ふと、意識が浮上する。まどろみに揺れる中まだ寝ていたいと半兵衛は寝返りをうち、近くにあった温もりを抱き寄せる。
それは自分より少し温度が高くて柔らかく心地が良い。擦り寄るように腕に力を込めればそれは身じろぎをして抜け出そうと体をよじった。ギシリとベッドのスプリングが鳴く。

……動いた?

人の気配を敏感に感じ取った半兵衛はすぐさま意識を覚醒させて“それ”から距離を取る。“それ”はまだ深く眠っているようで起きる気配はなく、布団へ顔を埋めていた。向けられている背中は小さく華奢で女性であることがうかがえる。見慣れない服に陽の光で少し色素が薄く見える頭髪は肩甲骨を覆うくらいの長さで彼女が動くたびさらりと揺れた。
対する半兵衛はいつも寝ているときに着用している浴衣を着ており、いつも懐に忍ばせている脇差はない。しかしながら昨夜は酒も飲まず、追われた執務の疲れからか自室に着くと寝台で泥のように眠りについたことは覚えている。
では、ここは。
見慣れないもので埋め尽くされたこの部屋はそこで眠っている彼女の自室で間違い無いだろう。見慣れた畳はなく襖もない。先ほどまで眠っていた寝台は床より一段高くなっている。眼に映るもの全てが見慣れないもので半兵衛は困惑した。
しかしながらなぜ自分はここへ。生々しい話にはなるが彼女と自分がいたした痕跡はない。知らない男と無防備に寝る女ではないだろう。自室で一人で寝ているが故の無防備さにみえる。もしかしたら彼女が自分をどうこうした訳でもないのかもしれない。起こして話を聞かねばならないのは確かだが。
ふと心地よい風が入ってくる窓へと目を向ける。ひらりとカーテンが揺れるたびに日差しが差し込まれる。そこへ吸い込まれるように近づいて外の景色を見た。

なんなんだ、ここは。

嫌でも認めるしかないのかもしれない。自分は知らない世界に迷い込んだということ。
そんな馬鹿な話あるわけないじゃないかと否定する自分と現実に起きているではないかと訴える自分。なまじ賢い頭をしているからして受け入れ難くもある。

「……うーん、起こすしかないかぁ」

これ以上は自分ではどうにもならないとばかりに思考を追い出す。わからないことを考えていても仕方がない。今は少しでもここのことを知らなければ。

「あーあ、どうなるか俺にもわっかんないや〜。まぁ、なるようになるよね」

態とらしく聞かせるような独り言に未だに彼女は起きる気配がない。人の気配に疎く、もしかしたら自分のような戦場に立つような人間ではないのかもしれない。
すーすーと深い呼吸に合わせて動く肩を手前に引き寄せると簡単に顔がこちらを向いた。
若い女だった。しかし失礼ではあるが、独り身であれば行き遅れだといわれるくらいには年齢を重ねているとみえる。眠っている姿から正確なものはわからないが、おそらく自分より下だろうとあたりをつける。
続けてゆさゆさと肩を揺らせば彼女は睫毛をふるりと震わせてその瞼を持ち上げた。とろりとした瞳は日に透けて琥珀のような色合いをしており、ゆるりと視点を半兵衛へ合わせた。ぱちぱちと瞬きを数回繰り返すとようやく状況を理解したであろう女が大きく息を吸い込みーーー。

「ごめんね、叫ぶのはやめてくれるかな。俺もなんでここにいるのかわからなくて君から話を聞きたいだけなんだ」

大音量として吐き出される前に半兵衛はその口を手で塞いだ。できるだけ優しい声音と困ったような笑みを作り、怯えさせないようにと最大限気を使う。

「俺はなにもしないし、なにもしてない。ね? 君を害することはないから、ちょーっとお話させてくれる?」

半兵衛の存在に震えていた彼女は段々と震えは落ち着いて多少の怯えは残しながらも頷いた。
口から手を離せば彼女は叫ぶことなく警戒心いっぱいの目で半兵衛を睨みつけた。少しでも自分を守るためか、布団を引き寄せ肩まで覆うように包んで気休めにしかならない防御をしている。

「まず、俺は竹中半兵衛。朝起きたらこの通り……君の部屋、だよね? に、いたんだけど……。その様子からして君はなにも知らなさそうだね」

「っ竹中半兵衛……? 嘘つくならもう少しまともな嘘をついたら?」

「といわれても」

彼女の瞳に警戒心にさらに怪訝そうな色が乗る。目は口ほどに物を言うというが、彼女はそれを体現しているようで瞳と態度からして実に素直なようだ。半兵衛としてはやりやすい。隠す必要がないのかもしれないが。

「じゃあ名前はとりあえずいいとして。ここは君の部屋? なんで俺がここにいるのか知っている?」

「知るわけないじゃない……!」

「だよねー、知ってた〜」

怯えて警戒する彼女とは対照的にあっけらかんとした態度で振る舞う半兵衛。予想通りに彼女はなにも知らないみたいで内心肩を落とす。いっそ彼女が原因だったなら楽だったのにと内心で毒付きながら。

「んー、じゃあなんで俺の名前が嘘だと思ったの?」

「……竹中半兵衛って戦国時代の武将の名前でしょう? そんな四百年以上前にいた歴史上の人物の名前を出されて信じるわけないじゃない」

「四百年以上前……!?」

四百年以上前、という言葉に急に取り乱した半兵衛をみて彼女は困惑した表情を浮かべる。
先ほどの笑みや余裕のある口調は離散し、半兵衛はただ一人思考の波に囚われている。彼女は半兵衛の瞳を覗き込んだがそれにすら気づいていない様子だった。
その取り乱し方はまるで置いていけぼりにされた迷い子のようにもみえた。
俯いて自問自答を繰り返している様は痛々しく見えてかける言葉もなく口を噤む。演技にも見えなくて彼女は半兵衛が落ち着くまで黙って見つめていた。

「……そんなに経ってるなら知らないものばっかりなのは当然かぁ」

自嘲したような言葉は吐くと半兵衛は顔を上げた。

「ねぇ、今は戦はあるの?」

「戦……戦争のこと? 完全にないとは言えないけど、この国は80年以上は戦争してない……」

「そう、そっかぁ」

半兵衛は泣きそうな笑顔を浮かべて頷いた。それは演技に見えなくて彼女はこの男のことがさらにわからなくなった。
そうしている間に半兵衛の泣きそうな笑顔が消え失せて最初のような笑顔を浮かべた。先ほどの表情を見た後に浮かべられたそれはなぜか平べったく、作り物のように見える。実際そう作っているんだろう。その胡散臭い顔に彼女は警戒の色を瞳に乗せた。

「えーっと、俺、過去からきちゃったみたーい」

「えー……えー?」

「で、行くとこもないんだよね。だから少しの間でいいからお世話してくれない? だめ?」

思ったより明るく告げられた言葉に困惑するしかなく、まるで子犬のようなすがるような黒目がちの瞳に彼女は言葉を詰まらせる。
パニックになっておりその竹中半兵衛と名乗った男の容貌をよくみてなかったが、真正面から見据えればその整った容姿を自覚しているような上目遣いでこちらを覗き込む。あざとくも愛らしい。下手なアイドルより整ったその見た目は男性に免疫の少ない彼女の顔を真っ赤にすることは容易かった。
その反応に半兵衛は気を良くしたのか手応えを感じたのか、ずずいっとその顔を彼女へと近づけていく。

「おねがーい! 俺、君のためならなんでもするから〜!」

「ちょ、やめて、こっちこないで!」

「あーんなことやこーんなこともしちゃうから、ダメ?」

「そっ、そんなことしなくていい! 犯罪、犯罪になる!」

「うわぁ、君って優しい! 何にもしなくていいけどここに置いてくれるんだね!」

「……へ? お、置くなんていってない!」

「わーい、ありがとう!」

これをごり押しといわずとしてなんと言おうか。いつの間にやらなんの対価もなしに半兵衛をここに置くことになっていた。
うなだれる彼女とは対照的に半兵衛はにっこりといい笑顔を浮かべた。

「じゃあ改めて、俺は竹中半兵衛。君の名前、教えてくれる?」

「……なまえ、みょうじなまえ」

「よろしくね、なまえ」

こうして戦国武将にして知将、竹中半兵衛とみょうじなまえとの奇妙な同居生活が始まったのだった。


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