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荒木荘に現れる

■ ■ ■

 一度死んで、記憶と当時の姿を有したまま別の世界に転生する、なんて事は誰も経験した事がないのではないだろうか。少なくとも、私はそう思っていた。死後の世界だって本当にあるのか怪しいところだ。前世だの来世だの、経験した事が無いのだから信憑性なんてものは無いに等しい。そう、思っていたのだ。――実際に自分が死ぬまでは。

「………、は、え、なに、ここ…?」

 ぱち、ぱち。何度瞬きしても、目の前には、つい先程まで居た筈の空間とは全く異なる光景が広がったままだ。アパートか何かのリビングらしい此処は少しだけ古びている。部屋の隅にある明らかに不釣り合いな棺桶や、壁の隅にポスターのように貼られた星条旗が些か気にはなるが、こんな状況でなければきっと穏やかに寛ぐ事が出来ただろう。
 私はつい数分前まで、外に居た筈なのだ。更に言えば、エジプトの近辺を走るバスの中に居た。何をしていたかは――まあ、この際割愛しよう。信じられない事ではあるのだが、未だ履いている靴は、私が今まで外に居た事を示す何よりの証拠だ。とりあえず室内なので慌てて靴を脱いだが、余計に訳が分からなくなった。

 混乱してごちゃごちゃになった頭を抱えていた時だった。がたん、と物音がして、私はびくついて振り返る。そこには一人の男性が居た。金に近いクリーム色の髪を後ろに撫で付け、かっちりとスーツを着込んでいる。出で立ちから察するにサラリーマンなのだろう。若くは無さそうだが、かと言って、そう歳がいっているようにも見えない。
 ぼんやりと目の前の男性を観察してから、ハッと我に返った。自分自身でも良く分かっていないとはいえ、無断で室内に居る事には変わりない。つまり、私は男性に不法侵入と思われても仕方が無いという事である。事情を話したところで信じて貰えるとも思わないし、通報されても文句は言えない。そう考えて、さあっと血の気が引いた。

「君は……」
「あ、あの、わ、私、は…その…」

 やばい、どうしよう。何を言えば良いんだ。怪しい者ではありません?話を聞いて下さい?何か言わなくてはと思うのだが、訝しげに此方を見ている男性を前に、上手く言葉が出て来てくれない。あ、だの、う、だのと最早単語にすらなっていない声を発していると、男性が不意に息を吐いた。

「てっきり、もう来ないものと思っていたのだがな…」
「えッ…?」
「まあ、いい。君もまだ状況が飲み込めていないのだろう?とりあえず話をしようか。…ああ、靴は玄関にでも置いて来てくれるかい」

 思わず拍子抜けしてしまったが、仕方が無い事だろう。男性は何処か慣れたように私に言って、やれやれとばかりに再び息を吐いた。私は困惑したまま、それでも言われた通りに持っていた靴を玄関に置いて、先ほどのリビングに戻る。男性はその間にジャケットを脱いでハンガーに掛けていた。
 しゅる、とネクタイを緩めながら、棒立ちになっている私をちらりと見て、「適当に座ってくれ」と促してくれた。恐る恐る男性の前に正座すると、彼も机を挟んで私の前に座り、「さて…」と口を開く。

「とりあえず、君の名前を教えてくれるかな」
「あ、は、はい…四谷ヒヨリ、です…」
「四谷ヒヨリ、ね。私は吉良。吉良吉影だ」
「…吉良、さん…」

 男性、もとい吉良さんは随分淡々としているものだ。普通、家に帰って来て室内に見知らぬ人間が居れば、もっと取り乱しても良いと思うのだけども。そんな事を思いながら、私は歳や出身などを聞かれるままに答えていく。途中から個人情報がだだ漏れだと気が付いたが、今はとにかく私が不審者でないと認識して貰う事が重要だと思い、この際気にしない事にした。
 暫くプロフィールのようなものを答えてから、吉良さんは「それじゃあ本題だ」と話す。聞かれたのは、此処に来るまでの経緯だった。信じて貰える可能性は低いだろうが、話すしかないだろう。私は一度唇を噛み、それからゆっくり話し出した。

「…あ、あの、信じ難い話だとは思うんですけど…私はつい数分前まで、確かにエジプトに居たんです…」
「……ほう、エジプトに?」
「旅行、と言いますか…まあ、少し目的がありまして、エジプト近郊を走るバスに乗っていて…」

 それから、車内で一悶着あった。些細な喧嘩、というものではない。明らかな殺意が渦巻いていた。相手が、ではなくて、私が相手に大して異常なほどの殺意を抱いていたのだ。殺意を止められなくて、私は"彼ら"に襲いかかって、"彼ら"は抵抗して――それから、…それから?

「……なにか、あった気がするんですけど、上手く思い出せなくて…。でも、それから気がついたら、私はもうこの部屋に立っていました」
「…なるほど」
「…信じられない、ですよね」

 それが普通だ。私だって信じられないのだから。ゆるゆる俯いていると、少しの間の後、吉良さんが息を吐く。何を言われるのだろうとびくびくしている私に、吉良さんは「一つ言わせて貰おう」と声を上げた。

「少し酷な事を言ってしまうが、取り乱さず聞いて貰いたい」
「は、はい…」
「おそらく、…いや、ほぼ確実だな。君は、そのバスで死んだんだろう」
「………エッ?」

 素っ頓狂な声と共に顔を上げると、吉良さんは何喰わぬ顔をしていた。いや、エッ、ちょっとまって、今なんて?呆然とする私に、吉良さんは再び同じセリフを繰り返した。――私は、バスで死んだ?頭の中でぐるぐると言葉が回り、声が出なくなる。

「此処は不思議な場所でね。今は姿が見えないが、私以外にも何人か住んでいる。それぞれ多少経緯は異なるが、共通しているのは、全員が一度死んでいるという事だ」
「し、死んで…?」
「そうだ。一度死んで、その記憶を持ったまま、気がついたら皆この部屋に居た。かくいう私もそうだ。最後に住人が増えて暫く経つから、てっきりもう来ないものと思っていたが…君もこの世界に引き止められてしまったのだろうな」

 運が良いのか悪いのか、それはまあ君次第だが――なんて付け加えられて、私は目をぱちぱちと瞬いた。これは、夢か?だとしたら不思議で、尚且つ相当悪い夢だ。そんな事を思いながらぼんやりと頬を抓ってみたが、残念な事に、感じる痛みは本物だった。
 信じ難い話に、思わず体からどっと力が抜ける。夢でないとすれば、これから私はどうしたら良いというのか。私は元居た場所に色々なものを残してきてしまっている。両親も、友人も、学生生活も、読みかけの漫画も、来週最終回を迎えるドラマも。はいそうですかと話をあっさり受け入れるには、未練があり過ぎる。

「わ、わたし、どうしたら…」
「…まあ、直ぐに受け入れるのは難しいだろうね。状況が飲み込めないからと大暴れしないだけマシというものだ。…ああ、君、スタンドは持っているのか?これが見えるかい?」

 吉良さんはやはり淡々と言って、これ、と自分の背後を指差した。吉良さんの背後に佇む、猫とボクサーが合体したような姿のスタンドが見えて、私は頷く。私も一応、スタンドと呼ばれるものを有している。吉良さんに見えるように手を出し、ぽこん、と小さな音と共に黒い箱を生み出す。

「…これが私のスタンドで――」

 説明しようと口を開いたのとほぼ同時、私の背後から、ギイ、と何やら物音が聞こえる。びくっと肩を震わせて振り向けば、部屋の隅にあったあの不釣り合いな棺桶の蓋が、重たい音を立てながら開いたところだった。棺桶の縁に、ぬ、と青白く長い指が掛かる。真っ赤に塗られた鋭い爪に目を取られていると、棺桶の蓋が全て開ききり、緩慢な動きで誰かが起き上がった。
 やはり青白い肌に、西洋の彫刻のような鍛え上げられた肉体、そして光に当たってきらきら輝く金糸の髪。射抜くようなつり上がった双眸と目が合った瞬間、私の顔からはどっと汗が噴き出し、頭の中が真っ白になって、胃の奥から何かがせり上がって来て、そして――

「お…おええええ…」

 めっちゃ吐いた。