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"パール・ジャム"T

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「おい仗助、ヒナ こんなとこにイタリア料理店ができてるぜ… いつの間にできたんだァ?」

 学校からの帰り道、急に立ち止まった億泰くんが何かを見付けたように声を上げる。イタリア料理店、と言われても、辺りには家が建っているだけで、それらしきお店は見当たらない。
 仗助くんと共にきょろきょろと周囲を見回していると、億泰くんは「この先100mだよ 看板にそーかいてあるぜ」と目の前にある看板を指差した。とは言うものの、商店街から離れているこの先には霊園しかない。

 私も仗助くんも半信半疑だったけれど、どうしても気になるらしい億泰くんに押され、結局そのイタリア料理店に向かう事になった。暫く歩いて行くと、霊園の手前にぽつんと一軒のお店が建っている。
 『TRARRORIA Trussardi』――どうやらこのお店らしい。入り口の横に設置されているメニュー表には、『お客様次第』の文字。不思議に思っていると、仗助くんもそれに気が付いたらしい。

「なんだ?お客様次第って…」
「…シェフの気まぐれ、とかって事なのかな…?」
「おい早く入ろうーぜェーっ」

 億泰くんに急かされ、お店のドアを開ける。ドアベルの音が響く店内には、他のお客さんの姿は無かった。室内にはゆとりがあるのにも関わらず、テーブルが二つしか無いのが気になるけれど、内装はとてもお洒落で、雰囲気も良さそうだ。

「おしゃれなお店だね…」
「雰囲気イーイーじゃんかよぉ〜 おれイタリア野郎のセンスとかデザインて すげー好きなんだよなあ〜」
「でもよ〜テーブルが2つっきゃねーぞ なんだ この店は?」
「それはワタシがヒトリでやってるからでス」

 お店の奥から出て来たのは、一人の男の人だった。外国人らしい彼の装いから察するに、このお店のオーナーでありシェフでもあるようだ。にこやかな笑みを浮かべたまま此方にやって来た彼は、一人でお店を回しているのでテーブルが二つで精一杯なのだと話しながら、椅子を引いて席へ促してくれた。
 彼はトニオ・トラサルディー、イタリア人なのだと言う。イタリア人のシェフが作る本場の料理が食べられる、と億泰くんは更に表情を輝かせた。どうやら思ったよりも本格的なお店のようだ。

 億泰くんがトニオさんにメニューを見せてくれるよう頼んだのだけれど、トニオさんは「そんなもの ウチにはないよ…」と驚きの返答をした。確かに外にあるメニュー表には『お客様次第』と書いてあったけれど、本当にメニューが無いなんて。

「あ、あの…メニューがないなら、どうやって料理を頼めば良いんですか…?」
「料理の献立はお客様次第で決定しまス ワタシがお客を見て料理を決めるいうコトでス」
「なんじゃあ そりゃあ〜?おめーんとこ客の食いてーもん食わせねーっつゥーのかよー!」

 トニオさんの言葉に怒った億泰くんに、思わずびくりと肩が揺れる。しかし当のトニオさんは怯む事も無く、億泰くんの手を取って「フゥーむ」と小さく唸った。それから、「アナタ…昨日 下痢しましたネ?」と口火を切る。
 彼の口からは、腸の壁が荒れている、睡眠不足、虫歯が二本あるなど、まるで医者が診断しているように次々と言葉が出て来る。手の平を見ただけではおよそ分かる筈の無いであろう事だ。しかも、驚くべき事に、それは全て当たっているらしい。

 驚く私達に、トニオさんはにっこりと人当たりの良い笑みを浮かべたまま、「ワタシは両手をみれば肉体全てがわかりまス」と言ってみせた。曰く、彼は人々が快適になる為の料理を求め、世界中を旅し、そして祖国のイタリア料理に取り入れたのだという。

「ワタシはあなた方を快適な気持ちにするための料理を出します」
「か、快適な気持ちに……」
「オー!ゴメンナサイ!説明するヒマあったら料理お出ししなくてはいけイケませんでス えーとこちらのお客様は?」
「ああ おれはあんましハラすいてねーからよー コーヒーだけでいいっス 『カプチーノ』ひとつ」
「あ、…じゃ、じゃあ私も同じでお願いします…」
「オ・カピートォ かしこまりました」

 トニオさんはテーブル上のグラスに水を注ぐと、やはりにこやかな表情のまま、奥へと引っ込んで行った。グラスを手に取った億泰くんにずいと顔を寄せた仗助くんは、ヘルシー料理が大抵は不味いのだと話し、「もしちょっとでもマズかったらカネ払うこたあねーぜ」と付け加える。…そういえば、承太郎さんも昔は不味い料理にはお金を払わなかったとか何とか聞いたような気がするなあ。
 仗助くんの言葉に神妙な面持ちで頷いていた億泰くんだったけれど、グラスに口を付けた瞬間、驚いたように目を見開く。水がどうかしたのだろうか、と首を傾げていると、億泰くんが口を開いた。

「こっ!!こんなうまい水 おれ生まれてこのカタ…飲んだことが!ねーぜぇーッ!!」
「え、ええッ…!?」
「なんつーか気品に満ちた水っつーか たとえるとアルプスのハープを弾くお姫様が飲むような味っつーか スゲーさわやかなんだよ…3日間砂漠をうろついて初めて飲む味っつーかよぉーっ」

 グルメリポーター顔負けのリポートを始めた億泰くんに驚きつつ、勧められるまま、仗助くんと共にグラスに口を付ける。正直、水なんてどれを飲んでも同じだろうと思っていたのだけれど、この水は確かに、今まで飲んで来たどの水よりも美味しいと感じた。
 水を一気に飲み干した億泰くんは、溜めに溜めてから「ンまあーいっ!」と大袈裟なくらいに感情を吐き出していた。驚いたのはその後だ。億泰くんが「あまりのうまさで涙が出てきたぜ〜」と言いながら、本当に泣き始めてしまったのである。

「おい なにも水のんだぐれーで泣くこたァねーだろーがよーっ」
「清らかさのせいかなあ ちょっとハンカチもってるか?涙がどんどん出てくるぜ〜っ」
「お、億泰くん大丈夫?これ使って…」

 ハンカチを渡した頃には、億泰くんの目からはどんどん涙が溢れ出ていた。美味しい水なのは確かだけれど、泣くほどだとは思えない。それでも億泰くんの目からは涙が止まらず、やがて尋常でない量の涙がまるで滝のように勢い良く流れ出した。
 ここまで来ると流石に異常だ。この水は一体何なのだろう、とグラスの中の水を凝視してみても、当然ながら仕組みは分からない。そんな中、仗助くんが何かに気が付いたように「お…億泰!」と名前を呼ぶ。視線を上げて億泰くんの顔を見た瞬間、私もあっと声を上げた。

「お…億泰くん、目がッ…!?」
「お…おまえの眼球…目ん玉の白目のとこ しぼんでフニャフニャだぞ〜ッ」

 これはやはり異常だ。こんな量の涙も見た事が無ければ、まるで風船か何かように白目が萎むのも見た事が無い。慌てて立ち上がったのと同時、奥に引っ込んでいたトニオさんが料理を手に戻って来た。
 「ドーカ アワテないでくだサイ」とのんびりと言うトニオさんは、この光景には全く動じていないらしい。彼が出した水でこうなっているのだから、当たり前と言えば当たり前だけれど。仗助くんが「億泰に何を飲ませやがった!」と怒鳴れば、トニオさんは再び口を開く。

「落ちついテ!目玉がしぼむのは一時的なものでス ワタシは自分の料理に誇りをもってまス お客様の健康を害するものは決してお出ししません」
「で、でも、どう見たってこの状況は……!」
「そのミネラル・ウォーターはアフリカ キリマンジャロの5万年前の雪どけ水で…眼球内をよごれとともに洗い流し 睡眠不足を解消してくれる水なのでス」

 トニオさん曰く、同じ水を飲んだ筈の私と仗助くんの様子が変わらないのは、私達が昨夜きちんと睡眠を取ったかららしい。確かに、昨夜は少し早めに布団に入ったけれど、本当にそれが関係しているのだろうか。
 不審に思っていると、億泰くんが私達を呼ぶ。視線を遣ると、億泰くんは何やら清々しい表情で「眠気がふっ飛んだぞッ!」と高らかに言った。ぱっちりと見開かれた目は、先程までが嘘だったように、けろりとして何の異変も無い。

「あ、あれッ…!?目が…お、億泰くん、大丈夫なの!?」
「おうよ!10時間熟睡して目醒めたみてェーなバッチしの気分だぜェーッ!!」
「さっ!料理を続けましょうか?まず前菜はモッツァレッラチーズとトマトのサラダでス」

 にっこりと笑うトニオさんに、思わず息を呑む。億泰くんが大丈夫と言うのなら大丈夫なのかもしれないけれど、どうも腑に落ちない。仗助くんも同じなようで、億泰くんに視線を移したまま口を開いた。

「お 億泰〜っ 本当におめえ〜目ん玉 何ともないのか?」
「ああ〜 何ともねーどころか 誇張じゃあなくスゲーさわやかな気分だぜ〜」
「でもてめ〜 かなり異常だったぜ…今出た涙の量はよおぉ〜っ なあヒナ?」
「う、うん…見た事ないくらいの量だったよ…」

 仗助くんの言葉に頷くも、億泰くんは特に気に留めていないようで、生まれて初めてこんな美味しい水を飲めば涙くらい思い切り出る、との事だった。更には映画を見た時の方が泣けたとすら言っている。…そういうものなのだろうか。
 やはり腑には落ちないものの、億泰くんは既に目の前に置かれた料理の方に意識が向いてしまっているので、これ以上考えても仕方がないようだ。仗助くんが静かに椅子に座り直したのを見て、私もおずおずと腰を下ろした。