one love: atonement 4 |
波の音が聞こえている。丘に上がったとき、稀に海鳴りが聞こえないほどの陸地に泊まることがある。すると逆に落ち着かない気分になった。海はすでに、シャンクスの一部になっている。 ボトルからラム酒をじかにあおっていたエースが、自分を見つめていることにシャンクスは気づいた。月明かりは十分に部屋の中を照らしていた。 左腕だ。 「……痛ぇ?」 「そう見えるか?」 「……見える」 「だろうな」 シャンクスは冗談めかして言ったが、エースは神経質そうに視線をそらしてボトルを揺らした。 「……なんでって思わねぇ?」 「ん?」 「あんた、これからだっただろ」 エースは堰を切ったように話しだした。 「これからってときに、その致命傷だろ。強くなきゃ生き残れない世界で、海賊が利き腕を亡くすなんて。 後悔の話をしてるんじゃねえ。おれは馬鹿だけど、そんな野暮なことは聞かねえよ。おれだってあんたの腕よりルフィの方が大事だ。 だから、そんな風にはぐらかしたりするなよ」 「……」 思い詰めた黒い瞳が彼に迫った。微かに狂気的な色を帯びていた。 「なんで自分がって、その腕さえあればって、思ったことねぇ?」 シャンクスは腕を伸ばし、彼の柔らかな黒髪に触れた。エースのまとう空気が張り詰めた。 「……腕は痛む。今でもだ。ないはずの腕が痛む。でも痛むたびに、おれはルフィを思い出すよ。悪くないと思わねぇか」 「……」 「この腕があったら、楽にできたことは多い。でもそれが何だ」 エースの顔が歪んだ。泣きそうだとシャンクスは思った。 「あんたは、絶望したことはねぇの……」 「自棄になって苦い酒を飲むこともあるさ。死んじまったら気分がいいとまで思い詰めて、潰れて寝ちまって、それでも朝は来る」 絹糸のような巻き毛を撫で、惜しみながら手を離した。 「光が顔に当たって、朝に降る雨の音を聞く。やっぱり、無事に朝を迎えるのはそれだけで最高だ」 「……」 「どんなに最悪なときだってそうさ。そういうものだ」 「……」 エースが唇を噛みしめて顔を背けた。 「エース、ガキのくせに、何をそんなに思い詰めてるんだ?」 「……何も知らねぇくせに、偉そうな口きくな」 「聞いて欲しいんだろ、本当は」 「聞いて欲しそうに見えるか?」 ボトルから一口あおった。ラム酒も悪くなかったが、そろそろ馴染んだ酒が飲みたくなる頃だと頭の隅で考えた。 「見えるな」 「……放っておけよ。言えるわけねえ」 「だったらそう突っ掛かるな。いい迷惑だ」 青年は黙り込んだ。反省するのが上手なのは聡い証拠だったが、それが彼の弱さでもあるとシャンクスは思った。 「……もう一回抱いてくれよ」 「……」 「抱いて欲しそうには見えねえ?」 「さァな」 煙草に手を伸ばすと、膝をついて猫のように近寄ってきたエースがそこに唇を寄せた。 「抱いてくれよ」 「エース」 「……」 煙草を持った腕を膝におろし、シャンクスは静かに視線を彼に置いた。 「お前を愛してる」 「……」 黒く澄んだ瞳が茫然と見つめ返した。 「聞いてるか? もう言ってやらねえ」 「……聞き間違いだ」 「どれだけ耳が悪ィんだお前」 「……」 気が抜けたように、エースがその場に座り込んだ。何も映っていない瞳をあたりにさまよわせる。その様子はひどく幼く見えた。 「愛してる、エース」 「……」 シャンクスの方を見ようとしないまま、怒ったような表情で口を開いたが、言葉は出て来なかった。そしてすぐに両手に顔を埋めた。シャンクスは彼を抱き寄せた。 「なんでそんなこと言うんだよ……」 「抱いて欲しそうには見えねぇが、……抱きしめてくれって言う方が、普通は簡単なんだ」 抱き寄せた身体は震えていた。怯えているというよりは、堪えきれない何かを無理に押さえ込んでいるようだった。まだ若い身体は、鍛え上げられているのにどこか不完全で頼りなかった。 そのまま抱き込むと、逆らわずに腕の中におさまった。滑らかな肌から高い体温が伝わって、不意にシャンクスは熱い手で胸の奥をわしづかみにされた心地がした。 「……」 「……」 「……シャンクス」 嗚咽を噛み殺してエースが言った。 「おれ、今、酔ってるんだよ」 「……」 「そういうことに、してくれよ……」 シャンクスは答えなかった。ただ彼の髪を撫で、頭を自分の胸に押し付け、額にキスをした。 ずっとこの腕の中に留めておければ、守ってやることができる。でも永遠にそういうことにはならないだろうとわかっていた。ならばせめて、傷ついたときには安らぐ場所があると、彼が知っていることだけで満足しよう。 エースの腕が腰に回った。シャンクスは少し微笑んだ。 波の音だけが聞こえていた。 時々息をするのも辛くなる。 ルフィに会わないといけないと思う。 抱きしめたいと思う。 あいつの声がおれの名前を呼ぶのを聞く必要がある。 おれが怪我するとあいつが泣いた。 あいつが泣いてくれたから、おれは泣かずにすんだんだ。 |