早起きは三文の得



千歳には朝の習慣というものがまるで身についていないらしい。
まずは目覚ましで起きるということ。これすら出来ないというのはどういうことだ。今までの学校生活よく送れてきたものだなあと思う。
そして顔を洗う。洗うときもある、さぞ立派なように言っていたから抓ってやった。毎日洗わないと汚いだろう。
それと一緒に歯磨き。よくよく聞いてみると夜の歯磨きすら時々忘れるらしい。ちゃんと朝昼晩歯磨きしないとキスしてやらないと言ったらちょっと凹んでいた。でもまあ当たり前だ。
他にもシャツのアイロンがけだとか朝ごはんの片付けだとか、とにかくこいつの朝のだらしなさといったらもう半端じゃなかった。



「お前、なあ」
「うん」いつもは見上げる大きな体を正座させて、その真正面に立って見下ろす。
結構威圧的な顔で睨んでいるつもりなのだけれど、千歳に効果はないらしい。首を軽くかしげながら俺のことを見上げている。
はあとわざとらしくため息をついてやってもへらりと笑うだけだ。暖簾に腕押し。

「お前いつもこんな生活しとんの?」
「こんな生活って?」

どうやら自覚も無いらしい。
呆けた頭にチョップをひとつお見舞いしてやる。
いたかあ、なんて眉を下げながら言ってくるその様子はちょっと可愛くてぐらっときたけれど、平常心。まだ言いたいことのひとつも言ってないうちに揺らぐわけにはいかない。
偉そうに腕組みをしてみせて、もう一度千歳に問いかける。

「千歳、今日で今月何回目の遅刻か分かるか?」

さすがに千歳も俺が何を言わんとしているか悟ったみたいで、しゅんと顔を伏せて小さく答えた。

「…覚えとらんとよ」
「多すぎて?」
「うん…」

千歳のクラスの担任に聞いたとおりだ。
千歳の遅刻癖は今に始まったことではないのだが、もうすぐ受験というこの時期にあんまり不真面目なのはやはりやばいんだろう。千歳の担任からオサムちゃん、そしてオサムちゃんから俺へとどうにかしてくれるようにお呼びがかかったのだ。
はあ、ともう一度ため息をつく。
もう部長も引退してこいつとの繋がりは「一応」無くなったはずなのに、まだ世話を押し付けられるなんて。もしかして関係がバレているんじゃなかろうか、とちょっと心配になる。
まあこいつの世話をやくなんてもう慣れっこだからそれはいいんだけど、別に。

「とりあえずお前のそのだらけた生活習慣叩きなおしてやらんといかんな」

きっ、と千歳を睨みつけると千歳はちょっとだけ体を震わせた。
いくら朝が弱いと言ってもこれはないだろう。
人として最低のレベルくらいは出来るようになってもらわないと。

「これから俺が毎朝躾けたるわ」

ふん、と偉そうに千歳に向かって言い放つ。
千歳はショックを受けてうなだれる、かと思いきや。

「く、蔵…それはつまりこれから俺と一緒に住んでくれるっていう…」

何を勘違いしたのか頬を染めて嬉しそうに見上げてきた。

「あほか、それじゃ躾にならんやろ色んな意味で。毎朝学校来る前にたたき起こしに来たるわ」
「ええー…」
「当たり前やろ、あーほ」

不満そうに見上げてくる千歳の額にデコピンをくれてやる。
再びしょぼんとしてしまった千歳が可愛くて、少しだけ甘やかしてやってもいいかなあ、なんて思った。俺ってほんと甘い。
千歳の前に膝立ちになって、寝癖でぼさぼさの頭をきゅっと抱きしめてやる。

「俺がわざわざ毎日朝来てやるって言ってるんやで?ありがたいやろ」
「別にわざわざ行ったり来たりせんでも最初から俺と一緒に寝て起きてくれればよかとに…」
「せやから、絶対躾にならんやろ、千歳?」

躾できる状態じゃなくなってしまう、俺が。間違いなく。
泊まったらただで済むわけないことは身をもって知っているし。
千歳の頭をそのままよしよしと撫でてやってそっと離れる。
まだちょっとだけ不満そうな顔。仕方ないからもうちょっとだけ甘やかしてやる。

「、ん」
「く、ら」

さっきデコピンをしたところに軽くキス。
千歳の表情がほわんとなったところですっと立ち上がってドアへと向かう。

「じゃ、明日から朝来るから、ちゃんと起きて鍵開けて待っときや」
「…うん」
千歳は素直に頷く。可愛い奴だ。

「あ、それとな、千歳」

古びたドアノブに手をかけて振り返る。
正座のままおでこを擦っている千歳の姿はちょっとあほっぽい。

「くれぐれも寝過ごすことのないようにな。俺をこの寒空の中で待たせるようなことがあったら…許さんで」

ひくーい声を腹から出して釘を刺す。
はあい、と小さく答える千歳の声を背に、俺は千歳の部屋を後にした。



*



「ちーとせー」

古いドアをゴンゴンと叩く。
千歳の住んでいるアパートは恐ろしく古いものだから、今どき呼び鈴すらついていないのだ。信じられないことに。

「ん…おはよう、蔵」

4回ほど叩いたところで扉が開く。
寝癖でぼさぼさの髪をかきながら、千歳は眠そうにへにゃりと微笑んだ。

「うん、偉い、ちゃんと起きとったな。これで1週間連続やん。やれば出来るやないか」
「せっかく蔵が朝から来てくれるけんね」

開いたドアから冷たい風が入ってきて、千歳が小さくくしゃみをする。
薄着の千歳が風邪をひいてしまわないように、さっさと閉めて上がりこんだ。

「じゃ、お邪魔するで。千歳、まず顔洗いや」
「んー…」

大きな背中をバンと叩いて洗面所へ促す。
千歳は眠そうによろよろと歩きながらも、ちゃんと顔を洗い始めた。

この一週間、千歳にしてはだいぶ頑張ったんじゃないかと思う。
今までは手が痛くなるくらい、近所迷惑になるくらい、ドアをガンガンゴンゴンと叩き続けなければ起きてこなかったのだけれど、あの日からちゃんと千歳はこうして起きてくるようになった。
相変わらず髪はぼさぼさで目は覚めきっていないけれど、まあ起きてくるだけでも大変な進歩だ。
やっぱりこれは愛の力なんだろうか、なんてちょっと自惚れてみる。

「洗ったばい」
「歯磨きは?」
「今から」
「ん、まだ時間あるからちゃんと3分磨けや」

もう一度千歳を洗面所に押しやって、部屋の中を見回す。
部屋の中は相変わらず散らかっていて、まだまだ改善の余地はありそうだ。まあ明日は休みだし片付けは一緒にやればいいだろう。
ゴミ箱に溜まっているゴミの山も出しに行かせないと。燃えるゴミの日はいつだったっけ。
そういえば洗剤も切れている。明日買ってきてやろうか。

部屋の中を歩き回りながらあれやこれやと明日の計画をたてる。
なんかこうしてると本当に千歳と一緒に住んでいるみたいだ。
そんなことを考えていると、

「くーら」
「わ」

肩にずっしりとかかる重み。
たくましい腕が後ろから回されて、ぎゅうと抱きしめられた。
すりすりと髪に頬擦りされてくすぐったい。
そして甘えた声で囁いてくる。

「ね、一週間ちゃんとやったけん、ごほうび」
「お前なあ…」

やって当たり前のことを出来たらごほうびなんてお前のはがきんちょかと言いたくなる。
だいたいまだ一週間しか経ってないのだ。それでご褒美なんて甘すぎる。

が、躾には飴と鞭の両方が必要だ。
一応一週間は千歳なりに頑張ったんだし、まあちょっとくらい。

「しゃーないなあ…もう…」

ふうと小さくため息を吐く。
千歳はく、と喉で微かに笑って、俺の腰を抱いたまま狭い畳に腰を下ろした。

「くら…」
「う、ん…」

軽く後ろを振り向こうとすると、そのまま千歳の手にとらわれて唇を塞がれる。
すぐに舌が割って入ってきて、甘いいちごの匂いが口を満たした。まだこんな幼稚な歯磨き粉使ってるのか。
けれどそんなお子様な匂いとは裏腹に千歳のキスはやっぱり激しくて。
ちょっとだけのご褒美のつもりだったのに、あっという間にふらふらにされてしまった。
ねっとりと唾液を絡ませながら千歳が唇を離す。

「蔵は今日の朝も歯磨きしてきたと?」
「は、あ…、そんなん当たり前やろ…」
「ふーん…」

息を切らしながら答えると、千歳は唾液で濡れた唇を指でなぞり始めた。
いつもみたいに舐めてほしいのかなあとか、でもそれだとこのままなだれ込むパターンだなあとか思いつつ唇を緩く開けると予想通り千歳は指を差し入れてきた。
が、いつもみたいに舌に触れてくるのではなく、千歳の指は上の唇をふにと押し上げて上の歯茎のあたりをぬるぬると撫で始めた。

「ちょ、おまえ、な、にっ、!」

体がぞわっと震えて、反射的に千歳の腕を掴む。
けど俺の力で千歳の手を引き剥がせるわけもなく。
千歳はゆっくりと指の腹でそこを撫でたり押したりする。

「蔵はこんなとこまですべすべしとうね…」
「は、んっ、や、やめ…」

歯茎をなぞるぞわぞわとした妙な感触。逃れたくて顔を背けようとしたけれど、もう片方の千歳の手に顎から頬までしっかり掴まれて逃げられない。

「ちゃんと毎日歯磨きして偉かねえ」
「ん、ちょっ、とっ」

それから歯の表面をゆっくりとなぞりだす。
指の腹で確かめるように上の歯列を撫でていって、端まで行ったら下の歯。
千歳の大きな指の表面が確かめるようにひとつひとつ触れて撫でていく。

「くすぐったい?」
「あ、あほ、かっ、お前、」

人の歯なんか撫でて何が楽しいんだ。そんなとこ柔らかくもないし、意味が分からない。
のに、気持ちいいような気持ち悪いような、とにかくぞわりと体が疼くような感覚を覚えている自分も意味が分からない。
歯の表面に神経なんて通ってるわけないのに。
でも千歳の指がじわりじわりと動くたびに、体は何故か敏感に刺激を感じ取る。

「ち、と…」
「むぞか…」

熱い息が耳にかかってびくんと体が跳ねる。
千歳の興奮が息を通して伝わって、たまらない。
触れる背中がさっきよりも熱を帯びている気がする。

ああ、もう、こんなつもりじゃなかったのに。

「ね、くら」

濡れた指が唇をなぞる。

「今日、さぼろ」

敷きっ放しの布団の上にころりと転がされて、頭上でへにゃと千歳が笑う。

いったい何のために早起きしたんだか。
千歳の朝の状態を改善するためにやってたはずなのに結局こうなるなんて。
シャツのアイロンかけさせなきゃだとか、まず朝ごはんを食べさせないとなあだとか、やらなきゃいけないことは頭の中を駆け巡る、のに。

やっぱり欲望には勝てそうになかった。
膨れ上がった熱は正常な思考をまるごと溶かしてしまったみたいだ。

「…明日からはちゃんとやらなあかんで」
「うん」

負け惜しみみたいにそう言って、触れる唇の熱さを感じながら目を閉じた。

果たしてこれは三文の得なのかそれとも損なんだか。




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某様から頂いた歯列をなぞるネタで書かせて頂きました^//^
絵のイメージで書いてみたのですがちょっと横道に逸れすぎてあれれという感じになってしまいましたアレレレレ。

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