midnight, your hands open 2








 午前二時を回っていた。
 彼の恋人は話を聞こうとしなかった。

 耳が痛いような叫び声とガラスが砕ける音の中で、シャンクスは途方に暮れた。どうにかレッドフォース号に乗せることはできたが、エースの激昂は高ぶるばかりだった。
 もともと抑えのきかない性質なのは知っていたが、こんな時には手を焼いた。ウィスキーを浴びせられた髪が乾いてべたついてきている。しかし今はそんなことより、怒り狂う相手をどうにかすべきだった。

 彼が黙っていると、エースがますます逆上した。

「あんたなんか右手とやってろ! もう知るか」
「少し落ち着け」

 ため息を含んだ声に、エースが唇を噛んで近くにあったエターナルポールを彼に投げつけた。シャンクスが微かに首をかしげて簡単に躱し、一歩詰め寄った。背後で砕け散る音がした。
 半泣きになったエースがよろけ、机の上の書類が床に散らばった。

「飲み過ぎなんだ」
「関係ねえよ! あんたなんか嫌いだ」

 腕を掴むと炎になった。思わず舌打ちすると、エースの瞳が傷ついたように大きく開いた。とうとう涙がこぼれた。
 シャンクスは自分に舌打ちしたくなった。

 エースが言う『事実』は、シャンクスの側から語れば全く違うエピソードになる。でも理屈で納得させるのは骨が折れるし、感情で怒っている相手に理性で向き合ってもお互い気分が悪いだけだった。

 どう宥めようか考えていると、左側から気配がした。油断できない相手なのだ。
 エースの炎がほとんど本気で襲ってきて、シャンクスは思わず加減を忘れた。

 机が砕け、木片が頬にあたった。床に組み敷いたエースが炎の中からぎらぎら光る目で睨み上げていた。少しでも力を抜くと暴れ出すはずだった。

 シャンクスは渇いた唇を舐めた。
 こういうやり方のほうが、終わりの見えない理屈の投げ合いより彼らには向いていた。野蛮な殴り合いに心臓が高鳴るのは海賊の性だと思う。

 エースが腕を上げるより一瞬早く、覇気を纏った手で彼の首を床に叩きつけた。

 唇に噛み付くと、彼が喉の奥で悲鳴をもらした。もがきだす身体を押さえ込み、ゆっくりと太股に割って入った。
 深く口付けて舌を絡ませると、強ばった彼の身体がしだいに震えだした。

 シャンクスの胸を押し返す手が弱くなった。 涙でいっぱいになった瞳と目が合った。ぶっきらぼうにエースが顔を覆った。

「……あんたなんか嫌いだ」

 シャンクスは黙って乱れた彼の髪を撫でた。抑え込まれておとなしくなったエースがすすり上げる。

「……うんざりだ」

 砕けたガラスと木片が散らばっていた。彼の黒い髪に絡まって綺麗だった。
 エースの押し殺した声が、静まり返った真夜中に響いた。

「馬鹿みてえ。あんたにも、おれにもうんざりだ」

 シャンクスが彼の胸にキスをした。両腕で顔を覆ったままエースはされるままになっていたが、心臓がひどく速く打っていた。

「嫌いだ」
「おれは愛してる」

 エースが苦しげに嗚咽をもらした。涙に濡れた彼の手にシャンクスがキスをした。彼の黒い水晶のような瞳が見たいと思った。

「嫌いだ」
「お前がいい」
「うるせえ」
「お前がいい」
「うるせえ黙れ……」
「キスさせろ。そしたら黙る」

 嫌がる手を抑え込むと、涙でいっぱいになった瞳と出会った。胸が詰まり、シャンクスは涙にキスをした。エースが顔を背けた。

「そんなに泣くな」

 エースが不機嫌な顔で押し黙った。嗚咽をこらえているらしかった。言い返してこないのを不思議に思って覗き込むと、必死の形相で睨みつけてきた。

「……泣いてねえ」

 彼は真面目なようだった。一瞬時計の秒針が聞こえたが、シャンクスが噴き出した。面白くなって見降ろすと、唇を引き結んだままのエースが難しい面持ちで頑張っていた。

「へーえ。泣いてねえのか」

 それでも痛々しく赤くなった目元をぬぐってやると、こらえきれなくなったらしいエースがとうとう吹き出した。
 シャンクスはようやくほっとした。

「お前に泣かれるのが一番困る」

 エースが目を丸くした。本気で驚いているらしい。その顔を見て、シャンクスは微笑した。これだから手放せないのだ。嬉しくなって深く口づけた。自分の下で彼の身体がほぐれ出すのを感じるのは最高だった。

 唇を離すと、眠たげな瞳でエースが彼を見上げていた。ひとしきり暴れて気が抜けた様子だった。

「……あんたおれのこと好きなのか」
「好きじゃなかったらこんな苦労しねえ」

 エースが少し困ったように、満足そうに笑った。ときどき彼は子供のように無邪気に笑う。大切にしたいと思った。先の知れない海賊という生き方をしていて、こんな感情を持つことは珍しいことだ。普段は本能に忠実に行動しながらも、何事にも執着しないように生きていた。それでもこの青年のことは懐の中に入れてしまった。

 エースが首を引きよせ、彼を抱き込んで砕けたガラスの上に押し倒した。

「背中が痛えな」
「おれだって痛えよ。今夜はあんたが我慢しろ」

 機嫌を直したエースの文句を甘んじて聞きながら、シャンクスは彼の唇が胸元をくつろげていく感触を楽しんだ。
 しかしそれが、不自然に止まった。
 不満を言おうと身体を起こすと、脱力したエースの上体がもたれかかってきた。

「おい……」

 健やかな、という形容詞がぴったりの寝息だったが、酒を飲み過ぎて泥酔、という形容でも当てはまりそうだった。普段から体温が高いのは知っているが、今夜はまるで身体の中から燃えているかのように熱い。

 シャンクスはうめき声を漏らした。
 時計に視線をやると、もう午前三時を回っていた。どっと疲れが来て、今さらながらアルコールでべたついた髪が不快だった。床にはかつて机と呼ばれたものの残骸が転がり、砕け散ったガラスが一面を覆っている。エースの炎が何か焼いたらしく、くすぶった匂いが鼻をついた。足の踏み場もない。

 油断しきって肩にもたれる恋人の背中を、子供にするようになんとなく優しく叩きながら、シャンクスはため息をついた。
 もう夜明けがそこまで迫っている。
 朝にはこの騒ぎを、古株らにからかわれるだろうことはわかりきっていた。


















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