まもりたいから
四日目
お休みの日、朝食を用意していた時のこと。
「あ」
「どうした、ほしこ?」
隣でサラダを作っていたスパルトスさんが、小さく首を傾げる。
「牛乳切らしちゃって。後で買ってこなきゃなぁ」
「ならば、私が買ってこよう」
「えっ?」
「通貨の単位も問題なく覚えたし、私は大丈夫だ。行かせてくれないか、ほしこ」
まるで親におつかいをさせてくれと頼む子供のようで、少しかわいらしい。
「じゃあ…お願いします。」
お店の開く時間の10時に、買い物メモと金の入った小銭入れを渡した。漢字練習帳も、買い物メモに書いてある。
ちょっと遠いお店だけれど、地図を描いたのでわかるだろう。大丈夫ですかと聞けば、楽しそうに「任せてくれ」と返ってきた。うーん、可愛い。
「行ってらっしゃい、スパルトスさん」
「ああ、行ってきます。」
3日ぶりに、彼のいない休日だった。
掃除機をかけたり、思い切りお洗濯をした。思い切って模様替えをして、あの男の物を整理した。
衣類や、小物。浴衣は、新しくスパルトスさんに買った浴衣以外、すべて捨てた。どうせ安物だ、あの男と復縁する予定もないし、良いだろう。
アルバムも、写真を全部捨ててまっさらな物に戻した。これには、彼との写真を入れるんだ。
新しい未来。彼と、歩む未来。いつまで彼がいるのかはわからないが、思い出をたくさん作ろう。
そこまで考えて、ふと気がついた。
彼は、今に消えてもおかしくないのではないだろうか。突然現れた彼だ、突然消えてもおかしくはない。
その思考に至ってから、とても強い不安に駆られた。消えてしまったら嫌だ。携帯電話を持たせてはいるが、連絡をよこす間もなく消えてしまったとしたら。
急いで着替えて、玄関を飛び出した。
その先には、あの男――葛西靖時がいた。
「よぉ。メール見てくれたんだ?」
携帯電話には触れていないから、メールの内容は知らない。
「メールって、何よ…なんでアナタがここにいるの。」
「冷てぇな。お前の彼氏だろ?」
「誰が、アンタなんか…!」
「ほしこ」
その視線に、射すくめられる。昔から、コイツのこの機械のような視線が大嫌いだった。
身体に刻まれた暴力が、台詞が、この視線で呼び起こされる。
やっと離れたのに。やっと離れられたのに。 この男は、性懲りもなく私に近づこうというのか。
「何よ…来ないでよ!」
玄関に逃げ込むが、靖時は扉をこじ開けて入ってきた。
「逃げんなよ、ちょっと金借りるだけだって」
「アンタに貸す金なんて無いわよ!帰って!」
「ほしこ!落ち着けって、な?」
「帰ってってば!」
尚も近づいてくる靖時に、マグカップを投げる。スパルトスさんが拙い動きで入れてくれた薄いコーヒーが、飛び散った。
マグカップは靖時の額に当たり、切り傷ができていた。
「ってぇな…この女ぁ!」
逆上した靖時は私を殴った。
顎を捉えた衝撃が、脳を揺らして意識をちらつかせる。
靖時は、倒れた私に馬乗りになった。降りかかる拳から、必死に腕で顔を庇う。
力では勝てない。悔しさに涙が出そうになったとき、体にかかっていた体重が全て消えた。
「ほしこッ!」
スパルトスさん、帰ってきたんだ。
彼が靖時を退かしてくれたようだった。
「てめぇ!何しやがる!」
「それは此方の台詞というものだ。ほしこに何をしていた。女性に手を上げるなど、下衆の極みだぞ?」
「何処の時代だっつうの!俺はその女の男だぞ!」
「ほしこは「過ぎた過去だ」と言った。それはまごうことなくお前のことを指しているのだろう。ならば、ほしこはもうお前のものではない。」
「帰って!!警察を呼ぶわよ!」
警察の名前が、功を奏したようだ。靖時は舌打ちをして去り、玄関の扉を乱暴に閉じて行った。
「ほしこ、ほしこ…すまなかった。もう少し早く帰っていれば、このようなことには…」
壊れ物を扱うかのように、スパルトスさんが私を抱きかかえる。なんだか少し恥ずかしいけれど、彼の腕はとても居心地が良かった。
気にするなという意味を込めて、微笑む。疲れたのか安堵からなのか、言葉が上手く話せない。
「ほしこ…少し、寝ていろ。片付けは私がしておくから。」
苦しそうな顔の彼に、小さくうなずいた。痛む腕を伸ばしてその頭を撫でると、彼は困ったように笑ったようだった。
そこから先は、意識がない。気がつけば私はベッドにいて、スパルトスさんもソファに寝ていた。
時計の針は18時を指していて、流石に外も暗くなっている。
話に聞いていた彼の生活を考えると、眠くなってしまう時間なのだろう。
着の身着のまま寝ている彼に、そっとブランケットをかけると、冷蔵庫を確認した。牛乳はきちんと入っている。(何故かプリンまで入っていることは見逃しておこう)
シャワーから出ても、スパルトスさんは寝たままだった。
慣れない世界、初めての一人での外出。きっと疲れただろう、そのまま寝かせておこう。
夜中に目が覚めたらかわいそうなので、買ってきてくれた牛乳で作ったグラタンと、電子レンジの使い方を書いたメモを食卓においておいた。
ベランダに出ると、火照った体には心地よかった。
ふと隅を見ると、彼が初めて会った時に着ていた鎧一式と重そうな槍が鎮座していた。
この世界での手入れの道具や方法は教えていたので、いつ見てもぴかぴかに輝いている。
ふと、その槍に私の顔が映った。とても疲れている、酷い顔だ。ぎこちなく笑ってみたが、月明かりもあってか幽霊か何かのようだった。
彼の槍は、沢山の傷がある。どれも丁寧に磨かれた形跡があり、修繕された跡もある。余程大切にされているのだろう。
「あ。」
ルフ、だ。
彼の槍から来たそれは、私の周りを飛び回る。
その光を見ていると、優しく、暖かな気持ちになった。
「……ありがとう」
ルフにお礼を言って、ベッドに入った。
その頃には、あの男が来た時の憂鬱はもう、消えていた。
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