無題
「室ちんってオレのこと好きなんでしょ」
お菓子が大好きで負けることが嫌いで、言動はどちらかと言うと大きな体格に似合わず小さな子どものよう。
バスケに関すること以外ではぼんやりとした印象で少し失礼だけれど正直何も考えていないように見えた。
しかしそんな彼は思っていた以上に聡明であったらしい。
唐突に投げかけられた言葉に俺は目を丸くすることしか出来なかった。
「…どうして?」
「質問に質問で返すのはやめてよね〜」
おまけにはぐらかされてもくれないらしい(そういえば前もはぐらかそうとして失敗したっけ)。大抵の相手は笑顔で話題の方向を逸らせばどうにかなるのに。
さてどうしたものかと心のなかで小さく嘆息する。
実際アツシの問うとおりなのだから、そうだと頷いてしまったほうが早いんだろう。むしろこの状況ではそうすることしかできない。なにせベッドでだらりと横になっているところに覆いかぶさられてのこの台詞なのだ。完全に油断していて、寝込みを襲われたようなものだ。
しかしどうしても腑に落ちなくて。俺は口を開けないでいた。
バレるようなことなど一切していなかったと思う。ポーカーフェイスには割と自信がある方であったし、特別感情が昂ったり混乱したりするようなことだって…タイガ関連でくらいしか思い当たらない。
「だんまりもずるいと思うんだけど」
迷っていれば答えを急かされる。少し考える間くらい与えてほしい。
そういう待てないところは本当にただの子どものようだと思う。
仕方がないから言葉を返してやる。
「うん、そうだよ。…気持ち悪い?」
「ん〜どうだと思う?」
「質問を質問で返すのは、だろ」
こういう問答をしていると、やはり馬鹿ではないんだなあと思う。
自らはちゃんとした答えを返してくれないくせに俺からははっきりとした答えを聞き出そうとして。見かけによらず本当に狡い奴だ。
「つーかそんなん聞かなくたって分かるでしょ」
ぐに、と俺の頬を親指と人差指で掴んでアツシは言う。本当に大きな手だ。
羨ましくて愛しくて仕方のないアツシの体のひとつ。
その手が俺に触れてきて、そして俺が欲しかった気持ちを乱暴に遠回しな言葉で投げてくる。もう、それだけで十分になるような気がして。
「アツシはオレに言わせたくせにそれこそずるいだろ」
「オレはいーの、室ちんはバレバレなくせに隠そうとするからむかついて言わせたかっただけ」
バレバレ、と言うところがきっとアツシなりの答えなんだろうと思った。それはつまり俺がアツシを見ていたように、アツシも俺を。きっと自惚れなんかではなく。
けれどアツシは俺よりも何枚も上手を行っていたらしい。あんなにぼんやりした顔の下に隠していたのはとんでもない裏の顔。
俺は鈍いほうじゃなかったはずなんだけどな。
全く本当に賢くて、そして遠回しで、狡い。
「ずるいな…アツシは」
「室ちんがオレのこと甘くみてただけだし」
そして当然のように重ねられる唇を拒む理由なんてあるわけがなく。
六畳一間の恋
大学生同棲。関東あたりの大学イメージで。
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まず最初にあり得ないと思ったのはこの狭さだった。ただでさえでかい男二人が6畳ワンルームに収まるものかと。
二人の寝る場所だけで半分くらい部屋を占めてしまうのではないだろうかと思って、そして見てその通りだと思った。狹い。
それと何故畳の部屋なのか、と。ただでさえ狭い部屋がなんだか余計に狹く感じるのは気のせいだろうか。はっきり区切られているせいか。ああしかもベッドも置けないじゃないかこれじゃ。
第一アメリカではずっとフローリングで暮らしてきたからなんだか落ち着かなくて仕方ない。
そして大きいけれど古びた窓。隙間風が入ってきそうな。秋田に比べれば寒さはマシだと思うが、冬になればかなり寒いだろうと思う。おまけに網戸はガタガタで洗濯物を干すのも一苦労だろう。
はっきり言って、これは無い、と思った。のだが。
「いいじゃん、ここで」
それでも、狭い部屋でぴったりくっついて暮らした方が同棲っぽくていいじゃん。とか、畳の方がそのままべたべたできるし。とか。
そんな、わざとらしいまでの甘い言葉で押し切られてしまうあたりやっぱり俺もどうしようもないと思った。
「…狹い」
「そーお?」
引っ越して初めての夜はやはり落ち着かなくて。
二人分の荷物は既に開いて押入れの中。バスケ関連くらいしか無かったから大した量ではなくすぐに終わった。
六畳の部屋には小さなテレビとアツシの体にはとても似合わない小さなちゃぶだいと、そして特注らしい大きな布団。
「別にこれはいつも通りでしょー?」
もぞりと大きな腕が俺の背中を抱えなおす。
確かに部屋が狭いからといってアツシの腕の中の狭さ広さが変わるわけではないのだが、見上げた天井の狭さとか向こう側の壁との距離とか。そんなものが気になって。
「気分的にだよ」
やっぱり窮屈で、落ち着かない。
こっそりとため息を吐いた、つもりなんだけれどもやっぱりバレてしまったようでその唇を塞がれる。
アツシの背中に腕を回せば、布団と擦れる音がなんだか前より響いて聞こえる。舌の触れ合う水音も。ああそうか天井が狭いからか。
「オレは落ち着く」
「どうして?」
唇が離れるとアツシはまた俺を胸の中に閉じ込める。
だいぶ眠たいのか声がとろんとしている。無理もないか荷物が少なかったとはいえ色々とドタバタしたのだし。
髪を撫でてやると肩にその頭を埋めてくる。
「なんか、室ちんがちゃんとここにいるなあって思えるし」
そしてむにゃむにゃと夢心地で、アツシはそんな言葉を零した。
アツシの言う事は時々よく分からない。俺も俺で色々なことを考えるけれど、アツシもアツシで色々と考えているのは知っていて、その中には俺のよく分からないこともある。アツシはぼんやりしているようで聡いから。
そしてその言葉もよく分からないもののひとつだったけれど。
「…うん」
とりあえずそれは俺にとって嬉しいことのひとつなんだろうということは分かったから、今はそれでもいいのかもしれないと思った。
この部屋に慣れていくうちにアツシの思うことが少しづつでも分かっていければ。多分それは幸せなことなのかもしれない。
そう思いながら、耳元に聞こえてくる小さな寝息に返事をした。
視線と投影
少しだけ紫氷→火な感じ
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目は口ほどにって言うけど、こんなに分かりやすいのは初めて見たかもしれない。
「アツシ、すき」
ああまたごちゃごちゃしたこと考えてるな、と言葉を紡ぐ唇と俺を見つめる瞳を交互に見て思う。
どっちもとりあえず塞いでしまおうと思って、唇を重ねた。なにも聞こえなくなってようやく俺は騒々しさから解放される。
視線がうるさい人だな、最初に思ったのはそんなことだった。
昔から見られることには慣れていた。
物心ついた頃には既に色んな人の色んな視線をうざがってたような覚えがある。奇異の目、羨望の目、鬱陶しいものいろいろ。
だからなのか、他人が自分をどう思ってるとか見てるのかとかその人の目を見たらなんとなく分かるようになったのかもしれない。ああでも赤ちんはそういうの悟らせないの上手だったっけ。
「(ほんとわかりやすい)」
唇を離すと室ちんは薄く微笑んで俺を見上げる。
笑ってるときって大体みんな静かなのにどうして笑っててもこんなにうるさい視線を向けられるんだろう。
室ちんは逆だった。俺を見る目がうるさくて、いつも何か叫んでるみたいだった。色んな感情をいっぱい。
ひとつはよく感じる嫉妬。いつも感じてきたものだからすぐ分かった。
この人は俺のことを羨ましく思ってるんだな、って。
それから室ちんが自分で伝えてきたのは好きだという感情。やたらじりじりしたのはそれだったのかーと、驚きより先に納得した。
そして嫉妬って大体憎い気持ちで見てくることが多いのに(まあそれも少なからず混じってたけど)、好きっていうのは初めてでそこは少し新鮮だった。
まだその時はよく分からないのが混じってて、それが分かったのは最近のこと。
「あつし」
ああまた、もやもやする。
なんだかもう見たくなくて、室ちんの体をうつ伏せにしてしまう。うなじに噛み付いたら室ちんは甘く呻いた。
室ちんは名前を呼ぶのが好きなようで、よく俺の名を呼ぶ、のだけれど。
俺の名前を呼んでるのに、俺のことを呼んでるわけじゃない。唇では俺の名を紡いでいても、目はいつも。
「これ外すね」
「ん、…」
憎たらしいリングを無理やり外してその辺に放り投げる。
室ちんの視線がちらりとその放られた先を追ったのが分かって、またもやもやした気持ちが増した。
聞かなければよかったと酷く思う、このリングのことなんて。あんなところで運命みたいに再会することなんてなければ、気付かずにいられたんだろうか。
「いっそ目隠しでもしてみよーか」
「アツシそんなプレイが好きだったのか…」
「じょーだんだし」
いつになったら、ちゃんと俺を見て、俺の名前を呼んでくれるのやら。
俺はアイツの代わりじゃないよ。
白く滲む
曖昧、朦朧。何に手を伸ばせばいいのかも分からない。
視界が真っ白に溶けるような心地。ふんわりと浮かぶように気持ちよくて、そして吐きそうなほど気持ちが悪い。なんだか久しぶりの感覚だとどこか他人ごとのように思った。
そういえば幼い頃はよく経験していた気がする。何も考えずに毎日毎日ふらふらになるまでボールを投げて、走って、飛んで。
まだ体も出来上がってない頃だ、そんなことを続けていたのだから当然というべきか倒れることも多かった。
ああ今思えばあの時からこんなふうに倒れるのは俺だけだったっけ。未だどろりとした感覚から抜けだせずに漂いながらぼんやりと思う。
タイガはいくら疲れていても肩で息をしていても倒れることなんてなかった。汗をだらだら流しながらもいつも楽しそうに笑って。
あの時から既に決まっていたのかなあと思うと、なんだか、今更あの辛い気持ちがぶり返してくるようでなんだか情けなかった。
白く濁った世界の中で、懐かしい思い出がぐるぐるとめぐる。驚いたようなタイガの声、それから呆れたように俺を担ぎ上げるアレックスの腕の温度。
タイガが心配して手をぎゅうぎゅう握って何度もうるさく名前を呼んでくるものだから、ゆっくり漂う海の中から引きずり出されるような心地で無理やり目を覚ましたっけ。
白い景色の中に幼い自分、それから懐かしい姿と光景がいくつもいくつも浮かんで、なんだかどうしようもなく泣きたいような気持ちになった。
このまま溶けてしまえば楽になれるのかと思って、ぼやけた思考も全部放棄してしまおうかと考えて、意識を閉じようとして、
「…いたい」
「やっと起きたし」
手を強く引かれた気がして目を覚ますと、見慣れない天井そして見慣れた瞳と目が合った。
まだ頭がふわふわするような感覚に苛まれながらも体を起こせば、今度は気のせいじゃなく手を引かれてそのまま大きな腕の中にすっぽりと、包まれるというよりも抑えこまれてしまった。
「あつ、し、ここ、」
「保健室、倒れたの覚えてる?」
「ん…」
倒れた、と言われてもあんまり覚えてないけどそういえばそんな気もする。記憶が変なところで途切れているし。
小さい子どもにするように頭を撫でられるけれど抵抗する気も起きなくてされるがまま。
未だ繋がれたままの片手はぎゅうぎゅうと握られてちょっと痺れてきたような気がする。だから、痛いって言ったのに。
「まだ起きなくていいよ、オレまさ子ちんに言ってくるし」
するりと手は離されてアツシはあっさりとカーテンの向こう側に消えてしまった。
なんだか懐かしくて、けれど酷く泣きたくなるような夢を見た気がする。夢見が悪い、変な風に意識が飛んだのだから当然と言えば当然か。
もうこんな風に倒れるのは本当にごめんだと思った。もうだいぶ体力もついたはずなのに、昔とは違うはずなのに。
情けない自分に吐き気がするようで、それを追い出すようにはあと溜息を吐いた。二度とこんな情けない姿は見せたくなどない、けれど。
先程まで握りしめられていた手の平を見る。未だじんじんと熱を持っていて、しかしそれは急速に温度を失っていく。
その時はまた手を握ってくれればいいと思った。またアツシが引きずり出してくれればいいと、そう思った。
無題
汗ばんだ足が触れる。火照ったからだが弱いクーラーの温度に冷やされていくのを感じながらああまだ夏なんだな、と今更ながら思ったりする。
触れた足を絡めて、まだじっとり湿ったお互いの肌を更に寄せて。大きな胸板に顔を埋めればアツシの汗のにおいがした。
バスケをしているときと似た、でも少しだけ違う、やらしいにおい。
心の奥が沸騰するように再び熱されるような、それでいて眠りにうとうとと誘うようなやんわりとしたぬくもりのような。
「はー…あぢーし」
めんどくさそうに零しながらも、アツシはゆるゆると俺の体を再び撫で始める。撫で回し始める。物欲しそうな手の動き。
まあこの年頃あの体力、これだけでは足りないのは当たり前だ。お互いに。
その手を片方だけとって、指を絡めてその甲にそっと唇を押し当ててやれば、そのぼんやりとした瞳の奥に再び灯るぎらぎらとした獣の色。
ぎゅうと握り返されたかと思うとあっという間に俺の唇はアツシのそれに塞がれて、ぬるりと侵入してくる飢えた舌。
アツシが俺を欲しがるキス。
「ん、ん…ふは、んっ」
「ねーもっかい」
すりすりと甘えるように体を寄せてくるのが愛しくて、柔らかな髪を撫でてやってそれから頷く。
そうしてやるとアツシはふにゃふにゃと顔を崩して笑って、今度は俺の首筋に噛み付いてくるのだ。
一度体を重ねてそれからもう一度、というときのアツシは酷く素直で欲しがりで、そして甘えたがりで。
俺はそれがどうしようもなく愛しくてたまらない。
アツシから求めるキスも、甘える仕草も、欲しがる言葉も、全部。
普段は直接的に自分から俺を欲してくることなんて無いアツシの、その。
「あついな…」
「ん、後でアイス買いに行こ〜」
後で、という。アツシの大好きな甘いものよりも優先されるたったそれだけの言葉すら甘美な響きに変わって俺を潤す。
まるで砂糖の海に溺れていくみたいな心地。ゆらゆらと快楽に沈みながらただアツシの手をきゅうと握った。
とおいひ、ひかり
ピアノを弾く人を見て綺麗だ、と思った。
その澄んだ音色や弾むリズムよりも、鍵盤を滑らかに動くその指から目が離せなくて、聞き入るのではなく見入ってしまった。
絵を描く人を美しい、と思った。
キャンバスに描かれていく新たな世界よりも、精神を削りだすようにして作品を生み出すその姿に惹かれた。
いわゆる芸術というものはとことん自分から遠いものだと思うし、きちんとした理解や解釈もできないけれど、ただそれらがとても羨ましいと思ったのだ。
どれも自分の持っていないもの。
きらきら輝いてみえる、その溢れんばかりの才能というひかり。
遠い日の夢を見ていた。
ふわふわと目の前が光って、眩しくて、けれどその奥にあるなにかが掴みたくて手をのばす。でも当然のように届かなくて、伸ばした手は空を切るばかり。
それが何かは夢の中の自分はよく分かっていない。ただ。まるで夜光虫がそれに惹かれるがごとく、俺はそれを欲しがっていて何度も何度も手を伸ばして、でもどうしても届かなくて。
夢の中なのに胸のあたりが痛くてそれでもまた手を伸ばそうとして突然何かに遮られるようにその光が陰って、
「…あれ」
目を開けた時、眼前にあったのはアツシの顔だった。
「あのさー室ちんいい加減それやめなよ〜」
「ああごめん…、また寝てたのかオレ」
目を覚まして一瞬で事態を把握。
部活のあとのいつもの自主練中、休憩と思ってごろりと転がったら眠ってしまっていたようだ、また。もうこれで何度目か。
温かいうちはいいけれど冬は気をつけないとななんて思いながら、まだ汗の引ききっていない手(どうやらそんなに眠ってはいなかったらしい)でごしごしと目を擦って自分を現実に呼び戻す。
眠っている間やたら目蓋に強い光を感じると思ったら体育館の天井のライトのせいだったたのか。きちんと整備されているだけあって、こんな時間(時計は既に8時を指していた)でも体育館は煌々と照らされている。
「最初見た時は死んでるのかと思ったし、もう見慣れたけど〜」
「はは、ゴメン」
「で、もう帰るよね室ちん?」
はあ、とため息を吐きながらいかにも呆れたような口調で言う。
正直今日のスタミナをほぼ全部使いきってしまっていたのは本当で、そろそろ帰らなきゃと思っていたのも事実で。
でもそういうアツシの顔を見ていると何故だかあまのじゃくな気分になってしまうもので。
「んー…」
転がっていたボールを拾って、とん、とひとつドリブルをつく。乾いた音が二人以外誰もいない静かな体育館によく響いた。
それを見てアツシはあからさまに顔を歪める。
「じゃあアツシが一本だけ勝負してくれたら今日は帰ろうかな」
「アンタ、ほんとめんどくさいよね〜…」
アツシは、諦めたようにはああと大きく息を吐いて、
「一本だけだかんね〜」
と大人しくディフェンスの体勢に入ってくれる。
こう言い出したら俺は意見を変えないというのを嫌というほど分かっているのだ、アツシは。
開始の合図にボールをアツシにパスして、それが返されると同時にきゅ、とバッシュを鳴らせてアツシの巨体が詰め寄ってくる。
なんだかんだ言ってこういう時でも手を抜かないアツシが好きだ。
右にすいと視線を逸らせて、ぴくりとアツシの体が反応したのを見逃さずに左へ抜いて、そのまま得意のシュートへ。流れるように、いや流されるように(体に染み付いた動きに)体を動かしてボールを放る。
と、まあやはり簡単に勝ちを譲ってくれるはずもなく、アツシの大きな手が伸びてきて、放ったボールは空中であっさりカットされてしまった。
その一瞬を。
まるでスローモーションのように流れたその一瞬を。
俺はシュートした体勢のまま、アツシを横目で追って。
ああ、綺麗だ、と思う。
大きな体、それが速く飛んで跳ねて。
遠い日に憧れた芸術と同じ、才能というひかりだ。
自分の持っていないもの。憧れてやまないもの。
「はい終わり〜、帰るよ」
アツシはそう言って面倒くさそうにボールを拾って、ひょいと籠に放り投げた。
俺はというと目に焼き付いたその光がまだぼんやりと頭を支配していて、なんだかやたらごちゃごちゃしたこの一瞬の気持ちをどう処理したものか分からなくて。
だからとりあえずアツシのその腕をとって、思い切り背伸びをして、
「ちょっ、ん」
不機嫌そうに尖らせた唇に、その感情ごと自分の唇をぶつけてみた。
目をつぶってもきらきら、離れない。
強張っていた唇はすぐに解けて、逆に俺を食おうとでもするように柔らかく噛み付いてくる。
頬に熱い手が添えられて、唇をぶつけるだけのかたちだったものがやっとキスになる。
「ん…」
舌が熱くて思考が霧散する。
ずるいとか羨ましいとかそういう子どもじみた欲望は一切溶けて、ただひとつ愛しいという感情に終息する。
それでやっと胸のごちゃついたものが無くなった気がして、ふ、と唇を離した。
「なんなの室ちん…も〜」
「なんとなく」
「なんとなく、じゃねーし」
言って今度はアツシの方からもう一度口付けてくる。
二度目のキスにもう雑念は無かった。ただ甘くて溶けるような。
逸る体はそれ以上を求めるけれど、それはだめだと理性が止める。
アツシもそれは分かっているようで、そっと唇を離した。
まだ濡れた唇にそっと人差し指を添えて囁く。
「早く帰って続き、な」
「ほんと、室ちん、も〜…」
この数分間で何度目か分からないため息を吐いて、アツシは俺の体を離した。
頬がほんのり赤くなっててかわいい、と思う。
「オレこれ片付けて電気消してくるから先出ててくれ」
「はやくね〜」
「はいはい」
ボールの入った籠を引きずり体育館の倉庫へと小走りで向かいながらちらり、と。
目覚めた時と変わらず煌々と光るライトを本当に一瞬だけ見上げて、すぐ逸らした。
遠い日あれほど渇望したひかりはもうここにあるから、いい。
自分がそれを得ることは一生無いとしてもそれでも。