その日、出会うはずの無かった私たちは確かに出会った。
運命の悪戯、いや運命の気まぐれだったのかもしれない。
私たちは出会って恋をした。
それだけは確かなことだったから。
今日は散々な日だった。朝から車が水溜りをはねさせ水浸しになるわ、お昼はお昼でうっかりお弁当を持っていくのを忘れているし、夕方定時にあがれるかと思えば唐突の残業…。これを踏んだりけったりといわずになんと言おうか。
日はとっくに暮れ、町の明かりもまばらだ。終電でようやく帰ってこれたんだ、明日も平日。日付が変わるような時間だともう就寝時刻。お風呂に入って暖かいお布団で近くの人が寝ているかと思うとちょっと恨めしい。
ふらふらと人通りの無い道を自宅へ帰るために進むと、電信柱の根元に何かがある。あるというか、いるというか、よく目を凝らしてみれば人影のように見える。なまえは思わず足をとめた。
幽霊、などと非科学的なものが頭をよぎる。しかしそれはすぐに振り払われた。足も腕もきちんと存在しているし暗くてよくは見えないが血色もしっかりしていそうだ。
でも深夜ともよべる時間に座り込んでいる人間を見たら警戒するのが本能で。一瞬迂回して帰ることも頭によぎるも、家は目と鼻の先、残業終わりの体に鞭打ってまでそうするのは嫌だった。
しばらくそうして悩んでいたが、相手は顔をあげるそぶりも自分の存在にも気付くことはなさそうだと結論付ける。なるべくヒールの音を鳴らさないよう、細心の注意をはらい通り抜けることにした。
ゆっくり、一歩ずつ。狭い車道の反対側を行く。丁度その人物を通り抜けようとしたとき、体がゆっくりと地面に横たわり身を道路に放りだした。思わずなまえは足を止めてそれを眺める。気を失っていたんだろうか。最悪の場合、病院へ連れて行かねばならない。普段ならそこで救急車を呼んでいた、そう思う。けれどその倒れた男に目を、惹かれた。
倒れたことにより顔がよく見えるようになった。その電灯に照らされた素顔が今まで見たことのないような綺麗な顔で、さらりとゆれた髪が反射してキラキラと光る。すらりとした四肢は細いようでしっかりと筋肉がついており、思いの外たくましい。
「…血?」
そこでなまえはようやく気付いた。その倒れた男の腹部から血が流れていることを。そして男の手にはナイフというにしては少し大きめの、血のついた刃物が転がっていたのだ。
思わず口を押さえて眺めているだけだったが、なぜか彼を他の人間には見られてはいけないととっさに思った。なぜ警察という選択肢がでてこなかったのか、なまえにはわからない。無我夢中で落ちていた刃物を鞄に押し込み、目と鼻の先にある自宅へどうにか男を運び込む。火事場の馬鹿力というやつで、どうにかベッドへ寝かせることに成功した。
「…なーにやってんだろう」
すこし取り戻された思考がそう口をついてでる。けれどもなまえの体は相反するようにお湯と清潔なタオル、包帯や消毒などを用意して傷の手当を行っていた。
思ったよりも傷は浅そうで、血はほとんど止まっており消毒と包帯を巻くぐらいで手当ては終わってしまう。よく見ると顔色もそんなに悪いわけではないのでただ気絶していたんだろう。少し休めばきっと目を覚ます。
…助けてしまってなんだけど、どうして私はこの男を助けてしまったんだろうか。
自分でもわからない行動だった。けど、なぜかこうしなくてはいけないような気がして…。
思考の海へ溺れるには残業明けの体はきつかった。考えよう考えようとする前に睡魔がなまえの思考をさらっていくだけだった。