蔵の全部がもらえればなんもいらん」 無欲の欲しがり。欲しがるのは俺だけ。 ならば全部与えてやろうと思った。お前が欲しがる俺を全部。 「そんなんでええなら全部やるわ、あほ」 そう言って抱きしめてやるとまた顔を緩めて幸せそうに笑った。 ああその顔が嬉しい、愛しい。 俺の全部を欲しがる貪欲さもそれ以外切り捨てる無欲さもそれを隠しもしない素直さも全て愛しい。 せめてその気持ちが少しでも伝わるようにと思いながら、そういえばまだ告げていなかった言葉を口にした。 「誕生日おめでとう、千歳」 ---------- ちと誕おめでとうちゅっちゅ。 |