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吉良に宥められる

■ ■ ■

 夜中に急に甘い物が食べたくなって、散歩がてら近くのコンビニに行ったは良いが、何だか変なものを呼び寄せてしまったらしい。足に引っ掛けてきたクロックスの足音の他に、明らかに一つ、足音がする。私が歩調を緩めても早めても、その足音は私と全く同じように足音を立てた。コンビニから出て数分後に気が付いたのだが、どう考えても尾けられている。
 ごくり、喉が鳴った。泣く子も黙るラスボス勢に囲まれて暮らしているから多少の耐性は付いていると思ったけれど、こういう類のモノはまたベクトルが違う。それに、私自身は一般人みたいなものなのだ。とりあえず何が言いたいかというと、怖いのである。

 とりあえず、逃げよう。そう思った私はコンビニの袋をぎゅっと握り、駆け出した。無論、背後の誰かも同じように駆け出したのだが、私にはちょっとした『反則技』がある。手の平の上にぽこんと出現した黒い箱を、腕を振るのと同時に背後に投げ捨てた。光を反射する事のない何処までも黒い箱は、真っ暗な辺りに溶け込む事だろう。『ブラック・ボックス』はこういう使い方も出来る。
 一拍置いて、ずさあ、と何かが地面に倒れ込むような音がして、思わずガッツポーズを決める。期待通り、黒い箱に躓いてくれたようだ。気分はマ●オカート。背後の誰かが立ち上がる音がしたが、その一瞬のタイムラグを見逃す訳もない。ぴゃっと逃げ出した私は、そのままの勢いで見慣れたアパートの一室に駆け込んだ。

「…はあ、…ッは、ふ、……ッ」

 ドアを閉め、鍵を掛け、外を遮断して漸く緊張の糸が切れて、ドアに背中をくっつけたままずりずりとへたり込む。部屋の中では全員が寝静まっている筈なので、なるべく音を立てないよう、口元を抑えて静かに息を整える。心臓はドッドッと忙しなく、指先は情けなく震えたままだ。ああ、怖かった。息が上がりきっている所為で締め付けられるように痛む心臓に、じわ、と涙が滲んで来た頃だ。

「………ヒヨリ?」

 暗闇から投げ掛けられた声に、びく、と肩が震える。ひたひたと足音が聞こえ、恐る恐る顔を上げると、そこには怪訝そうに此方を見ている吉良さんが居た。起こしてしまったのだろうか。私はドアに手を着いて立ち上がりながら、「ごめんなさい」と口を開く。

「ちょっとコンビニ行ってきたんですけど、…はは、暗くてよく見えないから、玄関で転んじゃって。起こしちゃってごめんなさい。…今日はもう大人しく寝ますね」
「…ヒヨリ」

 何かを言われる前に、気が付かれてしまう前に切り抜けないと。そう思って、話もそこそこに、吉良さんの横をすり抜ける。けれど、吉良さんは既に何か勘付いてしまっていたようで、私の腕を掴んだ。もう一度名前を呼ばれて、ゆるゆると顔を上げる。心配そうに此方を覗き込んでいる吉良さんの顔が見えて、もう駄目だった。
 ぼろ、と涙が溢れる。吉良さんは一瞬ぎょっとしたけれど、直ぐに表情を戻し、やれやれとばかりに息を吐いた。腕を引かれ、吉良さんの腕の中にぽすんと収まる。背中に回った手が、とん、とん、と子供をあやすように、一定のリズムで優しく叩いて私を落ち着かせてくれた。

「…き、吉良さん…きら、さんッ…」
「ゆっくりで良いから、話してごらん。まずは息を整えて。さあ、出来るね?」

 こくこくと頷いてから、息を整える。吸って、吐いて。ひくひくと喉を鳴らしながらではあるが、幾分落ち着いて来た。「良い子だね」と柔らかい声が降って来て、私は再びこくこくと頷く。まるで小さな子供みたいな扱いだとは思うけれど、不思議と嫌な気はしなかった。
 掠れた声で、一つ一つ、今しがた起きた事を話す。夜中に一人で出歩いた事に対して「だから君は危機感がないと言うんだ」と多少のお叱りは受けたけれど、私が泣くほど怖がっていたからか、普段に比べれば小さなもので済んだ。ぎゅう、と吉良さんのパジャマに縋り付くと、吉良さんはぽんぽんと私の頭を撫でてくれる。

「よしよし、怖かったろう。私がついているから、もう安心して良い」

 吉良さんの柔らかい声が、染み渡るように耳の中に響く。一番最初に話した時から思っていたけれど、この人の声は、私にとってとても安心出来るものだ。ぐす、と鼻を鳴らし、「もう大丈夫です…」と呟くように言えば、吉良さんはそっと私の体を離した。赤くなっているであろう目元に、指先で労るように触れてから、私の手を引く。
 「眠れそうかい?」と尋ねられて、小さく頷いた。散々子供のような真似をしておいて何だけれど、流石に、怖くて眠れません、とまでは言えない。吉良さんだって明日は仕事なのだし、これ以上付き合わせる訳にもいかないのだ。まあ、もうまるっきり怖くないかと問われれば、正直首を横に振るけれど。だから、一つだけ。

「…今日だけ、手をお借りして、いいですか…?」

 吉良さんは一瞬きょとんとしてから、小さく笑い、私の手をしっかりと握ってくれた。そのお陰か怖い夢を見る事もなく安心して眠れたのだけれど、朝起きたら握られている手が見事に唾液でべとべとだったので――何故かは言うまい――、「またいつでも言いなさい」とやたらご機嫌な吉良さんには悪いが、今後手を借りる事は無いだろうと思った。