カランカラン。軽い音をベルがたてて、今日何度目かの喫茶楽園の扉が開かれる。
今はちょうどランチタイムのピークが落ち着いた頃合いにはなるが、時間的にはまだランチ営業中。外れた時間帯に来る人も珍しくはないので、一騎は仕込んでいると鍋をみながら軽い反射のような形でいらっしゃいませを告げる。
今日は同じアルバイトの西尾暉の他にいつもは溝口と共に飛行訓練に励んでいる真矢も珍しくいる。それだけ従業員がいれば特にホールのことは気にしないでもいいだろうと、仕込みに集中しようとしていた、が。
「かーずき!お疲れ様!」
聞き慣れた声とともに背中から回された腕。ぎゅうぎゅうと密着してくるその少女(というには少し大人だろうが、まだ女性とも言い難い)は仕事中の一騎にはお構いなしに抱きついてくる。
隣で同じく仕込みをしていた西尾暉はその光景を目にして驚きのあまり手にした包丁は止まっている。真矢といえば見慣れた光景なのだろう、少し複雑そうな表情をみせつつ苦笑いを浮かべるだけ。
「…なまえ、俺仕事中だぞ」
「うん知ってる。ごめんね」
「とりあえずはなれてくれないか?火傷する」
「うん」
はなれてくれるように頼めばすんなりと腕をといた。なにも考えていないような笑顔でニコニコと一騎を見ている。
「飯は?」
「まだー」
「食ってく?」
「んー、お弁当にしてほしいなあ」
「……ああ、わかった」
なまえのこの島でのお仕事は、小説家。ワクワクするような冒険物語から先の読めない推理物までなんでも書いている。学生の頃から書き続けているなまえが小説家になるのは必然のことで、一騎にべったりだった彼女が楽園で働かないことに周りの人間は驚きつつも納得した。
今や島民で彼女の作品を読んだことのない人は少ないだろう。それくらい多種に渡るジャンルの物を書いている。
よく見るとなまえのニコニコ笑う顔には薄っすら目の下に隈ができており、そういえば最近寝ているところをみたことがない気がするとぼんやり考える。いつもはここで食べていくと言うのに今日はご丁寧にお弁当箱まで持参して持ち帰りを所望。そして苦しい時の時の癖。
「締め切りは?」
「3日後」
「…そっか。あんまり無理すんなよ。とりあえず今日は寄り道せず帰るから」
「うん」
カウンターでお弁当の出来上がりを待つ彼女は何処か遠い目をしているが、まだ受け答えはキチンとできているから正常な方だ。きっとなにかないものかと必死で思考を回転させているのだろう、遠い目は少し濁っている。修羅場の時の目だ。
なまえは幼少の頃に両親を亡くし、様々な縁もあって真壁家で暮らしている。幼い頃から一緒にいた2人はお互いのことなど少し見て考えたら大体のことは伝わってくる。
一騎の手からお弁当箱を受け取り、なまえは真矢に手を振りながらふらりふらりと楽園を後にした。
「相変わらずなんだね、なまえちゃん」
「ああ、遠見は会うのは久々か」
「うん」
なまえは元からインドアの傾向があったものの一騎と一緒にいることが多かったため、外にいることも多かった。が、小説家となった今は外に出ることも全くない完璧な引きこもり。流石に体を悪くしそうだとは思っているのだろう、合間に楽園までご飯を食べに来たり散歩に行ったりするものの基本的に人のいない時間帯に出かけることが多いためなまえの姿を見かけるものは少ない。日常的に関わるのは一騎とその父の史彦、そしてごくたまに楽園で暉と会うくらい。学校に通ってない今それくらい友好関係は狭くなっていた。
「なまえ先輩と一騎先輩って…」
先程まで固まっていた暉はおずおずと尋ねるも、言葉尻が途切れる。何と無く聞き辛い。でも気になる。彼の顔にはそう書いてあるようだ。
「あいつ、切迫詰まるといつもああなんだ。最近はなかったんだけど…」
「懐かしいね」
学生の頃の見慣れた光景といったところか。何かと気弱だったなまえが一騎に抱きついてはなれないことは多かった。懐かしそうにそう話す真矢に今度は一騎が苦笑いを浮かべる番だった。それを暉はまた複雑そうな表情で2人を見ている。
「今日は早く帰ってやらないとなぁ」
それとなく呟かれた一騎の言葉に、一騎はなまえに別段甘い接し方をしていることを何と無く感じた。
閉め作業を終えて何時もより少し早く帰宅すると、リビングに明かりが灯っている。扉を開けて、中に入ればエプロンをつけて夕食を作っているなまえがいた。
「おかえりなさい!」
花の咲くような笑顔を浮かべて、なまえは一騎にふわりと抱きつく。一騎もなまえを受け止め、お昼にはしなかった、彼女の背に腕を回して優しく抱きしめる。甘い香りが、自分より頭一個分小さい位置にあるなまえの髪からした。
「あのね、一騎のお弁当食べてたらピーンときてね、もう出来上がっちゃったの!」
一週間行き詰まってたのが嘘みたい!となまえはからからと笑う。嬉しそうに報告してくる彼女に自然と笑みが綻び、優しく髪をすく。その手が心地いいのか、頭を摺り寄せてくる仕草がまるで猫のようで愛らしい。
「ふふ、もうすぐご飯できるから、手を洗って待っていてね」
食卓に並べられた料理は多少見た目が悪いものもあるが、どれも美味しそうな匂いを漂わせている。今日は遅くなると言っていた真壁史彦の分はラップをしてキッチンに置いてある。2人だけの食卓は珍しいことではないが、なまえの料理は久々だ。
「うまい」
「ありがとう。一騎には負けちゃうけど」
「そんなことない。すっごく美味い」
他愛のない話しをしながら食べる食事はとても幸せな時間の一つで、なまえも一騎も夕飯だけは欠かすことなく一緒に過ごすのは常だ。どんなに締め切りが近かろうと、どんなに楽園の閉店が遅くならうと。お互いがお互いにとって、かけがえのない時間だと思っているから。
食事を終えて食器を片付けると、2人でお茶を飲みながらまったりするのも日課のひとつ。一口麦茶に口をつけるとからりと氷が転がった。
「今日、お弁当ありがとうね」
「…驚いてたぞ」
「暉くんのこと?」
一騎がひとつ頷くと、なまえは少し不貞腐れた表情を見せる。
「…だって、暉くん。一騎と真矢ちゃんの関係だけみて、私と一騎のこと全くみてないんだもん」
ぎゅうぎゅうと抱きついてくるなまえはそんなことを不満に思っていたらしい。
「確かに昔から一緒に住んでるし、義理の兄妹のようにみられてるんだろうなーとは思うんだけど。私が好きなのは一騎だし、一騎も私が好きなんだよって…」
だから、か。と一騎は納得する。なまえは昔からなにか苦しいことや辛いこと、切迫詰まるとこうして人前でも抱きついてくるという癖があった。が、これは彼女と一騎しか知らないことだが、それは表向きの理由で実際には彼女の独占欲に属する行為であること。一騎がモテることをなまえは早々に理解しており、こうして牽制をしていたにすぎないのだ。気弱かと思われているなまえは実際には計算高くて、気丈な性格をしている。そんな彼女に夢中なのは間違いなく、一騎その人。
「俺が好きなのはなまえだよ」
「私も一騎が好きよ」
その柔らかな唇に口付けるとなまえは満足そうに笑った。
一騎に残された時間が少ないことはなまえも知っている。だからこそ、限りある時間の中で一緒にいられるときはこうして2人だけで過ごす。
それこそ2人が付き合っていることを自分から言わないだけで、史彦や一部の近い人物は知っている。しかし、残っている時間が少ないからこそ付き合っていることを知った誰かからのお節介を焼かれることが嫌で口に出していない。やれ結婚だのなんだの、もしくは残されるなまえに別れた方がいいだの、いらない世話を焼く人物はいるものである。2人の関係を積極的に口にしないことは2人の総意でもあり、史彦も理解するところ。
「時間がとまればいいのに」
「…そうだな」
ぽつりと、呟かれた言葉。なまえはもうこれ以上、一騎が戦わなくてもいいようにと願って瞳を閉じる。
せめて残された時間はゆったりと、こうして2人で過ごす時間が多いと信じて。
*時間軸は劇場版〜2期の間
真矢はみんな気付いてる