×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

承太郎side

 すっかり平穏を取り戻した杜王町ではこれといった事件は無く、実にのんびりとした時間が流れていた。ナマエくんの一件でSPW財団と連絡を取っていたのも数日前までの事で、今日は特にやる事も無く、借りている杜王グランドホテルの一室で読書をして過ごしている。
 散歩にでも行こうか、などと考え始めた頃、部屋のチャイムが鳴った。約束していた来客は無い筈だ。ソファーから腰を上げ、ドアスコープから外を覗くと、部屋の前に居たのは仗助と億泰、康一くん、それからナマエくんだった。

 珍しい顔ぶれだが、やはり約束はしていなかった筈だ。仗助達の後ろに隠れるようにしているナマエくんの、頭の上で主張している猫の耳のようなものが多少気にはなるが、まあ、その話は後でも良いだろう。ドアを開け、「どうした」と短く尋ねる。

「こんにちはっス承太郎さん。あの、今って忙しいっスか?」
「特に忙しくはないが…何か用事か?」

 忙しくはない、という俺の言葉に、仗助と億泰が何やら目を光らせる。何か企んでいるらしいという事は、この数ヶ月の付き合いで直ぐに分かった。すっと両手を差し出して来た二人は、「トリック・オア・トリートっス!」と声を揃える。
 実に楽しげな様子の仗助と億泰、その後ろで様子を窺っている康一くんとナマエくんとでは、若干の温度差があるらしい。性格が出るものだな、と思いつつ、『トリック・オア・トリート』というワードから、今日が何の日であるかをフッと思い出した。

 今日は10月31日――俗に言う、ハロウィンだ。思い返してみると、町中はそれらしい装飾が施されていたように思える。イベント事にはさほど興味の無い質なので、すっかり忘れていた。「…なるほどな」と呟いた俺に、仗助はにんまりと笑みを深める。

「お菓子がないなら悪戯させて貰うっスよ、承太郎さん!」
「やれやれ…俺が菓子なんざ用意してねーと分かっていて来たな」

 呆れたように息を吐いてみても、仗助はニッと悪戯っ子のような笑みを浮かべるだけで怯む様子すら無い。億泰に関してはどうだか分からないが、少なくとも、仗助はどちらかと言えばお菓子よりも悪戯を目当てに来たようだ。全く厄介な『叔父』である。
 悪戯がどういうものかは不明だが、黙ってそれを受け入れる筈も無い。俺はドアを大きく開けると、「好きなルームサービスを頼んで良いってのはどうだ?」と提案し、仗助達を部屋の中へと招き入れる事にした。


***


 俺の横にナマエくんが座り、テーブルを挟んだ向かい側には仗助、康一くん、億泰が座る。届いたルームサービスを前に目を輝かせている辺りは、やはりまだ子供なのだと感じてしまう。こうして見れば可愛いものだ。
 視界の端でナマエくんが何処かそわそわしているのが見えて、そちらに気が向く。しかし、最も気になるのは彼女の頭に着いているものだ。部屋の前で見た時は触れなかったが、そろそろ触れても良い頃だろう。「ところで」と声を上げれば、ナマエくんがぴくりと反応した。

「…ナマエくんがこういうイベント事に参加するのは意外だな」
「えッ、そ、そうですか…?」
「その猫の仮装も良く出来ている。まるで本物のようだ」
「……………こ、これはまあ、良く出来ているというか、本物なので…」
「………何?」

 うろうろと視線を彷徨わせた後、ナマエくんが恥じらうように顔を両手で覆う。それと同時、頭の上に着いている耳も、まるで同調するようにへたりと下がった。ナマエくんの代わりに、康一くんが「ろ、露伴先生のイタズラなんです!」と慌てたように声を上げる。露伴先生の悪戯――それはつまり、『ヘブンズ・ドアー』で何か書き込まれた、という事なのだろうか。
 じっとその耳を観察していると、ナマエくんがおずおずと顔を上げ、「触って貰えればわかると思います…」と話した。論より証拠、という事か。俺はそっと手を伸ばして、ナマエくんの頭に着いている耳に触れる。擽ったいのか指先から逃げるように揺れたその耳を見て、思わず目を開いた。これは確かに、本物の耳だ。

「…なるほど。確かに本物らしいな」
「……そうなんです…今日一日だけではありますけど、こんな姿、公開処刑というかお目汚しというか……」

 ナマエくんは何処か落胆したように息を吐き、そう言った。元より自分に対する評価が低い彼女の事だから、この姿はなかなか耐え難いものがあるのだろう。どうせなら仗助に生えれば良かったのに、とでも考えているのかもしれない。
 すっかり肩を落としてしまったナマエくんに、仗助達がおろおろとし出したのが視界の端に映る。何とかしてくれ、とばかりに視線を遣られ、俺は密かに息を吐いた。…やれやれ。

 一度引っ込めた手を再び伸ばし、ナマエくんの頭を撫でる。耳の後ろを指先で擦るように撫でてやれば、ぴくぴくと耳が揺れた。猫というものは、確か耳の後ろを撫でられるのは好きな筈だ。ナマエくんの表情を見るに、合っていたらしい。
 気持ちよさそうに目を細めている姿は、まさに猫のようだ。今にもごろごろと喉を鳴らし出しそうな彼女には、少し気分が良くなる。撫でる手を止めて、俺は口を開いた。

「そう卑屈にならなくても良いだろう。なかなか似合っていると思うがな」
「に、似合っ……そ、そんな、私に猫耳が生えたって……」
「承太郎さんの言う通りっスよ!言ってるじゃあないっスか、ナマエさん似合ってるし可愛いって!」
「え、あ、うええ…」

 俺と仗助の言葉に、康一くんと億泰も畳み掛けるようにうんうんと頷く。それを見たナマエくんは、ぎょっとしたように目を丸くし、それから頬を赤らめた。口では否定しているものの、どうも照れ臭いらしい。
 戸惑うようにうろうろと視線を彷徨わせているナマエくんに、仗助が何かを見つけたように目を丸くし、口元を覆った。笑いを堪えている。

 不思議に思いナマエくんに視線を遣って、ああ成る程な、と一人で納得した。彼女は顔を見られまいと俯いているが、尻尾は喜びを隠しきれないようで、ゆらゆらと揺れていたのだ。

「…ナマエさん、尻尾が喜んでます」

 仗助にそう指摘され、ナマエくんは漸くそれに気が付いたらしい。ナマエくんは尻尾を隠すように慌てて抱き締めた。それから一拍置いて、気を紛らわそうとしているのか、そろりと目の前の紅茶に手を伸ばす。紅茶を飲むのに時間を掛けている辺り、猫舌になっているのかもしれない。
 ナマエくんは紅茶を飲みつつ、未だに肩を震わせている仗助達をちらと見遣ってから、何処か恥ずかしそうに再び紅茶に視線を落とした。おそらく、何か話題を変えようと思案しているところなのだろう。ぱたぱたと尻尾の先がソファーを叩いているのを見ながら、俺はそう思った。

 仗助はナマエくんの尻尾から何か探ろうとしているのか、じっと彼女の尻尾を観察するように見ている。ナマエくんもそれに気が付いたようで、ハッとしたように尻尾の動きを止めた。

「…あ、そ、そうだ!…あの、承太郎さん、もし良かったらこれ…」
「……何だ?」

 ナマエくんが自分の横に置いている鞄に手をかけ、中から一つの袋を取り出したのは、それから直ぐの事だ。「ハロウィンなので」と小さく笑いながら差し出されたそれに視線を落とす。一目でハロウィン限定のものなのだろうと分かる装飾を施されたその袋には、マドレーヌのようなものが入っているようだ。
 「ありがたく頂こう」と彼女からそれを受け取れば、ナマエくんはへらと笑って返してくれた。俺が受け取った事で安心したのか、それとも話を逸らす事が出来てほっとしたのか、ナマエくんは何やらやり遂げたように満足そうな表情を浮かべ、漸く目の前のデザートに手を付ける。

 何の変哲もないデザートだというのに、頬を押さえて幸せそうに頬張っている姿は、年相応といった様子で、素直に可愛らしいと思った。しかし時折、同じようにデザートを頬張っている仗助達をちらと見遣ってはまた満足そうに笑っている辺り、幸せそうなのはデザートの所為だけでは無さそうだ。彼女らしいと言えば彼女らしい。
 暫くしてデザートを平らげた仗助達は、長居をするのも申し訳ないからと、あっさりと腰を上げた。たかだかルームサービス一つで満足して帰るのだから、安いものだろう。やはりまだ子供だ。

 来た時と同様、仲良く揃って部屋を出て行った四人の背中を見送り、やれやれと息を吐く。まあたまにはこういう時間も悪くはない。部屋のドアを閉めようとした時、廊下の先からぱたぱたと足音が聞こえ、視線を遣る。ナマエくんが走って来ているのを見て、俺は閉めようとしていたドアを押し開け、廊下の方に踏み出した。

「あ、あの、承太郎さん!」
「………忘れ物か?」
「い、いえッ、…ど、どうしても言いたい事があって、その……」

 言いたい事、とは。促すようにナマエくんに視線を遣るが、今になって尻込みしてしまったのか、「ええと…その…」と彼女はもごもごと口籠った。しかし、漸く覚悟を決めたのか、そっと顔を上げて俺の顔を見る。

「…やっぱりまだ夢みたいで、私が皆の輪の中に居ても良いのかなって思う事もありますけど、それでも嬉しくて……皆とこうしてイベントを楽しめるなんて思ってもみなかったから、その…私、本当に幸せで」

 ふにゃりと柔らかい、何処か気の抜けるような表情。彼女は尚も、少し恥ずかしそうにはにかみながら、しかし、しっかりとした声音で続けた。

「…私が今こうして楽しめているのも、承太郎さんが色々と面倒を見て下さっているお陰です。本当に、ありがとうございます…!」

 がばっと頭を下げたナマエくんは、「そ、それだけ言いたくて…」と再度もごもご言いながらゆっくり顔を上げる。俺の反応を窺うように見上げてくる彼女に、気が付いたら手を伸ばし、頭を撫でていた。
 ――以前から思ってはいたが、彼女は少し考え過ぎるところがある。心配性、と言い換えても良い。思慮深い事は良い事だが、彼女の場合、その思考の行き着く先は多くが杞憂に終わるものだ。自分の立ち位置を理解しているからこそ、彼女は俺達との間に一線を引き、溶け込みたいと思いつつも、何処か溶け込みきれない部分があるのだろう。今しがた彼女が何気なく言った、「私が皆の輪の中に居ても良いのか」というのはそういう事だ。

 しかし、ナマエくんのその一線というのは、やはり杞憂に過ぎないもの。彼女が元々はこの世界の住人ではないというその事実は変えられないが、今現在、仗助達にとってそれは些末な事柄なのだ。彼らがすっかり心を許している事など、それこそ接していれば分かる事だろうに。
 ナマエくんの頭を撫でる手を止め、不思議そうに見上げて来る彼女と目を合わせる。さっと頬に赤らみが差したのと同時、俺は彼女の名前を呼んだ。

「ナマエくん、君は色々と考え過ぎる癖があるから言っておくが…」
「は、はい…!」
「『輪の中に居ても良いのか』なんて、そんな事を考える必要はない。…仗助達を見れば分かる事だ」

 きょとんとしたナマエくんに、何より分かり易い例を指し示す事にした。廊下の先では、仗助達が揃って此方を見ている。ナマエくんの事だからおそらく先に行くように伝えたのだろうが、仗助達はそれがごく当たり前の事のように、揃って彼女を待っていた。
 ナマエくんが自分達の方を見た事に気が付いたのか、仗助が「ナマエさん、置いてっちゃいますよ〜ッ!」と声を上げた。目を丸くしているナマエくんの背をぽんと押してやれば、彼女は驚いたように俺を見上げる。

「…また来ると良い、ナマエくん。話し相手くらいにはなる」
「……ッ、は、はい…!ありがとうございます…!」

 ふ、と口元が緩んでしまったのは仕方のない事だ。多少気恥ずかしい感じもしたが、ナマエくんの表情がみるみる内に喜びの色を浮かべたのを見ると、まあ良いかと思ってしまう。
 律儀に頭を下げたナマエくんは、ぱたぱたと廊下を駆け、仗助達の元へ向かう。再び四人揃ったところで、此方に向かってぶんぶん手を振って来たので、応えるように手を上げ、部屋へと戻った。

 すっかり冷めてしまったコーヒーを片手に、テーブルの上に置いていた袋を解いてマドレーヌを取り出す。ただのマドレーヌだろうに、何処となく優しい味に感じられた。
 思いもよらず随分と騒がしい時間を過ごす事になったが、不思議と気分は良い。イベント事に興味が無い事には変わりないが、こういう日があっても良いかもしれないと、俺は密かに思ったのだった。

- list -