ここ、ブルーベリー学園ではあまり教室は使われない。テラリウムドームでの実地での授業が盛んで使われるのはホームルームくらいだ。なので交友関係はクラスや学年に捉われることがなく、他の学校に比べてクラスメイトという概念自体が薄い様に感じる。
私が所属するのは1-4。私は隣の席の男の子に片想いをしている。その子はイッシュから遠く離れた土地からきている、スグリくんという内気で大人しい子だ。
隣の席だというのに私は彼とまともに話したことがない。挨拶くらいはするのだけれど、前述した通りクラスメイトと会するのは短いホームルームの間だけ。それにスグリくんは人見知りらしくどう距離を詰めたものかと考えあぐねていた。……私も人見知りだから、どう話しかければいいのか考えるだけで時間が過ぎていく。
話をしたことがないのになぜ私が彼に恋をしたのかというと、テラリウムドームで彼を見かけたことがきっかけだった。
クラスにいる時のスグリくんは俯きがちなのと長い前髪が表情を隠してしまい、内向的なのも相まってくらい雰囲気を漂わせていた。異国から来ていることもあってか文化にも戸惑っている様子で……言葉を選ばずにいうとちょっとクラスの中で浮いていた。私も私で特に何かするということもなく、大変そうだなぁと思うだけで深く関わることはなかった。
ブルーベリー学園での生活に慣れた頃、私は偶然テラリウムドームで彼を見かけたのだ。たんぽぽ色の瞳を輝かせてポケモン勝負をする彼はクラスにいる時とは違い魅力に溢れていて私は一瞬で目を奪われた。勝利を収めたあとのポケモンたちに向けた優しい温かな双眸にすとんと音を立ててあっという間に私は恋に落ちていた。
特に何か進展もなく続く日々。ただ毎朝おはようと挨拶をして……ただそれだけ。ホームルームが始まるまでの間、教室の雑音を聞きながらスグリくんの隣にいるだけで心臓が高鳴って止まなかった。
ある日、スグリくんは姉妹校であるパルデアにあるアカデミーとの合同林間学校へ選ばれたみたいで毎朝の小さな楽しみがなくなってしまった。そのことを少し残念に思いながらも林間学校は彼の故郷で行われるらしく、慣れ親しんだ場所で羽を伸ばすことができるといいなと私は思った。出発の前日、ホームルームが終わった後に行ってらっしゃいを伝えることができたのは私にとっての小さな進歩。言われたスグリくんは少し驚いていた様子だったけれど、小さくありがとういってきますと返してくれたのを聞いて勇気を出してよかったとその日のベッドで思い出しては悶えて何度もじたばたした。
林間学校から帰ってきたスグリくんが変わってしまうなど、その時の私は思ってもいなかった。
私とスグリくんは偶然にも受けている授業がそれなりに被っている。林間学校に行っている間に困らない様、お節介かもしれないと思いながらも自分のノートとは別に彼に渡す用のルーズリーフを授業後の自室で丁寧に作った。あまり字が綺麗ではない自覚があるので時間をかけて見やすい様に工夫をして写していく。彼のことを思いながらする作業は楽しかった。いつ林間学校が終わるのかわからなかったので毎朝ホームルームの前に彼の机に入れておいた。そのおかげで授業の理解度が上がったのは嬉しい誤算だった。
その朝もスグリくんの机に前日分のルーズリーフを一番下になる様に重ねて入れておき、ホームルームの時間までいつもの様にスマホロトムで読書をする。
読書に夢中になっていたからか、がたんと椅子がズレる音でようやく隣に人が来たことに気付きパッと顔を隣に向けた。思ったより早く林間学校が終わったな、また会えるの嬉しいななんて思っていた私は髪を纏めて制服を着崩したその姿に一瞬誰だかわからずにフリーズしてしまった。
「お、はよう」
「……おはよう」
前髪で隠れがちだったたんぽぽ色が見えるのは嬉しい。でもそのいつもは気弱さがみえながらも優しげな瞳が何かを見据える様に冷たさを宿している。そのあまりの変わり様に私はどうしたの、林間学校でなにかあった? と問いかけたかったけれど……できなかった。私は隣の席なだけで友達でもなんでもないから。挨拶だけで踏み出すことのできなかった私には何も言うことができなかった。
そこからのスグリくんは人が変わってしまったかの様に、痛々しいまでに強さを追い求めていた。あまり眠れていないのか顔色も悪い。それでも彼の才能と努力が結果を出し、どんどんリーグ部の序列を駆け上がっていく。気づけば四天王を蹴散らしてチャンピオンを打ち負かし、スグリくんこそがチャンピオンに君臨していた。
スグリくんがチャンピオンになるとリーグ部の雰囲気が一変してしまったらしい。ストイックになった彼は部員にも同じ様にストイックさを、強さを求めた。前チャンピオンのゆるい雰囲気は消えてギスギスしてしまっているとリーグ部に所属していた友人から聞いた。彼女はその方針についていけず退部することにしたらしい。
何度かチャンピオンとなったスグリくんのポケモン勝負を見に行ったことがある。辿々しいながらも楽しそうにポケモン勝負に挑んでいたあの頃の彼はどこにもいなかった。
それでも私は挨拶は欠かさずにしていた。私とスグリくんとの繋がりはそれだけだから。林間学校で何があったのかわからないし私はあまりポケモン勝負が上手くないから、彼の隣立つこともできない。本当は彼のためになる様なことがしたい、頼ってほしいとはいわないけれど……少しでも心を軽くできる存在になりたかった。
そんな中、姉妹校のパルデアのアカデミーから留学生がやってきた。留学生はハルトくんといい、何やらスグリくんとただならぬ因縁があるらしい。……林間学校でスグリくんが変わることになったのはそのハルトくんが関わっているのだろうか。
異例の他校生のリーグ挑戦に密かに校内から注目が集まる。パルデアでのチャンピオンランク所持、シアノ校長の推薦も相まって四天王からのリーグ挑戦が許されたことも注目される原因だった。
怒涛の展開。その言葉しか思い浮かばないくらいハルトくんはあっという間にスグリくんを打ち負かした。
勝負がついて興味をなくした様に去っていく観衆は口々に好き勝手な言葉を吐いていく。普段ならそんな雑音に小さく腹を立ててしまうけれど、その時ばかりはスグリくんの悲痛な表情に胸が締め付けられてそれどころではなかった。今すぐに駆け寄って……でもかける言葉は思いつかなくて、思わず伸ばしてしまった右手をぎゅうっと握り込んで俯いた。
それからスグリくんは休学してしまった。
リーグ部は新チャンピオンであるハルトくんや四天王、主にタロ先輩の尽力によって以前の様な雰囲気に戻ったらしい。例の友人も再度リーグ部に入り直した様だ。
休学当初はキツい態度をとっていたスグリくんの悪口も色んなところから聞いたけれど、学園に来ていないこともあり次第に忘れられていくように減っていった。
ブルーベリー学園自体もパルデアからの特別講師の招待やバトル関連以外の授業の増加もあり、雰囲気が変わっていった。友人たちは現役ジムリーダーの授業が受けたいというけれど、私はアカデミーの先生方の授業が面白くて好んで受けている。私はそもそも進路の選択を間違えてしまったのかもとそこで自覚した。親の強い要望だったとはいえもう少しちゃんと学校選びをするべきだったかと思ったが、それだとスグリくんと会うこともなかったので複雑な気持ちだ。
休学しているスグリくんの机の中に私は以前の林間学校の時のようにルーズリーフを重ねていく。彼は私がやっていることは知らないし、知らせるつもりもない。これは全て私の自己満足だ。見返りを求めるつもりもない。
今日もまだ誰もいない教室でルーズリーフを追加しようとスグリくんの机にへと手を伸ばす。
「───あ」
開けっぱなしの扉から声が聞こえて振り返る。
優しいたんぽぽ色が私をみていた。突然の再会に息が止まる。
「えっと、それ……」
指されたルーズリーフを反射的に背に隠した。勝手に机を触っていた後ろめたさに血の気が引いていく。
「ご、ごめんなさい、勝手に机触って……」
「ち、違くて! それ、林間学校の時もものすごく助かったから、お礼さいいたかったんだけど誰がやってくれたのか分かんなくて。なまえさんがルーズリーフ作ってくれてたんだか……?」
「スグリくん座学も優秀だし、ポケモン勝負も強いから余計なお世話かなと思ったんだけど……うん」
「……そっか。そっかぁ」
久々に会ったスグリくんはすっかり憑き物が落ちたかの様に以前の鋭さが消えて、でも最初よりも暗さがなくなって柔らかな人になっていた。
もごもごとルーズリーフで顔を隠しながら予防線を張る私とは対照的にどこか嬉しそうにスグリくんは瞳を細めた。初めて見る真正面からの笑顔に頬に熱が集まる。
「遅くなっちまったけど、俺のためにこんなたくさんありがとう。それも受け取っていいか?」
「う、うん。役に立つかわからないけど」
「前も大助かりだった。すごくわかりやすかったべ」
それなりの厚さになったルーズリーフがスグリくんの手に渡っていく。思いがけずバレてしまった私のお節介が恥ずかしいというか照れ臭い。でも助かった、ありがとうの言葉が嬉しくて、私は緩んでしまう口を制服の袖で隠した。
「……俺、さ」
スグリくんが私に向き直り、真っ直ぐ見つめてくる。その真剣な瞳に私の浮ついた気持ちが落ち着き、どうしたのだろうと彼の言葉の続きを待つ。
「言い訳になるけど、焦ってて……色んな人に酷いことした。なまえさんにも感じ悪かったと思う。本当にごめん」
「ま、まって! 頭下げなくても大丈夫だよ!!」
「だけど、そんな俺に、変わらずおはようさ言ってくれたの、わや嬉しかった。それにこのルーズリーフだって、わざわざ俺んためにしてくれて」
深く下げられた頭を上げたスグリくんはそれはもう嬉しそうに笑うから、私の顔に熱が灯る。
「俺、ずっとなまえさんと友達になりたかった。なまえさんさえ良ければ、俺と、友達さなってくれる……?」
スグリくんの言葉に胸がいっぱいになる。ただただ意気地なしだった私の挨拶をそんな風に受け取ってくれていて、友達になりたいと言ってくるなんて。
でも、でも、私は友達じゃ嫌だ。
「私、ずっと、スグリくんと仲良くなりたかった」
「それじゃあ……!」
「でもね、あの、友達じゃ嫌なんです」
ばくばくと心臓がうるさくて痛い。今すぐにこの場を逃げ出したいくらいに恥ずかしい。
「私、スグリくんが好きなんです。今は友達でもいいから、いつかその先も考えてくれませんか……?」
今できる、私の精一杯の告白。両手をぎゅっと握りしめた。目も強くつぶって祈る様にスグリくんの返事を待つ。ばくばくと胸が鳴る音だけが鼓膜に響いていて、握った両手の間が手汗でぬれる。しばらくそのままで待てども返事がこなくて不思議に思い、恐る恐るスグリくんに視線を向けた。
「……わやじゃ」
スグリくんの顔は耳や細い首まで真っ赤になってて、大きな目を見開いていた。困っているのかと思っていたから予想外の反応に面食らう。
「都合のいい夢さみてるんだべ……?」
「スグリくん……?」
「お、俺も……なまえさんのことが好き、です」
まさかのスグリくんからの返事に今度は私がフリーズした。好きですの言葉が脳内にリフレインしている。
「友達さ飛び越して恋人からになっちまったな。……でも、わや嬉しい。これからよろしくな」
「こ、こちらこそ!」
「俺、なまえさんのことたくさん知りたい。俺のことも知ってほしい。だからたくさん教えてな」
「うん!」
隣の席の好きな男の子が恋人になるなんて昨日の自分は想像もしていなかった。今あの優しい双眸が私に向けられていると思うと嬉しくて、でも恥ずかしくて照れくさくて。優しさの中にある甘さに気づいてしまうと心臓が壊れそうになって直視できない。
挨拶だけが私たちをつなぐものだったけれどこれからは君といろんな話をして、時には喧嘩をするかもしれないけれどその度に仲直りして。そんな時間を積み重ねていければいいなと私は思う。
……でもどうしてもスグリくんは私のことを好きになってくれたんだろう? 私は心の中で首を傾げた。今はちょっと聞く勇気がないから、いずれ教えてもらおう。きっとスグリくんは教えてくれると思うから。