故郷を離れて姉と同じブルーベリー学園に入学することになり、新しい環境、慣れない土地、文化、食生活全てにおいて疲弊していた。
 ここでは姉以外まっさらな関係であまり人と関わるのが上手くないおれは教室にいるだけでごっそりと体力が減っていく。まだテラリウムドームで授業を受けている方が息ができた。座学的なこともするけれど実際に歩き回る授業が多いし色んな学年が入り混じって受けることも多いのであまり疎外感を覚えずに済むのだ。
 そんな中、唯一気になるクラスメイトがいた。隣の席のなまえさんだ。いつもおれが教室に行くより先に席に着いていておれに気付くと必ずおはよう、と挨拶をしてくれる。その後はスマホロトムに視線を戻してしまうのでそれ以上の話をしたことはないけれど。ホームルームが始まる時間にロトムが栞を挟むように言われているので、おそらく読書をしているらしい。たまに熱中し過ぎてロトムの方からそろそろホームルームの時間ロト、と言われてるのを聞いてちょっとうっかりしているところがめんこいなと密かに思っていた。
 そんななまえさんをテラリウムドームで見かけたことがある。コーストエリアの人目につきにくい場所にピクニックテーブルではなくレジャーシートを広げて周りに手持ちのポケモンたちを放し、なまえさんは日向ぼっこをしているのか寝転がっていた。ちょうどおれの方が高い場所にいたので見下ろすとよく見えた。
 手持ちの一体がなまえさんに構って欲しかったのか彼女の頬にぐりぐりと額を当てて甘えている。それになまえさんは嬉しそうに笑い、頭を撫でながらそのポケモンにキスをした。
 ……いいなぁ。……いいなぁ!?
 自分のとんでもない思考に驚き、咄嗟にその場を離れた。口から心臓が飛び出してしまいそうなほどうるさく振動している。
 今おれはなにを思った? なまえさんがおれに見せたことのない笑顔でポケモンとスキンシップをとる姿をみて……ポケモンが確かに羨ましくなった。おれもあの笑顔を向けてほしい、その唇を───。

「あー……」

 おれは毎日挨拶をくれる彼女をいつの間にか好きになっていたらしい。

 林間学校を終えてハルトと出会い、間違った方向に強さを求めていた頃もチャンピオンになって周りに酷いことをしてしまっていた頃も彼女は変わらなかった。急に髪型や服装を変えたことには少し驚いてた様子を見せていたけれど、それだけ。本当はホームルームに顔を出す必要はなかったが、ただ彼女からおはようと言ってもらうためだけに毎朝教室にだけは行っていた。強くなりたい、弱い自分から変わりたい。そう思っていたけれど、変わらない彼女に安心感を覚えていた。

 ひとつ不思議なことがあった。林間学校で休んでいた間の授業内容を丁寧にまとめてあるルーズリーフが入っていたことだ。自由に単位が選べるブルーベリー学園において自分がとっている単位全てがあるわけではないが、それでも8割ほどは揃っていた。
 友人といえる友人がいないので心当たりがない、と言いたいところだけれど、俺にはあった。なまえさんだ。……彼女が気になってから少しでも彼女のことが知りたくて同じ授業を増やしたし、その被ってる授業とルーズリーフの範囲は当てはまる。我ながらちょっと、いや、だいぶ距離の詰め方が良くない自覚はある。だからこそこっそりしていたつもりだった。でも、これがもし本当に彼女からだったら?
 体の奥底から沸き上がる歓喜に震える。きっとそうだといい。

 ハルトに負けた。テラパゴスもハルトを選んだ。間違えたこと、失ったことも多い。でもハルトとまた友達になって、休学した。
 休学中にリーグ部や周りの人へした酷いことの後悔に苛まれる俺を見かねたじーちゃんとばーちゃんが、キタカミにハルトやその友達を招待するように提案してくれて……。とんでもない騒動があったけれどハルトの大切な友達とも仲良くなれた。
 そしてまたゼロから始めることを俺は選んだ。ハルトに憧れる気持ちは変わらず強い。でもそれ以上に大切な友達でライバルだから、胸を張ってその隣を歩きたい。

 休学明け初めての登校日。しんと静まり返った校舎は人がほとんどいない。久々の登校に緊張もあるけれどそれよりも自分の中で重要なことがあった。
 確かめたいことがある。そのために普段は時間ギリギリに向かう教室へこんな早くに向かっていた。
 久しぶりの教室にそっと顔を覗かせる。ちょうど扉は開けっぱなしだったのでこっそり覗き込むにはちょうどよかった。……そこには予想通りなまえさんがいた。
 彼女の手には前回林間学校で授業を休んでしまった時に助けてくれたルーズリーフが握られており、すでに俺の机の中に入れられていたであろう束とちょうど重ねているところだった。

「あ───」

 今回の休学でも彼女が林間学校の様にしてくれている確証はなかった。でもそうだったらいいと思っていた。
 俺の声に反応してなまえさんが弾かれるように振り返る。

「えっと、それ……」

 なまえさんは指摘されたルーズリーフを背に隠す。表情はどこかバツが悪そうで目が泳いでいる。

「ご、ごめんなさい、勝手に机触って……」

「ち、違くて! それ、林間学校の時もものすごく助かったから、お礼さいいたかったんだけど誰がやってくれたのか分かんなくて。なまえさんがルーズリーフ作ってくれてたんだか……?」

 しゅんとするなまえさんに慌てて気にしていないことを伝える。机の中身は休学前に全部寮の部屋に移しているし、もともと見られて困るものは入っていない。
 それよりも彼女の口からしっかりと答えを聞きたくてルーズリーフに話を切り替えた。

「スグリくん座学も優秀だし、ポケモン勝負も強いから余計なお世話かなと思ったんだけど……うん」

「……そっか。そっかぁ」

 やっぱり、そうだった。喜びを噛み締めるように俺は言葉を繰り返した。

「遅くなっちまったけど、俺のためにこんなたくさんありがとう。それも受け取っていいか?」

「う、うん。役に立つかわからないけど」

「前も大助かりだったべ。すごくわかりやすかった」

 彼女に近づいてかなりの厚さになっているルーズリーフを受け取る。前も思ったがこのルーズリーフを書くのも時間がかかっただろうに、名乗りでもせず俺のためにこんな風に心を砕いてくれたことが心底嬉しい。
 だからこそ、ここで終わりたくない。

「……俺、さ」

 緊張が混じる俺の声に、なまえさんが伺う様な視線を投げかけてくる。

「言い訳になるけど、焦ってて……色んな人に酷いことした。なまえさんにも感じ悪かったと思う。本当にごめん」

「ま、まって! 頭下げなくても大丈夫だよ!!」

 深く、できる限り頭を下げる。なけなしの誠意が伝わる様に。

「だけど、そんな俺に、変わらずおはようさ言ってくれたの、わや嬉しかった。それにこのルーズリーフだって、わざわざ俺んためにしてくれて」

 気持ちがちゃんと伝わる様に、俺はなまえさんの目をしっかりと見る。

「俺、ずっとなまえさんと友達になりたかった。なまえさんさえ良ければ、俺と、友達さなってくれる……?」

 本当は友達じゃなくて恋人になりたい。でもなまえさんと俺はまだ友達ですらない、ただ隣の席ってだけの関係。これからを一緒に過ごせる様になりたい。
 嫌だって言われたらどうしようと弱気な自分が囁く。ばくばくとうるさい心音が耳に響いていた。

「私、ずっと、スグリくんと仲良くなりたかった」

「それじゃあ……!」

「でもね、あの、友達じゃ嫌なんです」

 色良い返事に喜びが沸き上がるが、なまえさんの友達じゃ嫌だという言葉がよく分からない。友達じゃなければなんだろう……。自分の対人経験では心当たりがなにも出てこない。
 なまえさんが緊張でなのか、うっすら頬を染めながらそっと口を開く。

「私、スグリくんが好きなんです。今は友達でもいいから、いつかその先も考えてくれませんか……?」

 好、き……? 好き? なまえさんが、俺を好き!?
 言葉を理解した瞬間、真っ先嘘をつかれているのではとの疑いが俺の中に浮かび上がる。でもそのなまえさんは顔をカジッチュのように真っ赤にして祈る様に両手を結び、よく見れば震えている様にも見えて嘘をついている様には見えない。
 もしかして本当に両想い……?

「……わやじゃ」

 余りにも俺が反応しないからか、なまえさんが不安そうに小さく首を傾げている。

「都合のいい夢さみてるんだべ……?」

「スグリくん……?」

 さらに大きく首を傾げるなまえさんの可愛さに心臓に何かが刺さる音がして言葉が詰まりかけたけれど、これ以上不安そうにしている彼女を待たせるわけにはいかないと言葉を絞り出す。

「お、俺も……なまえさんのことが好き、です」

 かっこのつかない俺の返事になまえさんは一瞬動きを止めてから、今まででいちばんの笑顔を見せてくれた。それは以前見たポケモンに見せていた表情と負けない、いやそれ以上に可愛くて、そんな表情を俺に向けてくれることが心底嬉しくて頬が緩んでしまう。その彼女の表情が好きという言葉を証明してくれるようで、浮かんだ疑いはあっという間に消え去っていった。

「友達さ飛び越して恋人からになっちまったな。……でも、わや嬉しい。これからよろしくな」

「こ、こちらこそ!」

「俺、なまえさんのことたくさん知りたい。俺のことも知ってほしい。だからいっぱい教えてな」

「うん!」

 まさか彼女も俺とおんなじ気持ちでいてくれたとは全く想像もしていなかった。ただ同じクラスの隣の席のクラスメイト、そう思われているだけだと思っていたから。
 彼女のことは正直ほとんど知らない。これから彼女の口からたくさん色んなことを教え貰えると思うと、嬉して仕方ない。きっと彼女も俺のことをたくさん聞いてくれるだろう。
 ……でもなぜ彼女は俺のことをすきになってくれたんだろう? いつから想ってくれてたんだろう? いつかその疑問の答えを彼女の口から聞けることを俺は楽しみにすることにした。


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