調和理論 人は第一印象で決まるだとか聞くけどそんなん当てにならないなあと思う。 例えば最初会ったときのこいつの印象は近寄り難そうな気難しそうな冷たそうな、とにかく親しくはなれないだろうなあというそんなことを考えていたのに。 それが今となってはどうだ。 親しくなれないどころか、一緒に帰ったり寝たり愛を囁いたりとかいう、こんな状態だ。 全くもって第一印象というものは当てにならない。俺だけかもしれないけど。 「くらー、?」 そのでかい図体のどこからそんな甘い声が出るんだろう。いつも思う。 見た目からしたらもっとこう、低く固い声っぽい感じなのになあ。 ふわふわとした声が耳元をくすぐるのを感じて、俺はゆらりゆらりと迫っていた眠りの渦から少しだけ拾い出された。 包み込むように体全体に圧し掛かかってくる体重、頬やら髪やらを擦りたくってくる大きな手、項に触れる柔らかな唇。もぞもぞとくすぐったい。 まるで猫のじゃれあいみたいだなあとぼんやり思いながら、俺の唇をなぞっていた太い指を軽くつまんだ。 「ん…ちとせ」 呼ぶと頭の上のあたりで小さく息を吐く音が聞こえた。 見えないけどたぶん笑ったんだろうなと思う。俺が名前を呼ぶといつもこいつは微笑むから。 「夕飯出来たとよ、食べれる?」 俺の髪にもしゃもしゃと頬を摺り寄せながら千歳が言う。そういえばもうそんな時間なのか。 こいつはまたまた見た目によらず、料理が得意で。 大抵のものはなんでもつくってしまう。それもどこのカリスマ主婦だ、と言わんばかりの手際の良さで。 そしておいしい。恋人がつくってくれた料理、という欲目を抜いてもかなり千歳は料理が上手だと思う。 対して俺は料理はさっぱりだ。見た目からすると作れそうに見える、らしいのだけど。 「んあ…まだ…」 寝返りをうってはみたけれど、やはり眠気と体のだるさには勝てなくて再び目を閉じる。 目蓋の上に影が差して、こつんと軽くおでこに何かがぶつかる感覚。たぶん千歳のおでこ。 仕方ないからまた目を開ける。目の前にはやっぱり千歳の顔。 「まだ俺と一緒にごろごろしたかと?」 とろんととろけるような声で千歳が耳元に声を零す。 ほんと甘い声だ。どこから出してるんだろ。 今となっては、あの気難しそうだ、とかいう第一印象も懐かしく感じる。 こいつは全く第一印象と違っていた男だった。まああの時は多少猫も被っていたのだろうけど。 ふわふわとした男。現実から離れた可愛い架空の話が好きで、猫が好きで散歩が好きで、とても穏やかな男。 最初会ったときには全く知らなかったこと。一緒にいるうちに知っていったこと。 過ごすうちに知らない本性を知っていく。 この男に一番最初会ったとき感じたまんまの男だったら、今こんな風に一緒にだらだらとすごしていなかったんだろうなあとぼんやり思う。 なんて、一人で心の中でのろけるようなことを考えてみる。 なんだか少し照れくさくなってしまった。 「…べつ、に」 俺の予定ではもうちょっと冷静に何でもないように言ったつもりだったんだけど。 今まで部長やら何やらやってきて、感情をさらっと隠してしまうのは得意だと自分では思ってるし、まわりだって気づいてない、その自信はあるんだけど。 千歳相手だと、これがうまくいったためしがないのだ。 今だって、まっすぐ千歳の顔を見ながら言い放つことが出来なくて最後は顔を逸らしてしまったし、語尾は震えてしまったし、これじゃあまるでいわゆるツンデレみたいじゃないか、恥ずかしい。 「むぞらしか」 そんな俺の様子なんて全てお見通しとでも言うようにみたいに千歳は囁く。 ふんわりと乗っかっていた体重が重力にしたがってぎゅうと体に降りかかる。 重くて痛いんだけど、この胸がとくりどくりと早まりだすのは苦しさからじゃないことを俺は自覚している。ちゃんと。 「ん、」 千歳の腕が動いて、古いベッドがギシリと鈍い音を立てる。 なんとなくやらしいその音に小さく震えると、またそれを見透かしたみたいに千歳が微かに笑う。察しが良すぎるというのも考えものだ。 軽く寝癖のついた髪をかきわけて、額に千歳の唇が落ちてくる。お次は頬、そして耳。 柔らかに触れて最後に唇へと重なった。 千歳の唇がふわふわと遊ぶみたいに何度も俺の唇を食んで、乾いた唇を舌で湿らせる。 大きな手は相変わらず俺の髪を撫でる。時々頬を指先でなぞりながら。 ただ、その動作の繰り返し。それだけなんだけど。 いつもこう、脳みそがふわっとなる。とろける。そして胸のあたりも同じ。 なんというか、不思議な感じ。 心臓がぬるくて甘い水にとぷんと浸かって揺られる感じ。羊水みたいな。 それか、重力もなにもなくなってふわふわと浮かんでいる感じ。宇宙みたいな。 とにかく胸のどこか奥のほう、言うなら心のあたりがふんわりとあたたかく痺れるのが分かるのだ。 セックスみたいな直接的な刺激だって好きだけど、こういうよく分からない、じわじわと沁みるようなこの気持ちよさが俺はもっと好きだ。 あったかい。やわらかい。皮膚の直接的な刺激で脳がそう感じ取るのではなくて、脳がその感触を感じ取っているような不思議な心地よさ。 縋るように千歳の背に手を回す。 甘い、甘い感覚に脳が支配されていく。 知らない本性を徐々に知っていったのは千歳のことだけじゃない、自分のこともだ。 「…飯はもちょっとしてからでもええから、…もっと」 他人の第一印象もだけど、自分の思う自分の印象もほんと当てにならない。 こういう甘いセリフ、俺は一生言うことなんてないと思ってたのに、な。 千歳が嬉しそうにふんわりと笑うのを見ながら、まあそれでもいいか、なんて思って目を閉じた。 |