つみびとふたり




2015.10/2
三輪くん誕生日おめでとうございます。
全く祝ってないどころか暗いです。
迅さんが色々拗らせてる。



空を見ていた。
青く澄み渡った綺麗な秋晴れの空を見ていた。
ポケットに突っ込んでいる携帯は先程から断続的にヴーヴーと音を立てているけれど、それを手に取る気すら無くて、三輪はただぼんやりと空を眺めていた。
日陰にいるから直射日光は当たらない。それでも今の三輪にはその青空が眩しくて仕方なかった。雨が降ってしまえばいいのに、と思った。
雨の日は嫌いだ。今でも消えないあの日を否が応でも思い出す。冷たい感触、血の臭い。三輪の心の消えない傷を容赦なくざくりざくりと抉っていく。でも今はそれが、その痛みが欲しかった。
それなのにこんな時だけ綺麗に晴れる青空が憎くて、三輪は睨むように空を見ていた。

「お、学校サボりの悪い子発見」

こつこつ、と聞き慣れた足音、階段を上る音。三輪は声のした方へ目をやりながら立ち上がる。ようやく待ち人の登場だ。
と言っても三輪が勝手に待っていただけだけれど。約束も何もしていない。ただ、迅のアパートの部屋の前に座り込んでいただけ。でも必ず、きっと彼はここに来ると信じきって、三輪は迅を待っていた。
そうしたら案の定彼はここに来た。へらりといつもの笑顔を浮かべてからかうような軽口を叩いて、三輪の前へと現れた。
玉狛支部にでも寄っていたのだろう、迅はいくつか紙袋を手に下げていた。まあどうでもいい。一歩下がって、迅がドアの鍵を開けるのを大人しく待つ。

「つーかここ来る時は連絡してって言ってるのに。おれあんまりこっちに帰ってこないんだからさ」
「どうせ来るだろ、あんたは」
「…まあ視えてたからね」

三輪は迅のサイドエフェクトを好ましいと思ったことなんて今まで一度もない。ないけれど、彼のサイドエフェクトにはある意味絶対的な信頼を置いていた。そして彼の行動にも。迅は三輪を裏切らない、きっと。
お邪魔しますも言わずに迅の後に続いて玄関に上がる。後ろ手でしっかりと鍵をかけると、迅が小さく笑ったような気がした。
久しぶりに来たような気がする、迅の部屋。余計なものなど何も置かれていない空っぽの部屋。多分必要なものは全部支部に持って行ってしまっているからここには何も残っていないんだろう。三輪は割とこの空っぽの部屋が好きだった。自分の心にそっくりな気がして。
ちょっと放置しすぎたかな、なんて言いながら迅は窓を開けて風を入れている。確かにそこらじゅうがちょっと埃っぽい。
まあでもそんなの些細なことだ。三輪は構わずベッド脇に自分の学生鞄を放り投げる。元々サボるつもりで家を出てきたのだから中にはほとんど何も入っていない。

「シャワー借りるぞ」
「はいはい」

来るのは久しぶりだけれどもう何度も来た場所だ。どこに何が入っているかくらいは把握している。しまってあったバスタオルやら迅のTシャツやらを勝手に拝借する。
どうせ自分が何をしに来たかなんて全部視えているんだ。だから三輪は特に恥じもせずにそう告げて、さっさと浴室へと向かった。



「なあ、秀次」
「なんだ」

軽く汗を流して後ろの準備もそこそこにさっさと風呂から上がると迅はベッドのシーツを替えていた。長く帰ってこなかったからちょっと埃が溜まってた、とのことで迅はそのシーツを三輪と入れ替わるように洗面所へ向かって洗濯機にそれを押し込む。
替えのシーツはどうするのかと思ったら、迅は帰ってきた時下げていた紙袋から新しいシーツを取り出した。ああやっぱり全部見えてたってことか、準備のいいことだ。三輪は皮肉混じりに小さく笑った。
シーツを敷き終えて迅は上着だけ脱ぎ捨てるとベッドの上に座って、ぽんぽんと自分の隣を叩く。まだ髪は半乾きだけれど…まあそんなの気にすることでもないか。三輪も頭を拭いていたタオルを投げ捨てると迅の隣にそっと座った。そんなに大きくないベッドが二人分の体重を受けてギシリと音を立てる。
ざらりと乾いた手で頬を撫でてくる迅の手を、三輪は払いのけようともせずしかしそれを甘受することもなく無感情に受け入れる。
普通はこういう時心地よいとか、あるいは嫌いな相手なら気持ち悪いとか感じたりするんだろうか。しかし三輪はそういう感覚がよく分からなかった。いや、分かっていたはずなのに分からなくなってしまっていた。
昔はこういう優しい手で頭を撫でられていた覚えがある。それを心地良いと思っていた記憶がある。最後に、最後にこうやって触れられて心地よいと思ったのは、数年前、ああ、そうだ、まだ、姉さんが、生きていた、頃。
思い出す温もりは優しいのにその記憶に触れようとすると指先からずたずたに切り裂かれるような痛みを覚える。だってもう、もう二度と。
実態のない痛みを堪えるように唇を噛みしめると、迅の唇が諌めるように触れてきてその唇を柔く食む。三輪の痛みをぼやかすようなキス、好きじゃないけど嫌いでもなかった。
三輪の唇に滲んでいた血を軽く舐めとると、迅は三輪の額にこつんと自分のそこをぶつけて、なあ、と口を開く。

「秀次がどういう時におれのとこ来るか教えてあげよっか」

そんなことわざわざ教えられなくても三輪は自分がどういう時に迅を求めているか知っている。
酷く自分勝手な理由。よくもまあ愛想を尽かされないものだと今更ながら思う。
どうせ迅には全部見透かされてる、隠しているつもりもなかったから単に答え合わせのつもりで耳を傾ける。

「傷つきたいとき、何も考えたくないとき、それから」

一呼吸置いて、迅は困ったように微笑む。

「全部がどうでもよくなってしまったとき、…生きていくことすら」

ああやっぱり俺の考えてることなんて全部お見通しなんだな、と今更ながら三輪は思う。
三輪が迅を求めるのは迅の言った通り、三輪の精神がどうしようもなく揺らいだ時だけ。そこには愛情とか情欲とかそんなのなにも存在しない。
そんな酷い理由で三輪は迅を求めているのに迅は三輪を受け入れる。そんな酷い理由を理解しているくせに淡く笑って受け入れる。
その訳が知りたくて問いただしたこともあった。酷い雨の日でフラッシュバックが酷くて、とにかく誰かれ構わず八つ当たりしてしまいそうな日だった。だから迅を求めて我慢していた八つ当たりの感情を全部迅にぶつけて、それでも三輪を優しく抱きしめる迅が分からなくて泣きじゃくりながら問いただした。俺はこんなに滅茶苦茶なのに、あんたはなんで、そこまで俺に構うの。
そしたら迅は、それはおれが秀次を愛してるからだよ、なんていつものふにゃりとした笑顔で返してきた。愛、なんて、そんな曖昧なもの今の三輪にはもう分からないのに。それでも愛していると迅は言った。苦しみもがく三輪を抱きしめて愛していると迅は言った。
それならどうしてこんなにどうしようもない俺を愛してくれるの、それも問うた。その答えも曖昧だった。だって好きなんだから仕方ないでしょ、と迅はまたふにゃりと笑うだけだった。
触れてくる指も見つめてくる瞳も嘘を吐かない。愛というものがもう分からない三輪にだってそれくらいは分かる。迅はゆるゆると三輪の頬や首筋を撫でさすりながら問う。

「今日はどれ?」
「…全部」
「そっか」

傷つきたかったし何も考えたくなかったし、全部どうでもよかった。そんな三輪の我儘を迅は容易く叶えてくれる。
迅は再び三輪に甘いキスを落としてそっとベッドに押し倒す。半乾きの髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。
そしてゆっくりと口を開いて、睦言のような甘い声で残酷な言葉をくれるのだ。

「…今日で、お姉さんと同じ年だね、秀次」

迅はいつだって三輪の望む的確な言葉をくれる。だから三輪は迅が好きだった(嫌いだった)。
今も、ほら。迅の言葉は簡単に三輪の心臓のあたりをざくりと抉って傷つけてくれた。
言葉にナイフみたいなかたちがあるなら、きっと胸のあたりから今頃どくどくと血が流れ出ていたんだろう。しかしそこは痛みを訴えるだけで血の一滴も出ていなかった。代わりに目からはぼろりと大粒の涙が落ちた。
痛い、いたい。胸を裂くような、抉るような、言葉にならない痛み。ああ、でも今はその痛みが欲しかった。傷つきたかった。
誰もが三輪の誕生日を祝う言葉をかける中しかし三輪が欲しい言葉はそんなものじゃなかった。今日を迎えるにあたって、三輪が感じていたのはどうしようもない罪悪感だけ。だから違う、そんな喜びの言葉なんて欲しくない、やめて、聞かせないで。だって、姉さんは姉さんは、

「自分だけ大人になっていくのがつらい?お姉さんを置いて」

迅の言葉に静かに涙を流しながら三輪は何度も頷く。今日だけじゃない、誕生日を迎える度に幾度も思っていたこと。
歳を取るたび姉さんにひとつずつ歳が近づいてしまう。少しずつ、でも着実に。そしてとうとう追いついてしまった。
姉さんはあの日で時が止まってしまった。大人になれなかった姉さん。もう姉さんはこうやって誕生日を迎えることすらできないのに、自分は、自分だけ。

「そうだね。でも秀次は生きてるから、大人になるのは仕方ない」

ずきんずきんと痛む胸はしかし、今もしっかりと鼓動を続けている。生きている証を刻み続ける。
姉さんの心臓は止まってしまったのに。いやもうそんなのとっくの昔に灰になってしまって、今はその欠片すらこの世のどこにも存在しない。姉さんだったものは焼け朽ちた骨だけ。
それなのに、自分の心臓はここでどくどくと途切れることなく音を鳴らしている。それが酷くずるいように感じた。自分だけ生きていることが苦しかった。いっそ死んでしまった方が楽なのではないかと何度も思った。
今だってそう思う、この痛む胸から心臓を抉り出してしまえればどんなに楽か。三輪は自分の胸をぐ、と押さえる。
そんな三輪の考えていることなどお見通しとでも言うように、迅は三輪の手首を掴んだ。

「駄目だよ」
「…分かってる」
「うん、おれの言ったこと覚えてるよね」

迅の言葉。忘れるはずがない。もう何度も何度も頭の中で反芻した言葉だ。
あの日、姉さんを追ってしまおうかと何度も思っていたあの日に迅から告げられた言葉。

「…俺は姉さんの仇を討つために、生きてるから、生かされてるから、死ぬなんて許されない」
「そう、それと、もうひとつ」
「自分から、…死を選んだら、姉さんのところには行けない」

自分自身に刻みつけるように、確認するように繰り返す。ああそれはまるで呪いの言葉だ。
姉さんは生きたかったのに死んだのだ。なのに自分が簡単に命を放り投げたりなんかしたら、きっと姉さんは褒めてくれない。それどころか姉さんと違うところに行ってしまうかもしれない。三輪は天国や地獄とか、そういう曖昧なものなんて本気で信じてはいないけれど、でも死んだ後のことなんて誰にも分からない。
だから、どんなに苦しくても呼吸を続けなければいけない。生きていなければいけない。これは罰なのだ、ひとり生き残った自分への。

「うん、そうだよ。だから秀次は生きなきゃ。どんなに痛くても、それでも」

そうだ、それをまた自覚するためにここに来たのだ。
苦しくて哀しくてもう全部がどうでもよくなって、生きていくことすら投げ出したくなって、自分一人ではどうしようもなくなりそうだったから、だから三輪は迅に縋る。
迅は三輪を拒まない。愛しているから。迅は三輪の望む言葉をくれる。それがどんなに痛い言葉でも、残酷なことでも。
だから三輪には迅が必要だった。そこに愛情なんてなくても、歪な信頼しかなくても。

「さて、秀次。…どうしてほしい?」

どうせ今からまたぐしゃぐしゃになってしまうのに、丁寧に指で三輪の涙の痕を拭ってやりながら甘い声で迅は問いかける。
そんなの聞かれなくても決まってる、迅だって聞かなくたってきっと分かってる。
けれど一抹の優しさも今は欲しくない気分だったから、三輪ははっきりと自分の要求を伝えた。

「…酷く、してくれ」

もう何も考えられないくらいに、滅茶苦茶に。

「…りょーかい」

その言葉の後に降ってきたキスは、もうさっきみたいに優しいものなんかじゃなかった。でもそれでよかった。そっちの方がよかった。





真に罰を受けるべきなのは自分なのではないかと迅はいつも思う。
散々泣き疲れて眠る三輪の、涙のあとをそっと指でなぞりながら思い出すのは精神の死の淵にいた三輪のこと。死の未来しか視えなかった彼のこと。
三輪と二回目に会ったのは、彼の姉が亡くなってから数日後のことだった。
病院のベッドに横たわる彼は確かに生きているのにしかし死人のような目をしていて、迅が来たことにすら曖昧な反応を返すのみだった。
その時迅は、彼に数えきれないくらいいくつもの死の未来を視た。
このまま生気が戻らず衰弱死する未来、亡き姉を追って警戒区域に踏み込んでトリオン兵に殺される未来、姉を失った寂しさに耐え切れず自ら命を絶つ未来。
迅は、そのたった二回会っただけのその彼のことを酷く憐れんだ。いや、憐れむだけならまだよかった。彼の、三輪の未来がそれしか残されていないことに酷く怒りを覚えたのだ。これが運命だというなら酷く残酷だ。
だから、捻じ曲げてやろうと思った。その未来を全部変えてやろうと思った。
彼の未来を決める全てが彼の姉に関わっているのなら、未来を捻じ曲げることができるのもきっと姉のことだけだろう。
だから迅はふつふつと湧き上がる怒りの感情を抑えられぬまま言葉にした。
おまえが死んだら誰がお姉さんの仇を討つんだ、簡単に死んだらお姉さんはきっとおまえのことなんか迎えてくれない。
残酷なことを言った自覚はあった。その言葉をぶつけられた時の彼の顔は多分一生忘れられないと思う。絶望より深く、世界の何もかもに否定されたように揺れる瞳。
しかしその瞳にはすぐに光が灯った。それは純粋な生の欲求なんかじゃないことくらいすぐ分かった。怒りと諦めと、負の感情がごちゃごちゃと詰まった悲しい瞳。泣きそうになりながらも強い光を湛えた瞳。
迅は最後に、だから生きろと一言だけ言った。三輪はシーツを掴む手を震わせながらも頷いて、そこにはいない敵を睨むかのように強い瞳で空を見上げた。
最初に彼と会った日、三輪が姉を亡くしたあの雨の日が嘘のように綺麗に晴れ渡った空の日だった。

そうやって、彼を縛り付けた。復讐に、生に。
あの日の言葉で迅の望み通りに確かに彼にまとわりつく死の未来は綺麗に消え去った。
しかし、彼の苦しみながら生きる様を見て、怒りは後悔に、憐れみは愛憐に変わった。
こんなに苦しむのなら無理やり未来を曲げたことは間違いだったのではないかと思った。素直に運命に従わせてやればよかったのではないかと思った。
けれど苦しんで苦しんで泣きながら迅に縋る三輪のことを愛しいと思った。迅の言葉を信じきってどんなに苦しくても生きようと足掻くその姿を愛しいと思ってしまった。
だから死なせたくないと思った。だから三輪が縋り付いてくるたびにあの言葉を繰り返した。ただの迅のエゴで、三輪を生に縋りつかせた。
こんなに苦しむのなら、きっと死んでしまっていたほうが楽だったかもしれないのに。
迅はゆっくりと、頬を撫でていた手を三輪の首に滑らせる。
例えば、今自分が三輪を殺してやれたのなら、彼は解放されるのだろうか。彼を苛む全てから。
思って、しかし迅はゆっくりと三輪の首から手を離した。そんなことが出来たのならこんなに苦しんでいない、彼も、自分も。

「ごめんね、秀次」

迅が生きていてほしいと願うから三輪は今も生きている。迅の寄越した呪いの言葉に縛られ続けながらも今も必死で生きている。
愛しているのにおまえを解放することのできないおれを許して。泣いて泣いて生に縋りつくおまえを愛しいと思ってしまうおれを許して。
いつかおまえが本当に諦めたその時には一緒に死んであげるから。
もう何度繰り返したか分からない懺悔を再び脳内で反芻して、せめて夢の中では彼が幸せになれるようにと祈りながら迅はそっと三輪の唇にキスを落とした。







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