1 一本の電話 姉が嫁いだのを機に、家族でM県S市にある杜王町に越して来てから数年。父の故郷である事もあって、私達がこの小さな町に溶け込むのに、そう時間は掛からなかった。 高校に上がって、期待と不安で胸をいっぱいにしながら迎えた春。入学式も終えて、漸く学校生活にも慣れて来たとある日、私の家に一本の電話が掛かって来た。誰も手が空いていないようなので私が電話を取れば、受話器の向こうからは、聞いた事のある声。 「――ヒナか?承太郎だ。突然電話してしまってすまないな」 「承太郎さん!?あ、えと、お久しぶりです…!」 空条承太郎さん。海洋学者である彼は、何を隠そう姉の夫であり、今は姉と共にアメリカに住んでいる。私の記憶が正しければ、最後に会ったのは随分と前だった筈。それにしても、姉ではなく承太郎さんが掛けて来るなんて珍しい事だ。両親のどちらかに用があるのかと思ったのだが、驚く事に、承太郎さんは私に用があって電話をして来たらしい。 何でも、承太郎さんの祖父であるジョセフさんに隠し子が居た事が発覚し、あちらでは大騒ぎになっているのだとか。それだけなら私達には殆ど関係のない事なのだが、その隠し子というのが、この杜王町に住んでいるというのだ。 「な、なるほど…それで電話を……」 「そういう訳だ。名前は東方仗助と言うんだが……」 「エッ!」 「……やれやれ。知っているんだな」 「し、知っているというか…クラスメートです…」 話した事こそ無いが、彼はウチの高校ではちょっとした有名人であった。背も高くて、整った顔立ちをしていて、何より特徴的なのは所謂リーゼントと呼ばれるその髪型だ。パッと一目見ると不良そのもののような外見だが、性格はとても優しくフランクで、女子からかなり人気の男子生徒である。確かに片親だとは聞いていたけれど、まさか知り合いの隠し子だったとは驚きだ。 承太郎さんはジョセフさんの代わりに東方くんに会いに杜王町へ来るそうで、案内を頼まれた。姉は着いて来ないとの事なので、承太郎さんとは二人きりで会う事になりそうだ。何だか緊張するなあ。 そんな事を思っていると、承太郎さんが「俺からは以上だ。…ちょっと待っていてくれ」と話した。言われた通りに待っていると、数秒して、「あ、ヒナ?」と聞き慣れた声が聞こえて来る。 「お姉ちゃん!」 「久しぶり、元気そうだね。本当は私も行きたかったんだけど、ちょっと体調崩しちゃってね…承太郎くんが大人しくしてろって」 「そうだったんだ…それじゃあちゃんと休んでないとね」 里帰りにもなるから、きっと姉は相当行きたがったのだと思うが、承太郎さんは姉に関しては割と過保護な所があるから、きっと全力で諭したのだろう。学生時代からそんな感じだったものなあ、なんて考えて密かに笑っていると、姉が「そういえば…」と口火を切った。 「ヒナ、最近何か気になる事とかない?」 「えっ?」 「例えば、あー、…人には見えないものが見えたりとか…こう、周りで変な事が起きたりとか…」 何だか歯切れの悪い言葉に、どきりと心臓が跳ねた。実を言うと、数ヶ月前から姉の言うような出来事は起きていたのだ。しかし、『それ』が私以外には見えないので周りに相談する訳にもいかず、ずっとモヤモヤしたまま『それ』と付き合って来た。 確か、姉も小さい時に幽霊が見えるだ何だと騒いでいた時期があったと聞いた。だからなのか分からないが、姉はまるで私に起こっている出来事を知っているかのような口振りだ。……話した方が、良いのだろうか。少し迷ったが、姉に余計な心配を掛けたくなくて、「特に何も無いよ」と咄嗟に嘘をついてしまった。 「……本当に?」 「本当に」 「……うーん、それならいいけど…何かあったら相談してね。私も承太郎くんも、きっと力になれるから」 姉はまだ少し腑に落ちないようだったが、それ以上追及して来る事は無かった。それから一言二言交わして姉との会話を切り上げ、通話を母と交代し、自分の部屋へと戻る。ごろんとベッドの上に仰向けで転がり、ふうと息をついた。 そっと目を開けると、天井を遮るように、私と向かい合って浮いている『それ』が視界に入る。『それ』こそが、私が姉や承太郎さんに相談したい事なのだ。しかし、仮に相談するとして、一体どう説明して良いのだろう。「おかしな力を使える幽霊が纏わり付いているんだけど…」なんて、言ったところでどう信じて貰えるというのか。 「………やっぱり、言えないよなあ…」 深い溜息と共に吐き出せば、『それ』は私の悩みなど素知らぬ顔で、くるんとその場で宙を一回転してみせた。全くいい気なものだ。私はもう一度深く溜息をついて、『それ』から逃げるように目を瞑り、寝返りを打ってそっぽを向いたのだった。 |