みらい 「せんせぇ」 わざと甘えた声でオサムちゃんの名前を呼ぶ。 オサムちゃんは少し眠そうな顔をしながら台所で煙草を吸っている。古い換気扇が大きな音を立てていて少し耳障り。 でもオサムちゃんがこんな風に気だるそうに煙草を吸っているのを見るのが俺は好きだ。 乱れた布団の中に寝転がって、遠くからオサムちゃんの背中を見るのが。 上半身は裸で、ゆっくりと煙草を吸っている姿は酷く色っぽく見えた。ただのおっさんのはずなのに。 「なんや白石ぃ」 へにゃりとオサムちゃんが笑う。ああこの顔も好き。 俺はオサムちゃんと二人っきりのときだけ、オサムちゃんのことをせんせぇ、と呼ぶ。 前ふざけて呼んでみたときに、なんかそう言われると本当にあかんことしてるみたいやなあ、って言って情欲を含んだ笑みを見せたから。 その顔がすごく好きだったから、今もこうしてせんせぇと呼ぶ。そうするとそのときと同じように笑ってくれるから。 「なあ煙草っておいしいん?」 「んー子供には不味いかもなあ」 その辺に脱いであったパンツだけ穿いてオサムちゃんのところにふらふらと歩いていく。 下半身が重くて気持ち悪い。風呂に入りたいなあと思った。 「なあせんせぇ風呂入ろ」 「これまで吸い終わったらな」 大好きなオサムちゃんの大好きな背中に抱きつく。煙草のにおいがする。 煙草なんて不健康なもの本当は大嫌いなのだけれどオサムちゃんが吸っているのは好きだ。大人っぽくて色っぽくて好き。 「一緒に風呂なんて、なんか新婚さんみたいやなあ」 ゆっくりと煙を吐き出しながらオサムちゃんが言う。 オサムちゃんの背中が呼吸に合わせて薄く動く。 「ええやん新婚。な、せんせぇ結婚しよ」 「簡単に言うなや。性別も年齢もあるやろ」 「年齢なんかあと3年もすれば俺18になるし。性別だって外国なら同性でも結婚できるとこあるで?」 言ってオサムちゃんの背中に頬を擦り付ける。 結婚したらオサムちゃんのためになんでもしてあげたいなあと思う。掃除も洗濯も頑張って完璧にして美味しい料理をつくって、仕事から帰ってきたオサムちゃんをおかえりなさいって迎える。 それからオサムちゃんと一緒にご飯を食べてお風呂に入って、そして一緒に寝る。それの繰り返し。ずうっとオサムちゃんと一緒。 想像してみて、すごく幸せになった。ああ本当に結婚できたらいいのに。 「ま、結婚は出来んでも一緒に暮らすってのはええかもなあ…」 「ホンマに!?」 まさかオサムちゃんが肯定してくれるような言葉をくれるとは思っていなかったから驚いて、でも嬉しくてオサムちゃんの背中に乗っかるようにもっと強く抱きついた。 ぐえ、とか言うオサムちゃんの声が聞こえる。でも俺はそれに構わず強く抱きついて離れない。 「まあでも、白石が高校卒業してからやなあ」 「ええー」 「ちゃんとその辺はしっかりしとかんとあかんよ」 オサムちゃんは普段適当な癖にこういうとこだけはしっかりしてるから困る。 「あ、それと」 「んー?」 「白石が18までずっと俺のこと好きでいたら、やなあ」 抱きついていた手を緩めてオサムちゃんの前にまわる。そおっと顔を覗き込む。 オサムちゃんは何か寂しそうに笑っていて、俺まで何か寂しくて泣きたくなってしまった。 俺が少し顔を歪めたのが分かったのか、宥めるようにオサムちゃんが俺の頭を撫でた。 「そんなん…当たり前やん」 「そう?」 「そんなん言うたらせんせぇやって、俺のこと好きでいてくれるか分からんやん」 小さな声でぼそりと零す。換気扇がごうごうと煩くて、かき消されてしまいそうだと思った。 オサムちゃんは煙草をじゅうとシンクに押し付けて火を消した。そして大きな音を立てる換気扇を止める。さっきとはうってかわって部屋の中がしんとなる。 「あんな、白石」 「うん」 「ちょっと長い話するで」 だから換気扇を消したのかな、とぼんやり思う。 オサムちゃんの胸に押し当てた耳に小さく心臓の音が聞こえてきて安心する。 「俺はな、最初白石に会ったときから惹かれてたんよ」 「うん」 「誰よりも勝ちに執着してて、努力してて、脆いところがあって」 「うん」 「すごく可愛ええなあって思った。好きやなあって」 「…うん」 「ま、でも教師が生徒に手出せるわけないからな、見とるだけにしとこうと思った」 「でも俺もせんせぇのことがめっちゃ好きになったで」 「そや、俺が我慢しとったのに、お前が俺のこと好きやって言うた。すごく好きや、俺以外なんもいらんって」 「だって好きなんやもん」 適当で、優しくて、時々大人なオサムちゃんが大好きになった。 俺が必死に努力して、時々どうしてもダメで泣きそうになったときは、慰めて気が済むまで泣かせてくれた。 試合に勝ったときは大げさなくらい褒めてくれた。 どうしようもないくらい好きだと思った。 「お前にはもっとええ人とか、未来とかあるって言ったのに、こんなおっさんがええって言った」 「好きやから仕方ないやん」 「やから俺は思ったんよ」 「…何を?」 聞くとオサムちゃんの腕が背中にまわる。 優しく優しく抱きしめられて眩暈がしそうになる。 「白石の青春奪ってまう代わりに、白石には俺の人生全部やろうって、な。それこそ白石が俺のこといらんって言うまで、いや、言ってももう俺には白石だけや」 心臓が大きく音をたてるのが分かった。 血が全身に送られて、体が熱くなる。特に目元が酷く熱くなってきて、ああ泣きそうだと思った。オサムちゃんの覚悟とか優しさとか、俺を思う気持ちだとかが痛いほど伝わってきて、もうこのまま死んでしまえたらいいとさえ思った。 それくらい幸せだった。 「…せんせぇ」 「ん?」 「俺の青春だけやなくて、俺の人生全部やるわ」 「…うん」 「やから、ちゃんと、今言ったとおりせんせぇの人生、全部俺に寄越してや?」 潤んだ目元が見えないように頭をオサムちゃんの胸に擦り付ける。 でも声が上ずってしまっていて、泣きそうなのはきっとばれただろうなと思った。 オサムちゃんのせいだ。オサムちゃんが優しすぎるから俺はこんなに泣きそうなんだ。あほ。 「当たり前やろ」 言って俺の頭を撫でる手もやっぱり優しくて、俺の涙腺はどうしようもなくなって、ぼろりと大きな雫が零れた。 |