ポケモン勝負が好きで親に頼み込み入学したブルーベリー学園。寮に入り生まれて初めての親元を離れた生活に不安と期待を抱きながら門戸をくぐったことを昨日のことのように思い出せる。ここで私は相棒たちとリーグ部でチャンピオンを目指すぞ! と意気込みポケモン勝負の腕を磨くことはもちろん、学業に打ち込むはずだった。
恋愛なんてするつもりなかったのにうっかりと恋に落ちてしまったのだ。
リーグ部の模擬戦で当たった男の子、スグリくん。同じ一年生で実力も似通っているのか何度も当たり戦績は五分五分。同条件の男の子はあと何人かいるけれど、スグリくんとの勝負の時にだけどうしようもなく胸が躍ることに気が付いたのはいつだったか。始めはただ彼とのポケモン勝負が楽しいだけなのだと思っていた。が、人見知りきらいがあるスグリくんが見せるポケモン勝負の時の好戦的な表情、何度か顔を合わせたことで私に慣れてきたのか、勝負の後に浮かべたささやかだけれど柔らかな笑顔───いつの間にか好きになっていたことに気付かされた。
さて話は変わるけれど私はポケモン勝負の次に自分磨きが好きだ。可愛いものも綺麗なものも好きだし、それらが似合う自分でいたいと思っている。
相棒たちと一緒にテラリウムドームを走り回っているからかダイエットいらずではあるものの、メイク、スキンケア、ヘアアレンジの研究も抜かりはない。ナチュラルメイクも好きだけれどそれよりも少し華美なものの方が好みなので自分で言うのもなんだが、見た目は少し派手な方だと思う。
私が好きになったスグリくんは派手な女の子よりも清楚な子の方が好みなのか落ち着いた雰囲気にした日の方がなんとなく反応がいいことに気づいた。
その日から私は輝くブロンドを艶やかなダーク系のカラーに染めて、メイクもナチュラルなものに変えて少しでも彼の好みに近づこうとした。本当はもっとメイクが濃い方が好きだし髪も派手な色味に挑戦したかったけれど、そんな気持ちも小さくなるほどスグリくんに振り向いて欲しかったから気にもならなかった。
そんな私の努力が実ったのか、私とスグリくんは晴れて恋人同士になれた。
交際は順調だったと思う。学園から滅多に出られないのでデートはもっぱらテラリウムドームでのピクニックで話題もほとんどポケモン勝負のことばかりだったけれど。少しずつ恋人らしいこともするようになったし、一緒にいるのが当たり前になり沈黙でもスグリくんがそわそわすることがなくなり何となくリラックスしたような顔を見せてくれることが増えた。ちょっと用事で他のクラスメイトの男の子と話したりするとなまえは可愛いから心配だ、なんて可愛い嫉妬もしてくれた。
……でも、順調と思っていたのは私だけだったみたい。
姉妹校合同の林間学校へ選ばれたスグリくんはブルーベリー学園へ帰ってくると人が変わってしまった。
何があったのか話して欲しいと何度かけあっても時間がないと突っぱねられ、ただひたすらポケモン勝負に時間を費やす恋人の姿は痛々しくそれを見ていることしかできなかった。なにも力になれない自分が情けなくてもどかしくて歯痒い。そんな恋人の変化に戸惑う暇もないくらいどうにかスグリくんとの時間を作ろうと奮闘するも取りつく島もない。
いつしか恋人はブルベリーグのチャンピオンとなっていた。
そこから始まったのはスグリくんによるリーグ部改革。前チャンピオンの時は人柄からかゆるい雰囲気が漂う和気藹々と切磋琢磨するそんな部活だった。スグリくんがチャンピオンになるとそんな空気は消え去ってギスギスと薄氷のような危うさが漂う空気へと一変していた。
どうして……。私は何度もスグリくんに問いかけたかった言葉だけが音にならずにこぼれ落ちていった。
今のスグリくんだってスグリくんだから前のスグリくんに戻って欲しいとは言わない。でも周りを傷つけて自分も傷つけるような言動はどうかやめてほしい。私の思いはそれだけ。……本当は何があったのか話して欲しいし、たとえ解決はできなくても一緒に抱えさせて欲しかった。スグリくんの支えになりたかった。
何ヶ月もまともに会話もできていない私たちが恋人といえるのか怪しくなってきたころ、再びの転機が訪れた。以前の姉妹校合同の林間学校で一緒だったパルデアのアカデミーから留学生が来たのだ。
やってきた留学生はアオイさんといい、なんでもパルデアでチャンピオンランクを頂くほどの実力者だということで学園中あっという間に噂が広がった。遠くから見た彼女は快活で独特な位置で揺れる三つ編みが可愛い女の子だった。
そして彼女がスグリくんを変えるきっかけだったということを蚊帳の外から知ることになった。
異例の留学生のブルベリーグの参加に学園が沸く。校長からの推薦、チャンピオンランク所持ということを鑑みて四天王からの挑戦。アオイさんは破竹の勢いとはまさにこのことかというくらいのスピードで実力者揃いの四天王たちを下し、スグリくんの前に立っていた。
多くの観客に混じって観戦したチャンピオン戦。知りたかったことが点と線を繋いだように露呈していくその勝負はもうスグリくんの世界に私はいないと突きつけられたみたいで、知りたかったはずなのに知りたくなかったと矛盾した思いが胸をいっぱいにした。最後まで見守るつもりでいたのにその場にいることが辛くなってしまい、未だ勝負は中盤なのに私はその場を離れてしまった。……スグリくんがアオイさんに負けてしまったのだと、どこからか知ることになった。
異例だらけの留学生チャンピオン誕生からスグリくんは少しの間休学することになったと風の便りで聞き、私個人に知らせは何もなく彼は姿を消した。もうその頃には胸が痛むよりも先に虚しさを覚えるようになっていた。
スグリくんが隣にいてくれた時間よりも長い時間まともに話せていないこと、スグリくんは気付いているのかな。いないだろうなと意味のない問答を自分の中で繰り返す。
それでもまだ、私はスグリくんが好きだった。暖かな思い出は少し褪せてしまったけれど、まだ瞼の裏に思い起こすことができる。それだけが私の心の支えだったから。
そんな中スグリくんが復学するという話を聞いた。やっと会える、今度こそちゃんと話をしたい。思い返せばこの時私はギリギリの状態だったのだと思う。何かひとつでも心に衝撃を受けることがあればもうこの恋心は壊れてしまう。それくらい傷つききっていたのに痛みに麻痺した私は気づかなかった。
スグリくんがいたと友達に教えられて早足で向かうエントランス。はやる心とは裏腹に普段歩く道が遠く感じてもどかしい。
やっと辿り着いたエントランス。そこで見た光景に私の恋心は粉々に砕け散った。
「スグリ! おかえりなさい!」
「アオイ! ちょ、まって」
アオイさんがスグリくんに抱きついていた。
その光景を見て固まった私がいることに気づいていない2人はそのまま話し出す。距離があるはずなのに、聞きたくないのに、嫌に鮮明に耳に届く。
「待ってたんだよ!」
「アオイ、ありがとな」
「そんなの友達なんだから当然だよ!」
「それだけじゃなくて、キタカミでのことも」
「あはは、モモワロウのことは大変だったけど楽しかったよ! またキタカミに行けると思ってなかったから呼んでくれて嬉しかった」
「アオイたちのおかげで俺、戻ってくる勇気さ出たから。本当にありがとう」
「どういたしまして!」
……私はどうやって部屋に戻ったのか覚えてない。その日の授業は全て休んでしまった。
恋人だったはずの男が別の女と抱き合っていて、しかも恋人だった私ではなくその女と友達を故郷へ招待していたということを飲み込めたのはその日の夜だった。あの光景を見てからすでに止まることのなかった涙がさらに溢れ出す。心が砕けたかのように痛い、痛い、痛い。夜も眠れず夜通し泣いた。ふと溢れ出る優しい思い出が胸に塩を塗り込んだ。
そんな夜にも朝はやってくる。流石に2日連続サボりは不味いと腫れ上がった目を冷やすもののむくみきって人生で一番不細工な顔はメイクでも隠せない。昨晩会いに来ようとしてくれた友達が私をみて悲しそうに顔を歪ませて抱きしめてくれた。その暖かさにやっと止めた涙がまた溢れそうになった。
心が折れた私はスグリくんに接触しようとすることを止めた。時折見かけるアオイさんとスグリくんの姿にちくりと胸が痛んだけれど、ある時ふとすーっと気持ちが抜けていくのを感じた。そして同時に思ったこと。
「……あほくさ」
もうスグリくんにまつわる全てがアホくさくなってしまったのだ。壊れた恋心に振り回されて少し成績が落ちてしまったことも、彼の好みに合わせて変えた自分の好みとは違うこの姿も全部。積み上げてきたものが壊れた瞬間だった。
真っ先に私は髪を染めた。ずっとやってみたかったハイトーンのストロベリーブロンドに。そしてメイクはそれに合わせたピンクとレッド。しっかりとアイシャドウで色をのせて派手めに。アイメイクに力を入れたのでチークとリップの色は控えめにしていつもより強めにノーズシャドウとハイライトを入れて髪色に負けないくらいくっきりとした顔立ちにする。
くるりと上向きの束間まつ毛を震わせて鏡に映る私は今までで一番可愛かった。
「なまえ! めっちゃ可愛いじゃん! 髪色もメイクも最高に似合ってる!」
「えへへ、ありがと! 私もそう思う!」
「へえ! 言うじゃん! 事実だけど!」
イメチェンして、というより私の好みに戻して最初の朝、私の姿を認めた友達に手放して褒めてもらい冗談混じりに自画自賛を返した。それに友達は笑いつつさらに褒めてくれる。
ふと友達は視線を落とし、ひとつ呼吸を置いて小さく話し出す。
「……もういいの?」
「うん。たくさん心配させてごめん。ありがとう」
「当然でしょ、友達だから! メイクも髪色も好みに変えて尽くしてたの知ってるから……ちょっと悔しい」
「ふふふ、恋人よりも素敵な友達がいれば十分だと思わない?」
「もう! 本当になまえはいい女だよ。私が保証する!」
「そんないい女の友達もとびっきりいい女だよ!」
スグリくんと私は別々の道を歩き出した。……と、私は少なからず思っていたのだけれど。
その後私は授業に打ち込んで落ちた成績も持ち直す以上に上がり、ポケモン勝負だって新しい戦術を積極的に取り入れるようになった。机上だけの知識よりもやる実践、実際に運用してみることによってポケモンそれぞれの理解度が上がったことに手応えを感じている。リーグ部とは距離を置いていることもあり全体での自分の実力はわからないけれど以前よりもいい順位にはいけそうだなと思う。
そうやって気の置けない友達とポケモンがあればいいのに煩わしいことはやってくる。私とスグリくんが別れたことが広まったのだろう。知らない人からの呼び出しの頻度が多くなった。人を好きになる気持ちがわかるからこそ無碍にすることができずに応じる日々。
今日も放課後の教室に呼び出されて顔も名前も知らない男の子と対峙していた。
「……来てくれてありがとう」
「あの、申し訳ないんだけどこれから予定があるの。用件はなにかな」
「時間とってごめん! 早速なんだけど、あの、俺、なまえさんが好きです。付き合ってください!」
「ごめんなさい。誰とも付き合う気はありません」
「……ははは、うん、知ってた。俺行くね。聞いてくれてありがとう」
顔を真っ赤にして想いを告げてくれた男の子に間髪入れずに断りを入れる。すると真っ赤だった顔が眉が垂れ下がり泣きそうにな表情になった。それでも逆上せず誠実に対応してくれた彼には素直に素敵な彼女ができますように、と思えた。口にはださないけれど。
今日の人は私が誰とも付き合う気がないことを知っていて呼び出したということはきっと想いに区切りをつけたかったのだろう、と1人で想像する。食い下がりもせず出来るだけ時間も取らせないようにとしてくれた気遣いは心に残った。
「───あ」
そうぽつりと言葉を落としたのはどちらだったのか。
呼び出された教室の後ろの扉の先に数ヶ月まで向けて欲しくて仕方のなかった瞳が私を捉えていた。
「……」
何か言いたげな瞳が私に向けられているけれど、すぐに冷静な気持ちに戻った私からすればもう彼と私の間に話すことなんてなにもない。ここがテラリウムドームならば空を飛べるポケモンにさっと跨って飛んでしまえばいいのだけれど、ここではそうもいかないので仕方なく彼と逆方向の扉から出ようと足を進める。
「あ、ま、まって、なまえ……!」
忘れたはずなのに。走り去る後ろから聞こえる切なげで必死な声につきりと胸が痛むのを感じる。
もう、遅いんだよ、スグリくん。
あの出来事からスグリくんは私の存在を思い出したようで時折感じる視線の先を追いかけると彼がいることが増えた。アオイさんと一緒にいる時もそんな風だからアオイさんが不思議そうな顔をしてこっちをみている。きっと私とスグリくんが恋人だったなんて知らないんだろうな。でももう全て終わったこと、過去のことだ。
私は私の出来ることをするだけ。相棒たちに向き合ってポケモン勝負の腕を磨き、前に進み続けるために。
───なのに。
「あの、呼び出してごめんね。私パルデアのアカデミーからきているアオイっていいます」
どうして彼女が私の前にいるんだろう。
いつものように呼び出しの手紙が入っていた。名前は書いてなかったけれど筆跡が丸っこくて女の子みたいな字だなとは思っていた。
「……はい、知っています。チャンピオンなので」
「そっか、よかった! あ、私も一年生だから敬語使わなくて大丈夫だよ!」
そうニコニコわらう彼女にはあ、と返事をはぐらかす。正直アオイさんとあまり仲良くしたいと思えないので敬語をやめるつもりはない。
それに全く関わりのない私とアオイさんの接点といえばきっとスグリくんのことだろうから、身構えることを辞めることができない。緊張のあまり手のひらに爪が食い込んでいることにも気付かなかった。
「あのね……スグリのことなんだけど」
もじもじと話しにくそうにしているアオイさんからでたのは予想通りの人。私は相槌も打たぬままじっと彼女を見つめる。
「ちゃんとお話ししてあげて欲しいの。ここ最近ずっと上の空で……」
私が何の反応も示していないことには興味がないのかアオイさんは1人でつらつらと話し始める。長々と遠回りに話す割に言いたいことはスグリくんと話してお別れするならきちんとお別れしてほしい、ということみたい。途中にスグリくんのポケモン勝負の調子がでていないことや、中途半端な態度をとっている私が原因だと遠回りに濁しながらもそういう意味のことを言われた。
彼女に聞こえないようにため息を吐いた。
「……それってあなたに何か関係ありますか?」
さも私のいうことが正しいと言わんばかりの主張たちに我慢できず反論がこぼれでた。言い返してくると思っていなかったのか、アオイさんの目は驚きで見開かれている。
「それって私とスグリくんの問題ですよね。アオイさんが口を挟む理由ってなんですか?」
「え……」
「それに一方からの話で判断するのは早計ですよ。そもそも話をしようと何度も働きかけたのに蔑ろにし続けたのはスグリくんの方です。それなのに彼が話をしたいからと私だけが応じなければならないんですか? 彼がふっきるために? 私の意思は無視ですか? ………バカにしないでください」
呆然として言葉を返す余裕のなさそうなアオイさんに奥底に溜まった言葉を吐き捨てた。当然まだ言いたいことはあるけれど関わっているだけ時間の無駄だ。お説教混じりのお話のせいで普段よりも倍以上時間が押している。彼女が我に返る前に私はその場を立ち去った。
ぐつぐつと煮えたぎる怒りのような感情をぶつける場所はなく、内側から私を苛んでいく。いつか鎮火していくことを時間に期待して私は努めて普段通りに過ごす。
友達だけはそんな私の様子に気がついてくれて少しでも発散できるようにとポケモン勝負に何度も付き合ってくれていた。引け目を感じる私にあんたに付き合ってるおかげでバトル学の成績上がってるから感謝してるのよ、と明るく笑う彼女にどれだけ救われただろう。
今日もテラリウムドームで野良試合に興じる。ポケモン勝負をしている間は余計なことを考えないで済むから。それにもうすぐバトル学のテストがあるということもあり、テラリウムドーム内は賑わいをみせている。私もそのテストのための調整を兼ねていた。
対戦相手が決まったロト! と私のスマホロトムが元気よく通知してくれる。ブルーベリー学園には対戦相手マッチング用アプリ、というものが配信されており希望者同士の力量をデータから算出し互角の相手とマッチングさせてお互い今いる中間地点のコートに案内してくれるのだ。いちいち声をかけなくてもいいこのアプリにはいつも助けられている。
早速そらをとぶを使いコートに降り立てば、ちょうど対戦相手も来たらしく視線をそちらへ向けた。
「え……」
かつては愛しく感じていた姿。もう交わることのない彼がどうして、といっそ見間違いであることを祈ったのに視界に映る姿が変わることはなく。
「なまえ」
「スグリ、くん」
今日の対戦相手はスグリくんだった。
どういうことだろう。スグリくんはスマホロトムを持っていないはずで、もし持ち始めたとはいえ元チャンピオンだから戦績の影響で私とはマッチングはしないはずだ。だからこそリーグ部から距離を置いた後はこのアプリを活用していたというのに。
「俺も最近スマホロトム持ち始めたんだ。この対戦相手マッチングアプリって便利だな」
スグリくんのスマホロトムが彼の周囲をくるくると楽しそうに飛び回っている。その様子に微笑むスグリくんは私の大好きだった表情をしていて……ちくりと胸に棘が刺さった。
「なあ、お願いがあるんだ。……俺が勝ったらなまえの時間さ分けてほしい」
「……嫌だって言ったら?」
「俺を負かしたらいい。簡単なことだべ? そん変わりなまえが勝ったらもう俺からは話しかけない。このアプリでマッチングしたってことは俺たちの実力は近いってことだから……手加減なしでいくべ」
「っ、勝手なことばっかり!」
射抜くような瞳に体がすくんだ。モンスターボールを握る指は震えており、未だ消えない動揺は指示にも現れる。
元チャンピオンに必死でくらいつくも、平常心でいられなかった私が負けてしまうのは必然のことだった。
「俺の勝ち、だな」
逃す気のない本気のスグリくんに、たとえ私が本調子だったとしても逃げられたかは自信がない。
次のコートの利用者が来る前に私たちはどこか話ができる場所に移動する。どちらかの部屋が一番いいのだろうけれど流石に付き合ってない異性同士で、というのは私が抵抗があった。
テラリウムドーム内で人があまり来ない場所はいくつかある。……過去に何度か2人でピクニックした場所へ行くことになった。
「強引にしてごめんな。……どうしてもなまえと話したかった」
「私の話したい時には話してくれなかったのに?」
「……そう思われても仕方ないよな」
以前とは違いピクニックの用意も出さず向かい合う私たち。前にここへ来た時はお互いの手持ちもだして楽しくサンドイッチを作った。過去とのギャップが私たちはもう終わっているのだと如実に表しているかのように感じてどこか物悲しい。
「俺、あん時はいっぱいいっぱいで、なまえに情けないとこみせたくなくて、避けてるつもりがなくてもそうなっちまった。そういうとこ見せると嫌われるって思ってたから」
「……嫌いになんてならなかったよ。スグリくんのことならなんでも教えて欲しかったし、隣で支えになりたかった」
縋るような瞳が私に向けられる。前は前髪を下ろしていて隠れがちだった瞳が今髪を纏めていることによってよく見える。光に反射して輝くスグリくんの瞳が好きだった。
私はもうその髪の毛を結ぶようになった理由に興味は沸かない。
「でもね、もう遅いよ」
愕然とした表情のスグリくんをみて少し残っていた恋心の欠片が痛み出す。痛々しいその表情に思わず抱きしめたくなるけれどもう終わる私たちの間にぬくもりは必要ないから。
「まって、お願い、俺が好きなのはなまえだけだから……!」
「じゃあどうしてずっと蔑ろにしたの?」
「蔑ろにしたつもりはなくて、でも、そう思わせるようなことしてごめん、これからは気をつけるから、」
「もう全部遅いんだよ、スグリくん」
まだ言い募ろうとするスグリくんに私は言葉を重ねた。
「さよなら。大好きだったよ」
やっと私たちの関係は終われた。
その後卒業するまでの間、私とスグリくんが交わることはなかった。変わらず私はアプリを使っていたけれど彼とはマッチングすることはなかったし、事務的なことでも会話をすることもなく。
時折向けられていた視線には気づいていたけれど気付かないふりを貫いた。その度に欠片に火を焚べられているようで落ち着かない。……きっとそれも卒業したら焚べられることもなく消えていくからと、自分から投げ捨てることはしなかった。
卒業後はイッシュリーグのジムトレーナー兼ジムリーダー候補として配属されることになった。本来ならリーグ部の順位上位者にお声がかかることが多いのだけれど、リーグ部とは距離を置いていたもののマッチングアプリを介しての戦績や授業の成績を鑑みてスカウトがきたのだ。私は喜んで飛びついた。イッシュ初のダブルバトルのジムリーダーなんていいかもしれないと未来への展望に夢を描く。あくまで候補だ。他にも候補はいる。だからこそ気を抜かず自己研鑽に打ち込んだ。
2年後、ジムリーダーに空きがでることになり見事そのポストに私が滑り込んだ。
イッシュ初のダブルバトル、そしてフェアリータイプのジム。それが私に与えられた役割だった。
指名されてからはジムの仕掛けを考えたり改装の指示や私の下についてくれるジムトレーナーの教育にてんてこ舞い。スマホはひっきりなしに鳴るしメールも返さなくてはいけないし私だけじゃなくスマホの中にいるロトムも目を回していた。
全ての目処がたったところで今度はジムリーダーの就任式だ。顔合わせも兼ねて簡単な立食パーティーになっているのでドレスも用意しなくてはならない。ジムリーダーとしての経費で落とせるようなので安心して仕立てられた。
あの時から変えていないストロベリーブロンドに合わせた深紅のドレス。大人っぽい色だけれどアシンメトリーになるようにドレープが重ねられたスカートはふんわりと広がるようになっており歩くたびに優美にみせてくれる。フロントには大きいけれど上品なベロアのリボンが飾られており年相応の甘さが足されている。最初デザインを見た時はドレスに着られてしまうようになってしまうんじゃないかと不安だったものの、デザイナーさんの太鼓判を信じて良かったと鏡を見て思った。
合わせてヘアセットもしてもらい、髪に散りばめられたパールの輝きに心が躍る。アップスタイルにところどころ垂らされた後毛が抜け感を演出してくれて、昔憧れたお姫様みたいな髪型にほう、と思わずため息が溢れた。
とはいえ遊びで着飾っているわけではないので気持ちを切り替える。でも写真を何枚か撮るのだけは許して欲しい。
就任式が始まると気を休める暇や食事を楽しむ余裕はなく、同じジムリーダーを始め各関係者へ秘書と共に挨拶へ回る。頼りになる秘書のおかげで大助かりだ。
リーグが手配してくれた秘書の彼女は私より一回り年上の美人な仕事のできるキャリアウーマンだ。私にこういった場でのマナーを指導してくれたのも彼女だ。まだ少ししか共にいないけれど私の憧れ……こういう女性へと成長がしたいと思う存在になっていた。
そんな彼女にあらかた挨拶が終わったから少し自由にしてきてもいいよと言われたのでフルーツ入りのノンアルコールの炭酸水を片手にバルコニーへと出る。人が多いこともあり、会場はどことなく暑くてのぼせてしまったのだ。夜風が少しひんやりとしていて気持ちがいい。
しばらく涼んでいると後ろから人の気配がして振り返る。私と同じように涼みに来たのなら場所を譲ろうとも思ったのだ。会場から漏れる光が逆光になっていて顔は見えないけれど長身の男性だ。簡単に会釈をして通り過ぎようとすれば、待ってと止められる。
「ス、グリくん……?」
少し低くなった声は声変わりしたのか耳馴染みはなく気付かなかったけれど、逆光ではなくしっかりと光に照らされたその顔は確かにかつての恋人だった。
「……ジムリーダー、就任おめでとう」
「ありがとう」
バルコニーに2人ならんで交わすのはぎこちない会話。お互いに何を話したらいいのかわかっておらず、落ち着かない視線は夜景に落とされた。
「久しぶり、だな」
「そうだね……」
随分と身長が伸びて顔も大人っぽくなったのに内面はあまり変わっていない様に感じて少し力が抜ける。
もうあの頃の様に頑なにスグリくんと関わりたくないという気持ちはない。あんなに頑なだった気持ちを解いてくれた時間とは偉大なものだ。
ふと先ほどから思っていた疑問をぶつける。
「スグリくんはどうしてここに?」
「俺、パルデアリーグから代表でお祝いにきたんだ。……なまえが、ジムリーダーになったって聞いたから、ちょっと無理言っちまったけどな」
ふと視線をスグリくんに向ければ、彼はずっと私を見ていた様で優しい目で微笑んでいる。まるで愛しむ様な目にどきりと胸が大きく鳴った。とっくに消えていたはずの火種にまた薪が焚べられたような気がしたのを気付かないふりをする。
「そっか、ありがと。……スグリくんもパルデアで頑張っているみたいだね」
スグリくんがパルデアリーグのトップチャンピオンに勧誘されてパルデアへ行ったことは有名だ。留学生のアオイさんを追いかけて行った、なんて話も聞いたことがある。その話を聞いた時に胸が痛んで吹っ切れたはずなのになんて未練がましいのだろうと落ち込んだことを覚えている。
「あー、うん、まあな」
「?」
どことなく歯切れの悪い返事を不思議に思ったものの、私は聞き返すことはしなかった。
「……なまえ、綺麗になったな。ドレスも全部似合ってる」
「ありがと。スグリくんの好みではないと思うけどそう思ってくれるんだ?」
「なまえはどんな格好してても可愛い」
あの頃の私から溢れでた当てつけのような言葉をスグリくんが真っ直ぐに打ち返してきて言葉に詰まる。褒め言葉に八つ当たりなんていつまでも子供っぽい自分に幻滅だ。……あの頃の私が少し救われるような思いがしたなんて、そんなことはないと言い聞かせる。
「……そ。ま、スグリくんこそスーツ似合ってるよ」
「カッコいいとはいってくれないんだべ?」
「ふふふ、とってもかっこいいよ」
少しの本音をのせて冗談めかしてそう返せばスグリくんは耳まで火がついたかのように赤く染めた。予想外の反応に私まで照れが移ってしまったのか顔どころか全身が火照り出す。
その初心な反応、その表情に、時間が解いてくれた蟠りの奥に燻っていた火種がごうごうと音を立てて燃え始めたことをはっきりと自覚してしまった。ああ、まだ、この人のことが好きなんだって。
「俺、まだなまえのことが好きだ。ずっとずっと、忘れられなくてごめんな」
泣きそうな表情はあの時と変わらないのだなと、どこか冷静な自分がささやく。
自然と手が動いて、私の右手がそっとスグリくんの頬へ添えられた。伝わる温度が優しくて暖かい。緩やかな曲線を描く頬に滑り落ちた雫を見て私も泣きたくなった。
「ごめ、泣くつもりはなくて、」
「……私のこと、これからはずっと大切にしてくれる?」
滑り落ちた言葉はまぎれもなく私の本音。
蟠りは時間が解いてくれたけれどあの時傷つけられた私の心はまだ治っていない。二度も同じことをされたらと思うと、もう立ち直れないような気がする。端的にいえばトラウマだ。
でもこうして卒業してからなんとか会いに来てくれて、卒業する前も無言で何度も手を伸ばし続けてくれたのを見ないふりをしてたのは私だ。数ヶ月交際しただけの私のためにこうして何度も。何より、もう一度、信じてみたいって思ってしまったから。
「っ、え、は……?」
「ねえ、してくれないの?」
「っ、する! 大切にする!!」
「あはは、スグリくんってそんなに大きい声出せたんだね」
私の言葉が飲み込みきれていなかったスグリくんに追い打ちをかけると今まで聞いたことのないような大き声で返事が返ってきて思わず笑ってしまった。
「まだ好きだって気持ちは返さない。だから、私がもう一度スグリくんを信じられるようにしてくれる?」
今できる、私の精一杯の返事。
瞳いっぱいに涙を湛えたスグリくんの腕に閉じ込められた私は、何度も嗚咽を殺しながら頷くスグリくんの背をあやすように撫でる。
私たちのこれからはまだ始まったばかりだ。でもきっと遠くない未来にスグリくんに好きだと、愛していると胸を張って伝えられたらいいと素直に思った。
きっと同じ言葉を学園にいた時の私なら突っぱねていただろう。大人になったら私たちだからこそ再び始められた。
……その後スグリくんがパルデアリーグからイッシュリーグに四天王候補として異動してくるなんて思ってもいなかった。私の就任式にきたのはそのことの打ち合わせも含めてだったようで、私の返事どうこう関係なくこうなる予定だったと聞かされて目が飛び出るかと思った。長期戦も辞さない構えだったと。遠距離を覚悟していた私は拍子抜けだ。無理、とはこのことだったらしい。
大人になったスグリくんは私が思っている以上に狡猾だったみたいで、気持ちが通じ合ったと思えば外堀を見事に埋められてあっという間に真っ白なドレスに身を包んでいた……ということだけ報告して終わろうと思います。