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荒木荘のとある一日

■ ■ ■

 人のネクタイを結べるようになったのは、この荒木荘に住むようになってからの事だった。私は毎朝、会社に出勤する吉良さんのネクタイを結んでいるのだが、これは殆ど習慣のようになっている。
 家事の他にも何か出来る事は無いかと吉良さんに聞いた時、彼は少し考えてから、「出来る時で構わないから、朝、ネクタイを結んでくれないか」と言われたのだ。朝はどうせ朝食を作る為に起きているし、吉良さんの頼み事なら、と私は二つ返事で了承した。

 最初はやり方が分からなくて手間取っていたが、今ではすっかり慣れたもので、スムーズに結べるようになっていた。特徴的なネクタイを手に取り、吉良さんの前に回って、そっと首に掛ける。
 しゅるしゅると手早くネクタイを結んでいる間、吉良さんは決まって、私の手をじいっと見詰めていた。吉良さんは手フェチ――カーズさん曰く、フェチなどという生温いものじゃあない――なので、この瞬間が堪らないのだと言っていた覚えがある。

「はい、出来ました。これで大丈夫ですか?」
「ああ。今日も綺麗に結べているよ、ありがとうヒヨリ」

 結び終えた後にネクタイがきつかったりおかしかったりしていないかを聞くのだが、その時、吉良さんは私の頭を撫でてくれる。私からすれば、この瞬間が堪らない。褒められるのはいつになっても嬉しいものなのだ。吉良さんのネクタイを結び終えた頃、大抵、ディエゴくんも仕度を終えて玄関の方にやって来る。彼も朝から出掛ける人なのだ。

「…俺もネクタイしようかな…」
「君はネクタイが必要な服装じゃあないだろう」
「そうだが…毎朝そのやり取りを見ているとどうもな…」

 吉良さんとディエゴくんの会話に密かに笑いつつ、一緒に玄関まで向かう。二人が靴を履いたところで、此方を振り向いた。吉良さんが私の右手を取り、頬ずりしてから、指先に唇を落とす。何だか擽ったくてつい笑ってしまうのだが、吉良さん曰く、これで一日頑張れる、らしい。
 ディエゴくんはと言うと、私の頭をわしわしと撫で、それからきちんと髪を直して満足そうな顔をする。私からすれば良く分からない行動なのだが、ディエゴくん曰く、おまじないのようなものなのだとか。吉良さんもディエゴくんも、そういうもの、なのかなあ。

「行ってらっしゃい。今日も一日、頑張って来て下さいね」

 二人を送り出した後――ここからが大変だ。カーズさん、ディアボロさん、ドッピオくん、プッチさんを起こすのだが、まずスムーズには行かない。プッチさんとドッピオくんは寝起きが良いので、直ぐに起きて爽やかに挨拶をしてくれるので良いのだが、他の二人、特にカーズさんは手強いのだ。
 寝ぼけて布団に引きずり込まれると、誰かに助けて貰うまでは抜け出せない。布団の誘惑に勝てずにうっかり眠ってしまう事もたまにあるので、気を付けるようにはしているのだけれども。

 四人を起こした後は、作っておいた朝食を温める。料理が得意という訳でもないので、大したものは作れないのだが、それでも文句を言う人が居ないのは有り難い。今日はパンとベーコンエッグとコンソメスープだ。
 冷蔵庫の中身が寂しくなって来たので、買い物に行かなくてはならないだろう。「僕も運びますね」とさらっと手伝ってくれたドッピオくんにお礼を言いながら、私も冷蔵庫から取り出したバターとジャムをテーブルの上に置く。

「バターとジャムは置いておきますね」
「ああ、ありがとう」
「…む。バターが少ないぞヒヨリ」
「あれ、もうそんなに使っちゃったんだ…今日買ってきますね。…あ、もーっ、ディアボロさん二度寝しないで下さい!カーズさんでさえ起きてるのに!」
「ボス……」

 ちょっと目を離すとすぐ二度寝するんだから。ディアボロさんの腕をぱしぱしと叩くと、彼は呻きながら「昨日は寝るのが遅かったんだ…」ともにょもにょ言った。どうも今日はたくさん寝たい日らしい。起こすのを諦めた私は小さく息をつき、再び布団を掛けてディアボロさんから離れた。
 既に朝食を取り終えたらしいプッチさんはすっかり身支度を整えていて、玄関へ向かっている。慌ててその背中を追うと、プッチさんは小さく笑って「ご苦労様。行って来るよ」と私の頬を指先で撫でた。プッチさんが私の頬を撫でるのも、吉良さんやディエゴくんと同じような意味合いのようだ。

 ここまで来て、私は漸く一息つく事が出来る。テレビで天気予報やニュースを見ながらのんびりと朝食を取り、後片付けを終えて、さて今日は何をしようかなあ、とぼんやり思った。